真実
二日後、私は警察に捜索願を出しに行くために準備をしていた。
家の中で男の霊に遭遇した後、私は近くのビジネスホテルに宿泊していた。
とてもじゃないがあのまま家に居る事は考えられなかったからだ。
その間、美琴にはメール、チャット、電話などの考えうる限りの連絡手段を使って連絡を取ろうとしたのだが、結局美琴の声を聞くことは叶わなかった。
そして今日、美琴が帰って来ているのではという淡い期待を胸に、二日ぶりに家に帰って来たのだが、相変わらず玄関には美琴の靴は無く、家の中も静まり返っていた。
印鑑と保険証をカバンに入れた事を確認する。よし、行くか。
すると、つけていたテレビがニュースに切り替わり、最初のニュースが読みあげられた。
『今日未明、×××都×××区のアパートで男性の遺体が発見されました。当初、現場の状況から自殺だとみられていましたが、遺体の状況、現場に残されていた被害男性の物ではない手帳から、警察は殺人として捜査を進めています。またこの手帳には手記の様な物が書かれており、その内容は「私がこの男を止めなければ」「お姉ちゃんの事は私が守る」という内容が記されていました。この内容と現場の指紋から、警察は塩崎美琴容疑者の犯行として捜査を進めています。また、容疑者の行方は現在分かっておらず、逃走中とみられるため、近隣住民の方は十分に注意して下さい。なお、現場からは塩崎容疑者によく似た女性の盗撮写真と見られる物が大量に発見されており、警察はその写真についても捜査を進めています。また、協力者の有無も含めて捜査が行われているとの事です。——次のニュースです』
「……?」
何を言っているの? 塩崎美琴容疑者? でも……さっきテレビ画面に映し出された女の写真はとても美琴に似ていた。いや、美琴だった。多分、美琴がSNSに上げた写真が使われたのだろう。
私は崩れ落ちる様にソファに座った。もう立っているのも辛かった。
まだ、まだ実感がわかない。というか意味が分からない。美琴が人殺し?
あとお姉ちゃんを守るって何? 美琴と良く似た人物の大量の盗撮写真?
もう今日は動けない。そう思った時、インターホンが鳴った。
私は弾かれた様にソファから立ち上がり、玄関に向かった。誰が来たのか確認するまでも無かった。
玄関ドアを開けると、そこに立っているのは美琴だった。
「美琴……どこ行ってたのよ」
すると、
「ごめんねぇ。あたし……なんで……なんでここまでしちゃったんだろう」
美琴の瞳からさらに涙が溢れた。
「殺し……殺してなんてないんだよね。美琴」
私は美琴を信じたかった。あのニュースは美琴本人の言葉じゃない。私は赤の他人が電波に乗せて不特定多数に発する言葉より、美琴が私に伝える言葉を聞きたかった。美琴があのニュースは嘘だと言ってくれれば私は十分だった。
だが、美琴は力なく首を横に振った。
「本当なの。あたし、あの男を殺した」
気付くと私は美琴の両肩をつかんでいた。
「なんで! なんであんなニュースと同じ事言ってんのよ! 意味わかんないわよ!」
すると、美琴は両肩に置かれた私の両手を優しく除け、泣きじゃくる私に対して幼子をあやす母親の様な声色で話し始めた。
「あのね、お姉ちゃんニュースでも見たと思うけれど、あの首を吊った状態で発見された男は沖田って言って、あたしの大学時代の同級生なの。大学時代から何を考えてるか分らないやつでさ、なるべく関わらない様にしてたんだよね。大学を卒業してからは全く関わりは無かったんだけれど、一カ月前位からかな、沖田があたしが働くコーヒー店にやって来たの。直ぐに分かったよ、あの異様な雰囲気で。最初は無視しようとしたんだけれどね、でも、仕事だから仕方なくオーダーをとりに行ったの、そしたらあの男、お姉ちゃんの事ばかりやたらと聞いて来たの」
そこで一旦美琴は言葉を切った。遠くからパトカーの音が聞えて来る。
「でね、あの男、お姉ちゃんとまるで付き合っているかの様な事を言い出して、しかも、お姉ちゃんが良く着てる部屋着、あれ肘の所が破けて来てるでしょ、それも知っていたのよ。お姉ちゃん、あの男と付き合ってなんてないもんね」
もちろん沖田なんて知らないし、付き合ってもない。それなのに付き合っているかの様な事を言い出した? なぜそんな事になる? あと部屋着については当たっている。今、私の部屋着は肘の所が破けてきている。私は吐き気を覚えた。なぜ見ず知らずの男がそんな事を知っているのだ。
「その表情を見る限り付き合ってないね。うん、あたし前にも写真見せてお姉ちゃんに確認しているし」
ああ、そう言えば美琴に写真の端に写り込んだ知らない男の写真を見せられた事がある。だからか、あの男の霊を見た時にどこか見覚えがあったのは、確かその時も私は「知らない」と答えたはずだ。
「だからね、あたしは感づいたの。コイツはお姉ちゃんのストーカーだって。だからあたしは沖田の家に行く事にした。何かストーカーの証拠をつかみたかったの。そして、やめさせるつもりだった。前にあたしが付きまといに遭った時に、お姉ちゃんが救ってくれた様に」
確かに以前美琴が付きまといに遭った時には何とか助けようと私が動いた。けど、私は殺しはしてない……。美琴が解決に向けて動ける様にサポートしただけ。
「でもね、沖田は、あいつはもう話しが通じる状態じゃなかった。もう人間じゃなかったんだよ。話しても無駄だってその時思った。大量のお姉ちゃんの盗撮写真を見つけて問い詰めた時も、『なんで? 恋人の普段の様子を見守ってて何が悪いの?』『何? それとも僕がどれだけ杏奈の事を思っているか試してるの』って。……意味わかんないでしょ、そもそも一度もあった事の無い人間に対してそんな事思ってるだなんておかしい」
最後美琴は吐き捨てる様に言った。
「いや、だからって……殺すだなんて」
遠くで聞こえていたパトカーの音がすぐそこまで迫っていた。1台じゃない。多分、ニュースを見たこのマンションの住人が通報したんだ。
すると、美琴は曇りの無い晴れやかな表情を浮かべた。この状況に全くそぐわない、どこか吹っ切れたかの様にも見える笑顔。
「確かに、他にやり様はあったかもしれない。けど、あのままだったら沖田がお姉ちゃんに危害を加えるのも時間の問題だったと思う。そんなの嫌だよ、あたしが前つきまといに遭った時でも物凄く辛かったんだからね、今回の沖田はあたしの時の比じゃない位危険なの。あたしには解る。あいつはお姉ちゃんを壊そうとしていた」
美琴……でも、それはあんたがやる事じゃない、あんたが人生をめちゃくちゃにしてまでやる事じゃない。ごめん、あんたは間違ってる。
「なんで自分で裁こうとしたの。なんで私に言わなかったの。そしたら私が警察に相談しに行く事も出来たでしょ」
すると美琴は心底私が何を言っているのか分からないといった表情をした。
「何を言ってるのお姉ちゃん。警察に相談したって何にもならないでしょ? それ位じゃあいつは止まらないのよ。いつお姉ちゃんに危害を加えるかわからないの。」
パトカーがマンションの前に止まるのが分かる。私はもうあまり時間が無い事を悟った。
「でも、あたしは沖田を殺した事自体は後悔して無い。結果的にお姉ちゃんを護れたから。でもね、お姉ちゃんと一緒に居られなくなる事が残念なの。でも、繰り返すけど、お姉ちゃんを護れた事は後悔して無い、だって、だってこれ以外あの時は方法が思いつかなかったんだもん」
「あとね、お姉ちゃんが見たっていう幽霊の話しを聞いた時、びっくりした。容姿が完全に沖田だったから。それと同時にね、とても大きな怒りが沸いて来たの。死んでまでお姉ちゃんの前に現れたあいつに」
そして美琴は左を向いた。美琴の視線の先にはエレベーターと非常階段がある。美琴は逃げるつもりだ。だが、私にはそうさせるつもりは無かった。
美琴の話しから、沖田——私の前に霊として現れた男を殺したのは事実なのだろう。だからこそ、ここで逃走させる訳にはいかない。罪を償わせて、また美琴と一緒に暮らすんだ。
「元気でね、お姉ちゃん。——大好きだよ」
そう言って走り出そうとした美琴の手を私は思い切りつかんだ。
「な、なにやってるのよお姉ちゃん! 逃げないと、あたし捕まっちゃうでしょ!」
「うるさい! ここで逃げたらあんたもう終わりよ!」
大きく目を見開く美琴。その表情は私が何を言っているのか全く理解していない様だった。
「信じたくなかった、あんたが人を殺しているなんて。けど、あんたの話しを聞いて信じるしかなくなった。本当に殺してるって分かったから」
パトカーのサイレンは鳴りやまない。さらに多くのパトカーがマンション前に止まったのが分かった。
「だからこそよ! ここで逃げたら、また更にあんたは罪を重ねる事になる……。また一緒にいられる時間がどんどん先送りになっちゃうでしょ」
階段を人が駆け上る音が聴こえる。その音はどんどんと大きくなり、私達に迫って来る。
「あたしに知られる前に対処しようとしてくれたんだろうけど、私にも相談しなさいよ。そうしたら私にも出来る事はあった。少なくともあんたが人生をめちゃくちゃにしてまでする事じゃないの。あんたの優しさは少し独善的過ぎるのよ。いきなり一人で暮らす事になる私の事も少し考えてよ……」
美琴は力なくその場にくずおれた。静かに涙を流しながら。
「じゃあ……あたしは……どうすれば……」
私はしゃがみ込み、美琴を抱きしめた。
「捕まる事は避けられない。けど、何年かかっても良い。あんたは罪を償って塀の内側から出てくるの。そして、また一緒に暮らすのよ。その後の人生は
抱きしめた美琴の体を離し、私は美琴の目を正面から見た。
「私もあんたが少しでも早く出てくる事が出来る様に動いてみる。だから、罪を償って少しでも早く出て来て、そしてまた一緒に暮らそう。いつまでも待ってるから」
廊下の先から数人の警察官が走って来るのが見えた。私はもう一度美琴を強く抱きしめる。美琴の体は小刻みに震えていた。
警察に連行される美琴の後ろ姿を見ながら、私は本当にこれで良かったのかと思った。そのまま美琴を家に入れ、
もっと私に頼って欲しかった。もっと相談して欲しかった。
階段を降りるために廊下の突き当りを美琴は左に折れた。その刹那、私の方を振り返った美琴は柔らかく微笑んでいた。
吊り下がる念 彩羅木蒼 @sairagi
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