第8話  人妻、弱い

 1



 それはネルフィが盗賊団の頭に捕まる数分前のこと。


「フレア!」


 としえは高らかに叫んだ。


 ネルフィから教えてもらったフレアの詠唱を終え、あとは目の前の盗賊たちが灼熱火球に飲まれて散っていくのを見守るばかり。今のとしえは自分でも分かるほど魔力に満ち溢れていた。


(盗賊に捕まった時は魔力不足でちゃんと発動できなかったけど、今は違う)


 この世界の倫理観がどのようなものかは分からないけれど、他人を害しようとする輩はその報いを受けるのが当然だ。


 こちらからは手を出すことはしないが、向こうから仕掛けてきたなら話は別!


「……」


「……」


「……あら?」


 しかし、発射された火球はあの時と同じように、いや、あの時よりさらに小さい有様で、それはまるで焚火から飛び出す火の粉だった。そのあまりの火力のなさに、盗賊たちのもとへ届く前にかき消えてしまう。


「ビビらせやがって。このババア」


「え? え?」


 今は魔力も十分にあり、詠唱も一言一句間違えずにしたはず。はずなのだ。


「どうして?」


「捕まえろ」


「きゃー」


 こうしてとしえはとっ捕まってしまったのである。



 2



「くっ」


 ネルフィも同じように両手と両足を拘束され、としえの横に転がされた。


「としえさん、何があったんですか?」


「何もなかったのよー」


「え?」


「さっきみたいな大きいフレアが出なかったの」


「そんな馬鹿な……詠唱を間違えてしまった、とか?」


「そんなはずはないと思うんだけど」


 話を聞くに、魔法自体は発動したようだが、ネルフィに向けて撃った時とは桁違いに威力が弱まっていたらしい。


「このババア、魔法の才能が全然なかったぜ」


 一人の盗賊がとしえの前にしゃがみこんであざ笑う。


 見たところ、盗賊たちは無傷で、やけどの類を負っているものはいなかった。


 ネルフィがその身をもって体感したとしえのフレアは、盗賊風情がかき消せるものではない。もしかすると、アジト全体に魔力減退の結界が張られているのかもしれない。


 いやしかし、地下牢で使ったフレアは減退どころか通常のものより強力だった。


 としえの力が発揮できない理由を考え続けたが、全く分からない。唯一分かっているのは、この脱出作戦が失敗に終わったということだけだ。


「姐さん、こいつらどうします?」


 先ほどの女盗賊はやはりこの盗賊団の頭領だったようで、荒くれもの揃いの盗賊たちは女盗賊に従っている。


「ヤっちまっていいすか?」


 としえたちの脱出騒動で、地下牢から連れ出された女への暴行は中断されていた。としえたちからは離れたところで二人の男に両腕を掴まれている。


「エルフの方は地下牢に戻しておけ。今、エルフはかなりの値が付くからな。手を出すなよ。死ぬぞ」


「へい」と盗賊たちが威勢のいい返事をする。


 死ぬぞ、というのは約束を破ってエルフを凌辱したら殺す、という脅しでなく、ネルフィに触れると魔力譲渡の秘術で死んでしまう、という注意喚起だった。


「こっちのババアは? 今日捕まえたばかりです」


 としえを指さし、盗賊が言う。


「うーん、ババアに需要があるとも思えんが、一応商人にも見せるだけ見せておくか。たしかこいつは魔女だったな」


「へい。魔杖も魔導書も上等なものを持ってました。いい値で売れますよ」


「どこかの王宮お抱えの魔女、というわけではなさそうだ。フレアの一つも満足に出せないポンコツだからな」


 盗賊頭の女はとしえの前に立つと、


「あんた、何者?」


「どこかのギルドから派遣されてきたのかもしれねぇっすね」


「だったら仲間がいるだろ。なぁ、おばさん、あんたどこから来たんだ?」


 女盗賊はとしえを見下ろし、冷たい声で言った。


「あなたたち、こんなひどいことをして良心が痛まないのですか?」


 質問には答えず、としえは聞いた。負け惜しみでなく、心からの疑問だった。


「ひどいこと?」


 この世界は魔王に支配されており、そのせいで治安が悪化しているというのがとしえの認識だった。ならば、同じ人間同士で争うよりも、一致団結して魔王を倒すべきではないのか。


 そう訴えかけると、その場にいたほとんどの者が声を上げて笑い出した。


「ぎゃっはっは」

「何言ってんだこのババア」

「魔王を倒せる奴なんかいねぇっての」

「馬鹿じゃねぇか」


 女盗賊はその場にしゃがみこむ。


「なぁ、おばさん。倒せる倒せないは別として、ってのもこの世にはいるんだぜ」


「え?」


「あたしらみたいな裏稼業、国がその気になりゃ、あっという間にしょっ引かれちまう。ネンドル王国からそう遠くない場所であたしらが人さらいの仕事をできるのはなんでだと思う?」


「……」


「国も顧客の一つだからさ」


 女盗賊はにやりと笑う。その笑みの邪悪さに、としえは悪寒が走った。


「だいたい魔王を討つなんてことは誰にもできないのさ。何か月か前に、歴代最強って噂の勇者様が魔王討伐のために旅に出て、魔王城に攻め込んだらしいが、結局魔王に負けて捕まったって聞いたぜ。名前はなんて言ったかな……そうたしか、ヤスオ、なんだったか」


「ヤスオタナカっすよ」と近くにいた盗賊が訂正する。


「ああ、そうだったな。珍しい名前だ」


 聞き覚えのある名だった。


 ヤスオタナカ。


 やすおたなか。


 田中やすお。


 まさか、ととしえは思った。


 だが、もしそうなら……


 としえは自分が召喚されていた時のことを思い出す。


 あの時、あの場にいた者たちは「今回も成功だ」と言っていた。今回、ということは前回があり、としえ以外にもこの世界に召喚された者がいるということではないだろうか。


 夫のやすおが行方不明になったのは三か月前。勇者やすおが旅立った数か月前というのが三か月前なら、時期的にも一致する。


 そしてヤスオタナカという日本風の名前……


 やすおは行方不明になったのではなく、勇者としてこの世界に召喚されていたのではないだろうか。


 だとしたら、としえは魔王のもとへ向かわなくてはいけない。魔王に捕まっている夫のやすおを助けるためにも。


 そのためにはなんとかしてここから逃げ出さなくては。


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