第7話  人妻、また捕まる

 1



「では、私は向こうを調べ終えたら追いかけますので」


「なるべく早く来てね」


 ネルフィと別れ、としえは右の道へ歩を進めた。


 嫌な空気だ。


 じめっとした湿気と不快な臭気に満ちている。むっとした汗の臭いに脂っぽいものが混じった感じ。なんというかそう、男臭いのだ。


 昔、学生時代に銭湯でバイトをした時のことを思い出す。


 男性更衣室で嗅いだ時と同じような男臭さ――こちらの方が濃度は強い――だ。


 あの時は一応浴場ということで清潔感は多少なりともあったが、異世界の盗賊たちが日常的に風呂に入っているとも思えず、としえはむせ返るような男臭さに眉をひそめる。


 壁には一定の間隔を置いて燭台が取り付けられ、ろうそくの炎が小さくゆらめいていた。


 全身に力がみなぎっているのを感じる。


 ネルフィから魔力を分け与えてもらったおかげで、としえはエネルギー満タンの無敵状態だった。そう、例えるならガス欠寸前で燃費最優先の運転をしながらようやくたどり着いたガソリンスタンドで給油し終えた後の、あの無敵感のように。


 道は狭く、ところどころで岩がせり出したり大きく曲がっていたりと、進みにくいことこの上ないが、一本道だったのが救いであった。


 さっさと盗賊たちをやっつけて、この場所から出なくては。


 としえは急ぐ。


 やがて前方の視界が開け、広い場所に出た。


「やめてください、許してください」


 女の悲鳴が反響しているが、その姿は見えない。


 中央に十人ほどの男たちの塊があり、女の声はその中央から聞こえた。男たちの体の隙間から見える分では、女はまだ服を着ており、最悪の事態には至っていないようだった。


「あなたたち、やめなさい」


 としえが声を張ると、男たちはいっせいにこちらを振り向いた。


「誰だ?」


「こいつ、今日捕まえたおばさんだぜ」


「なんだ、脱走か?」


「カンバの野郎は何やってんだ」


「居眠りでもしてたんじゃねぇか」


「鍵はどうしたんだ?」


 男たちは横に広がるようにしてぞろぞろととしえを取り囲む。


「おばさん、どうやって檻から出たんだ?」


「どうする? こいつもヤっちまうか」


「でもちょっとババアじゃねぇか?」


「これぐらいが意外とちょうどいいんだって」


「俺はあっちの若い方でいいわ」


 男たちはとしえを完全に舐め切っているようで、取り囲んだだけで捕まえようとする素振りすら見せない。数の優位が彼らの油断を誘っていたのだ。さらに、女を暴行しようとしていたからか、武器の類は持っておらず丸腰である。


(好き勝手言ってなさい)


 今のとしえはあの時とは違う。魔力も回復し、フレアの詠唱もできるのだ。


「ま、女が一人だけじゃ順番待ちが長いからな。多いに越したことはないだろ」


 そう言って、としえから見て左にいた男が舌なめずりをした。


 救いようのない悪に接し、としえの我慢は限界だった。


「天に輝く太陽の神よ」


「あ? なんだって?」


「その現身うつしみを我に貸せ」


「おい、こいつ詠唱を――」


「やべぇぞ」


「逃げろ」


 もう遅い。


 悪党どもよ、せめて楽に死ねるよう祈れ。


「フレア!」



 2



 ネルフィは岩壁に身を潜めながら、静かに、それでいて素早く道を進んでいた。


 としえほどの魔法の才があるものが味方で本当に運がよかった。


 人さらいに捕まってしまった時はどうなることかと思ったが、これで脱走は無事にできそうだ。


 それにしても、と思うのは、フレミア級のフレアを使えるとしえが魔力切れだからといってあんな盗賊たちに捕まってしまうものだろうか。


 あれだけの才がありながら詠唱も知らなかったようだし、彼女には謎が多い。


 まぁ、魔力も十分に分けてあげたし、今頃向こうは火の海と化しているだろう。


 としえに任せて、自分はこちらのルートを調べなくては。


 しばらく進むと、道が二股に分かれた。


 どちらに進むべきか悩んでいると、左の方から人の気配がした。


 誰かが歩いてくる。


 ネルフィは右の道の陰に隠れた。左の道から来る者にとっては死角になる位置だ。


 足音が大きくなる。やがて、足音の背中が見えた。


(今だ!)


 ネルフィは背後から飛び掛かり、すかさず魔力を相手に押し付ける。たいしたことのない相手なら五秒と持たないだろう。


 魔力譲渡という言い方は綺麗に聞こえるけれど、この唯一無二の異質な能力のおかげでエルフたちは多くの悲劇に見舞われた。


 魔力の補充のために戦争に駆り出されたり、とある地域では触れるだけで死に至らしめる呪いを使う危険な魔族とされ、迫害されたり討伐の対象になったこともあった。


 そうした歴史から、できる限り他種族とかかわりを持たぬようにエルフの多くは深い森の奥へ隠れ住むようになった。


 現代では和平を結んだ国々との交流が再開しているが、一部の地域ではエルフは魔族の中でももっとも忌避すべき邪悪な種族として認知されている。


「なんだ!」


「え?」


 ネルフィは困惑した。長い銀髪に褐色の肌、全体的に筋肉質だが感触は柔らかく、ぽうっとするような甘い体臭がする。そしてハスキーだが艶やかな声……今自分が飛びついている相手は女だ。


 他の牢屋に捕まっていた女が逃げてきたのを敵だと誤認したのかと思ったが、違うようだ。


 女の腰ベルトには剣が吊るされ、衣服も上等なものを身に着けている。


 敵ならば、容赦はしない。ネルフィは魔力を女に注ぎ込む。


「ふん、この前捕まえたエルフか」


 十秒、二十秒、時間だけが過ぎていく。


 常人であれば耐え切ることができないほどの魔力が注ぎ込まれたはず。それなのにこの女盗賊は苦しむ素振り一つ見せずにいる。それはすなわち、この女の魔力の容量が、とてつもなく大きいということ。


「そんな、こんなに注ぎ込んでるのに……」


「どうした? あたしにはまだまだ余裕があるぜ」


「くっ」


「この細い手にナイフの一本でも握っていれば、あたしを殺れたのにな」


 女盗賊はネルフィの腕を掴み、まるで棒切れでも振り回すかのように背中にくっついていたネルフィの体を引きはがすと、地面に放り投げた。


「きゃあっ」


「どうやって逃げ出した? あの檻はエルフの腕力では壊せないはずだが」


「……」


 女盗賊が剣を抜く。魔力譲渡は不意打ちでなければまず成功しない。ネルフィには降参するしかなかった。


「おとなしくしていれば命だけは助けてやる、と牢屋に入れる時に言ったはずだがな。今の時期、エルフは高く売れるんだ。傷物にはしたくない」


 剣の切っ先を顔の前に突き付けられる。


「おとなしくしな」


「……はい」


 ネルフィに絶望感はなかった。


 たしかにこの女は強い。


 おそらく、世界に名を馳せる賢者か魔導士級の器を持つ実力者だ。どうして盗賊に身を落としているのかが不思議なほどの才を持っている。


 だが、それでもとしえの方が上だ。


 両方の魔力の器に触れたネルフィだからこそ分かる。


 としえの魔力の器はこれまで会った誰よりも深いのだ。今頃としえが大暴れをして、向こうは壊滅状態のはず。


 この二人が相対すれば、僅差でとしえに軍配が上がる。


 そしてこの強さからして、この盗賊団の頭がこの女なのだろう。この女さえ押さえれば、こちらの勝利だ。


「ほら、歩け」


 再び両手を縄で拘束され、ネルフィは女に連行されながら来た道を引き返す。


 やがて右手にネルフィたちが捕まっていた牢屋へ続く扉が現れた。そちらに連れ戻されるのかと思っていたら、


「なんだ、向こうが騒がしいな」


 女盗賊は正面の道――としえが向かった先――の方へ歩を進めた。


(よし、あとはとしえさんにこの女の人を倒してもらうだけ)


 ネルフィはほっと心の中で息をついた。


「おい、どうした」


 広い場所に出た。


 そこには――


「あっ、としえさん」


「ね、ネルフィちゃん」


 ネルフィは我が目を疑った。


「助けてー」


 両手両足を縛られたとしえが地面に転がっていたのだ。


 


 

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