第3話  人妻は盗賊に弱い

 1



「ご武運を!」


「は、はぁ、いってきます?」


 翌日、タイザンたちに見送られ、としえは一人で旅立った。


 昨晩、竜を消し炭にするほどの力を示したとしえは、改めて勇者として歓迎された。


 塔の二階にあるホールで食事のもてなしを受けながら、説明を受けた。


 今回の勇者召喚は魔術の才に秀でた勇者を異なる世界から呼び出すことが目的だった。


 としえが倒した竜は元々彼らが捕獲し、管理していた竜で、勇者の力を計るために召喚して勇者と戦わせるのだそうだ。


 それを聞いて少しかわいそうだな、ととしえは思った。


 その後、最上階の豪華な部屋で眠りにつき、朝一番で旅に出ることになったのだ。


 この世界の通貨や地図、食料に呪文書など、旅に必要なものは彼らが用意してくれていた。


 衣服もこの世界の物を貰った。さすがに寝巻き姿のままではとしえも居心地が悪かったのだ。


 とはいえこの服は三十代後半に突入したとしえには少々きついものがあった。


 頭には魔女がかぶるようなつば広の三角帽子、服はひらひらとした黒いローブで、なぜか胸元の辺りがはだけており、また腰の横から足先にかけてチャイナ服のようなスリットが入っていて、少し足を動かすだけで太ももから下の生足が曝け出されてしまう。


 コスプレのようで恥ずかしかったが、この世界の住人は皆そんな感じの服装だったので、郷に入れば郷に従えの精神で我慢することにした。


「さて、と」


 これからどうしよう。


 まさか一人でほっぽり出されるとは思っていなかった。誰かお供として一緒についてきてくれるものだとばかり思っていた。


「頭、いたぁ」


 昨晩の宴ではお酒も出た。美味しかったのでついかぱかぱと飲んでしまったが、としえはあまり酒に強くなく、二日酔いになってしまった。


 宴の席では魔法についても教えてもらったが、お酒のせいであまり覚えていなかった。


「こんなことをしてる場合じゃないのなぁ」


 異世界に飛ばされてなお、やすおのことが心配なとしえだった。


 自分が異世界にいる間に夫が帰ってくるかもしれないのだから。だが、帰る方法もなさそうだ。タイザンたちは異世界からこちらの世界に召喚する魔法は使えるが、元の世界に送り返す魔法は使えないという。


 ちょっと自己中だな、と思ったが文句を言っても元の世界に帰れるわけではない。


 とりあえず、近くに人間の国があるというので、そこに向かってみようか。としえは地図を開いた――その時、


「きゃっ」


 背後に気配を感じ、としえは振り向く、そこには水のような質感の大きな塊――スライムがいた。


「な、何これ。モンスター?」


 魔物との初遭遇。


 魔王に支配されているこの世界では、そこら中に人を襲う魔物がうろついているのだ、と昨晩の宴の最中に聞かされていた。


 やすおがやっていたゲームの中に登場するスライムは愛嬌があって可愛いデザインだったが、現実の世界で見るそれはただただ気持ちが悪く、さらには酸っぱい異臭まで放っていた。


 うじゅうじゅと液状の体を変形させながら、スライムが飛びかかってくる。


 瞬間――


「フレミア!」


 火球が一瞬にしてスライムを蒸発させる。


「ふぅ」


 としえの魔術の才は圧倒的なものであった。


「私ってすごいのね」


 スライムをはじめ、リザードマン、怪鳥、ゴーレムなど、たくさんのモンスターが道中現れたが、としえが「フレミア」と唱えるだけで全てが消し炭と化した。


 自分の強さに驚愕するとしえだったが、、という安堵感の方が大きかった。


 女の身一つで魔物がうじゃうじゃいる見知らぬ世界を冒険するのだから。


 この強さがゆえに勇者として召喚されてしまった、と考えると複雑だが。


 なんにせよ、安心した気分で冒険に挑めるというのは、心強い。



 *



 どれほどの時間を歩いただろうか。


「はぁ、はぁ。疲れちゃった」


 重たい荷物を持ちながら歩くのはかなり大変だった。日頃からあまり運動をしていないせいもあってか息が切れてしまった。


 としえは近くにあった岩に腰掛ける。


「ふぅ」


 皮素材の水筒を取り出し、水分補給をする。


「そういえば、何を持たせてくれたのかしら」


 リュックサックのように背負っていた鞄を開けてみる。


「これは地図……これは?」


 分厚い本が出てきた。これこそ冒険の肝となる魔導書なのだが、昨晩の説明を酒のせいで忘れてしまったとしえには小難しい辞書のようにしか見えない。


「これは着替え、これも着替え……下着ね。あら?」


 サイズのわりにやけに重みのある包みが入っていた。手に持ってみると、ジャラジャラとした音が聞こえる。


「もしかして」


 中を改めてみると、金貨、銀貨、銅貨――すなわちこの世界の通貨が慎ましい程度に入っている。これでどのくらいの財産になるのかは分からないが、一文無しでないことにほっとしたとしえだった。紙幣がないのは単に流通していないのか、それとも……


「さて、行きますか」


 一息ついたおかげで息も整ってきた。お腹がすいたが、食べ物はもらっていなかった。まあ、王国へ行けば食料も手に入るだろう。


(お金もあることだし)


 としえは歩みを再開した。


 日が傾く頃には、辺りは岩場が多い乾燥した地帯になっていた。


「おかしいわねぇ」


 国の方角へ流れる川を辿ってきたはずなのに、いっこうに城らしきものは見えない。それもそうだろう。としえは王国とは真逆の方向に川沿いを歩いてしまっていた。


 初めて訪れた異世界に土地勘などあるわけがないのだから、としえを責めることはできない。


 左手に小高い崖が現れ、さらに歩くと道が途切れてしまった。右手に流れる川は崖を回り込むようにして続いているため、この先がどうなっているのかは分からない。引き返して崖を迂回しなくてはならない、ととしえが踵を返したところで……


「きゃっ。ど、どなたですか?」


 としえの背後には数人の男たちが迫っていた。


 揃ってみすぼらしい服に身を包み、浅黒く焼けた肌にはいくつものむごたらしい傷痕が見て取れる。


「へっへっへ。こんなところで何をしてるんだい?」


「いい女じゃねぇか」


「ちっと年イってねーか?」


「なんですか、あなたたち」


「なんですかもこうですかも、これ見りゃあ分かるだろ」


 一人の男が酒に焼けた声でそう言うと、懐からナイフを取り出した。


「おとなしくしな。命だけは助けてやるからよ」


 襲われる、と危険を察知したとしえだが、正直あまり焦ることはなかった。


 元の世界のとしえはただの主婦、非暴力の世界で生きてきた善良な一般市民だが、今のとしえは竜すら一撃で消し飛ばす勇者なのだ。


 先ほどまで襲い掛かってきた魔物たちを「フレミア」の一言で燃やし尽くしてきた。魔物でああなのだから、人間ならひとたまりもないだろう。魔物でなく人間を攻撃するのはたしかに気がひけるが、


襲ってくるのなら、しょうがないわよね)


 としえはその辺がけっこうドライだった。


「大丈夫そうか? 多分あのおばさん、魔女だぜ?」


 としえが杖を構えると、一人の男が言った。


「大丈夫だよ。こっちにゃ五人もいるんだ」


 まさか人を殺めてしまうことになるなんて、ととしえは思ったが、これは正当防衛。襲う方が悪いのだ。


「一応忠告はしておきます。命が惜しければ、立ち去った方が身のためですよ」


 としえは調子に乗っていた。

 

「かまわねぇ、やっちまえ!」


 男たちが飛びかかってくる。すかさず、としえは叫んだ。


「フレミア!」


 杖の切っ先から炎が芽生え、竜や魔物を焼き尽くしたように巨大な火球となって男たちを襲う……ことはなかった。


「あら?」


 火球はたしかに出た。出たは出たが、それは握りこぶしほどの小さなものだった。


 さらに、ただでさえ小さい火球は進むたびに小さくなり、男たちのもとへ届く頃には線香花火さながらのちいちゃなちいちゃな火花となっていた。


「あちっ」


 火球が命中した箇所をかゆそうに払う男。


「……」


「……」


「……」


「しょぼっ」


「枯れてんのか? おばさん」


「無理すんなって」


「え? ど、どうして」


 先ほどまで魔物を過剰なまでの炎で焼き尽くしてきたのに、どうして今は?


「やっちまえ!」


 としえは困惑しながらも「フレミア」と唱え続けた。


 しかし、何度やっても出てくるものは小さな火球ばかり。


「なんで小さいのしか出ないの!?」


「おとなしくしろババア」


「きゃー」


 やがて、としえは男たちにあっさり捕まってしまったのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る