第2話  人妻は最強クラス

 1



 ここはいったいどこなのだろう。


 やはり自分は夢を見ているのではないか。


 としえは状況を理解しようとするが、頭がまるで働かない。


「落ち着いてください、勇者様」


 白いローブのようなものを着た老人が一歩前に歩み出て、としえの前で跪いた。すると、としえを取り巻いていた騒々しく声を上げていた人々はぴたりと口を閉ざし、気味が悪いほどの静寂が場を支配した。


「勇者って私?」


「はい」


 老人は静かに頷いた。


「突然のことで混乱されているでしょう。ゆえに、状況を簡潔にお話しします。まず、ここはあなたがいた世界とは異なる世界です」


「えぇ?」


「我々はあなたを異なる世界から召喚しました」


「えぇ?」


「目的はただ一つ。あなたに、魔王を倒していただきたいのです」


「えぇ?」


「この世界は魔王に支配されており、我々は魔王に対抗できる力を持つ勇者様を異なる世界から呼び寄せることにしたのです」


「えぇ?」


 あまりの話のぶっ飛びように、「えぇ」と声を漏らすことしかできなくなったとしえだが、さすがにもうこれを夢だと思うことはなかった。


 耳に伝わる人々の声と息遣い、肌で感じる空気、どこからか漂ってくる香水のような甘い香り、五感がこの世界が現実リアルだと訴えかけてくる。


 今自分がいるのは二十畳ほどの広さのホールのような場所だ。壁や床は白く、天井の高さは先が暗くなっていて分からない。窓はあるが光が差し込んでいないところを見るに今は夜なのだろう。


 壁に設置された燭台のろうそくが唯一の光源だった。


「ま、魔王っていうのは、悪い人の事ですか?」


「はい。魔族の王で、倒すべき巨悪です」


 老人は強い調子で言った。


「そんなすごい人と、私が戦うなんて……」


 自分はただの主婦。誰かと取っ組み合えば一〇〇パーセント負ける自信がある。


「私、女ですよ?」


「性別など関係ありません」


「もう30後半のおばさんですよ?」


「年齢など関係ありません」


「人と喧嘩したことすらないんですよ?」


「勇者様には才能があります」


「……人妻ですよ?」


「それはあまり関係ないかと」


「くぅ……」


「ご安心ください。あなた様がここに召喚されたということは、あなた様は魔王を討つほどの力を秘めているということなのです」


「はぁ」


「申し遅れました。私はタイザンといいます」


「あっ、私はとしえです」


「としえ様、こちらへ」


 タイザンと名乗った老人が立ち上がり、踵を返すと周囲を取り囲んでいた人々は横に広がって道を作った。その先にあるのは大きな赤い扉だ。タイザンがその扉の方へ向かって歩いて行ったので、としえはとりあえずその後をついていった。


 扉の両脇にいた兵士らしき者が扉を押し開ける。タイザンと共にその扉をくぐると外に出た。


 星明かりのない暗い夜空がとしえを見下ろしている。


 冷たい風が吹きつけ、としえは自分がパジャマ姿だったことに気づいた。


 外にも人がいた。


 これまた白いローブを身にまとった美女で、はっと目の覚めるような赤い髪をしていた。


「新たな勇者、としえ様だ」


 タイザンがとしえを紹介する。勇者と呼ばれるのはなんだかこそばゆい感じがした。


「としえ様、お初にお目にかかります。私はクララと申します」


 赤髪の美女――クララはすっと立ち上がると、棒状のものをとしえに手渡した。長さは一メートルほどで木でできているようだ。先端は膨らんでいて、赤い宝石のようなものがはめ込まれている。


「これは……杖?」


魔杖まじょうといって、魔法を秘めた杖です。この魔杖には火の魔法が――」


「はぁ……」


「説明するよりも実演していただいた方が早かろう」


「そうですね。では――」


 言ってクララはもう一つの杖を空に向け、「ドラグクルート」と叫んだ。


「えぇ!?」


 そこから先の光景は、としえの理解を遥かに超越していた。


 夜の闇に一筋の光が走ったかと思うと、まばゆい光が球体となって空に輝き、やがて光は円形の魔法陣へ姿を変えた。その時の光で、としえは先ほどまで自分がいた建物が高い塔であることを知った。


「あ、あれって……」


 魔法陣の中に何かがいる。


 トカゲ?


 恐竜?


 やっぱりこれは夢なのかもしれない。現実の世界にあんな大きな翼を生やしたトカゲなどいないのだから。


「嘘でしょ」


 現れたのは巨大な竜だった。


 青い鱗に鋭利な牙、全長は優に十メートルは越えていて、としえは全身に鳥肌が立った。


 やすおが趣味でやるゲームの中で、よく巨大な竜のモンスターが出てきたが、本物をこの目で見ることになるとは。


 竜はこの世のものとは思えない咆哮を空に放つと、その無機質な目をとしえたちに向けた。


「勇者様、さぁ、あなた様の力をお見せください」


「お、お、お見せくださいって、いったい何をすれば?」


「その魔杖を竜に向け、叫ぶのです」


 クララが言う。


「叫ぶ?」


「『フレミア』とお叫びください」


 何がなんだか分からないが、とにかく言われたようにした。


 魔杖の先端を竜に向け、一言。


「フレミア!」


 その瞬間、竜を丸ごと包みこんでしまうほどの巨大な火球が魔杖から放たれた。


「きゃあ」


 あまりのことにとしえは尻もちをついてしまう。


 あまりの熱気と光に顔を背けてしまう。


「す、凄すぎる」


「これが勇者様のお力」


 タイザンとクララは驚嘆の声を漏らすが、としえには何がどうなっているのか分からない。


 としえの放った火球が消える頃には、竜は骨も残らない消し炭になっていた。

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