第11話 守るということ。「いっせーのっ、せーっ」でみんなで力をあわせて

「俺は柚結さんと早く甘い時間ときを過ごしたい」


 陽太さんにそう耳元で囁かれたことを思い出して、顔がボッと熱くなってまいります。

 私だって、……陽太さんのあの広い胸のなかに顔をうずめて、陽太さんの……私の旦那さまの心臓の鼓動を聞きながら、甘い気持ちに包まれ浸りたい。


 陽太さんが大好きです。

 私、こんなにも陽太さんのことがすごく好きになってしまいました。


    ♡♡♡


 劉禅さんが意識を取り戻して、三日が経とうとしています。


 陽太さんは、私の了承を求めてから母の香炉と父の手鏡を祠のそばに封印しました。

 陽太さんが急いだのはこの封印の儀です。

 人知を超えた力を持った道具は、渡る人間によっては、危険な道具に変わるからだとおっしゃいました。

 母の香炉と父の手鏡は、風の大国の王子さまの劉禅さんに父が書状とともに贈った品物だったのです。

 天帝の宝の手鏡はこの世のありとあらゆる世界に通じその姿を見せるそうで、劉禅さんはあの手鏡で妖怪の里も見たそうなのです。


 あの手鏡は、天帝の他の鏡とも繋がり通ずる可能性がある――。ということは、こちらから鏡を覗き見れば、天帝である父にも私の居所いどころが知られてしまうでしょう。

 もしかしたら、力のある術者と兵士をたくさん引き連れて、妖怪の里に乗り込んでくるかもしれません。

 なぜなら、私が使える手駒に成り得るからです。

 父は娘の私を取り戻そうと攻め入り、妖怪の里をめちゃくちゃにしてしまうのではと、そう考えるだけでそら恐ろしいです。


 ……私はここにいていいのでしょうか?


 私が妖怪の里に住んでは、皆さまに危害が加わってしまうのではないか……。

 陽太さんと、陽太さんの家族と一緒にいたいです。

 ――だけど。

 私がいてはご迷惑をかけてしまいます。


 私はどうしたらいいの?


 国を二つと、妖怪の世界を巻き込んだある決断なので、慎重に取り決めようと陽太さんが提案して、期日は今日の夜です。



 ――朝。

 陽太さんのお屋敷に住むもの総出で、畑に来ています。

 なんと、劉禅さんも混じって畑仕事を始めてしまわれました。


 劉禅さん、いきいきとした顔をなさっていて土いじりをするのが楽しそうに見えます。


「ねえ、妖怪の里はとっても長閑のどかでのんびり出来ますね。でも楽しすぎて一日が過ぎるのが早いですね、柚結さん」

「ええ、そうですね」


 劉禅さんは汗を拭きつつ、ニコッと笑いました。

 陽太さんと駿太郎さんが田んぼに苗床を運びながら、チラチラとこちらを気にしてくださっています。

 劉禅さんは倒れていましたし、私も気絶したりでどうやら心配されてしまい、なにかと過保護気味に体をいたわってくださいます。


「ここはいいところだ。……出来るなら、ずっといたいと思わせる。だけど、ボクにはそんな甘ちゃんな暮らしをすることなんて到底叶わないけどね」

「どうして、ですか? いっそ住んでしまわれたらいかがでしょう」

「ここに住む? 風の大国の王子としての立場を捨てて?」


 私の提案に目を丸くしたのは劉禅さんだけじゃなかった。

 びっくりした顔でこちらを見つめ、さらにはむっすーと拗ねてしまったのは、私の旦那さまの陽太さんと弟の駿太郎さんです。


 むっとしたままの顔の陽太さんがすきを持ちながら、ずんずんとこちらにやって来ました。

 陽太さんは手ぬぐいでささっと顔の汗を拭います。

 そんな仕草にすら私、……ちょっぴりどきっとして、私の旦那さまの陽太さんって本当にかっこいいなあとか思ってしまいます。


「柚結さん、それはね。ちょっと聞き捨てならないなあ。劉禅は一方的ではあるけどあなたの花婿候補だったのでしょう。俺の恋敵になる可能性のある男をこの妖怪の里に住まわせ、あなたの近くにだなんて危険すぎて。そんなの俺はぜったいに許しませんよ」


 フハハハハッと劉禅さんが大笑いしました。

 畑で働くみなさんが、なにごとかとこちらにいっせいに視線を向けます。


「陽太は柚結さんが大好きなんだなあ」

「なにがおかしい? 劉禅」

「二人のあいだに、ボクの入る隙なんてないということだね。横槍もちょっかいかけたりも馬鹿らしく思えるや」


 陽太さんが私の手を握ってぐっと引き寄せて。

 私は陽太さんと体が密着してしまいます。


「陽太さん……?」

「劉禅、あなたには柚結さんは渡しません」

「ああ、分かってるよ。……しかし、人間世界を捨てて。ほんと、ここに住むのも悪くはないね。でもボクには捨てられないのさ。……国には守りたい両親や兄妹もいるから」

「ええ、そうですよね。考えなしに言ってしまいごめんなさい。劉禅さんは風の大国の王様になられるかたなんですものね。民を守ってみんなが幸せになる国づくりをしなくてはなりませんね」

「ええ、そうなんだ。……でもね、ボクはこのままここにいてもっと柚結さんと仲良くなりたいとも思ってきちゃってたんだ。ちょっぴり、あなたを本当は力づくで攫ってしまおうとも思いましたよ? 二人がとても想いあっているのが伝わって、見ているこちらまで幸せな気分にさせてもらったからさ、やめにすることにしたんだよ。あなたが妖怪と人間の種族を超えて、陽太という伴侶を得て幸せそうだから……。今回は大人しく帰ることにしようかなあとボクは思うのさ……。火水の国の天帝には花嫁をもらうこと以外を和平同盟の交渉材料にするよう伝えますよ。ただ」

「「ただ……?」」


 陽太さんと私の声が思わず揃ってしまいました。


「実はどんな人かと想像して会えるのを楽しみにしてたんだよね。ボクの許嫁にとされてきた花嫁はどんな子だろうって。だから自分の目で見てみたくってさ、はるばるやって来た。実際に会ってみたら柚結さんはとても素敵だったよ」

「そんな……私、劉禅さんが楽しみにしていてくださっていたのに、ごめんなさい。……もう、陽太さんを好きになってしまいました」


 私は陽太さんと目を合わせました。

 陽太さんが頬を染め恥ずかしげにして、照れたように微笑みます。


「ずるいなあ、二人は。相思相愛じゃないか。本当は戦争でも仕掛けて奪い取ってやりたいぐらい、柚結さんに僅かな時間で想いが募りそうだった。でも、気が変わったんだよね。陽太と柚結さんの仲睦まじさにあてられたかなあ」

「……劉禅さん」

「劉禅、あなたも想いあえる人と巡り会えることを祈っています」


 陽太さんの言葉に劉禅さんがにっこりと笑って、頷きました。

 おもむろに劉禅さんは「さて、帰ろうかな」と言うと、それまで妖怪の里の着物を借りて着ていたのに、初めに出会った時の鎧姿に変わりました。


「ボクはちょっぴり魔法というものを使うんだ。ああ、まあ、妖術と似てますかね。では、ボクは帰ります」


 私たち二人に向けて、劉禅さんは片目を瞑って茶目っ気たっぷりに笑いました。


「急すぎませんか? ……こんな突然にお別れだなんて」

「寂しいですか? そう思ってくれたのなら嬉しいな。柚結さんは甘く罪な人だなあ。またどこかで会えるかもしれないよ? そうだ、いつか風の大国に二人で一緒に遊びに来てよ。新婚旅行にね」

「それはいいですね。ねっ、柚結さん」

「はいっ。ぜひ行きましょう」


 劉禅さんが手を差し出し、陽太さんが握りました。

 堅い握手を交わします。


「俺から提案があります。花嫁の代わりに、火水の国にしかない珍しい香木や手鏡を造る技術者、それから和菓子職人やきび砂糖などを持ち帰ってはどうでしょう?」

「ははっ、良いねえ。香木に技術者、……それに菓子か。柚結さんのこしらえてくれた『蒸しマンジュウ』なるものは絶品でした。火水の国の天帝にボクから申し入れましょう。平和な世の中を作ります。……戦争で人を傷つけてきたボクがやらなければならない責務です」


 すーっと劉禅さんの体が透き通っていきます。

 私は思わず、手を伸ばしてしまいました。

 触れることなく、劉禅さんは消えていきます。


 大きな風が吹いて桜の花びらの舞う花嵐が巻き起こり、最後の劉禅さんの声が「やっぱりさ、祠の結界はもう少し強化すべきだよ、陽太」と聴こえました。



    ♡♡♡


 劉禅さんが突然去ってから、いちにちあと――。


 妖怪の里の祠に、陽太さんとおおぜいの里の住人の妖怪さんたちが集まりました。

 桜の木と泉のそばの祠、妖怪の里を護るようにずっとあるそうです。

 ずっと、ずっと、昔から……。


「ここを守るために、みんなで力を合わせよう。全員で『神隠し』の妖術儀式をする」


 陽太さんの呼びかけに、私や春乃ちゃんに風葉くんや駿太郎さんにたくさんの妖怪さんたちが円になり手を繋ぎあい、瞳を閉じました。


「そーれ! みんなで力をあわせてっ!」

「「いっせーのっ、せーっで」」

 ――「「【神隠し!!】」」――


 妖怪の里みんなで掛け声をあわせ唱えると、全員から少しずつ妖気が祠に注がれ、祠の全体がまばゆく光りだしました。


「ありがとう。これで滅多に人間がこちらにやって来ることはないでしょう。妖怪の村里全部と扉と人間世界との繋がりの道が隠されたのだから」


 不安がすーっと消えていくようでした。

 妖怪の里のみなさんも、少なからず感じていた不穏さが晴れたのだと思います。

 陽太さんの尻尾が嬉しそうに静かに揺れていました。



     ♡♡♡



「私はこのまま、妖怪の里にいてよいのでしょうか?」

「あたりまえでしょう? なにを責任感じてんですか。柚結さんが天帝の子として産まれたのは、きっと火水の国と風の大国との友好の架け橋の運命を担っていたから。それに戦の火種を消す心の優しさを産まれながらに持っていたからでしょう。……ねえ、柚結さん。あなたは俺の花嫁だって忘れてない? 俺と柚結さんで、ことが収まったら甘い時間を過ごそうって言ったよね?」

「わ、忘れておりませんっ。でも今は、様子を見に来たのですから。……夫婦の甘い時間はあ・と・で・ですよ!」

「うーん。柚結さんは……ほんと時々つれないなあ」

「そんなに拗ねた顔をなさってもだめです」


 実は私と陽太さんは天狗さんにお借りした『かくみのがさ』という妖怪の宝ものを二人でひとつを一緒にかぶって姿を消して、こっそりと人間世界に行き一条家の様子を見に来ました。


「しっかし、劉禅にはまんまと逃げられたなあ」

「えっ?」

「彼が柚結さんに会ったことや妖怪の里のこと、劉禅が人間世界に戻る時には記憶は消す予定だったんですよ」

「フフッ、そうなんですね。どこか憎めない掴みどころのないかたでしたね」

「とんだくわせものでしたね。覚えていたいと訴えてはいました。代わりに助力するって言っていたけれど、素早い行動力には頭が下がります。俺も刺激を受けました」

「劉禅さんを帰すか妖怪の里にとどまるのを許すか、決断の時間はあの日の夜でしたのでしょう?」

「ええ。劉禅は人間世界に帰るとは思っていました。劉禅の瞳は抜け目ない強さと責任感の塊でしたからね。国を捨て民を捨てることなどあの男は出来ぬだろうって」

「……感じたんですね、陽太さんは劉禅さんに近しいものを。どこか同じ気持ち。陽太さんも妖怪の里をまとめる長だから」

「きっとそうですね。祠の加護の強化はしようとは思っていましたが少し迷っていたんです」

「陽太さん、それは人間ひとを助けたいと思ってくださっているからですか?」

「ええ、まあ。ですが、大切な者は守らねばなりません。それに助けるべき人間なら祠もまた選んで里に運ぶでしょう」

「はい! 私も助けられました」

「……柚結さんは俺の大事な人だから」

「陽太さん、ありがとうございます」


 祠には陽太さんの施した妖気の加護が満ちています。



 遠く風の大国に無事に帰った劉禅さんから、稀有な黄金色のフクロウに持たせた文が私たちに届いて、天帝である私の父と国同士の有益で公平な取引をしたというのです。


「一条家の人間も、関わる使用人もすべて、赦されたようだね」

「はあ〜っ。良かったですぅ」


 私は心底ホッとしました。

 母の生家の一条の屋敷に引き取られたとき、たしかに私に意地悪をしてきたかたもおりました。

 ですが、お志津さんのように、優しいかたもいるのです。


「あっ、あれはお志津さんだわっ」

「あの人が柚結さんのご友人ですか?」

「はい。そうです」


 お志津さんは元気そうです。

 別れたときと変わらない姿で、庭に洗濯物を干していました。

 ……お志津さん。いつか、私の旦那さまを会わせたいなあ。


「では、柚結さんの夫である俺から友情に感謝をこめて」


 陽太さんが目の前に掲げた手のひらにフーッと息を吹きかけると、桜の花びらとちっちゃなちっちゃな最中もなかと、おいりに花の形の干菓子が降り出しました。

 驚いたお志津さんがお女中仲間を呼んで、空を仰ぎながら手を合わせています。

 祈っているお志津さんの瞳から涙がこぼれ落ちたのを見ました。

 お志津さん……、私は元気です。いま、幸せです。

 本当は駆け寄って姿を見せて、安心させてあげたい。

 でも、それは叶いません。私が姿を現せば、家族の妖怪さんたちを危険に晒してしまうかもしれませんから。


「神さまの贈り物ですかね。ありがたや」

「きっと、幸せになった柚結さんと旦那さまが私たちにおすそわけしてくれてるのよ」

「……奇跡だわ」


 皆さん、お元気で。

 思い返せば、お志津さんやお女中なかまの皆さんとは楽しいおしゃべりのひとときを過ごしました。

 彼女たちは逆境も辛い日々も、明るく笑って吹き飛ばしてしまう。私は皆さんに励まされました。

 だから、心が折れずにいることが出来ました。

 そのおかげで私は陽太さんの隣りにいられます。私は生きています。

 希望を失わない――、そんな気持ちを強く持った人や妖怪さんに救われる思いです。


「お志津さんの足下あしもとにお盆を置いておきましょう。地面につくと土がついて食べられなくなるからもったいないでしょう?」

「陽太さんっ、素敵っ! ありがとうございます」


 私が抱きつくと、陽太さんがくすくす笑います。


「嬉しいですが、ここでは口づけするのははばかられますね。今は我慢いたします。あとでゆっくり甘えてくださいね、柚結さん」

「……あとで……」


 陽太さんが私を横抱きに抱え上げ、空を飛び上がりました。


「柚結さん。さあ、俺たちの家に帰りましょうか?」

「はい、陽太さん。……私の大好きな……旦那さま」


 ふふっと笑った陽太さんの笑顔が太陽みたいに眩しいです。

 陽太さんが私の頬に頬を寄せ、囁きました。


「俺も大好きだよ、柚結さん」


 晴れ渡る青く澄んだ美しい空、私は大好きな鬼狐の妖怪の旦那さまの陽太さんと一緒に、大好きな家族が待つお屋敷うちに向かって飛んでいました。


 お母さん、産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。

 精一杯、陽太さんと並んで生きていきます。

 ……柚結はいま、とっても幸せです。



      おしまい♪

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