第10話 陽太さんの背中〜火水の国の天帝、風の大国の王太子〜

 私たちは、妖怪の里に迷い込んだ人間を助けました。


 陽太さんと私は、意識のない彼を運び皆さんの待っているお屋敷うちに戻ります。



 すごいです、陽太さん!

 とっても男らしいのですね。

 私は思わず見惚れてしまいます。

 見かけは普通の人間の少年みたいな陽太さん。

 だけど陽太さんってかなりの力持ちなんだなってびっくりです。

 だって、私を片手で抱え持ち上げて、もう片方の手は背中におんぶした風の大国のかたを支えて、空を飛んでいきます。


「あの……、二人も持ち上げて飛ぶだなんて重くないですか?」

「いいえ、ぜんぜん。鳥の羽根のように軽いですよ。柚結さんなんてちっちゃくて抱き上げてる感覚もないぐらい」

「陽太さんってすごいです」

「ふふっ、俺なんかそんなすごくもありませんよ。でも、ありがとう。可愛い柚結さんに褒められるとニヤけてきそうです。いや、もうニマッとしてきちゃいました」

「えっ、そんな……可愛いだなんて」

「ハハハッ、柚結さんの照れた顔も俺はこんなに近くで見れるし、役得ですね」

「もぉ、陽太さんったら……」


 私の陽太さんに掴まる両手に思わずきゅっと力がこもります。

 すっと陽太さんの頬が私の頭に寄せられて。


「いつまでもずっとこうして柚結さんと寄り添っていたいです。俺はあなたのいつでも近くに在りたい」

「私もです。私もいつでも陽太さんのそばにいたいです。……そうですね、ずっといつまでも……」


 いまさら、陽太さんがおんぶしている風の大国のかたが、とんでもない悪い人だったらどうしようと不安がもたげてきました。

 けれど、私は陽太さんの体温に、きっと大丈夫だって安心をもらっている気分になりました。



     ♡♡♡



 陽太さんと私で連れてきたの看病を代わる代わる屋敷の皆さんとしています。

 どうやら容姿からして『風の大国』に住まう人間だと思われるのですが、確たる証拠も妖怪の里へやって来た理由もまだ分かりません。


 彼の意識が戻らず、数日が経ちました。


 この人が異国の『風の大国』から『火水の国』へ、さらには人間世界から妖怪の里へ来たのは、理由があってのことでしょうか? ただ迷って入り込んでしまっただけなのだったらよいのですが……。


 私の母の遺品を持っていたことが気になります。



 妖怪の里は、人間の世界とは違うことわりの世界です。

 どうやら、時間の流れも異なります。


 妖怪の里は、人間が住まう世界が違う――、とは、言い得て妙と申しますか、私の感覚では捉えきれない、説明はぜんぶがつかない場所です。


 人間世界とは、季節も変わり違います。


 向こうが雪深い寒く冷たい真冬に私は妖怪の里に迷い込んで、こちらでは暖かい桜が咲く美しい春でしたもの。

 

 ここでは向こうより、ゆっくりと流れる時間のようですが、こちらに住んでしまえば私も慣れてしまいました。

 郷に入っては郷に従えではありませんが、体が順応したのかしら?

 ああ、それから、私には陽太さんからいただいた片角かたつのと鬼狐神族のおさの妖気があるので、余計に馴染むのかもしれません。



    ♡♡♡



「あっ! 目を覚まされたのですかっ? 良かったです」

「ここは……?」


 あの日助けた風の大国の住人が、目を覚ましました。


「大丈夫ですか? 痛むところはありませんか?」

「ボクは大丈夫です。それよりここはどこでしょうか?」

「……あなたは倒れていたんですよ。ここは俺の家です」

「助けてくれたんだ? ありがとうございます」

「俺はに頼まれたので助けただけです。礼なら彼女に、妻のほうに言ってください」

「そうですか。ありがとうございます」


 丁寧な言葉づかいに礼儀正しい物腰、わずかな時間に優雅さも感じ取れます。

 この人はどんなかたなのでしょうか?

 悪い人とかい人間、ということっていう境界線は、いちがいに簡単に判断して言えるものではないのかもしれません。


「あんた、いったい誰だ?」


 矢のように鋭く言い放つのは駿太郎さんです。

 お屋敷に意識のないこのかたを連れてきた時も、最初は反対されていました。

 意識が戻るまでということで、駿太郎さんは渋々了承してくれましたが……。


「ボク、ですか?」


 目の前にいるのは、……黄金の髪、青く美しい硝子玉のように透き通っている瞳をした人です。

 客間に敷いたお布団の上に、半身を起こしています。

 今のところ、このかたからは妖気は感じないので、妖怪さんやあやかしの種族のかたではなさそうです。

 陽太さんと駿太郎さんは警戒心をむき出しにして、じっと助けた男性をほぼ睨むように見ています。


 客間には私と陽太さんと駿太郎さんと、風の大国の住人だろうかただけがいます。

 部屋には子供たちは近づかないよう言いつけてあり、さらには「危険な人物かもしれないので注意するように」とむやみに客間に立ち入らぬよう屋敷に住まう妖怪さんたちにも陽太さんからお達しが出ています。


「俺は陽太です。そちらのお名前を聞いても?」

「ボクは劉禅りゅうぜんです。……隠してもすぐにバレそうなので明かしてしまいましょうか。風の大国の国王の息子です。三男坊なんですけどね、いちおう王太子です」

「王太子! 風の大国の次期王様ってことか」

「ええ。そうです」

「そんな人間がこの妖怪の里になに用ですか? あなたは迷い込んだのではなく自らの意志でここに来られたのでしょう?」


 陽太さんが眉根を寄せました。

 ピンッと空気が張ります。

 陽太さんのふさふさの尻尾が逆だってきてます。

 ……このリュウゼンさんに最大限に警戒してるんだわ。


「そうです。ボクは故意に踏み込んだのさ。この人ならざる者たちの怪しくも美しい世界を見てみたくってね。……いや正直に言おう」

「……なにをいうつもりだ? リュウゼンさん」


 火水の国の人たちは多くは黒髪で黒か茶の瞳です。私も、多分に漏れず容姿はこの国のそれです。


 このかたが異国の民のかただと、すぐに分かりました。


 薄々最初から私たちは、リュウゼンさんが、きっと噂に聞く『風の国』の民なのではないかなと思っていました。

 それも、高貴そうな身分、位が高そうな……。

 リュウゼンさんが意識が戻る前は、でももしかしたら、風の国では火水の国ほどに身分差があまりなく、住んでいる皆さんが皆さんその様な衣服を着ていらっしゃるかもしれないわとも、考えたりしました。


 身に纏う私たちとは違う変わった衣服が上質の生地を思わせていましたけれど、まさかこのかたが『風の大国』の王太子さまだったとは――。


「ボクは会いに来ました。ボクの花嫁になるはずの娘に」

「そうなんですか? お会いになれたのですか?」


 私はきょとんとしていました。

 座っていた陽太さんと駿太郎さんはすくっと立ち上がり、私も促されて立ちます。

 布団に半身が入ったまま、リュウゼンさんがおかしそうに笑いました。

 陽太さんと駿太郎さんが私を背中にかくまいます。

 ……なぜ? でしょう?


「察しが良くて助かるよ。妖怪のかたがた。ボクは花嫁を取り戻しに来たんだよ、柚結さん」

「どう……して。私の名前を……、リュウゼンさんが私の名前を知ってらっしゃるのですか?」

「知りたい? ハハハッ、知りたいですか? あんた、なんにも知らないんだなあ」


 陽太さんと駿太郎さんが妖術をかけたのが分かりました。

 二人の体がにわかに発光を始めたからです。

 私は陽太さんの広い背中をはらはらと緊張しながら見つめます。


「妖術か。とても面白い。ボクは攻撃しませんよ? だって元々、戦おうとすれば体の自由を奪う妖術をそちらの屋敷のあるじのヨウタさんがボクにかけているでしょう」

「兄ちゃん、こいつなんなんだ。……ちっとも動じない」

「動じないのは覚悟があるからだ、駿太郎。――リュウゼン、目的が花嫁を取り戻すこととおっしゃいましたね」

「そうだよ、ヨウタ。君の背中にかくまって守ろうと必死になってるその娘がボクの花嫁だ」


 私には陽太さんが、怒ったのが分かりました。

 背中から妖気がめらめらと立ち昇っていきます。


「お前の花嫁が柚結さんだっていうのかっ! 勝手なことをいうな。柚結さんはお母上と慎ましく寄り添いながら生きてきた。一条家も天帝も放ったらかしだったじゃないか。ずっと不憫ふびんな扱いで苦労してきた。俺は認めない! 柚結さんは俺の妻だから」

「俺もゆるしゃしねえ。柚結を連れて行くつもりなら……お前を殺すか、記憶を消し去る」


 天帝……?

 私は陽太さんの言葉に出てきた『天帝』という名前に違和感を覚えます。


 ふーっとため息をついたリュウゼンさんは、布団の上に座ったまま、動きません。両手をあげました。

 降参の意味でしょうか?

 リュウゼンさんは苦笑いで、敵意はないとでもいう仕草をしています。


「まあまあ。だから、ボクは攻撃はしませんよ。そう言っているでしょう? 穏便に話し合いをしましょう。きっとまだ柚結さんは事情を知らないのでは? その様子だと話していないんでしょうね。ヨウタは柚結さんに自分の素性を知る重大な秘密を……」

「私の素性? 陽太さん?」


 陽太さんは振り返って、私をぎゅうっと抱きしめました。


「ごめんなさい。言い訳に聞こえるかもしれませんが、俺はあなたに話す時期を探っていたんだ。……黙っていたこと、どうか許してほしい」

「陽太さん? 大丈夫です。私のために悩んでくださったのですね」

「柚結、俺が人間世界に行って一条家を見てきた。すげえ、騒ぎになってんぞ。で、昨夜ゆうべ事実を知ったんだ」

「一条家が騒ぎにってどうしてですか?」


 重たい空気が流れました。

 誰も口を開きません。

 わずかに静寂が続きます。


 私を抱きしめたままの陽太さんが、深く息を吸いました。

 陽太さんが告げることを決意したと、私は感じます。

 

「柚結さん、心して聞いて?」

「はい」


 もう一度深く、陽太さんが息を吸いました。


「柚結さんのお父上は『天帝』だ――」

「えっ? ……あの……? 天帝って……」

「火水の国の人間世界を統治している現天帝が、柚結さん、あなたのお父上なんだよ」


 陽太さんにそう残酷な事実を告げられ、私は意識が遠のくのを感じました。

 思考が離れて、視界が暗くなっていき……ます。



    ♡♡♡



「あっ、柚結さん! 良かった。目を覚ました! ねえ、俺が分かる? 誰だか分かりますか!?」

「陽太さん……?」

「はあ〜っ。ああっ、……ほんと良かったぁ」


 目が覚めた時、すぐ近くに陽太さんの顔がありました。

 陽太さんが私を抱きしめたまま座り、背中は壁に寄りかかっています。

 私の体は陽太さんの尻尾に包まれて、とてもあたたかい。


「ずっと……こうしていてくださっていたのですか?」

「ええ。俺にできることなんてたかが知れているから」

「そんなことないです」


 私は陽太さんを抱きしめ返しました。

 落ち着く……あったかい、陽太さんの腕のなか。


「ああ、良かった。頭が痛かったりとかしていませんか?」

「大丈夫です。……陽太さん、あったかい」

「うん。柚結さんもあったかいよ。今すぐにでも口づけたいんだけど。……ちょっと降りかかる事態が深刻なので。でもね、パパっと片付けてしまいましょう。……俺は柚結さんと早くイチャイチャしたいから」

「い、イチャイチャっ!? ああ、分かりました! そんな冗談で紛らわそうとしてくださってるんですね。……陽太さんったら」

「ハハッ、ばれましたか? でもね、俺が柚結さんと甘い時間を過ごしたいって気持ち、二人で仲睦まじく一日一日を過ごしたいのは本当! 本心ですよ?」

「陽太さん……。私もです」


 私は瞳をつむって、陽太さんの胸に顔をうずめました。

 陽太さんが頭をぽんぽんして撫でてくださいます。


「柚結さん、外はもう夜なんだ。分かりますか? どこまで思い出せます? ごめんね、急ぎばやで。ちょっと急がなくっちゃならないから」

「大丈夫です。ぜんぶ憶えていますから。……あの、リュウゼンさんは?」

「彼には今、客間から離れの建物の部屋に移ってもらっています。俺と劉禅リュウゼンと駿太郎、それに妖怪族の族長たちで話し合いをしました」

「話し合いを……?」

「彼の意志は聞きました。でも、あなたの気持ちが一番最優先すべきだと俺は思うし、劉禅が同意すると言っています。決断はあなたがするんです」


 ふと、部屋の隅に追いやられた机を見ると、たくさんの折り紙で折られた動物が置いてありました。


「ああ、あれは子供たちから願を掛けたお見舞いですって。『柚結お姉ちゃんが早く良くなりますように』って。……春乃や風葉、子供たちがものすごく心配していましたよ。さっきまでみんなで付き添っていたんです。気を失ったあなたの元を離れなくって大変でした」

「そうですか。……子供たちにもみんなにも心配かけてしまいました」

「良いんですよ。だって自分の父上の素性を知った衝撃は大きかったでしょ?」

「……はい」


 陽太さんがかいつまんで、話してくださいました。

 お母さんとお父さんの出会いの話と、風の大国の劉禅リュウゼンさんの目的と思いを……。


     ♡♡♡


「柚結さんのお母上は、少女時代から患っている肺の病の療養のために、みやこの医者にかかったのです……」


 お母さんの遺品の小さな香炉を持った時に見た光景が思い出されます。


 母は、病気の療養をしてはいましたが、時々好奇心から、付き添いで来ていた一条家の従者の目を盗んでは美しい山の桜を見に出かけていました。

 そう! 体は弱くとも、母はとても明るくって、興味のあるものは確かめたり気持ちの動くままに行きたい場所に出掛けたり、挑戦したりするお転婆さも持っていたのです。


 ――『いつ死ぬかわからないんですもの。見たい景色は想像するだけじゃなくって、この目で自分の瞳でじかに見てみたいわ』――


 母は桜の咲く山で美しい青年と出会いました。

 ひと目で恋におちた二人は、逢瀬を重ねました。


 その青年が父、私の父で、天帝でした。

 母と出会って恋をした父。

 その頃にもうすでに父は将来天帝となる次期天帝太子であり、火水の国の実権を握っていました。

 明かされた身の上、雲上の人物に母はおののきました。


 お腹の中には私が宿っていたことを知った母は、父の前から姿を消しました。

 産まれたら私を取り上げられる、いずれ自由などない火水の国の手駒となるのが見えていたからです。


 母は、誰にもお腹の中の赤ちゃんの父親がどんな人物なのか、つまりは私の父親が誰かは話しませんでした。

 婚前に授かった命、しかも父親の素性は分からない。

 母は一条家で虐待されるようになりました。


 父は血眼で母の行方を探していたようです。

 天帝は子供の存在、私が産まれたことは最近まで知らなかった。


 何十年も前から風の大国が火水の国に攻め入ってくるのではないかと、まことしやかに騒がれ噂されていました。


 父には皇后おくさんと妻である恋人が何人もいて子供がたくさん産まれましたが、すべて男の子です。

 風の大国に嫁がせる自分の血脈を受け継ぐ姫がなんとでも欲しい、手駒にするための姫が欲しいと願いつつも叶わず、ある日、私の存在をどこかで知ったのです。


 私は……生け贄に、妖怪の怒りを鎮める目的で雪山に放り出され、要するに供物として鬼狐神族の花嫁になったことを聞き、天帝である父は激怒しました。

 一条家の娘の代わりに天帝の娘を妖怪の嫁にやったのか! と――。

 恭しくも天帝の血を受け継ぐ娘を、屋敷から追い出しこの寒々しい雪の山に放置した。

『加担した罪悪人を残らず捕縛せよ』

 天帝は村里に兵を送り込み、一条家の人間をすべて捕らえ幽閉してしまいました。


 劉禅リュウゼンさんには、父は『火水の国の天帝である我の娘「柚結ゆゆ」を風の大国の王太子の花嫁に贈ります』と書状を出していたそうです。


 ――これが、陽太さんが話してくれた事実、そして、お母さんの香炉で垣間見えていた思い出と記憶でした。

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