第9話 迷い込んだの? 人間の正体とは?

「どうやら容姿からして『風の大国』に住まう人間だと思います。柚結さん、ちょっと待ってて」


 陽太さんは泉にじゃぶじゃぶと入っていき、その、水に浮かび淡く全身が光っている御方おかたを抱えあげました。


「普通の人間が光に包まれて水面に浮かんでるなんて。そんなこと有り得ませんよね」

「そうですね。妖気は感じませんが、なにかしらの加護を受けているのでしょう」


 それから、陽太さんが草の上にそうっと寝かせます。

 横たわる姿はずっと淡く光り続けています。

 意識はない様子です。

 私は簡単にケガがないかなどを陽太さんと一緒に見ていきます。


「陽太さんは『風の大国』のかたを見たことがあるのですか?」

「ええ。以前、妖怪の里に迷い込んだ人がいましたね。それとも逃げ込んできたというのが正解かな? ……その人もこのあたりに倒れていました。人間世界に帰す時にもうこちらには来れないように記憶を消したのですが。……ずっとしている血の匂いはケガをしている様子はないから、どうやらこの人が殺めてきた者たちの不吉な匂いが染み付いているようですね」

「……戦争ですか?」

「そう、かもしれません。この人、火水の国でいうところの武士や軍人みたいな立場なのでしょう。鎧を着ていますし、腰に差し刀があります。……これは物騒だから俺が預かりますね」


 私はこの御方おかたを助けたいとは思いましたが、このまま妖怪の里に留めおくのが危険な気もいたします。


「柚結さんを呼んでいたのはこの人のこの小さな香炉と手鏡ですね」

「香炉に……手鏡?」


 金色の髪の異国の方が手に持っていた香炉と手鏡を、陽太さんが私に手渡します。

 私は――!

 

「……ああっ」

「柚結さん!」


 その香炉と手鏡を持った瞬間に、私の頭のなかに多くの記憶と思い出が流れ込んできました。

 胸が痛みます。


「どうやら……母のものみたいです。そんな……どうして? それから……たぶん父のものだと思います。私は父の顔を知りませんのではっきりそうだって言えないのですが……」

「そうか。柚結さんの母上さまと父上さまのものなのか。どんな因果なのかな……」

「……この香炉と手鏡、陽太さんが預かってくださいませんか」

「構いませんけど、俺が持っていていいの? 柚結さんの大切なお母上の形見になるのでしょう?」

「母の記憶が一気に私の頭のなかに入ってきてしまうのです。鮮やかすぎて苦しくなってしまいました……。私は臆病者です、徐々に知りたいんです。母が恋した父のことや、母が生家の一条家で受けてきた扱い、酷く辛い出来ごと……。……ううっ、お母さん」


 私は母の辛い昔の記憶に共感共鳴して、自分のことのように感じます。

 ……お母さん、辛かったよね。私のためにごめんなさい。

 ぐっと涙を堪えましたが、泣きそうになります。


「柚結さん。……分かった、俺が預かるから。さあ、貸してごらん」

「……はい」


 陽太さんの大きな男らしい手にそっと置き渡すと、着物のたもとに大事そうにしまってくださいました。


「ありがとう……ございます」

「柚結さん泣いてるの? ……ねえ? あの、柚結さん大丈夫? 顔色が悪くなってきたよ?」


 陽太さんが気遣うように私を見つめます。陽太さんは泉の水で冷えてしまわれた手で、そっと私の頬に触れました。

 

「私は大丈夫です。それよりこの御方おかたもずぶ濡れですし、助けた陽太さんも冷えてしまいましたよね。大変です! お風邪を召してしまうかも。あのっ、出来たら焚き火をしても?」

「かまいませんよ。……俺が狐火で焚き火をします。ただ……、柚結さんはこの人間を助けたいですか? たぶん、戦の大義という名目のもと、たくさんの人々を殺めてきた奴です。目を覚ましたら……俺たちを殺そうとするかもしれない」


 私は陽太さんのふだん見せない厳しい面差しに圧倒されて、数秒、口をひらけませんでした。

 返事に戸惑うというより、どう言葉に出せばいいのか迷いました。

 目の前で倒れている者がいたら、助けたい。

 ただ、単純なことなのです。

 倒れた人をこのまま放ってなどおけません。

 妖怪の里に来てしまったこのかたの抱えてる事情は分かりかねますが……。

 

 けれど、厳しい表情を浮かべている陽太さんに安易にこの人を助けたい救いたいと願うのがどんな波紋を放つか、私には想像するのはとても簡単なことではありません。


 陽太さんは、死にかけてるかもしれない人間を助けるすべを、もつ――妖怪の里の長であり、けれど里の者を護る長でもあります。

 ですが、私はもう迷うのはやめました。やはり倒れたこのかたをひと目見た始めから決めていましたから。

 陽太さんに「どうか助けてあげてほしいのです」と言ってしまいました。


「ふふっ……、柚結さんなら助けたいと願うと思った。良いですよ。訳アリっぽいですしね。ただし、柚結さんや俺たちの家族、そして村の者たちに手を出そうとするならただではすまない。その時は申し訳ないけど、柚結さんや家族の安全を優先するよ?」

「陽太さんっ! ありがとうございます」


 瞳を閉じた陽太さんが口元に人差し指をつけ、小さく呪文のような言霊を詠唱をする。

 周りに落ちていた小枝がささっと集まってきて、陽太さんがふーっと息を人差し指に吹きかけますとキツネの形の火が飛び出して、たちまち小枝に火が着きました。あったかい焚き火が完成です。

 続けて、陽太さんはなにやら唱えて、すると光の湯気と風が吹きました。まるでかわいい光の雲のよう。

 その雲は風の大国の住人らしいかたと私たちを包みました。


「とてもあったかいですね」

「でしょう? 風鬼ふうきの風と妖狐のぬくもりの合せ技です。早く衣服も体も乾くでしょう。ああ、そうだ。あとね……」

「あっ……」


 祠の桜の老木から、花びらが舞い降りてきて、私の髪に乗りました。

 触れるとかんざしのようでした。


「桜の加護の髪飾りです。俺の妖気が満ちている限り朽ちることのない。柚結さん、あなたが迷った時にうちに帰れるお守りです」

「陽太さん、いのですか? ありがとうございます。……でも、どうして?」

「その人間、柚結さんを惑わす者のような気がいたしました。あなたが望むうちに帰れるように……」


 ふと、寂しげに笑う陽太さんの顔が儚く感じました。

 私は陽太さんの頬に触れました。


「私の帰る家は陽太さんたちがいるあのお屋敷ですよ? ほかに望む場所はありません」

「ほんとうですか? 信じていいの? 柚結さん……」

「はい、もちろんです」

「俺は柚結さん、あなたが好きだ。だからこそ……、あなたをどこにも縛り付けてはいけないとも思う。あなたには自由でいてほしい。あなたが行きたい場所を選び取るのはあなたで。なにをするのかも、柚結さんの意志であってほしい」

「はい。……うれしいです、とっても。そんな風に言っていただけたことがないので、どう振る舞っていいか私には分からないのですが。陽太さんにも妖怪の里にも縛り付けられてはいませんし、ここにいるのはたしかな私の思いと意志からですから」


 私が言い終わるか終わらないかのうちに、陽太さんにぎゅっと抱きしめられていました。

 あったかい陽太さんのぬくもり……。

 ですが少しの震えを……陽太さんから感じられてしまいました。


「どうしよう、大丈夫ですか? 陽太さん、やっぱりお寒いですか? 私がずっと抱きしめて差し上げたいです。あったまるまで」

「ふふっ、違うんです。俺、体は丈夫なんですよ。なにせ、鬼で妖狐の二種の妖怪ですから。……柚結さんの言葉が嬉しくって。ちょっと感動して。……うるっときてました」

「なんだ、良かったです。……陽太さん」


 私は陽太さんに抱きしめられたままでしたが、少ぉし背伸びをして彼の頭を撫でていました。


「ああ、そんな。……照れます。俺、そうとう甘えん坊ですね」

「良いんですよ! 陽太さんは私には甘えても。たっくさん甘えてくださいな。だって、みんなの前ではお兄ちゃんで長男で。みんなを守らなくてはといつも気を張ってらっしゃるでしょう?」

「困ったな。柚結さんには俺の弱い部分もバレてるんだ? ……そうだね。柚結さんのせっかくの申し出だものなあ。俺、素直にあなたのお言葉に甘えようかな」


 陽太さんが私の体をすっと離してにこっと微笑むと、かわすまもなく……。

 チュッ! と、私は陽太さんに口づけられてしまいました!


「柚結さんに口づけると幸せな気分が倍増しますね。あの、柚結さんってお菓子みたいに唇がとっても甘いし。俺、胸がきゅうんっと熱くなります」

「あのっ! だから感想を言わないでくださ〜い。とっ、とてもですね、……恥ずかしいです」

「いいじゃないですか。なにが恥ずかしいんです? 正直な心の内です。……俺、甘えたいけど、柚結さんにはもっと甘えてもらいたいもの。ねっ、素直に教えて?」

「な、なななななにをですかっ!?」

「俺の口づけの感想とか、俺の唇のそうだな〜、感触とか?」

「い、いっ、言いませんよっ!」

「どうして?」

「申しません。申し上げられませんっ! 陽太さんの口づけは優しくって蕩けそうで心地良いとか、陽太さんの唇が思いのほか想像以上に柔らかいとか。男の人でもふにっと弾力があるんだななんて。……あっ!!」


 くすくすくすと陽太さんが笑って、そのあとすぐに大笑いされています。

 私はポーッ! っとお湯が沸いた鍋の蒸気のように、恥ずかしさで顔も体も頭の先から足の先まで一気に熱くなってしまいました。


「そうやって素直にいつも教えてくれたらいいのに。ねえ、柚結さん?」

「もうっ、知りません。陽太さんって私をからかうのがお好きですよね。もーうっ」

「ぷんぷんと怒った顔もすごくかわいいよ、柚結さん。こっち見て。俺にもっと顔を見せて?」


 陽太さんから接吻をしていただけるたび、心のなかに思っていたとはいえ、あんなことを口にするのははしたなく。私はとんでもない発言をしてしまい、とっても恥ずかしくて。


「恥ずかしがってる柚結さんも、ものすごぉくかわいい」

「よ、陽太さん! だめです。それ以上かわいいとか重ねられては私、……溶けてしまいます。なにも考えられないぐらいに蕩けてしまいますからっ」


 私は陽太さんから逃げようと身じろぐと、簡単に腕も体も絡め取られてしまいます。


「ふふっ。ねえ、逃げたいの? 恥ずかしい? ……俺はすごく嬉しいですよ。柚結さんがそんなふうに思っていてくれてるだなんて」

「陽太さん……。あの、あのかた、大丈夫でしょうか?」

「柚結さん、話をすり替えようとしても無駄ですよ。ああ、そこの人間はもうだいぶ回復してます。呼吸と魂魄の気が整っていますから大丈夫です。心配ですか? その見知らぬ男より俺を見てほしいなあ。もうちょっと寝かしときましょう。――それより」

「それより?」


 私、陽太さんにまたしても口づけられてしまうかと思うほど、二人の顔が近づきます。


「ねえ、俺は柚結さんの本心が知りたいもの。柚結さん、ふだんは奥ゆかしくって滅多にそんなこと言ってくれないよね。ああ、いや、奥ゆかしいあなたも好きですよ。でもたまには思ってること俺に素直に聞かせて? ……分かった。もっとたくさん口づけたらきっと。もっともっとあなたと俺は仲良くなれるかな? 本心を隠さずに伝えられるぐらいに。いや、柚結さん。自分の気持ちを伝えたくて仕方ないって思えるほど俺を好きになって」


 陽太さんに切なそうに見つめられると、……弱いです。

 甘えたくなるし、甘えさせてあげたい。そんな母性本能がくすぐられてしまう運命の殿方が私にもいるって、お志津さんが言っていました。

 対等な関係の恋なんて、私には出来るはずない、許されるはずはないって思っていました。

 ずっとそんな風に幸せになんかなれないって、打ち消してきました。

 望んじゃいけないって思っていたんです。

 心が通い合う真実まことの愛情を互いに通わせられる、そんな殿方と出会うことなど。

 私には両思いの恋なんて夢物語で、愛し合う幸福を知らずに生涯を終えるのだと思っていました。


「私、旦那さまが大好きです」

「えっ……。ああっ、ずるいですよ、柚結さん。こんな不意打ちで素直になってしまうだなんて。俺、我慢できなくなりますよ」

「だって……『素直に』っておっしゃいましたよね……。だめでしたか?」


 ぶんぶんと陽太さんは顔を横に振りました。

 ちょっとそんな仕草は年下みたいで可愛らしいです。


「だめじゃないです。すごい……破壊力ですね。嬉しいです」


 すかさず陽太さんが甘く「俺も……好き。俺のお嫁さまが大好き」って耳元に囁いて、口づけを追うようにしようとなさるので……。


「も、もうっ。口づけはだめです。おあずけです」


 私は陽太さんの口に両手を置いて、甘い口づけを止めました。


「おあずけって。……ひどいなあ。柚結さんってやっぱり時々つれないんだよなあ」

「ねえ、陽太さん、そのかたをお屋敷に運びましょう? いでしょうか? ……でも危険ですよね」

「まあ、いと思います。安易に武器を使ったりして危害を加えられないよう、俺がちょっとした妖術を施しましょう。彼から話は聞きたいですからね。なぜ、柚結さんのご両親の持ちものを持っているのか。非常に興味があります」

「はい、私も知りたいです。こんな偶然、たまたまとは思えないのです」


 これは運命の悪戯いたずらなのでしょうか。

 めぐりあわせという縁は、やはり存在するのですね。

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