学級委員長と不良少女 Ⅴ

 私が扉をノックして、返事を聞いて、白銀さんが足で扉を開ける。

「まーた来たなこの不良娘」

 ボタンダウンシャツにタイトスカート、その上から白衣を羽織った保健室の先生が、長い脚を組んで、顔をしかめた。

「はろーせんせ。怪我人連れて来た」

「あら委員長、珍しい。え、何? こいつにやられたの?」

 先生に親指で指された白銀さんが、必死に無実を訴える。

「いや違うし! 目の前で転んだから!」

「お前、この間も同じ事言って他校の女子運んで来たじゃん。あぁ、あの時は『転がした』んだっけ?」

「あれは向こうから喧嘩売って来たんだよ!」


 噂は本当だったのか。

 てかなんで先生、笑ってるの?


 ちょっと待って。

 あの時のビンタが直撃していたら私も――


 隣で先生と言い合う、白銀魅月という人間を見た。

 シャツのボタンをいくつも外してだらしないし、スカートなんか、一体何回巻けばここまで短くできるのか。

 露出した彼女の首や鎖骨周辺、それから腕、手首、ふくらはぎ、膝、太腿。

 至る所に、打撲痕や線傷を見付ける事ができた。


 私が思っていた以上に、この子は危険だと悟った。

 今まで抱いていた物とは少し違う恐怖を感じた。


「いいんちょ?」


 深紫の大きな瞳が、私をめ上げる。

「ひっ……」

「だいじょぶ?」

 いや、睨まれている訳ではないようだ。

 凛々しい顔立ちと鋭い吊り目。何より彼女の素行を垣間見た所為で、誤解してしまう。

「大丈夫。ごめん」

「とりあえず傷は手当てするけれど、眼鏡は親御さんに上手く話しなさいね」

「え」

 言われるまで気付かなかった。

 眼鏡を外してよく見ると、レンズにヒビ割れ。リムに歪み。

 呆れた。

 一瞬の激昂げっこうと運動音痴が重なって、決して安くない眼鏡を壊すなんて。


 ――ダサ過ぎでしょ。


 自分で自分をけなす。

 こんな事で絶望する自分が、虚しい。

 負の感情は止まらない。

 どこまでも堕ちて行く。


 悲し過ぎて、涙も出なかった。




「ありがとうございました」

 手当てを終え、立ち上がる私の声は、自分でも気色悪いくらい低かった。

 既に二時限目開始のチャイムは鳴っている。

 授業の途中で教室に入った事なんて無い。

 変に注目を浴びるのが嫌で、何だかとても気まずくて、立ち上がったは良いが足を動かせなかった。


「ね、いいんちょ」


 私を気遣ってくれているのか、白銀さんは相変わらずの笑顔を向けてくれる。

「足とか痛いでしょ? このままサボ……早退しようぜ」

「お前が早退する必要は無いだろ?」

 先生の迅速な突っ込みに、白銀さんは再び慌て出す。

「いやほら危ないじゃん。足怪我してるし、外危ないじゃん」

 必死さは伝わるけれど、意味がよく分からない。

「はぁーしょうがねえな。委員長、ご家族に連絡できる?」

「……はい」

 早退なんて、小五の時マラソンで転んだ日以来だ。

 親にどう説明しよう。

 きっと必要以上に心配させてしまう。

 でも、今のこんな気持ちのままで学校に居続けるのも嫌だ。

 優柔不断でもたついている私の手から、白銀さんがスマホを取り上げる。

「ほら、帰りながらでも連絡できるでしょ! 早く帰ろう!」

「ちょ、そんなに引っ張らないでよ……」

 退室のお辞儀も挨拶もできないまま、私は強引に連行された。


「白銀さん、そろそろ放してよ」

「おう」

「全く……足の怪我を理由に早退するのに、あんなに走れる所見られたら元も子もないじゃない」

「いいじゃん、どうせ嘘だし」

「痛いのは本当よ」

「ガチで? ごめん!」

「嘘よ」

「ぇえ!? いいんちょ、そういうキャラだったの!?」

 白銀さんとこんなに言葉を交わすのは、初めてだ。

 非常識な狂人だと思っていたけれど、意外と素直で、いじり甲斐がある。

「ふふ」

「元気出た?」

「そうね。悔しいけれど」

 不覚にも元気を取り戻してしまった。

 皆勤賞も懸かっている。早退する気が失せて来た。

 けれどやはり、途中から教室に入るのは気が引ける。三時限目から教室に戻ろう。

 そんな事を考えていると。


「じゃあさ、カラオケ行こうぜ」


「は?」

 耳を疑った。

「今から授業とか、ダルいだろ?」

 どうやら冗談の仕返しという訳ではない。

 本気らしい。

「い、いやいやダルいとか、そういう問題では……」

「行こう行こう! ねー行こうよ!」

 本当に、邪気の無い笑顔だ。

「あたし、いいんちょと仲良くなりたい!」


 ああ、やっぱり狂っている。

 こいつとは分かり合えない。


 分かり合ってはいけない。


 頭では、そう思っていても。


 私は今まで、変わり映えのしない、つまらない日々を生きて来た。

 朝起きて、学校に行き授業を受ける。帰ったら宿題をして、寝る。

 そんな毎日の繰り返し。


 だから今日は、あまりにも非日常的な出来事の連続で、私もどこか狂わされていたのだろうと思う。

 この日、この時、この瞬間。


 私は特別な何かを、白銀魅月に求めてしまったのだろうと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る