48話 恐ろしい未来

 一方でカトリーヌの記憶の中。

 

 幼い彼女が見上げる母の姿は懐かしくて、胸が締め付けられるようだ。

 母はカトリーヌと同じ色の髪を緩く編んで、片側に垂らしていた。愛しさをたたえた瞳でカトリーヌを見つめ、しゃがんで語り掛けてくる。

 

「きっと本当の愛に出会えるから、それまでは力を封じさせてね。今はこうすることしか出来なくて……ごめんね、カトリーヌ。あなたが愛と居場所を得たとき、力は解放されるから」

 

 そう言って母は、何かの呪文を唱える。体のなかに卵形の容器が作られ、そこに力が吸い込まれ、蓋をされる感覚がある。

 かちり、と鍵のかかる音がした。その瞬間に、風切り羽をもがれてかごに入れられた鳥のような気持ちになった。もう飛べないという寂しさと、でもこれで、空で襲われることもなくなったという安堵。


 

「あなたの力が、あなたとあなたの愛する人たちを、幸せにしてくれますように」


 

 そう言って母はそっと幼いカトリーヌの頭を撫でてくれた。短いけれど確かにあった、幸福な時間。

 その後は、病に細る母の看病のこと、母の亡き後に継母が支配する王城で虐げられたこと、厄介払い同然に魔族との婚姻の駒とされた記憶などを、足早に通り過ぎていく。共鳴中の王子が憤っているのが分かり、なぜか恥ずかしい気持ちになった。

 ゼウトスに嫁いでからの出来事を見たときには、心からほっとした。どれだけ沢山の愛情をもらってきたのか、あらためて実感できたからだ。

 

 

 

「……君は怒っていい。君がされてきたことは、君のせいじゃない。恥ずべきは、あいつらだ」

 

 共鳴シンクロを解いてすぐ、フェリクス王子が呟いた。

 

「しかし、君の過去を覗き、恥ずかしく思わせてしまったのは、僕が共鳴の力を使ったからだ。分かっただろう、無粋な力だ。父上が封じようとしたのも当然だ」

 

「そう、でしょうか。あの日のミノス王様のお言葉を聞いた今も、そう思われましたか? 共鳴の力はフェリクス様のためを思って、封じていたのではないでしょうか。私のお母様が私にしたように」

 

 その言葉に、王子が小さく息を飲んだ。

 向かい合うようにカトリーヌが体を起こすと、フェリクス王子は考え込むように目を伏せた。

 

「君の考えを信じたいが、信じてもいいのだろうか。僕には自信がない」

 

「ミノス王陛下の心からの言葉だったと思います。それに、私はフェリクス様の共鳴の力のお陰で救われたんです」

 

 カトリーヌが言うと、王子は瞬きをして彼女を見つめ返した。

 

「フェリクス様の力のお陰で、私は忘れていたお母様の記憶を思い出せました。久しぶりに、お母様に撫でられることが出来ました。ゼウトスの皆さんにもらった愛情を、再確認できました」

 

「カトリーヌ……」

 

「愛する人が力によって不幸にならないように……。封印にかける思いは、ミノス王様もお母様も一緒だったと思います。それに、今のフェリクス様は、ミノス王陛下の信頼にこたえています。きっと、陛下も嬉しくお思いですよ」

 

 一瞬、フェリクス王子の顔がくしゃりとゆがんだ。

 カトリーヌは思わずその額に口づけを落とす。


 額を合わせて見つめ合い、どちらともなく口づけ合う。

 久しぶりの大きな『ぽわん』があった。

 激しくはないけれど、質量を感じる力がカトリーヌの中に満ちていった。

 

(お母様は、私の力が不幸なことに使われないようにと考えてくれたんだわ。愛を受けて愛を返すことで、封印が解け、力が強まるようにと……)

 

 未来を見る力は、使いようによっては災いを呼び込む。エリン王国に居た頃にこの力の存在を知られていたら、多くの血が流れていただろう。

 

(お母様、ありがとう。私を無才無能のカトリーヌにして、守ってくれて)

 

 フェリクス王子の心音を感じながら、カトリーヌは穏やかな眠りについた。体内をめぐる、大きな力の存在を感じながら。


 *

 

 幸福な夜の向こうで、しかし、陰謀は動いていた。

 

 その夜、カトリーヌは恐ろしい夢を見た。

 火矢が放たれて燃えるゼウトスの民の家々がある。略奪を楽しむエリン王国の兵士がいる。アマデウス将軍を先頭にして、ゼウトスの騎士たちが城を出発していった。

 エリン王国の兵団は、ゼウトスの王城にも攻め込んできた。城の外側の守りはアラーニェの糸だ。城自体を覆うように、糸が張り巡らされている。

 多くの悲鳴と怒号がこだました。

 この山城は、ただの住居ではない。守りを重視した、戦いのための城だったのだと思い出す光景だった。

 

 でも……とカトリーヌは思う。自分にとっては、訪れた日から今までずっと、家だったのだ。戦場となった城を見つめ続けるのはとても辛かった。

 

 いやだ、どうして。みんなやめて――。

 

 止めたくても、声が出なかった。夢のなかで、カトリーヌはただ泣くことしか出来なかった。

 

「カトリーヌ! 大丈夫か!」

 

 夢の世界から連れ戻してくれたのは王子の声だった。飛び起きた彼女の背中にそえられた手の感触で、ここが夢の世界ではないと分かった。

 戻って来れた、と安心したとたん、全身の力が抜ける。体中が汗に濡れて、ネグリジェがはりついていた。

 

「うなされていたぞ。どうした?」


「……いやな夢を、見ました」


 からからに乾いた喉から出た声が、自分の声ではないようだった。


「どんな、夢だったんだ?」

 

「それは、その…………」

 

 王子に訊ねられても、口に出すのが恐ろしかった。

 

(未来を見る者って、不吉な予言をする者でもあるんだわ)

 

 力を持つということの別の側面を、引き受けることが怖い。

 黙って頭を振るカトリーヌに、フェリクス王子は眉間の皺を深くする。

 

「カトリーヌ、君の母君の願いを一緒に見ただろう?」

 

「お母様の願い、ですか?」

 

 問い返すと、王子はゆっくりと頷いた。

 

「『あなたの力が、あなたとあなたの愛する人たちを、幸せにしてくれますように』だろう?」

 

 その言葉に、カトリーヌは、はっと顔を上げた。

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