45話 暗雲

 場所は変わり、エリン王国王城の晩餐の場。

 

 静かな広間に、食器の音だけが響いていた。

 緊張した空気の中で、王女アンヌが話を切り出す。

 

「ねえ聞きまして、お母様。ゼウトスではカトリーヌが国民に大人気だそうよ。民を助けて回ってるとか、行く先々に幸運を連れて来るとか言われているんですって。女神の奇跡の力だと言う者もいるとか」

 

「ほほ、異教の神の力ねえ。まったく、魔族どもと共に暮らすだけでも恥知らずだというのに、どこまで恥を上塗りするのやら。命乞いのために必死に媚びているのかしら? 潔く食い殺されるのが王族の誇りでなくて?」

 

 優雅に笑ってはいるものの、苛立ちをにじませた声で王妃がこたえた。

 

「全くですわよ! さっさと消えてしまえば、それを理由にお父様がゼウトスに圧をかけられるというのに。お父様のお考えを察して、食べられるのが役目のはずよ!」

 

 甲高い声でわめきたてるアンヌの肩に、王妃がそっと手をかける。

 そして国王の方をうかがいながら、慎重に言葉を選んで話しだした。

 

「まったく、これからどうしてあげましょうね。我が国エリンの民にもカトリーヌを称えている者がいるそうよ」

 

 それを聞いたアンヌはいやいやをするように首を振る。


「まあ! おぞましいったらないわ!」


「真に嘆くべきは……」

 

 国王が重々しく口を開と、かしましい食事の席が一瞬にして静まり返った。

 

「エリン国民とゼウトスの魔族どもの交流が生まれていることだ。このままでは、エリンの民に異種族の血が入るのも時間の問題だろう」

 

 王の言葉に、アンヌと王妃がヒッ、と息を飲んだ。

 

「最近は、カトリーヌと魔族の王子の結婚に浮かれて、エリン国民とゼウトスの魔族も交流を深めているらしい。一部のエリン貴族が出資しているパーティの噂も耳に届いておる。早く手を打たねば、この尊いエリン王国の貴族層にまで魔族どもが入り込んできてしまう」

 

 王の言葉に、王妃とアンヌはもはや半狂乱だ。

 

「なんてことでしょう! そんなパーティに参加している者も、出資している者も、全て縛り首にしなくてはいけませんわ!」

 

「お母様、それでは足りませんわ! 悪い根、あれ、茎? 種だったかしら? とにかく元から絶たないと。お父様! ゼウトスごと、カトリーヌを倒してしまってくださいな!」

 

 アンヌの絶叫するような声が響く。

 

「案ずるな。ゼウトスを墜とす策はもう考えておる。魔族どもが好きにしていられるのも、今だけだ」

 

 落ち着いた声でそう言って、王は不敵に笑った。



 

 一方、ゼウトス王城の執務室では、ミノス王が四本の腕で頭を抱えていた。

 向かいにはフェリクス王子が難しい顔をして立っている。

 

「カーラから報告があった。またエリンの兵が国境でトラブルを起こしたそうだ。なんでも、また国境を越えてきたとか」

 

「武装して国境を超えるとは、挑発行為にあたりますね」

 

「そもそもただの国境警備にしては、派兵の数も多すぎるようでな。いやはや、何を企んでいるやら。民も怖がっているそうだ」

 

 国境沿いや港など、守りに重要な場所には、アラーニェの一族の監視を置いている。カーラの元に集まった情報のうち、必要なものがミノス王に上がってくるようになっていた。

 

「最近増えてきましたね。すぐに落ち着くかと思っていたのに、逆に増えるというのはよろしくない」

 

 王子が顎に手を当てて言う。

 嫌な沈黙が流れた。

 

「全く困ったものだ。しばらくは警戒度を上げるよう、カーラには言っておこう。フェリクスよ、お前はカトリーヌ殿を今まで以上に守るようにな」

 

 ミノス王が気づかわしげにフェリクス王子に視線をやると、王子は重たげに口を開いた。

 

「実は、カトリーヌの件で気がかりがありまして」


「ふむ、言ってみなさい」

 

「彼女が未来を見ているのは確かですが、とうとう先日、彼女の方から未来を覗きに行ったのです。地すべりを予知した日のことです」

 

 王子が言うと、ミノス王は大きな一つ目をぎょろりと回してため息をつく。

 

「…………カーラから聞いておったる。城内はアラーニェの巣も同然だからな、変わった事があればカーラに報告が行く。まあカーラは元より、カトリーヌ殿のなかに、なにか力が封じられていると察していたようだが」

 

「なぜ母君が力のことを」

 

 言いかけて王子が「ああ」と声を上げた。

 

「洗濯場でのあれか……全く、あの人は用心深い。問題は、いま民の間で広がっている噂です。カトリーヌが先見さきみの能力者だという話が過熱して、ときの女神の加護を受けていると言い出す者も出てきているようです」

 

「祀り上げられるのは、カトリーヌ殿としても本意ではなかろうに。過去にも先見の能力者が現れたことがあったが、国を去ってしまった。残されたのは熱狂と混乱だけ。あのときの能力者は――」

 

「その話、一旦おいておきましょう」

 

 遠い目をしたミノス王が昔語りの姿勢に入ったところで、王子がすかさず割って入った。ミノス王の思い出話はとかく長いのだ。特に、過去に居た先見の能力者のこととなると。

 

「今はカトリーヌの件です。混乱した民に祀り上げられるのも、排斥されるのも、僕には耐えられません。知ることで彼女をいたずらに不安にするかもしれないと悩みました。だが、……もはや彼女に隠しておく方が危険かもしれない……」

 

 王子がそう振り絞ったところ、執務室の扉が破裂音とともにぶち破られた。

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