44話 先見の力

 いつものごとく、カトリーヌが城の正面ホールを掃除していたときである。


「キャア‼ 助けて……ッ!」


 少女の悲鳴が響いてきた。

 声のする方角へ、ホウキを掴んだまま駆け出す。

 

 聞き慣れない声だ。城に入り込んでしまった少女が、アラーニェの糸に引っ掛かっているのだろう。それだけならまだしも、糸で怪我をしていたら……。

 声の元を探すものの、反響が邪魔ですぐには見つからない。

 気持ちばかりが焦るなかで、城中を駆け回る。


 と、目の前に白い影が落ちてきた。

 それは宙づりになった女性の顔だ。


「ひぎゃ!」


 思わず間抜けな悲鳴をあげる。

 

 逆さ向きになった白い髪の女性。体は蜘蛛で、ホールの高い天井から糸で吊られている。

 女蜘蛛のアラーニェが、初めて全身を現してくれたのだ。

 

 アラーニェは宙づりのまま反転すると、カトリーヌの目の前に降りた。彼女を吊っていた名残の糸が、天井から口へとしゅるしゅると吸い込まれいく。

 口には上下二本ずつ大きな牙があるが、それ以外は繊細な顔立ちで、美女と言っていい。

 

「どうしたの?」


 訊ねると、アラーニェは無言のまま彼方を指さす。

 そこには細い糸で吊られたコボルトの少女がいたのだった。




「ええと、バザールで会った子よね?」


 アラーニェに頼んで少女を下ろしてもらった後、カトリーヌは自分の部屋に彼女を招いた。

 チェリーにお茶とお菓子の用意をしてもらったけれど、まったく手をつけようとしない。焼き菓子の甘い香りに鼻を動かすこともなく、ティーカップに注がれた紅茶を見つめたまま黙ってうつむいていた。

 

「なにか悩みごと?」

 

 カトリーヌの問いに、少女は思い切った様子で顔を上げた。

 その表情は今にも泣きだしそうなほど歪んでいる。


「ごめんなさい! アタシのせいなの!」


 そう叫んだあと、彼女は堰を切ったように泣きだした。


「何があったのか分からないけれど、大丈夫よ。私でよければ聞くわ」


 少女を抱きしめて背をさすってやる。彼女はカトリーヌの胸にしがみつくと、しゃくりあげながら必死で言葉を紡いだ。

 

「アタシが調子にのっていっぱい喋っちゃったから……このままじゃまた前の先見の巫女様みたいに、カトリーヌ様が居なくなっちゃう! カトリーヌ様がゼウトスを嫌いになっちゃうかも!」

 

「ど、どうしたの? 居なくなるなんてあり得ないわ。ゼウトスのことだって、私ずっと大好きよ」

 

 少女の言葉の意味が分からず、必死になだめようとする。

 しかし彼女は胸のなかでいやいやするように首を振った。

 

「で、でも、カトリーヌ様が先見さきみ出来るに決まってるって、アタシ言っちゃったの。そうしたらみんな、やっぱり先見の巫女様なんだって盛り上がっちゃって。止められなくて……」

 

 そう言うと少女はカトリーヌの目をじっと見つめてから、「わあーん!」と声をあげた。

 

「とにかく落ち着いて。ね? 紅茶をゆっくり飲んで、それから順に話してくれないかしら?」

 

 少女はしばらく泣いていたが、カトリーヌが背中を叩いてやっていると、やがてスンと小さく洟をすすった。

 そうして、たどたどしくここに来た理由を語り始めたのだ。

 

「……なるほどね。つまり、私が先見の能力者? というものだという話が、国の皆さんの間で広がっている、と。昔ゼウトスに居た能力者の女の人は、奇跡の人だと持ち上げられすぎて、居なくなっちゃったのね」

 

「うん。アタシが生まれる前の話だって。先代の魔王様は巫女様と無理矢理結婚しようとするし、国のみんなもネッキョウしちゃって、大変だったんだって。先見の力はときの女神様の加護にちがいないって」

 

 そもそもゼウトスは種々の女神を信仰する国だ。中でも、高位の女神である刻の女神は民の間でも特別に貴ばれているらしい。

 

「その方も、ヒト族だったのね」


「うん。小さな女の子だったって聞くよ」

 

 なるほど、確かに奇跡だと祀り上げられて、年の離れた魔王と結婚しろだなんて迫られたらその少女も困っただろう。カトリーヌは密かに少女に同情した。

 少女はヒト族の旅の一団であり、ふらりと現れ、奇跡を起こして民を救った。

 そしてある日、ふらりとまた消えたのだという。


 きっと女神様にお仕えに行ったんだとか、旅に戻ったのだとか、そういう噂をしながらゼウトスの民は彼女を惜しんだのだとか。

 

「カ、カトリーヌ様ってやっぱり、先見を使うの?」


 やや落ち着いた様子の少女が訊ねる。

 カトリーヌは、うーんと首を傾げた。

 

「実はね、未来を見られるのは本当なの。でも、自分の力について私は何も分かってないの。先見、という力についても、詳しくは知らないの。ごめんね」

 

「そうなの? もし本当に先見の巫女様だったらどうする? ゼウトスから逃げたくならない?」

 

 またも泣きそうな顔になる少女の頭を、そっと撫でてやる。

 

「私はゼウトスが好き。その心は変わらないわ。でも、私も知らなさ過ぎたわね。国のみなさんを騒がせてしまっているなら、力について、きちんと確かめないと」

 

 ――先見の力。

 

 その言葉が出るとき、フェリクス王子はあからさまに難しい顔になる。そのうちに説明する、ミノス王に相談する、そう言われたまま時間が過ぎていた。まるでフェリクス王子自身、問題から目を逸らしているみたいに。


 それでも、とカトリーヌは反省する。

 

(見ないままでいれば、問題が無くなるというものでもないわ。私、自分の力について知ることをずっと恐れていたのかもしれない……また『弱虫』に戻っちゃってた)

 

「私、自分の力について誤魔化すのはやめるわ。だからね、聞いてみることにする!」

 

「聞く……? 誰に?」

 

 きょとん、と音がするような表情の少女の手をとって、カトリーヌが微笑みかける。

 

「長く生きていて、お城のなかでは、おそらく魔力について一番詳しい方によ」

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