41話 バザールでお忍びデート・2

 声の主を見ると、コボルトの少女だった。並べたバケツの間を縫って、通りに出ようとしている。

 

「ちょ、し、しぃー! 内緒にして! 一応変装してるの!」

 

 カトリーヌが唇に指を当てて言い、王子が急いでカトリーヌのストールを目深まぶかに被せる。

 

「あ、ごめんなさいっ! あの、アタシの友達が、カトリーヌ様のお陰で助かったんだ! お礼を言いたくってさ!」

 

 コボルトの少女が、興奮しつつもささやき声を作って言った。

 

「どの件だ?」

 

 さりげなくカトリーヌを腕の中に隠しながら、王子がたずねる。

 

「アタシの友達の家、この前の大雨の日に、地すべりで埋まっちゃったんだ。カトリーヌ様が馬車をよこしてくれてさ、避難なさいって言ってくれて助かったんだって聞いたよ。友達の兄さんは脚が悪いからさ、馬車なしじゃとても雨の日に逃げられなかったよ」

 

「ああ、その件ね! それは良かったわ」

 

 カトリーヌは顔を明るくし、王子は複雑な笑みを作った。

 


 

 水害の起こった日のこと。

 カトリーヌは、王子から借りた水害危険地域の地図をにらんで考えていた。

 

 いつもの通り洗濯物予報が訪れたときに、午後から豪雨になることが分かったのだ。

 そうなると心配なのは、昨年の同じ時期に聞いた話である。

 ゼウトスこの領内は、水害が多いという話だ。

 昨年、王子は水害の対策のため、新妻を放って執務室にこもり切りになっていたほどだった。

 

 王子の訪問がないことを気に病んでいた自分の姿が、昨日のことのように思い出される。

 カトリーヌは小さく苦笑した。

 

「色々あったなあ。お母さまの占いみたいに、私にも未来が見える日が来るなんて、夢にも思わなかったわ」

 

 領内の人々のために、力が使えるのはうれしいことだ。

 ただ、カトリーヌの方から特定の未来を見に行こうとしたことはない。

 それでもこの日、ふと思い立ったのだ。水害が起こる場所を先回りして見られないか、と。そうすれば、偶然に頼らないでもっと多くの人を助けられる。

 

 まったく根拠のない自信ではなかった。見える範囲は広がっているし、力の使い方も感覚で分かるようになってきている。

 

「っと、集中して考えなくちゃ。この丸が描かれているところが、水害対策をした場所ね。何も無ければ良いのだけれど……」

 

 カトリーヌの目は素早く地図を読み取っていく。

 

「アズベン川の曲がっているところ、タムリツェ峡谷の崖、クルト山の山腹ね」

 

 ふっ、と息を吐いて、カトリーヌは意識を額に集める。地図から読み取れる地形を、出来るだけ細かくイメージする。そして目を瞑り、心の中で唱えていく。

 

(お母様、力を貸してください)

 

 無意識に、ペンダントを握っていた。

 

 全身が熱くなり、その熱が胸に集まるのを感じる。汗がじっとりと全身を濡らしていく。

 くらり、と重力が歪み、床が近くなる感覚を覚えた。そのときだ。

 

(…………きた!)

 

 瞬間、ひときわ額が熱くなる。

 

 周りに目まぐるしく変化する景色が現れる。

 時間は前に進んだり、後ろに戻ったりして酔いそうだ。集中を切らさないように、欲しいイメージを探す。

 

(ここだわ!) 

 

 カトリーヌは、目指す景色に向けて意識を飛ばし、イメージを捕まえた。

 

「クルト山腹で家が飲み込まれてる! 地すべりが起こるんだわ!」

 

 そう叫んで立ち上がると、一瞬目まいに襲われる。よろけそうになりながらも、カトリーヌは王子を探すため執務室を飛び出した。

 

 

 王子は、天守にある自室にいた。

 

「……そうか、早急に避難の手配をしよう。ところで、顔色がよくないようだが。風邪ではないか?」

 

 王子がカトリーヌの顔を覗き込むようにしながら訊ねた。

 

「ええと、初めて未来を見に行ってみたんです。地図を見せて頂いたでしょう? それで、危ない場所について、未来を見に行けないかと思って。少し疲れましたけど、それだけです」

 

 そう答えながらも、カトリーヌは全身に重い倦怠けんたい感がのしかかるのを感じていた。

 

「見に行った? 未来を? 偶然見たものではないというのか?」

 

 王子の問いにカトリーヌがうなずくと、王子はとたんに深刻そうな表情に変わった。

 

「さすがにそれは……先見さきみの力としか思えない……いや、しかし、そうか。まずは父上に相談……」

 

「どうしたんです?」

 

 難しい顔のままぶつぶつと呟く王子の顔を見上げる。すると、王子はカトリーヌの両肩をつかんで、周囲を見回した。そして、小さな声で告げたのだ。

 

「今回のことは、しばらく誰にも言わないように。未来を見に行ったということについてだ。それから、君のその顔色が戻るまで力は使わないこと。いいかい、たくさん食べてゆっくりしておくんだ。僕は避難の手配を急がないといけないから、いいね」

 

「は、はい」

 

「くれぐれも、秘密にすること。手配は僕の名前で行っていいかな?」

 

「え、でも、私の勝手でやっているものですから。間違っていたら申し訳ないですし、私の責任でお願いします」

 

「うーん……分かった、君の名で行おう。対外的には、あくまで嫌な予感がしただけ、ということにするよ。いいね」

 

 噛んで含めるように言うと、王子は何度もカトリーヌの方を振り向きながら、足早に去って行った。

 

「どうしたのかしら」

 

 王子の様子に、にわかに不安になったカトリーヌは、その場でソファに座り込んだ。

 なにか、禁忌でも犯したかのような勢いだった。それに『先見さきみ』という言葉を使っていた。どこかで聞いた言葉のような気がして、引っかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る