40話 バザールでお忍びデート・1

 カトリーヌが魔王城に嫁いでから、初めての秋を迎え、暖かな冬を越えた。

 芽吹きの季節――春がやってきた。

 

 赤ちゃん救出の一件以来、アラーニェから巣の仲間と認められたカトリーヌは、糸に悩まされることもなく楽しいお掃除生活を送っている。

 

 加えて、未来を知る直感力も研ぎ澄まされて、出来ることが増えていた。

 ゼウトスの皆との関わりのなかで小さな『ぽわん』が訪れる続けている。そのたびに、少しずつ力が強まるのを感じていたのだ。

 

 見えるものの範囲はどんどんと広がっていった。距離的にも、時間的にも。

 はじめはすぐ後に城内で起こることが見えていたが、今では、少し先に、城外で起こることが見えるようになっていた。そのおかげで、事故や火事など、領内の危機を偶然察知して進言することが出来るようになった。

 お城の皆だけではなく、ゼウトスの民の役に立てるというのが嬉しかった。

 

 もうひとつ嬉しいことがあった。

 平和が続くことで、エリン王国とゼウトス王国の民の関係も良好になっていたのだ。

 交易を目的とする商人の行き来からはじまり、民衆も互いの国を訪れるようになっている。長く続く戦争中には考えられなかった変化が、起こっていた。

 

 そんなある春の日のこと。

 カトリーヌはフェリクス王子に連れられて、城下で開かれたバザールに行った。

 

 バザールでは行商人たちが敷布を広げ、エリン王国の品物を売っているという噂だ。

 その話を知った王子が、カトリーヌを誘ってくれたのだ。

 

 初体験のバザールは、通りを歩くだけでカトリーヌの心を躍らせた。道の両脇には露店がびっしりと並んでいる。屋根付きの立派な屋台から、布を敷いただけの店までが揃っている。

屋台の屋根は様々な色の布が張られていた。並べられた生鮮品も、みんな色鮮やかで新鮮だ。目ににぎやかで、カトリーヌは忙しく周囲を見渡していた。

 

「あ! 見てくださいリック様! また『朝採れ』って書いてありますよ! お野菜も果物も、より美味しそうに見えますよね!」

 

「うむ。カティの言う通りだな。確かに『朝採れ』と聞くと旨そうに見える」

 

「ですよねえ!」

 

「ところでカティ……っ! ははっ!」

 

「なに笑ってるんですかリック様……ふふ!」

 

 カトリーヌとフェリクス王子は、仮名を呼び合いながら思わず吹き出してしまう。

 

「しかしさっきの店はエリンからの行商だろう? 今朝採れたものを並べるのは無理ではないか?」

 

 王子がふと冷静になって呟くと、カトリーヌは、分かってないなあというように人差し指を立てて見せた。

 

「新鮮で美味しいものには、『朝採れ』をつけてアピールするってことでしょう。うんうん、商売のコツなんでしょうね」

 

 変装のために被っていた王子のキャスケット帽のつばを、その人差し指でつつきながらカトリーヌが言った。

 

「分かったようなことを……」

 

 そう言って呆れる王子の前に出て、カトリーヌはバザールの通りを進む。

 いつもより地味なワンピースに、ショールで髪を隠したカトリーヌは、躍るような足取りで通りの両側の店を順に見ていった。

 ショールは、アラーニェが吐いたスパイダーシルクで編まれたものだ。

 

 赤ん坊の救出事件のあとしばらくして、そっと部屋に届けられていた。地味な色合いながら、近くで見るとなんとも言えない深い光沢がある。

 手触りも極上で、一部が肌に触れるだけでとろけるような心地がする。

 

「よく似合っているな、そのストール」

 

「こんなに高級なもの、なんだかもったいなくて落ち着かないですけど」

 

「アラーニェは恥ずかしがり屋だからな。精一杯の感謝なんだ、堂々と受け取りなさい」

 

「何度聞いてもくすぐったいです」

 

「どこだ? この首の後ろあたりか?」

 

「ちょっと、本当にくすぐるのやめてください!」

 

 そうしてはしゃいでいると、道の向こうから大声で呼びかけられた。

 

「おーい! そこのヒト族のお二人! 観光だろ? お土産を見ていきなよ!」

 

 オーク族の女性がこちらに向かって手を招いた。

 王子がとっさに帽子をさっと引き下げる。

 どうやら観光客と間違えられたらしい。二人は顔を見合わせると、いたずらっぽく笑って、呼ばれた店に近づいた。

 

 そこは古着屋のようだった。主に女性物の服と、アクセサリーを扱っているらしい。

 吊り下げられた大量のワンピースを見ながら、カトリーヌはあることに気が付いた。

 

「随分と黄色が人気ですね。半分以上が黄色のワンピースだわ」

 

「カティ、こっちも見てみろ。アクセサリーはグリーンがやたらと多い。髪飾りも耳飾りも」

 

「あら、本当ですね。流行っているのかしら?」

 

 揃って首をひねっていると、店主の女性が近づいてきた。

 

「これがゼウトスの『王城風』の流行りなんだよ! エリンから嫁いで来た王太子妃様の、蜂蜜みたいなブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳の美しさといったら! あれ、お嬢さんもエメラルドグリーンの瞳だね。それにそっちのお兄さんは……んん?」

 

 体の大きなオーク族の女店主が、二人の顔を覗き込むようにして言った。

 

(まずい! バレちゃうかも!)

 

「マダム、流行を教えてくれてありがとう。カティに似合う黄色の生地を都合してくれるかい? 一番上等なものがいい」

 

 焦って固まりかけたカトリーヌの腕を引いて、王子が言った。

 

「あら、気前のいい男は好きだよ! とっときのを出してくるね!」

 

 さすが商人といったところで、女店主はころりと態度を変えて店の奥に引っ込んだ。

 

 すぐに光沢のあるレモンイエローの生地を持ってくると、いそいそと紙で包み始める。

 フェリクス王子が気前よく支払うと、気をよくした女店主は二人の正体を疑っていたこともすっかり忘れて、笑顔で店外まで見送ってくれたのだった。

 

「なんとかなりましたね」

 

 ふう、と息を吐いてカトリーヌが言う。

 

「ああ、まだ来たばかりだからな。騒ぎになっては楽しめない」

 

 包みを抱えた王子が、疲れた顔でこたえるのがおかしかった。

 

「ふふ。それにしてもびっくりしましたね。『王城風』のファッションが流行っているなんて」

 

「うむ、城下の流行というものを知る機会は無かったな」

 

「ナントカ風って聞いたら、お料理を想像しますけど。漁師風とか、山賊風とか」

 

「君は本当に食いしん坊だな……」

 

 王子が遠い目をして呟くが、カトリーヌは気にしない。ずり落ちて来たストールを巻き直しながら、ウキウキと先を歩き出した。

 

「おい、気を付けてくれ。君は人気なんだから、ちゃんと顔を隠すんだ」


「え? そんなことないと思いますけど……」

 

 そう言いかけたときだ。

 

「カトリーヌ様⁉ カトリーヌ様だよね! それにフェリクス様! どうしてここに⁉」

 

 通り過ぎようとしていた花屋の奥から、少女の甲高い声が聞こえた。

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