39話 治療蜂の蜜
美味しさに負けて『あ~ん』の恥ずかしさもどこかに行ってしまったカトリーヌ。
腕の傷は、チェリーたちが水に濡らしたタオルで清めてくれる。
痛みにときどき顔をしかめたくなるけれど、次の瞬間には口の中の幸福感で笑顔にもどる。
「カトリーヌ、君に一つ伝えたいことがある」
スプーンを差し出す手を休めず、王子が言った。
「ふぁんふぇしょう?」
「ふふ、君の口は食べることに集中していていい。……君の直感力について、君は無自覚だった。エリン王国にいたころは、同じようなことは無かったのか?」
カトリーヌは無言でうなずきを返した。
「ふむ。そうだろうな、エリンの国王は好戦的だ。戦争に役立つような力を持つ人間を、国外に出したりなどしないだろう……となると、なぜ今、その直感力が発現したのかが疑問だ」
ぶつぶつと呟きながら思考を進める王子。その手は一定のテンポでカトリーヌの口にスープを運んでいる。
カトリーヌもそのテンポに合わせて、どんどんとスープをお腹に収めていく。
その時だった。
「はいはいは〜い! いい雰囲気のところ失礼しますよ。赤の騎士を連れてきましたよ〜!」
陽気なノック三回に、返事も待たずに入室してきたサージウスが声を上げた。
「む、サージウス。やっと来たか」
「ベッドの反対側を失礼しますよっと」
足音も軽く歩いてくるサージウスの後ろに、赤い
頭は全面
「あ、赤の騎士さん、お世話になります。お名前をうかがっても良いですか?」
カトリーヌはなんとか笑顔を作って、不気味な赤の騎士に語りかけた。だが騎士の
「すみませんね〜。こいつ、名前無いんです。
「治療、蜂……?」
「あれ、ご存知なかったですか? ヒト族の間でも、金持ちの間では重宝されているようですがね。これだけ沢山使役しているのは中々ないですよ」
サージウスが自慢げに赤の騎士の肩を抱くと、ぎこちなく動いた赤い鎧の
赤の騎士の手がカトリーヌに伸ばされる。金属の
赤騎士は納得したようにうなずくと、鉄靴を脱ぎだした。靴の中に蜂の姿が見える。見えない
「ちょっと腕みせてー」
「しみるから我慢だよー」
チェリーたちはそれぞれの手に、包帯、水、それから茶色いネバネバとした液体の入った瓶を持っていた。
瓶を持つチェリーの横に視線をずらすと、赤の騎士が片足でフラフラと立っている。
すね当ての先の空っぽの足首の部分から、茶色い液体が床に垂れている。
「この薬、染みになるんだから、すぐに靴履かないとダメだって!」
慌てた様子でそう言いながら、床に膝をついたサージウスが、赤の騎士に鉄靴を履かせようと奮闘するしていた。
カトリーヌの腕が、チェリーによって持ち上げられた。
先ほど清めた傷口に、茶色い液体が塗られる。消毒液のようなツンとした匂いがあるが、水ほどは染みなかった。塗られた端から傷口がほんのりと温まり、肌が蘇っていくのが分かる。
「だ。この傷ならば、半日ほどで消えるだろう」
「ふぁんにひで?」
次のひとさじをカトリーヌに差し出しながら、王子が教えてくれる。カトリーヌは素直にスープを食べながら、驚きの声を上げた。
続いて、赤の騎士は金属製の
籠手を外した肘当ての先には、当たり前だが何もない。いつの間にか赤の騎士の隣に立っていたサージウスが、肘の下に陶器製のカップをそえる。
黄金色の蜜が、カップの中に垂れ落ちた。
「チェリー! お湯をこれに注いでくれ。あ! 混ぜるのは木のスプーンでよろしく!」
「治癒蜂の蜜は、金属を嫌う」
サージウスがチェリーに指示を出す横で、フェリクス王子が耳打ちして教えてくれた。
ほどなくして、チェリーたちによってに運ばれてきたカップは、甘い香りで満たされていた。
王子が、カップを口元で支えて飲ませてくれる。
味は普通の蜂蜜とほとんど変わらず、甘さのなかにかすかに草のような風味がある。おいしい。と正直に思った。やさしい甘さがじんわりと体に染み込んでいく。
チェリーたちが音もなく近寄ってきて、カトリーヌの手から飲み終えたカップを取り上げる。
くんくん、とカップを嗅いだチェリーは、「もう無くなっちゃったのー?」と不満の声をあげた。
「こらっ! カトリーヌ様のための
「だってえ、アタシたちは蜜がだいすきなんだよー」
「花の精なんだからねー」
じりじりと赤の騎士を取り囲みながら、チェリーたちが反論する。
赤の騎士は羽音を立てながら、部屋から出て行った。
「チェリーが群がっちまうから、赤の騎士は城に待機させらんないんすよねえ」
サージウスが困ったように言うので、カトリーヌは可笑しくなった。
* * *
赤ん坊を助けてから少し後のこと。
怪我を治したカトリーヌとフェリクス王子は、やっと落ち着いた夜を迎えた。
それ以来、王子は訪問のたびに、律儀にマダラ薔薇を持ってきてくれる。
あまりに足
「もうミノス王様の古い恋愛指南書のとおりになさらなくても良いのでは?」
とカトリーヌが訴えると、王子も「指南書にはやめ時が書いてなくてな」と苦笑する。
「ふふ。花が
カトリーヌはそう言って、
咲き誇る薔薇の香りに包まれながら、幸せな時間が過ぎていった。
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