38話 一件落着?

「――というわけで、カトリーヌがこの赤ん坊を助けたのです」

 

 カトリーヌの肩を支えながら、フェリクス王子が語りを終えた。

 説明を聞きながら、驚いたり考え込んだりと、忙しく反応していたカーラ王妃は、ついには王子とカトリーヌをまとめてつるで包んで撫でた。

 

「まあまあまあ! ありがとうカトリーヌちゃん! 坊やのおくるみがほどけて、いつの間にか動いてどこかに行ってしまっていたの。おくるみがほどけるというのは、歩けるようになったという合図なのだけれど、そのときに目を離していると事故が起こることもあって……本当に心配していたの」

 

 カトリーヌを抱きしめる王妃の腕が、小さく震えた。

 

「……私とアラーニェが目を離していたからよ。アラーニェの坊やになにかあったら、彼女はどれだけ後悔したでしょう。ありがとうカトリーヌちゃん」

 

 王妃が涙をにじませながら言った。王妃の後ろで、アラーニェもうんうんと頭を動かしている。

 

「そんな、私はなにもしていないです。ただ、なんでしょう、『見えた』だけなんです。それで、夢中で大広間に来て、でも一人では無理で……赤ちゃんを助けられたのは、皆さんのお陰です。お礼は私から皆さんに伝えたいくらいなんです」

 

 カトリーヌはそう言うと、振り向いて大広間に揃う面々を眺める。はしごになってくれたチェリーたち、赤ん坊と王子を受け止めてくれたアマデウス将軍、サージウス……はあまり活躍の場がなかったけれど。

 そして何より、赤ん坊を助けるために高いところにまで登ってくれた、フェリクス王子。

 

「皆さん、本当に、ありがとうございました! 私が勝手に動いていたから、さらに余計なご心配までおかけして、すみませんでした!」

 

 深く頭を下げてカトリーヌが言うと、王子が、労わるように肩を抱いてくれた。

 それから、血のにじむカトリーヌの腕に触れて眉根を寄せた。

 

「治癒(ヒール)は使えないのだが、冷やすことくらいは出来る」


 カトリーヌの傷を撫でる指先から、冷たい気が送られてくる。傷の熱が痛みと一緒に奪われていき、気持ちがいい。

 自然と瞼が下り、腕の力が抜け、肩と腰が重くなり、疲労が脚に伝わって――。

 

(あれ、私……)

 

「カトリーヌ⁉ カトリーヌ‼」

 

 膝から崩れ落ちそうになったところを、王子に支えられた。

 

「サージウス! 今すぐ赤の騎士を呼べ! チェリーたちは水とタオルを用意しろ! 僕はカトリーヌを部屋に運ぶ!」

 

 王子の声が頭に響いて眩暈がする。カトリーヌが、大丈夫です、と言おうとしたときだ。体がふわりと持ち上げられた。一瞬、何が起こったか分からなかった。王子の腕の中で、横抱きにされていると気づいた時には、もう王子は足早に広間を飛び出していた。

 

 そのとき、カトリーヌは体に起きつつある異変に気付いた。

 今日二度目の感覚。それは……。

 

(ウソ! ウソでしょ! お腹が猛烈に空いてきてる! ダメダメダメ! 今お腹が鳴ったら絶対ダメ!)

 

「フェリクス様! も、もう大丈夫です! 下ろしてください!」

 

 急に暴れ出したカトリーヌに、フェリクスは不思議な顔をしつつ、抱きしめる腕に力を込めた。

 

「暴れないでくれ。君はさっき、倒れかけたんだぞ」

 

「でも、とにかくダメなんです! お願いだから下ろして!」

 

「そんな話、聞けるわけがないだろう」

 

 ジタバタと暴れるカトリーヌと、さらに強く抱きしめる王子。何だ何だ、とみんなの注目が集まる。

 

(もうヤダ! もしかして毎回こうなるの⁉)

 

 カトリーヌが諦めて顔を両手で覆ったのと同時に、

 

 ぐぅううぅぅーーー!

 

 というお腹の音が、大広間の高い高い天井に届いたのだった。

 

 結局、お腹を鳴らしたまま王子に抱えられて、自分の部屋のベッドまで運ばれることになった。

 顔を覆っていたので、道中の王子の表情は見ていない。恥ずかしいやら、お腹が空いたやら、体が痛いやらでもうわけが分からない。

 

 そうしているうちに、柔らかなベッドに横たえられ、体の上を渡すようにベッドトレイが置かれる気配がする。それでもまだ目をつぶって現実逃避をしていると、チェリーの足音とともに、旨味を煮詰めたような独特の香りが近づいてくる。

 ヒュドラーの生き血のスープだ。

 思わずカトリーヌは目を開けて、体を起こした。背中にそっと、大きな手のひらが当てられる。

 

「急に起き上がるな。血を失ったばかりだろう」

 

 目の前に王子の顔がある。気遣わしげな表情のなかに、カトリーヌが心配するような感情――呆れや落胆は見当たらなかった。

 

「あ、あの、あの、私。あのお腹の音は違うんです。普段はあんな風じゃないんですっ!」

 

 一息に言うカトリーヌの額を、王子が優しくなでる。

 

「分かっている。君は何らかの鋭い直感力を持っているようだ。詳細は分からないが……力は力。体力も使うし、腹が減ることもあるだろう。それに、」

 

 言葉を区切って、フェリクス王子はカトリーヌの耳に口を寄せた。

 

「君のお腹の音もくしゃみの音も、全部が愛しくてたまらない、と言って信じてもらえるだろうか?」

 

「フェリクス様……?」

 

 嬉しく思うべきなのだろうか、と困ったカトリーヌの目に、ベッドトレイに載せられたスープ皿とパンが目に入った。

 極限の空腹状態で、目の前には大好物のスープがある。つい、手がスプーンに伸びる。スプーンを掴んだところで、カトリーヌの手を王子が捕まえる。

 

「えっ?」

 

「そう警戒するな。なにもスープを食べるなとも言わないし、今日に限っては、一杯までだとも言わない」

 

「じゃあ、どういうことです?」

 

 困惑するカトリーヌの手から、王子がスプーンを抜き取って言う。

 

「君は腕を怪我しているんだ。手当をすすめながら、体力も回復してもらう。つまり、僕が君の手になろう。今日の夕食が君の好物のスープで良かったな、ゴーシュが大急ぎで仕上げてくれたぞ」

 

 王子はすました顔をしているけれど、口の端だけが面白そうに上がっている。

 

「それって、ちょっと恥ずかしいような」

 

 とカトリーヌが言いかけたところで、目の前にスープを掬ったスプーンが差し出された。反射的に口をあけて、スープを口に運んでもらう。ミルクを飲ませてもらう子猫のように。

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