35話 赤ちゃん蜘蛛救出作戦・1
部屋に残ったカトリーヌは、窓際のキャビネットの上に、拾い集めたマダラ薔薇を飾った。
その表情は冴えない。
ぱりん、と胸の中で何かが弾けた後にやってきた恐ろしいイメージが、心を捕えて離さない。
(まさかあんな恐ろしいことが起こるわけ無いわよね。雨の気配を感じたのは、偶然、だよね)
そう思っていても落ち着かないのは、イメージがあまりに鮮明で、恐ろしかったことが理由だ。
未来を見るたのだとしたら。そんな力が本当に自分にあるのだとしたら……。
(うーん、やっぱり気になって落ち着かない! 何も無ければそれで良いじゃない。うん)
カトリーヌは無言のまま体を反転させて、扉に向かった。
羽根ペンが、どうしたんだと言うようにカトリーヌの周りを飛び回る。でもカトリーヌはそれどころではなかった。
見えてしまったあるイメージを思い出して、向かうべき場所を探る。
(あのとき見えたシャンデリアは、おそらく大広間のものだわ)
ドアハンドルに手をかけた瞬間、カトリーヌは重大なことに気が付いた。一人で出歩けないのだ。
そんなカトリーヌの隣で、羽根ペンは心配するようにふよふよと羽ばたいていた。
「そうだわ! 羽根ペンさん! 羽根ペンさんもアラーニェの糸にかからないのよね?」
いかにもというようにペンがうなずく。しかし、突然ぴんと真っ直ぐになると、外を指し、カトリーヌの全身を上から下まで指し、最後には「だめだ」というように羽根を左右に振った。
「ああ、私と大きさが違いすぎるからダメって言いたいのね。大丈夫、私はここで待っているから、誰かを呼んできてくれないかしら。緊急なの! お願い!」
始めは渋っていた羽根ペンだが、最後には扉の外へと飛んで出て行ってくれた。そしてすぐに、チェリーを一人連れて来てくれたのだ。
もっとも、連れて来たというより、羽根にくすぐられて逃げるチェリーをカトリーヌの部屋の前にまで誘導したという風だったけれど。
そうして、チェリーを抱えて、一緒に大広間へと向かったのだった。
「大変大変、たいへんだよー!」
主塔の天守にある王子の自室に、一人のチェリーが飛び込んできた。カトリーヌが大広間へと向かってから、しばらく経った後のことだった。
「む。どうした? チェリーが一人で来るとは珍しい」
「大変なんだよーカトリーヌさまが大変なのー!」
チェリーが泣き出しそうな声で言う。
そこに、他のチェリーたちも次々に集まってきた。最初のチェリーに同調しているのか、みんな不安げな顔をしていた。
「カトリーヌがどうしたと言うのだ!」
「アラーニェの赤ちゃんがねー」
「大広間にね、カトリーヌさまが椅子に乗ってねー」
「シャンデリアがぐらぐらしてねー」
「助けなきゃってー」
記憶を共有しているチェリーたちが興奮して口々に言うものだから、要領を得ない。
「とにかく、大広間なんだな? すぐに向かう!」
焦れた王子は、そう叫ぶと部屋を飛び出した。
「フェリクス様なにしてるんすか?」
いつの間にかサージウスが後ろについて走っていた。
「知らん! だがカトリーヌが大広間で大変なことになっているらしい! アラーニェの赤ん坊がどうとかも聞いたが、チェリーたちの話では良く分からん」
「へ? アラーニェの坊やとカトリーヌ様が? あ! アマデウス将軍だ。しょうぐーん!」
「うぉい! 王子殿なにをされておりますかぁ! 我もお供つかまつりますぞぉ!」
サージウスが手を振る先には、曲がり角を曲がってきたところのアマデウス将軍がいた。
黒衣の将軍の声は相変わらず雷鳴のように大きい。
「勝手にしろ!」
走りながらどんどんと膨れていく集団に向けて、王子はやけくそで声を張り上げた。
一同は連なって大広間へと突入する。
「カトリーヌ!」
転がり込むように大広間に足を踏み入れた一団。その先頭に立つ王子が、悲鳴に近い声を上げた。
「フェリクス様! ちょうどよかった! シャンデリアに、アラーニェの赤ちゃんがぶら下がってるんです! おくるみの糸がほどけて、引っかかったみたいで!」
架台を運び、その上に椅子を乗せた不安定な足場に立つカトリーヌが、頭上のシャンデリアを見上げて言った。手にはホウキを握っている。
カトリーヌがホウキの柄を伸ばす先、赤ん坊がシャンデリアにぶら下がっていた。
織り込まれたスパイダーシルクが、お腹のところに輪になっている。元はおくるみになっていたものなので、ほかの部分はほどけてしまったのだろう。そのほどけた糸がシャンデリアに絡んでしまったのだ。
キイキイと鳴く赤ん坊が手足を動かすと、糸がくるくるとねじれ、宙吊りのまま回転する。赤ん坊を吊り下げている細い糸は頼りなく、今にも落下しそうだ。
赤ん坊は天使のように可愛らしい顔で笑っている。しかし手足は短く、また、生え方も本数も蜘蛛のそれだ。八本の手足が体の脇から生えていた。
「一刻を争うんです! ……わっ、ととと」
カトリーヌがホウキをシャンデリアに向けて伸ばすと、足元の台がぐらぐらと揺れる。
「ヒュッ」と王子が、喉から息を漏らす。
「ひぇ」「なんと!」「いやー!」
背後の面々が思い思いの悲鳴を上げるなか、王子はカトリーヌの元に駆けて行った。台のもとに到着すると、王子はしがみつくようにして椅子を支える。
「分かったから、降りてくれ! 椅子を抑えるから、慎重にだ! 後は僕たちがやるから!」
王子の叫びには、切実な焦りと苛立ちが表れていた。
「あと少しなので、椅子を抑えていてくれれば大丈夫です! いつ糸が切れるか分からないんですよ⁉ さっきから何度か、ブチブチって嫌な音がしてるんです」
カトリーヌも譲らない。
彼女が見たのは、シャンデリアから落下して大けがを負う赤ん坊のイメージと、アラーニェと王妃が涙を流す光景だった。絶対に、あんな悲しみを現実になんかしてはいけない。その思いがカトリーヌを頑固にしていた。
それに、赤ん坊が痛いとか苦しい思いをするなんて、耐えられない。
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