33話 いきなり呼び捨てですか!?

 王妃が退室するのと入れ替わるように、チェリーたちが大皿に山盛りのクッキーとパン、それに果物を持ってきてくれた。優に三人分はありそうなそれを、カトリーヌはぺろりと平らげてしまった。

 さすがに自分で自分が怖いと思う食欲だ。

 

 食べ終えたお皿を見てびっくりしているところに、お湯の準備が出来たとチェリーが報せに来た。

 それで、自分に何が起こっているのか信じられない気持ちのまま、入浴した。


 

 お湯に浸かって落ち着いたところで、フェリクス王子の言葉を思い出すした。

 

(色々あってすっかり忘れていたけれど、執務室でのフェリクス様の言葉ってだよね? 夜に訪ねたいって、言ってたものね?)

 

 ずっと王子の訪問を待っていたのに、それを今夜に控えると、とたんに迷いと不安が出てきてしまう。

 不安なことは他にもあった。


 カトリーヌは、ぽっこり膨らんだお腹をそっと撫でる。

 あの空腹感は力を使った影響だ、というカーラ王妃の言葉を信じることが出来れば、話は簡単だ。

 でも、カトリーヌはどうしても自分に力があると思えない。

 しかしそうなると、今度は異常な食欲の説明がつかない。堂々巡りだ。

 

 鼻の上まで湯に沈めて、目を閉じる。とにかく今考えるのは今夜どうするか、だ。食欲の謎は、一旦おいておくことにする。

 王子の気持ちも事情も、気になっていたのに、カトリーヌから聞いてみることは無かった。

 遠慮しないで聞いていれば、王子も事情を話してくれたはずなのに。一人で勝手に不安に思っていた。

 それで、今度は本当に王子が訪ねて来てくれるとなって、迷っている。

 

(そうか。私、自分の気持ちをまだフェリクス様に伝えられてないんだ。それに、私が素敵な王女様じゃないってことも、告白出来てない。うじうじしている間に、どんどん言い出しにくくなってたのね)

 

 まったく、羽根ペンの言う通りだった。以前、乱暴に書きつけられた言葉を思い出す。

『お上品ぶった気持ち悪い言葉をやめて、お前の本当の心を伝えろよ。あの王子は鈍いから遠まわしは通じないぞ』

 

(うう、若干イラっとするけど、やっぱり正しいかも。よし! 正直に、気持ちを伝えよう! 決まり! もうどうなっても知らない! これ以上考えない!)

 

 半ばやけくそ気味に、カトリーヌの決意は固まった。


 

 

 冷えた体を温めて浴室から出ると、チェリーが待ち構えていた。

 何だか急いだ様子で口々に言うのを根気よくききとると、王子が食堂で待っている、ということだった。うっかりして昼食の時間を過ぎてしまったらしい。

 そんなわけで、乾かしただけの髪を揺らしながら、食堂へと急ぐことになった。

 

「息が切れているが、どうした?」

 

 駆け込んできたカトリーヌを見て、王子が言う。

 

「いえ、急いできたもので。お待たせしたうえに、こんな装いですみません」

 

「冷えた体を温めることが最優先だ。それに、貴女を待つ時間も僕は楽しい」

 

 さらりと言われて、カトリーヌはまた赤くなる。

 

 メニューはクラッカーに、スープに、ゆでたまご。

 山盛りのお菓子と果物を食べたあとだというのに、お腹の空き具合はいつもの昼食どきと変わらなかった。まるで一旦リセットされたかのようだ。

 ますますおかしな食欲だ、とカトリーヌは不思議に思う。

 

「あっ、そういえば、今日は朝食も午前のお茶もご一緒できませんでした! そのうえ昼食にまで遅れてしまって……」

 

「事情は聞いている。それに、母君は貴女と話せて嬉しそうだった。僕も貴女の話を聞きたい」

 

 王子の微笑みは柔らかで、カトリーヌの心を優しくくすぐる。と、同時に、どこまで聞いたのか心配にもなる。

 

(お腹の音の件と山盛りクッキーの件は話してませんよね、カーラ様。ほんっとうに、頼みますよ!)

 

 祈りながら、カトリーヌは、洗濯の仕方からそのあとの豪雨の件まで一息に話した。

 未来を見たかも、ということに関しては、雨の予感がしたという程度にとどめた。

 

 蔓から水が出るくだりでは、「あれは母君の魔力で動かしているからな、貴女が感じた冷気は、魔力と交じった水の気だろう」と王子が教えてくれた。

 

 しかしその水の気がカトリーヌの中に入り込み、しかも弾き返されて出て行ったように感じたというのは、王子にも良く分からないと言う。

 

「母君は城内を守る役目でもあるからな。母君の魔力にはその意思が乗っている。知らない力の存在を察知したらそれを探るように働くことは考えられるが」

 

「でも私には力なんてないはずですよ」

 

「ふむ、そうだとすれば、やはり分からないな」

 

 それ以上は疑問に思わなかったようで、「とにかく、貴女のおかげでチェリーたちが助かったんだな」と微笑んでくれた。そして、続けてこう言ったのだ。

 

「ふむ、貴女は今とても活き活きと話していた。その姿が本来の貴女だろうというのも分かった。不自由に気付けていなかった僕を、許してほしい。夫として反省している」

 

「そんな、私がちゃんとお話ししていなかったからです」

 

「いや、僕が鈍かったんだ。理由も話さず、一週間も仕事にかかってしまったし。……気恥ずかしさがあったのも確かだが、そんなことは言い訳にもならないだろう。こんな僕が今夜にでも貴女の愛を求めようなんて、性急だったかもしれない」

 

「ぅっ! んなっ!」

 

 突然の直球発言に、カトリーヌはクラッカーを喉に詰まらせそうになった。急いで水で流し込み、息を整えてからカトリーヌは答える。

 

「わ、私も、もっと早くお話ししたら良かったんです。私、すごく自信がなくて、妻として受け入れてくださっているのか知るのが不安で、何もお聞きできませんでした。お仕事の事情も、フェリクス様の気持ちも。……あの、その辺りのお話しを、ゆっくりと出来たら嬉しいです。時間は、いつでも良いのですけれど……夜、でも」

 

 言いながら、どんどんと顔が熱くなっていくのを感じる。途中から視線はテーブルの上に落ちてしまい、王子の顔は見られそうにない。無言が気まずくて、うつむいたまま言葉を重ねる。

 

「あの、夫としての責務だけで気を遣って頂いているなら、別に良いんです! 私はフェリクス様を、お、お慕いしてますけどもっ! 本当は優雅な王女様では無いんです。ダメ王女なんです! それでも、」

 

 と言いかけたところで、「フフッ」と王子が笑いを漏らすのが聞こえた。思わず顔を上げると、今まで見た中で一番分かりやすく、王子は笑っていた。

 

「ハハッ、貴女は本当に可愛らしい。気取っているのはお互い様だ。貴女が嫁いで来た日の夜、元気なくしゃみをしたな。そのときに僕は言ったはずだ、『無理に上品にしなくても、そのままで十分に素敵だ』と」

 

 ……。

 

 カトリーヌは一瞬何のことか考えて、羽根ペンに鼻をくすぐられたことを思い出した。あのときに王子が言っていた言葉は、それだったのか。

 

「じゃ、じゃあ、ずーっと、『こいつ変な話し方で無理してるな』って思われていたということですか⁉」

 

「変とは思っていないぞ。君が窮屈そうだと思っただけだ。カトリーヌ」

 

 いたずらっぽく王子が言った。

 

「き、君っ⁉ 呼び捨てっ⁉」

 

 口をはくはくとさせて単語だけを発するカトリーヌを見て、王子はまた笑う。

 

「君の元に後で花を届けよう。夜まで君が僕を覚えていてくれるように」

 

「は、はひ……わかりました」

 

 喉がカラカラになったカトリーヌは、また水のカップに手を伸ばした。

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