32話 王妃様とのお茶会

 雨はあっという間に止んだ。

 チェリーたちと洗濯物は無事だったけれど、カトリーヌのワンピースからは水が滴っている。洗濯物をチェリーに任せて、カトリーヌは着替えに戻ることにした。

 

 主塔に戻ったカトリーヌは、待ち構えるようにして居たカーラ王妃に出迎えられた。

 王妃の腕には、赤ん坊の姿がある。赤ん坊は柔らかな糸でやさしくくるまれて、繭から顔が生えたようになっていた。


「そんなことより、すぐに着替えなくてはね」


 王妃は手近なチェリーを呼び寄せ、着替えと紅茶をカトリーヌの部屋に用意すること、入浴の準備をすること、などてきぱきと指示を出していく。


「みんなで協力するのよ」


 と背中を叩かれたチェリーは、蔓をもつれさせんばかりの勢いで、準備のために走って行った。

 

 

「さて、あとはカトリーヌちゃんをお部屋に連れて行くために……」


 と王妃が、別のチェリーを呼びつけようとした時だった。

 

 王妃のに抱かれている赤ん坊が「キピィ……」という声を出して、顔をくしゃくしゃにした。

 顔全体が茹だったように赤くなっている。号泣の気配にその場の皆が緊張した瞬間、赤ん坊は大きな泣き声をあげた。


「ピィィィーーーー‼ ギィキィイィーーーー‼」


 錆びた蝶番の立てる音に似た、思わず耳を抑えたくなる高音。カトリーヌの知る赤ん坊の泣き声とは違った。

 

「あらいけない。泣かせたら彼女に怒られちゃうわ。ほら! 角のところで覗いているそこのチェリー! カトリーヌちゃんを部屋に案内して! あ、カトリーヌちゃん。あとで部屋を訊ねてもいいかしら?」

 

「は、はい! ありがとうございます! お待ちしています、ですわ!」

 

 カトリーヌの返事を背中で受けるかたちで、王妃は足早に去っていった。



 

 そして今、カトリーヌはがちがちに緊張している。彼女の部屋にカーラ王妃が訪ねて来ているからだ。


「寒くはない? いまお湯を張らせているところだから、その間お話ししましょう?」

 

「は、いえ、はい。その、お話しとは?」

 

 チェリーたちと一緒に洗濯をして、豪雨に降られてみっともない姿で帰ってきたのだ。

 フェリクス王子の妻としてふさわしくない振る舞いだと言われるのかもしれない。カトリーヌはしどろもどろだ。


「そうねえ、ご令嬢の集まるお茶会というものに憧れているのよね。どういった話をしたらいいのかしら?」


 そう訊ねられても、カトリーヌだってお茶会の経験はない。

 必死で話題を探して、やっと思い浮かんだのは先ほどの赤ん坊のことだ。


「で、では、世間話というものを。ええと、先ほど抱いていらした可愛い赤ん坊はどなたかの?」

 

「蜘蛛女のアラーニェの子よ。彼女が側にいてやれない時に、抱いてやっているの。赤ん坊って本当に愛らしいわ。そう思わない?」

 

「ええ、本当に可愛らしかったです。あの繭が、アラーニェさんの糸なのですね。あれ? でも、アラーニェさんの糸で赤ん坊を包んで大丈夫なんでしょうか? とても切れ味鋭いと聞いていますけれど……」

 

 自分を悩ませる『糸』の存在を思いながら答えると、カーラ王妃はにっこりと笑った。

 

「赤ん坊を生んだあとの一定期間、赤ん坊のために柔らかな糸を吐くのよ。シルクよりもよほど上質で貴重。スパイダーシルクとも呼ばれているわね」

 

「なるほど。有名なスパイダーシルクとは、赤ん坊のための糸だったのですね」

 

 それならばカトリーヌも聞いたことがある。義妹のアンヌが国王にねだっていたけれど、出入り商人のつてを使っても手に入らないと困っていたものだ。

 それだけ希少である理由を知って、カトリーヌは深く頷いた。

 

「アラーニェについて、他に私に聞きたいことは無いの? 頼みたいことでもいいのよ?」

 

「……いいえ、ありません」

 

 探るように訊ねられて、カトリーヌは静かに首を振る。王妃は不思議と満足そうに笑った。

 

「そう! ふふ、それならばいいのよ。じゃあ別のお話しをしましょう! 今日はチェリーたちとどんな遊びをしたのかしら。あら、恐縮しないでちょうだいな。私、楽しい話が大好きなだけなのよ」

 

 きた、とカトリーヌは罠にかかったウサギのような心地のまま、顛末を話すことになった。きっとはしたないと思われる、とびくびくとしながら。

 しかし、カトリーヌの予想は良いほうに裏切られた。

 

「まあまあまあ! ではあなたには、未来が見えたのね! 素敵だわ! とっても素敵!」

 

 王妃が感激を表した。心からの言葉であることが伝わってきた。

 しかし未来が見えた、というのは大げさだ。自分には何の力も才も無いのだから。

 

「ぼやっとそう見えた、いえ、感じたというか。勘ですわ!」

 

 慌ててカトリーヌは首を振った。

 

「そうかしら? 私、カトリーヌちゃんからは力の存在を感じるのだけれど」

 

「まさか、そんなはずありません! それより、メイドの服を着てお洗濯をしたなんて、フェリクス様の妻にふさわしくないとお思いじゃないですか?」

 

「あら! 関係ないじゃない! お洗濯の話をするときのあなた、とっても楽しそうな顔をしていたわ。カトリーヌちゃんが楽しいなら何でもやったらいいのよ。それより、カトリーヌちゃんは何か体に異変はないの? 力を使ったのは初めて?」

 

「初めてっていうか、力なんて無いんです。異変が起こるなんて……」

 

 そうカトリーヌが言いかけたときだ。

 

 ぐうぅぅーぐぅーーーー

 

 カトリーヌのお腹の音が響いた。そして、今まで感じたことのない、強烈な空腹感が襲ってきた。

 

(なに? どういうこと⁉ は、恥ずかしいけど、お腹が空きすぎて何も考えられない!)

 

 混乱のまま顔を覆うカトリーヌの前で、カーラ王妃が立ち上がる。

 

「チェリーたち! カトリーヌちゃんに何かお菓子を持ってきてあげて。たっぷりとね。私は帰ることにするわ」

 

「カーラ様、すみません。はしたないところばっかりで」

 

「あら。謝ることなんてなくてよ」

 

 そう言うと、カーラ王妃はカトリーヌの側によって、蔓の脚を沈めて顔の高さを合わせてくれる。両肩に王妃の手のひらが乗せられた。

 

「私が居ては食べづらいでしょう? きっと初めてのことで、そう、初めてのお洗濯で、お腹が空っぽになってしまったのよ。もしかしたら、力を使った影響かもしれないけれど、まだ分からないものね?」

 

「は、はい。そうですね、お洗濯、初めて……です」

 

 戸惑いながらそう答える。と、王妃に突然抱きすくめられた。

 

「カーラ様⁉」

 

「体が冷えていてよ。沢山食べて、しっかりお湯で温まることね。あなたは私の可愛い娘になったのですもの、疲れていたら心配してしまうわ」

 

 母とは似ていないのに、なぜか母に抱きしめられているような感じがした。懐かしさに、胸がいっぱいになる。そのとき。

 

『ぽわん』

 

 また、胸の中心で、例の感覚がある。胸が温かくなって、全身に力が巡る感覚があるのは一緒だけれど、ピリピリと痺れるような感覚が加わった。

 

(なんだか、『ぽわん』がどんどん強くなっているような気がするわ……)


 王妃の腕の中で、そんなことを思った。

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