30話 お洗濯しましょう!
「さて、では始めましょう!」
魔王城の主塔から少し離れた側塔に、カトリーヌは居た。
側塔の壁に這い絡み合う太い蔓があり、それを見上げるカトリーヌの周りには七人のチェリーが集まっている。
チェリーたちは、お揃いのメイド服を着たカトリーヌにひとしきりはしゃいだ後だ。明るい陽光の下で見るチェリーの髪は、いつもより鮮やかに見えた。
「何からやればいいかしら? いつものやり方を教えてちょうだい」
「まずはねーお洗濯だよ」
カトリーヌのスカートを引いて、チェリーの一人がそう教えてくれる。
日が昇りきってから洗濯とは、と、思いかけて、そういえばチェリーは花の精であったことを思い出した。日の昇らないうちから活動するというのは無理だろう。
エリン王国の王城で使用人として働いていたときの、まだ暗く寒い時間に、冷たい水を汲む生活が蘇る。
それが日常だったからカトリーヌは受け入れていたけれど、チェリーがそうして働くところを想像すると、可哀想だ。チェリーは小さな体で頑張ってくれている。だから、これからのカトリーヌの『当たり前』の方を変えることにする。つまり『洗濯は日が昇ってからのんびりと』である。
「じゃあ、お水を汲まないとね。暖かい季節だから、手がかじかまなくて良いね! 寒い季節の水汲みって、本当に大変で」
「カトリーヌさま、お水くむのー?」
「冷たいお水をー?」
「あ、っっっと、そうね、大変だって聞いたの。前のお城でね」
焦って言い繕うが、チェリーたちは何も気にしていない様子で話を続ける。
「お水はねー、くまないよ」
「アタシたち花の精だよ」
「花と土とお水は仲良しなんだからね」
「カーラさまはすごいんだよ」
そう言ってチェリーたちは、カトリーヌの両腕にぶら下がるようにして、太い蔓の根本へと引っ張っていく。
蔓の根本に集まると、チェリーたちはその表面に両手の平をあてる。カトリーヌさまも、と促されて、カトリーヌも蔓の表面に片手を添えた。
「両手だってばー」
「いいのよ、私は片手で」
「でもカトリーヌさまと一緒に手を当ててっていわれたよー」
「カーラさまが言ってたよー」
「そうなのね。でも片手でも変わらないと思うわ。ちゃんと当てるからね」
チェリーの言葉に苦笑して答える、そんなやり取りがあった。
きっとカーラ王妃の力を使って、地面から水を吸い上げる仕組みがあるのだろうと予想は出来た。チェリーたちが蔓に触れると、蔓に通る王妃の力を発動させるためのスイッチのように作動するのだろう。ヒト族よりも魔力の多い魔族ならではの方法だ。
一応、似たような道具がエリンの王城にもあった。水の精霊の加護を受けた魔石を使用した魔道具だ。侍女の一人が使っているのを見たことがあるが、彼女は水の精霊を祀る、尊い家の娘だった。
でも……、とカトリーヌは考える。
(私は無才無能のカトリーヌだもの。何の力も持たない私が触れたところで、意味は無いと思うわ)
出そうになったため息を飲み込んだ、そのときだ。
蔓の表面が、ぬるりと蠢いた。
驚いて手を離す。手には何の変化もない。顔を近づけて蔓の表面を見るが、こちらも見た目に変わったところはない。
恐る恐る、もう一度蔓に手を添えてみる。今度は両手だ。すると、触れた部分からやはり、粘度のある水気を感じる。蔓の表面が鼓動のように脈打っているのも感じる。
目を閉じて集中してみると、冷気が手の平から流れ込んできて、カトリーヌの体を巡る。しかし、胸のあたりで何かにせき止められ、冷気はそこで消えた。
胸の中心がちくちくと痛み出す。冷気がせき止められた辺りだ。胸の内側に熱い気が生まれる。流れ込んできた冷気を、熱によって追い出そうとしているような感じがした。
「あ」
チェリーのうちの誰かが、間の抜けた声をあげた。
次の瞬間、カトリーヌの目の前に筒が飛び出してくる。反射的に数歩下がる間に、筒は先端を下向きに曲げてポンプの口のようになる。ドドド、と足元の地下深くから振動が伝わってくる。
「いそげ、いそげ」
そう言ってチェリーがバケツを運んでくる。ポンプの口の下にバケツが置かれるのと同時に、筒から勢いよく水が吐き出された。飛沫がはねて、カトリーヌの頬を冷たく濡らす。目の前できらきらと、水の粒が光を照り返す。
「せいこーう」
「わーい涼しいねー」
「もっとバケツ持ってきてよー」
走り回るチェリーの真ん中で、カトリーヌは呆然として目の前の光景をながめた。
こんなに強い魔力が働いているのを見るのは初めてだ。
「カトリーヌさま濡れちゃったねー」
「お水かかってびっくりしたー?」
「大丈夫よ。カーラ様のお力はすごいのね。きれいなお水があっという間に溜まっていくわ」
視線の先、すでに三つ目のバケツがいっぱいになろうとしている。
「さあ、お洗濯開始ね!」
カトリーヌが宣言した。
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