第16話 大改変

「……分かった」


 王子は重いため息をつくと、疲れ果てた様子でベッドに座り込んだ。

 そのまま頭を抱えていたかと思うと、突然、倒れるようにベッドに仰向けになる。


「あーーーーーーーーー! もーーーーーー! なんでカトリーヌなんだよ!」


 仰向けのまま顔を覆って、王子は自棄糞のように声を上げた。


「嫌だ嫌だ嫌だ! なんでだよ! 先見の力なんて、そんな残酷な力を、どうしてカトリーヌが負わないといけないんだ!」


 足をバタつかせて、次いで、顔を覆っていた手を広げて腕もバタつかせる。駄々をこねる幼児のようだった。

 初めて見る王子の姿に、カトリーヌは唖然として目を見張るしかない。

 無表情の仮面の下には、様々な感情が隠れていると、知ってはいた。しかし、これほど激しくて純粋な、子どものような顔が現れるとまでは思っていなかった。


「嫌だーーーーーーー!!!」


 最後にそう叫ぶと、王子は脱力して、ぼうっと天蓋を見つめた。

 落ち着いたのだろうか。静かになった王子を眺め、カトリーヌはおずおずと口を開いた。

 

「フェリクス様、大丈夫です。未来は変えられますから。魔王様に進言して、湾の守りを固めてもらうだけですわ」


「それが嫌なんだよ……。だってそんな大改変を起こしたら、君の身体がどうなるか分かるだろ。でも君はどうせ、自分が犠牲になれば良いなんて言うんだろ。そんなの絶対に嫌だ」

 

 朝の光が差し込んで、王子が寝転がるベッドを横切る。

 紫の瞳が、潤んで光を反射していた。

 

「ねえ、カトリーヌ。僕たちはやるしかないのかな。君を失うかもしれないのに、それでも城と領地を守るべきなのかな。一緒に逃げ……」


「いけません。守るのは、城と領地ではありません。人間と魔族、全ての民の平和と幸福です。戦火に苦しみ、死んでいく者を無くしたいんです。それに、魔王城の皆さんの手を、また戦いの血で染めたくないのです」


 きっぱりと告げる。

 先見の光景と、自らの死の恐怖に怯えるカトリーヌは居なくなっていた。

 

「それに、今まで小さな改変を繰り返しても、ちょっと疲れるくらいだった私ですよ! もしかしたら、大改変を起こしても、なんともないかもしれないじゃないですか!」


 努めて明るい声を作って言うと、カトリーヌは王子の手を取った。

 さらさらと、透けるアラーニェの糸のショールが王子の腕にかかる。光を反射して、ショールは七色に輝いた。

 ショール越しにカトリーヌを見上げた王子は、まぶしげに目を細める。

 

「まったく君は……」


 そう小さく呟いたフェリクス王子は、カトリーヌの手を強く握り返した。


「分かった、行こう。でも条件がある。僕とずっと手を繋いでいてくれ」


 先程までの駄々の名残のように、膨れっ面を作った王子が言った。


 


 

 二人は手を繋いで、魔王の執務室に居た。

 まだ早朝だが、魔王は毎日、日の出とともに仕事をしている。

 

 カトリーヌの見たものについてフェリクス王子が語り終えると、魔王は一つしか無い目の上を押さえて唸った。

 人間で言う、こめかみを押さえているようなものだろうか。とカトリーヌはいささか場違いな事を考えていた。

 たっぷりと沈黙の時間があったが、二人は辛抱強く魔王の言葉を待った。そして、とうとう重い口が開かれた。

 

「……なるほど、それは、王の立場からしたら対処せざるを得ない。カトリーヌ殿の言っていたとおり、湾の警戒を固めれば済むこと。しかし、家族の立場からすると、それでカトリーヌ殿ひとりが全ての負担を負うのも、愉快なものではない。いやはや……」


 魔王の言葉を受けて、カトリーヌは一歩前に出た。手を繋いでいたフェリクス王子も、つられて半歩前に出る形になった。


「ご心配ありがとうございます。でも、魔王様はぜひ王としての立場だけでご判断くださいませ」


「うむ。聞いた以上は、そうせねばなるまいとは、思っている」


 苦しげに、魔王が答える。


「そうして下さると、王子も、私も嬉しく思っております。ところで、湾の警備を固めるだけでなく、人族の王家の企みを、逆手にとってみませんか?」


 カトリーヌが明るい声を作って言う。魔王は不思議そうに、眉を持ち上げた。

 

「進行の日時をさらに詳しく特定するのです。そうして、侵攻してきた兵を密かに捕まえる。王家には、『和睦を勝手に破った兵がいたので捕らえたが、返還の交渉に応じられるか』と持ちかけるのです。人族の王は、あくまで一部の兵士の暴走だったと片付けたいでしょう。そこで、平和をさらに長く維持するための条件を追加するのです」


「ほう? どのような条件だ?」

 

「提示する条件は、『民の税金を下げて軍事費を削ることと、都市間の移動にかかる関税を下げること』。この二点です」


「ふむ、軍事費を削ればそうそう何度も派兵出来ないということか?」


「はい。それに税金が下がった民は、お金が手元に残るようになります。」


「関税を下げさせるのはどういった理由だ?」


「交易がさらに活発になり、民は富を得ます。民の行き来が活発になれば、民同士の交流もさらに広がります。民が力をつけ、そして、魔族と人族の争いなどくだらない、と発言出来るようになります。王といえど、それは無視できません」

 

 カトリーヌが告げると、魔王は感心したように腕を組んで「いやはや」と呟いた。


「カトリーヌ殿は、本当に母君によく似ておられる。芯の強さ、聡明さ、賢さ。そして、どこまでも優しい」


 母をご存知なのですか。と、カトリーヌは訊ねたかった。

 唇は、言葉の最初の一音の形を作っていた。

 だが実際に声は出なかった。カトリーヌを中心とした床が大きな振動をお越し、立っていられなくなったからだ。


 振動しているというのに、音は全く無かった。

 耳が詰まり、周囲の気圧が狂っていくのを感じる。体の内側で、内蔵が膨らんでいくのが分かる。

 ぞわり、と鳥肌が立ち、腕を覆い尽くした。

 

(もう反動が来てるの……!? 持っていかれそう……!)


 膝をついたカトリーヌの隣で、一緒に王子が座り込む。手をしっかりと握りしめたまま、王子はカトリーヌに何事かを告げようとしている。だが、聞こえない。

 唇が何度も同じ形を取る。


(見、る、ん、だ? そうか、見ないと。いつ、どの箇所に、何人の兵が渡ってくるのか、見るんだ。!)


 そう決意したカトリーヌが、必死に額に力を集中させる。

 恐ろしい未来の光景がカトリーヌを貫く前、額の中心が赤く光っていた。きっと重大な改変に繋がる先見を行うには、力のコントロールが必要なのだと予想してのことだ。

 

 額が熱くなり、周囲が赤い光に包まれる。

 王子と魔王が息をのむ気配を感じるが、すぐに意識の外に出す。狙った情報ために、カトリーヌはひたすらに集中する。

 体の内側から内蔵が引きずり出されそうな、おかしな圧迫を感じる。構わず、カトリーヌは祈った。

 遠くない未来に、人族の兵が到着する岸の位置、時間、兵士の数。

 

 バチン!


 音を立てて、赤い光が弾けた。カトリーヌが糸の切れた人形のように崩れ落ちる。手を繋いだままの王子も一緒だ。


「カトリーヌ殿! フェリクス!」


 ずずんという足音をたてて魔王が近づいてくる。

 カトリーヌは床に伏せたまま、それ以上近づかないように、と手で制した。


「見えました。四日後の新月の夜、十一時、兵士は小型の舟二十一隻に乗って来ます。百名は下らないでしょう。場所は、カフッ、……オレンジ色の灯台の下の船着き場です」


 血を吐きながらもそう告げると、カトリーヌは意識を手放した。

 隣には、一緒に横たわる王子がいる。


「しかと、聞き届けたぞ。カトリーヌ殿」


 魔王が、深く頭を下げた。

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