第14話 迫る不安
「カトリーヌの力を封じた術は、父王が五歳まで僕の力を封じていた術と同じものではないですか?」
「そこまで見たか……。そうだな、カトリーヌ殿の母君が施された術は、恐らくは、条件付きで解除される術だろう。だが儂がかけたような、単純に年齢で解けるというものでもないようだ。いやはや。カトリーヌ殿、力の解放にあたって、何か心当たりはあるか?」
話を振られて、カトリーヌは、力の解放された瞬間のことを思い出す。
フェリクス王子から花を送られ、抱きしめられ、口づけをした。愛を告げられて、自分からも愛の言葉を返した。
そのときに、ぽぽぽぽぽわん、があったのだ。
それが決定打なのは間違いないだろうけれど、予兆は城に来た初日からあった。
王子がカトリーヌに初めて甘い言葉をくれたとき。婚約の儀で拍手に囲まれたとき。
その後、王子のみならず、城の住人皆が優しくしてくれたときにも、ぽわん、があった。
『苦しくても、きっと愛に出会えるから』
共鳴で見た、記憶のなかの母の言葉が体を貫いていく。感電するように、母の言葉の『意味』が頭のてっぺんからつま先までを痺れさせる。
愛。愛だ。
この城に嫁いできて、沢山の愛を受け取った。
「愛です! きっと、愛を受け取ることで、少しずつ、解除されていったのだと思います。この城の皆様に良くして頂くたびに、何かが芽吹いていく感覚がありました」
「なるほど、だからか。君がアラーニェの赤子を助けに行く前、僕たちは抱き合っていたものな」
「はっ、なっ、なにを言い出すんですかフェリクス様!」
「事実だろう。君もそれを思い出して、結論に至ったんだろう?」
恥ずかしさから頬を熱くするカトリーヌに比べて、フェリクス王子は淡々としたものだった。
「あらまあ、仲の良いこと」
「孫を見る日も近そうだな。いやはや、フェリクスも隅に置けんわい」
王妃と魔王の反応で、いよいよカトリーヌは逃げ出したくなるくらい恥ずかしくなった。
「ふむ。愛を条件にしての解除か。使い道を間違えては恐ろしいことになる力だからな。恐らく母君は、カトリーヌ殿の力を悪用しようという者が周りに居ない、カトリーヌ殿が守られる環境で、封印が解除されるようにと考えたのだろう」
「なるほど。確かに僕はカトリーヌに無理に力を使わせることはしませんし、この城に力を悪用しようという者も居ないでしょう。カトリーヌの母君というのは聡い女性のようですね」
「そうだな。きっと、そうだったのだろう……」
魔王はどこか遠くを見るような目をして言った。
そして、その場で、カトリーヌに先見の力を使わせないことが決定したのだった。
◇
「まったく、あのとき殊勝な顔で『はい、力はもう使いませんわ』と言ったんだ。それなのに、どうでもいい事に使うのだから困ったものだ」
生き血のスープを口に運び、パンを千切ながらフェリクス王子が言った。
「すこしでも皆に恩返しをしたくなっちゃうんです。どうでもいい事に使うのなら、改変の反動もほとんどありませんし……」
雨を予知して洗濯物を取り込むのは、改変ではあるがごく小さなものだ。他の能力者がどうかは分からないが、カトリーヌは少し肩が凝る程度のこと。
今回のように、献立を予知する場合は、改変すら必要ないのでダメージはゼロだ。
「しかし、決めたことは守ってもらわないと困る。君を失ったら僕は生きていけない」
王子の言葉に、チェリーたちが「ヒューヒュー」と口で囃す。
カトリーヌは、チェリーたちを片手で払いながら、もう一方の手で顔を覆った。一年経っても、真顔から繰り出される甘い言葉には慣れそうにない。
「そ、そんなことより! 王家の兵がまた国境を越えてきたそうですね。国境線上の兵士同士の小競り合いが止まなくては、双方の民の行き来に支障がありますわ。どうにか出来ないのかしら」
焦ったカトリーヌが話題を変える。
「そうだな。民の通行の自由度を、もっと上げられる予定だった。交易が活発になり、文化の交流が起これば、人魔戦争も一時的な休戦と言わず恒久的なものになるはず。民は平和を望み、民が力をつければ平和を維持する方に世界が動く。父王の計画では、そうだったのだが」
兵が国境を越えるというのは、ともすれば開戦の火種にもなりかねない行為だ。
だが、カトリーヌが嫁いで半年を過ぎたあたりから、人間側は度々国境を越えてきた。
誤って越えてしまった、というのが向こうの言い分だったが、一度や二度で済まないあたり、意図的なものだろう。
「おそらく、王家の側は、休戦するつもりなど無かったのです。今になって考えれば、私は魔族に殺されると思われて送り出されたのでしょう。私が殺されれば、再び攻め込む口実になりますから。表向きは休戦として油断させて、隙をつく。王の考えそうなことです」
ため息をついてスプーンを置いたカトリーヌを、王子はじっと見つめる。
そして自分の皿からスープを掬い、カトリーヌの口元に差し出した。
「……? これは?」
「何があっても、僕は君を守る。君が望んでいる平和は、誰も乱すことは出来ない。大丈夫だ」
カトリーヌは、小さく頷いて差し出されたスプーンを口に含んだ。
幸せに胸が痛くなる。今が幸せだからこそ、それがいつ崩れるかという不安で、体が引き裂けそうになる。
でも、王子には心配をかけたくない。
(どうか、このまま何事もありませんように……)
幸福の味を飲み込みながら、カトリーヌは心中密かに祈った。
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