第13話 センシティブなお食事シーン

「この時間なら執務室か、いや、もう食事のに行っているかもしれないな」

「どうしましょう。夫婦の食事にお邪魔するのは、悪いわ……」


 部屋を出たカトリーヌとフェリクス王子は、そう言い合いながら魔王と王妃の食事の間へと向かった。

 

「しかし先見の件は急ぎ相談しなければいけない。君はことの大きさをまだ分かっていないのか?」

「分かってはおりますけれど、でも……私に夫婦の食事について説教したのはフェリクス様ですよ。文化の違いであんなに怒られたのは、後にも先にも食事の件だけです」


 カトリーヌが言い返す。

 フェリクス王子は軽く首を回してから、上方に視線をやりながら答える。

 

「君が夫婦の食事に父王と母君を呼ぼうなど破廉恥なことを言い出すからだ」


「破廉恥ってそのときにも言われましたけど、その感覚がまだ私には掴みきれていません。夫婦の寝室に入るようなものだとあなたは言ったんですよ? 重要な件だからといって、夫婦の寝室には私、入る気がしません」


「火事が起これば、夫婦の睦み合う寝室にだって危険を知らせに行くだろう」


「火事……そこまで差し迫っているものでしょうか?」


「だから分かっていないと言うんだ」


 王子が突き放すように言うので、カトリーヌはそこで会話を一旦やめることにした。

 このままでは無意味な喧嘩に発展しそうだった。

 カトリーヌには分からない、ということが、王子には分からない。それは仕方のないことだ。全く別の文化を生きていたのだから。

 それにしても、とカトリーヌは思う。

 

 婚姻の儀の後、魔王夫婦とは食卓を囲んだことがない。

 せっかく家族になれたのだし、別々に食事を用意するのは料理人も使用人も手間だろうし、と考えて、良かれと思って提案したところ、「破廉恥」呼ばわりをされたのだ。


(魔族は種族によって食性が違うから、とてもプライベートなことだ、という説明は分かるけど。でも、ぜんっぜん感覚が分からないわ)


「ふん!」


 考えているうちにどんどんと不満が溜まってきたので、わざと靴を鳴らして早足で歩く。自分でも子どもじみていると思うけれど、我慢できないこともある。

 カトリーヌは家族の食卓というものにずっと憧れていた。その憧れが叶った婚姻の日の晩餐は、とても幸せだった。それなのに、普段は夫婦ごとに食事をとるのだと言われて、晩餐に魔王夫婦を誘おうとしたらドン引きされたのだ。

 納得がいかない。それが本音だ。


 そうして二人無言のままに歩いていたら、あっという間に魔王夫婦の食事の間に辿り着いてしまった。

 夫婦ごとに別の部屋まで設けて食事を分ける。

 その理由を、カトリーヌはすぐに納得せざるを得ない形で知ることになる。


「ミノス父王、失礼します。フェリクスです。緊急の話があり参りました」

 

 ノックをしてそう告げると、返答も待たずフェリクス王子は扉を開けた。

 瞬間、濃厚な血の匂いが漂ってくる。

 部屋の奥から魔王と王妃が何やら慌てるような声が聞こえてくる。

 本当に、寝室に踏み込まれたかのような慌てぶりだ。想像よりもずっと気まずい状況なのかもしれない、とカトリーヌが一歩ひこうとしたときだ。

 

「カトリーヌも連れております」


 そう言って、王子はカトリーヌの腕を引いて自分の隣に並ばせた。


「ヒッ」


 カトリーヌは悲鳴をあげかけて、なんとか小さなものに収めた。

 目に映るのは凄惨な殺害現場のような、血、血、血、内蔵。そして積み上げられた赤い骨。

 魔王は鋭い爪と牙で、生の肉を引き裂いて食べており、全身が血に染まっている。

 王妃はというと、無数の蔦を天井近くにまで伸ばし、その先には動物が逆さに吊られている。蔦から伸びた細い管が獣の体中に突き刺さっている。獣から抜き取られた血が管を通り、蔦へと運ぶ。蔦は波打ちながら、ポンプのように伸び縮みしている。


「な、なんだ?! 食事の間に入ってくるとは、いやはや、どういう反抗期だ?」


「ちょっと今日はね、盛り上がっちゃって踊り食いの日だったのよ。いつもは違うんだけど、ねえ」


 急いでナプキンで手を拭く魔王と、扇で顔を覆う王妃。

 その反応が果たして正しいのか、カトリーヌにはさっぱり分からない。なにしろ二人の周りには獣の死体が山となっているのだ。


「僕だって両親が奔放に食事しているところなんか見たくないです。今日なんか食性丸出しじゃないですか、やめてください」


 フェリクス王子が心底嫌そうに言うと、魔王夫婦はますます焦りだす。魔王など血を拭いていたナプキンを引きちぎってしまったくらいだ。

 魔王夫婦の焦りとフェリクス王子の反応に、かえってカトリーヌは落ち着きを取り戻してきた。

 魔族の常識が身についていないからこそ、この部屋の中で一番冷静になれるのは自分だ、と思う。

 カトリーヌは血だらけの床に一歩踏み出して、凛とした声で話しかけた。


「ミノス王様、失礼な訪問で申し訳ありません。実は、先ほどアラーニェの赤ん坊が広間のシャンデリアから落ちかけるという事故がありました」


「う、うむ。それはカーラから聞いておる。無事で良かった」


「アラーニェの赤ん坊が落ちる姿を、私は見たのです。先見の力というものが目覚めたのだそうです。それについては、王子が共鳴の力を使って確認してくださいました」


 カーラ王妃が、「まあ」とだけ呟いて扇を落としたが、魔王はただ爪で顎を掻くのみで、遠くを見ていた。

 そして少し考えるような間の後に、唸るような低い声で言った。


「……確かなのだな、フェリクス」

 

 真剣な目で、魔王はフェリクス王子を見つめている。カトリーヌは静かに息を飲んだ。

 魔王の魔王たる迫力が部屋に満ちている。その圧のなかで、しかし王子はしっかりと魔王の目を見返していた。

 

「はい。彼女の力は確かに先見の力です。さらに、過去の情報から、彼女の力が生まれつきのものであること、封印されていたらしいことも分かりました」


「うむ。それだが……儂は一つ告白せねばならないことがある」

 

「あの!」

 とカトリーヌが魔王の言葉を遮った。

 

「私、謝らないといけないんです! 私は過去を秘密にしておりました。私は……私はいらない王女なのです。私の母は妾でした。この度の王子との婚姻に際して、急ぎ王女の称号を与えられただけです。まともな王女教育も受けていません。魔族と人間の平和のための大事な婚姻なのに、人族の王家は厄介払いみたいに私を寄越したのです。本当に、本当にすみません!」


 カトリーヌはスカートを握りしめ、俯いた。

 恥ずかしく、心苦しい。

 過去は恥じていないが、隠していたということが恥ずかしい。

 

 はじめは政治的な意図があっての婚姻の駒でしかない、と思っていた。でも、魔王城の皆が家族として扱ってくれたのだから、嘘をつき続けるべきではなかった。

 きっかけが無くても、自分から告白するべきだった。

 俯いたままのカトリーヌの肩に、王子の手が添えられる。だが、王子もカトリーヌにかける言葉を持っていなかった。


 そのときだ。

 魔王が、パン! と音を立てて両膝を打ち、立ち上がった。


「申し訳ない。知っていたのだ。それが、儂の告白だ」


 膝に手をついたまま、魔王はぎこちなく腰を折って頭を下げる。

 その姿勢のまま、言葉を続けた。


「古い友人と二つの約束をした。私が前魔王を倒して魔族の長となったら、人間との争いを止めて、平和な世とすること。そして、人族の王宮で不自由をしているであろうカトリーヌ殿を助けることを頼まれた。それで、和睦のための婚姻という条件を出したのだ。人族側が、カトリーヌ殿を出すであろうことは、予想していた。さらに、力についても聞いていた。カトリーヌ殿は特別に強大な力を持っているはずだと」


 魔王が語ったところによると、魔王城側がカトリーヌを歓待してくれたのは、魔王の辛抱強い根回しと説得のおかげだったそうだ。カトリーヌが魔族の悪評を聞かされていたのと同様に、一時の魔王城も人族の王女が嫁入りにくることに反発が有ったという。


 カトリーヌにとって大きな驚きではあったが、同時に腑に落ちるところもあった。

 張り切って部屋を作り、迎えをよこした魔王城側。当たり前に受け入れるには、親切すぎた。敵対していた相手だというのに。


 それでも、共に過ごした時間のなかで、お互いに本当の家族になれたのだと思う。


「王宮での私の立場をご存知の上で、私を受け入れてくださったと? それに、力のことも……?」


「うむ。まさか先見の力だとは思わなかったが。実際のカトリーヌ殿からは特別な力の存在を感じなかったが、まさか今になって解放されるとはな」


「ちょっと、ミノス! おかしいわよ。本当に先見の力だとして、先見で見たものは変えたらどうなるか分かるでしょう? 生きていられないのよ?」


「それが、特別に強大な力ということなのだろう。先見の力を使う者の中でも特別だということだ」


 答えた後に、「しかし、いやはや」と魔王は頭を抱えた。

 

 事態を把握しきれないカトリーヌが王子の方に目をやると、王子は考え込むような表情をして魔王を見つめていた。

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