第12話 共鳴する二人
「共鳴の力とは、何でしょう……?」
「簡単に言えば、相手のことを探るのに使える能力だ。相手と一時的に一体になれる。気持ちも痛覚も、体力も、記憶も、全てお互いに響き合い、影響し合う。……あまり好きな力ではない」
どこか苦々しげに王子が言った。
「便利に聞こえますけど、好きじゃないんですか? その力があれば質問状などいりませんのに」
(それに、いつ部屋に呼ぼうかなどという駆け引きも不要なのに)
マダラ薔薇をちらりと見やりながら、カトリーヌはこっそりと考えた。
「無粋な力だからな、君には使いたくなかった。だが、先見の力の可能性が出てきた以上、共鳴で君を深く知らないと、まずいことになるかもしれない」
「わかりました。共鳴、使ってください」
「では、手を失礼する。それから、隣に寝てもいいか?」
「と、隣に!? そんないやでも、あの、だだだっ、大丈夫です! ドウゾ!」
カトリーヌの生活の気配がもっとも濃厚な場所であるベッド。そこにフェリクス王子を招き入れるのは、たまらなく恥ずかしい。
でも、そんなことは言っていられない。
王子の言葉には下心などないことは分かっていた。共鳴の力を使うのに、きっと必要なのだろう。
(そもそも下心があっても、全く問題がないというか、それが正しいんですけど……って私、なんだか欲しがっているみたいで恥ずかしいわ)
薬蜜湯によって体調は戻ったはずなのに、また頭がくらくらしてくる。精一杯平静を保って、カトリーヌは隣を空けて王子を待った。
手をつなぎ、一緒に横になる。自分の隣に、フェリクス王子の体温がある。王子の方が少し体温が高いらしい。その熱が少しずつ移ってきて、一つのへその緒を共有する双子のような気分になる。
目を瞑り、呼吸をあわせる。心音までもがリズムを合わせ始める。
そのとき、鮮やかな景色として、王子の心と過去が流れ込んできた。
裸よりももっと裸らしいもの。相手のすべてを覗く感覚。
カトリーヌが感じていることを、王子は、カトリーヌの心と過去をすべて見る形で体感しているのだろう。
まずカトリーヌが見たのは、低い視点から見上げる魔王城の広間。テーブルに椅子、すべての物が大きくなり、広間もぐんと広くなった気がした。
周りを取り囲むのは、見慣れた城の住人たち。皆、巨人のように大きく見える。チェリーたちが、ちょうど同じくらいの目線だ。
「フェリクスの誕生日の祝賀会によくぞ皆集まってくれた。嬉しく思うぞ。明日にはフェリクスは五歳になる。今後ともよろしく頼む」
山のように大きな魔王が、山鳴りのような声で告げ、拍手が起こる。その姿も声も全く恐ろしく感じない。絶対的に自分を守ってくれる、愛してくれている、という実感がある。そして周りに集まる出席者たちも、自分を心から愛して、成長を喜んでくれていると伝わってくる。
誕生日会のあと、魔王の執務室に呼ばれた。
「実はお前は、相手を魅了する力と、相手の心のすべてを見通す力を持っている。日付の変わる瞬間、その力は解放される。力を制御することを覚えなさい。そして、今日までお前を『力』無しで愛してくれた全ての者たちの、愛情を裏切ることのないようにな」
まだ幼い身にはよく分からなかったが、父が真剣であることは伝わった。
場面が切り替わり、今度は十歳ほどのフェリクス王子が見える。先程はフェリクス王子自身の目線だったが、この場面ではフェリクス王子の後ろから覗いているような視点だ。王子の記憶を見ているのだとしたら、十歳頃の王子は、こうしてどこか自分の外側から自分を眺めていたことになる。
庭でのティータイムを楽しんでいた王子の元に、来客が訪れる。やたらと背の高い男と女で、人族ではなさそうだ。王子が微笑むと、二人はすっかり王子の虜になった。
骨抜きになった二人を眺めながら、王子が心中深く傷ついていることに、共鳴中のカトリーヌは気づいた。
王子が生まれつきに持っている力、
どちらも簡単に他者の心に入り込み、操れてしまう力だが、幼い王子はそれが悲しい。王子の言葉を誰も聞いてくれないからだ。何を言っても反論してくれないからだ。
力に目覚める以前に受け取っていた、自然な愛を失ってしまった。力の調整がうまく出来ない王子は、微笑みも、人懐こさも、封印することに決めた。
そして、
次の場面は、カトリーヌの過ごしていた王城の温室だ。母親に手を引かれながら、腕が少し痛いと不満に思う。母親の腰ほどのまでの身長しかないため、手を引いて早足で歩かれると、着いていくのが大変だ。
性急に歩いていた母親は、一際高い樹のそばで立ち止まった。振り向いた母親の顔は、記憶の中にある通りだ。しかし表情は浮かない。普段は穏やかな湖畔のようなエメラルドグリーンの瞳が、不安に揺れている。母はカトリーヌに語りかけた。
「産んでしまってごめんなさい。あなたが苦しむことは、見えていたのに」
その声は悲しみに満ちていた。
むせるような緑の匂いと、肌にまとわりつく湿度の高い空気。そこに母の悲しみがのしかかり、カトリーヌは上手く呼吸が出来ない。
「苦しくても、きっと愛に出会えるから、今はこうすることしか出来ない母を許してね」
そう言って母は、何かの呪文を唱える。カトリーヌには分からない呪文のはずだけれど、共鳴している王子の知識だろうか、なんとなく何をされているのかが分かる。体のなかに卵形の容器が作られ、そこに力が吸い込まれ、蓋をされる。
かちり、と鍵のかかる感覚が胸のなかにあり、その瞬間に風切り羽根がもがれたような、もう飛べないような感覚があった。
「愛は、惜しみなく返しなさい。あなたが心のままに幸せを受け入れるなら、世界はきっと応えてくれる。みんなの幸せを自分の幸せとして、その力を正しく使ってね」
その言葉を最後に、母の体は崩壊した。文字通り、壊れて崩れたのだ。
カトリーヌは泣いた。目を塞ぎたくなるような凄惨な光景のなか、カトリーヌはただ泣くしかなかった。
ずっと、封じていた記憶だ。
その後は、母の亡き後に、継母が支配する王城で虐げられて育ったことや、厄介払い同然に魔族との婚姻の駒とされた記憶などを、足早に通り過ぎていく。
共鳴中の王子は憤ったり嘆いたりしてくれてはいたが、カトリーヌの心は母の崩壊する母の姿に囚われたままだった。
「なるほど、先見の力で間違いないようだ。だが、君の母君が言ったように、苦しみを伴う力だ。どんな未来が見えようとも変えることが出来ない。それは術者にとって不幸でしかない」
「……変えようとしたら、どうなるの?」
放心からなんとか回復したカトリーヌが訊ねる。とにかく今は別のことを考えていないと、あの日の自分の泣き声が耳に蘇ってきてしまう。そして、叫びたくなってしまう。母が崩壊した時に、ショックのあまり出せなかった叫び声が、胸の中でぐるぐると渦巻いている。
「母君の崩壊を見ただろう。未来の世界からの反発が起こり、術者に還る。大きな改変であればあるほど、反発は大きくなる。普通の術者なら、そこで命を落とす」
カトリーヌは言葉を失い、静かに震えた。頬を伝う、母の生暖かい血の感触を思い出す。
震える手で、頬を擦ってみる。当然だが頬には何もついていない。それでも、何度も何度も、擦った。
王子はそんなカトリーヌを、添い寝したままじっと見つめていた。
「もう力は使わないでくれ。今回、アラーニェの子どもは死ぬ運命にはなかったようだが、事故を防ぐというだけでかなり大きく未来は変わったはずだ。危険な改変だった」
「で、でも、私は崩壊しませんでした」
「そこが不思議なところだ。体に負担はあったようだが、本来なら死んでいてもおかしくなかった」
王子が不機嫌を隠さないで言うものだから、カトリーヌは萎縮して黙り込んでしまった。
「まだ共鳴の名残があるから、君がどう感じているかは分かる。別に僕は君に怒っているわけじゃない。そう怖がらないでくれ」
「でも私、こんなに恐ろしい力を、嫁いでから発現させてしまって、申し訳なくて。……そもそも、『いらない王女』だったことも黙っていました。人と魔族の平和のための婚姻なのだから、厄介払いみたいに寄越された私は相応しくなかった。でも言えなかった……ここに居たかったから……」
ごめんなさい。と呟くカトリーヌの声は、消え入りそうなほど細かった。
「それについては、父王に話してみるといい。僕も父王に確認したいことがあるしな。なに、不安に思うようなことは何もない」
そう言って王子は、カトリーヌの頭を優しく撫でた。
カトリーヌの心は、それでも、不安に揺れ続けていた。
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