第11話 先見の力

 自分のベッドの匂いにつつまれて、カトリーヌは、ほうぅと思わず息を漏らした。

 フェリクス王子にずっと横抱きにされていた緊張から解放されて、やっと柔らかなベッドに体を任せることが出来た。

 運んでもらえたのは嬉しいし、王子の気持ちはありがたいけれど、それでも慣れないものは慣れない! のだ。


 ベッドの傍らに座る王子が、手を握ってくれている。額に触れられて、薄く目を開けると心配げな顔が覗き込んでいた。汗ではりついた前髪を、直してくれているらしい。


(恥ずかしいわ……なんだか全部を見られているみたい……)

 

 部屋という小さな縄張りのなかの、一番深いところの砦であり巣でもあるベッドは、カトリーヌの最も深い所を表しているように思える。カトリーヌすら知らないカトリーヌが、この場所にはある。

 いつもはそんなことを考えないけれど、いざベッドの近くに王子が来てみたら、このベッドは気まずいくらいにカトリーヌのすべてを曝け出しているようなのだ。

 そんなことを考えているうちに、王子の顔を凝視してしまっていたようだ。

 王子は首をかしげて言った。

 

「どこか痛むか? いま治療ヒールを行える者がくる」


「違うんです。その、私、恥ずかしくて」


「ん? なぜだ?」


「どうしてでしょう、フェリクス様が私のベッドの傍らに居るというのを、すごく、考えてしまって……」


 言葉にした端からカトリーヌは後悔して、顔をそらした。何かとんでもない事を言ってしまった気がする。

 その証拠にフェリクス王子も「ん、ぅんん!」とおかしな咳をしているではないか。

 

 そんな気まずい空気を破ってくれたのは、陽気なノック三回に、返事も待たずに入室してきたサージウスだ。

 

「はいはいは〜い! いい雰囲気のところ失礼しますよ。赤の騎士を召喚してきましたよ〜!」


 足音も軽く歩いてくるサージウスの後ろに、燃えるような真紅の鎧騎士がいる。頭は兜で覆われ、手足もすべて鎧で覆われ、体のうち露出している部分はなにもない。

 サージウスと違い、ぎこちなく歩く赤の騎士の足音は、ガチャリ、ガチャリ、と不気味に響く。

 

 そして何よりも不気味なのは、鎧の中から虫の羽音のようなものが絶えず響いているのだ。

 

「あ、赤の騎士さん、ごきげんよう。お名前をうかがってもよろしいかしら?」


 体を横にしたまま、カトリーヌはなんとか笑顔を作って赤の騎士に語りかけた。

 だが騎士の兜の口元からは、ブブブブと耳障りな音がするだけだ。


「すみませんね〜。こいつ、名前無いんです。俺が契約してる治療蜂たちが甲冑の中に居るだけなんで」


「治療、蜂……?」


「あれ、ご存知なかったかな? 人族の間でも、金持ちの間では重宝されているようですがね。これだけ沢山使役しているのは中々ないですよ」


 サージウスが自慢げに赤の騎士の肩を抱くと、ぎこちなく動いた赤い鎧の脇の隙間から無数の蜂が重なり合っている様子が見えた。ぞっとする光景に、カトリーヌは小さく悲鳴を漏らした。

 あの鎧のなかに、びっしりと蜂が詰まっているというのだろうか。


 カトリーヌの怯えた様子に構わず、赤の騎士は無言で前に出た。

 そのまま、カトリーヌのベッドに向かって歩いてくる。

 近づくごとに、羽音が大きくなっていく。

 

 思わず王子の手にすがると、王子は両手で手を握り返してくれた。

 赤の騎士の手がカトリーヌに伸ばされる。金属の籠手の隙間から、光る羽根が見えてカトリーヌの全身に鳥肌がたった。

 時間にして一分も無かっただろうか。赤騎士は納得したように頷くと、金属製の籠手を外した。無造作に床に落とされた籠手の、指のところから何匹も蜂が這い出そうとしているが、出られないようだ。見えない壁に阻まれているみたいに見える。

 籠手を外した肘当ての先には当たり前だが何もない。いつの間にか赤の騎士の隣に立っていたサージウスが、肘の下に陶器製のカップをそえる。黄金色の蜜が、カップの中に垂れ落ちた。


「チェリー! お湯をこれに注いで。あ! 混ぜるのは木のスプーンでね!」


「治癒蜂の薬蜜は、金属を嫌う」


 サージウスがチェリーに指示を出す横で、フェリクス王子が耳打ちして教えてくれた。

 

 ほどなくして、チェリーたちによってに運ばれてきたカップは、甘い香りを漂わせる薬蜜湯やくみつとうで満たされていた。

 いつもよりもかなり静かなチェリーからカップを受け取り、上体だけを起こして、カップに口をつける。

 味は普通の蜂蜜とほとんど変わらず、甘さのなかにかすかに草のような風味がある。おいしい。と正直に思った。やさしい甘さがじんわりと体に染み込んでいく。

 味だけではなく、効果も素晴らしいものだった。

 重かった手足は軽くなり、固まっていた関節が動き出す。飲み干すころには、空になっていた体力が、いつもの半分くらいまでには戻っていた。

 と、チェリーたちが音もなく近寄ってきて、カトリーヌの手から飲み終えたカップを取り上げる。

 

「ちょっと腕みせてー」

「しみるから我慢だよー」


 チェリーたちはそれぞれの手に、包帯、水、それから茶色いネバネバとした液体の入った瓶を持っていた。

 瓶を持つチェリーの横に視線をずらすと、鉄靴を脱いだ赤の騎士が片足でフラフラと立っている。すね当ての先の空っぽの足首の部分から、茶色い液体が漏れている。


「この薬、染みになるんだから、すぐに靴履かないとダメッ!」


 慌てた様子でそう言いながら、床に膝をついたサージウスが赤の騎士に鉄靴を履かせようとしていた。


「カトリーヌがせっかく綺麗にしている部屋だ、拭いておくように」


「はいはい。王子の消毒、これでいいっすか?」


「良いわけ無いだろう」

 

 カーペットに染み込む茶色い蜜をタオルで拭いたサージウスは、フェリクス王子の方を向いて軽口を叩き、王子はそれをあしらう。


 そのとき、二人のやり取りを見つめていたカトリーヌの腕が、チェリーによって持ち上げられた。

 水にひたしたタオルで傷口を清められ、そこに茶色い液体が塗られる。消毒液のようなツンとした匂いがあるが、水ほども染みなかった。塗られた端から傷口がほんのりと温まり、肌が活性していくのが分かる。


包蜜ほうみつだ。浅い切り傷ならば、そうだな、人族だと半日で消えるだろう」


 自身も背中の傷口を手当してもらいながら、王子が教えてくれた。

 

「半日!」

 

「混ぜものなしの包蜜だからそれだけ効くんです! 混ぜもの無しのなんて高級品ですよ。俺のおかげです!」


 驚くカトリーヌに、サージウスが胸を張った。微笑んで流したカトリーヌだが、サージウスの後ろでコソコソと動くピンク色の頭の方が気になっていた。

 垂れた包蜜を掃除しているのかと思ったが――。


「うええーー! にがいー!」


 ピンク色のお下げをぴょこんと跳ねさせながら、チェリーが飛び跳ねた。

 顔をしかめ、開いた口から覗く舌は茶色く染まっている。


「のどがひりひりするよー」


「だ、大丈夫なの? 舐めて……」

 

「なんだ、包蜜を舐めたのか? 毒ではないが、食べるものでもない」


 へっへっと犬のように舌を出すチェリーを見て、呆れたように王子が言う。

 王子以外の部屋の皆が、おかしくて笑った。

 治療を終えて、部屋にはほっとした雰囲気が流れていたが、王子の表情は硬い。それがカトリーヌには気になっていた。

 そして、王子は静かに口を開いた。


「少しカトリーヌと話がある。悪いが、皆出て行ってくれないか」


 


 

「なんだか、皆さんが居なくなると途端に静かになりますね。あの羽音も、急に消えると寂しいものですね、ってそれは無いかもしれませんけど。えへ」


 二人きりの部屋、気まずくてカトリーヌはなんとか話題を探す。

 だが王子は無言のまま、じっとカトリーヌの顔を見つめていた。王子の真剣な表情に、カトリーヌは貼り付けていた笑顔をひっこめた。

 

 王子の肩越しに、チェストの上に置かれたままのマダラ薔薇が見える。

 そういえば、あの薔薇を受け取って、抱きしめられて、抱き返して、そこから全てが始まった気がする。

 思えば、随分と大胆な行動をした。部屋に呼ぶとか呼ばれるとか、そういう話もした。

 さっきも、王子がベッドの側に居るということを過剰に意識して、おかしな発言をしてしまった。


(あれ、いま、もしかして、いい雰囲気なのかしら……?)


 またしても意識をしてしまって、胸がきゅうっと引き絞られるような心地になる。体調は戻ったはずなのに、また頭がくらくらとしてくる。

 一人で焦るカトリーヌに、王子はぐっと顔を寄せた。

 

「疲れているところ申し訳ないが、君に確認しないといけないことがある」

 

「あ、ひや、ひゃい!」


 声が裏返り、思わずベッドスプレッドを掴んで引き上げてしまう。

 動揺を隠せないカトリーヌに、王子は淡々と問いを続けた。

 

「この部屋に戻ってきて思ったが、どれだけ耳がよくとも、広間で泣く赤ん坊の声はここまで聞こえそうにない」


「え、あ、はい」

 

「なにか、特別な力でもあるのか? 遠見、強化聴力、探知。それらならばまだいい。そうでないとすれば、大問題だ」


 そこで言葉を区切った王子は、難しい顔をして顎に手をあてた。

 カトリーヌはやっと、自分が見当違いに意識していることに気づいた。

 そして、背筋を伸ばしてベッドに座り直すと、真剣に王子の方を見つめた。


 「……私に見えたのは、アラーニェの赤ん坊が落ちて、皆が悲しむ光景です」


 カトリーヌの告白に、王子の顔が一気に青ざめた。

 王子はカトリーヌから顔を背けると、いやしかし、そんなはずは、とぶつぶつと独り言を言う。

 独り言が途切れた後は、重い沈黙だ。


「……見えたのだな、不幸な光景が。そしてそれを、変えたというのだな」

 

 沈黙を破ったのは、念押しをするような王子の確認だ。


「はい。赤ん坊が不幸になってはいけないと夢中でした」


 カトリーヌの言葉に、王子は、やはりか、と呟いて重いため息を吐いた。

 またも沈黙があり、その間、カトリーヌは自分がなにか大罪を犯したのではないかと肝を冷たくする。全身を刺されるような心地のなかで、カトリーヌは王子の言葉を待った。

 

「君が使ったのは先見さきみの力ではないか、と僕は疑っている」


「先見の力……」


 なぜだろう、どこかで聞いたことがある気がする。だが、どんな力なのかは分からない。ただ聞き覚えがある。

 カトリーヌの戸惑った様子を見て、王子は丁寧に説明をしてくれた。

 

「先見の力は恐ろしい力だ。特異な能力でもある。すべての種族のなかでも、いつ、どこで、その能力を持つものが生まれるか分からない。恐ろしさの理由は、」


 そこで王子は言葉を探すように、黙り込んだ。


「その前に確認しなくてはならないことがある。……共鳴の力を使ってもいいだろうか」


 紫色の瞳が、真っ直ぐにカトリーヌを見つめていた。

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