第7話 大好物のスープ(ただし期間限定メニュー)
「あの……!」
カトリーヌが意を決して口を開いたときだった。
ガチャン! という音を立てて、スープ皿が置かれた。
「二品目はスープだよー」
「フルコースっていっぱいお料理あるよー」
「あっ、チェリーったらお肉はまだ出しちゃだめ!」
「アンタもチェリーでしょー」
「とにかく、だめー」
チェリーたちがかしましく、二品目の給仕を開始する。
スープからは、なんとも食欲をそそる香りがしている。動物性の旨味がぎゅっと詰まっているような、原始的な欲求を呼び覚ますようなそんな香りだ。
しかしその色は赤黒く、とろみも相俟って、まるで血のようだ。
「なにか言ったか?」
「いえ、その、いい香りのスープですね。でも、えーと、真っ赤なのですね……?」
おどろおどろしい見た目のスープに思わず身を引きながら、カトリーヌは訊ねた。
「ああ、ヒュドラーの生き血のスープだからな」
そうですか、ヒュドラーの。それは素敵ですね。など答えられるはずがない。カトリーヌは絶句してしまった。
ヒュドラーといえば、首を落としても復活し、毒息を吐くような恐ろしいモンスターだ。その血にも勿論、毒が含まれているだろう。
スープから立ち上る湯気と、湯気にのって鼻孔に届く香りまで、自分の体を蝕む毒のように思えてくる。
反射的に手で口を抑えたカトリーヌは、質問状の第二項を思い出していた。
曰く、『2.生き血のスープは 好き・どちらかというと好き・生き血はワインが至高・どちらかというと嫌い・嫌い・その他』。
あれに、カトリーヌは何もチェックをつけずに返したのだった。
「生き血は、食べないものだったか?」
声色は相変わらず平坦なものだった。
しかしカトリーヌには、落胆の予感に怯える王子の不安が、手に取るように分かる気がした。
フェリクス王子に見つめられながら、カトリーヌは、質問状を料理長のゴーシュに渡したときの覚悟と反省を思い出していた。
魔族は恐ろしく、自分などはきっとつらい目に合わされると信じ込んでいた。質問状にあった食材についても、最初は拒絶したくなった。それでも、自分からも歩み寄ろうと、何でも食べてみようと、決意できたのは質問状から感じた不器用な優しさだ。
「フェリクス様、ひとつ教えていただきたいことがございます」
振るえる指先でスープ用のスプーンを手元に寄せながら、カトリーヌは王子に訊ねた。
「あの質問状を作ってくださったのは、フェリクス様ですか?」
「う、んん」
王子がおかしな咳払いをした。
視界の端でチカチカと光が盛んに動くのでそちらに目をやると、王妃が盛んに手で王子に信号を送っている。光っていたのは、王妃の指にはまっている大きな石の指輪のようだ。
次に王子の方にまた視線を戻すと、まだ「ん、ん」などと言いながら喉を抑えている。顔がほのかに紅潮しているのが見えた。
「フェリクス様が、作ってくださったのですね……?」
確信を深めたカトリーヌがもう一度問うと、フェリクス王子は観念したようにため息をついた。
「その通りだ。改めて言われると恥ずかしいので止めて欲しい」
もはや紅潮は耳の方にまで広がっていた。
なんて可愛い人なんだろう。なんて優しい人なんだろう。
なんて、真面目に、別の種族と婚姻するということを、考えてくれている人だろう。
「ありがとうございます、フェリクス様。スープ、いただきます」
微笑んで、スプーンを手に取る。カトリーヌは優雅に、スープを一口含んだ。
こんなに誠実な人が住む城で、毒物など出されるはずがない。それに、彼を信じて死ぬのならそれも本望だ。そんな決意の一口だった。
それから、二口、三口。気づくとカトリーヌの手は止まらなくなっていた。
(美味しい!)
それが真っ先に浮かんだ感想だ。そしてもう細かい感想など考えられないほど、頭の中は「美味しい」だけに支配されていく。次の一口、次の一口、次の……。
ハッと気づいたときには、カトリーヌの皿は空になっていた。
「フェリクス様、大変です」
スプーンを置いて、カトリーヌはフェリクスに目を向ける。
カトリーヌがものすごい勢いでスープを平らげるのを、圧倒されたように見つめていたフェリクス王子は、彼女の言葉でやっと我に返った。
「大変、とはどういうことだ?」
「私、こんなに美味しいスープを飲んだことがありません!」
「それのどこが大変なのだ」
「だって、これ無しではもう私、生きていけそうにありませんわ」
大真面目に答えると、晩餐の間を一瞬の沈黙が覆った。
それから、ワッと広間の皆が声を上げる。
「料理人冥利に尽きまさあ、姫様」
ゴーシュが男泣きに泣きながら言う。
そんなゴーシュの肩を叩く騎士たちが居る。
「新鮮なヒュドラーの血は美味いものだからな、いやはや、提供してくれたヒュドラーにも伝えようぞ」
「気位の高い者ですもの、『当然だ』なんていいながら、鼻の穴を広げるのよきっと」
魔王と王妃が口々に言う。
「新鮮? 提供?」
てっきり、殺したヒュドラーから採った血だと思っていたカトリーヌが、フェリクス王子を見ながら訊ねる。
優雅にスープを口に運んでいたフェリクス王子は、一旦スプーンを置いてから答えた。
「ヒュドラーの再生力は知っているだろう? 機嫌のよい時期には食用に血を採らせてくれる。殺したヒュドラーの血は臭くなるからな。それに、その日の朝に採ったものを使うのがゴーシュのこだわりだ。機嫌のよいヒュドラーが提供した、新鮮な血。それがこのスープのポイントだ」
フェリクス王子が急に饒舌になる。やや早口になったところをみると、気分が上がっているのかもしれない。
蘊蓄を語るのが好きだったりするのだろうか。そんなところも、なんだか愛おしい。
チェリーの一人が、カトリーヌの皿におかわりのスープを盛ってくれるのを眺めながら、ほっこりとした気持ちになりかけたその時。
カトリーヌは、重大な問題に気がついてしまった。
「フェリクス様!? いま、機嫌のよい『時期』と言いましたね? それって、採れる時期が限られるということですか?」
「ああ、暑い季節にヒュドラーは血を抜きたくなるらしくてな。ヒュドラーの生き血のスープは、夏の料理だ。いい時期に来てくれた」
「そ、そんな、これなしではもう私だめですのに!?」
わなわなと振るえるカトリーヌを見て、フェリクス王子は心底気の毒そうな顔をした。
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