第6話 婚姻の儀は「あーん」?
白い皿の上には、赤くてぷちぷちした卵のようなものと、スライスされた茸のようなものが乗っている。
美しく盛り付けられているが、見慣れない食材だ。
「フェリクス様、これは一体なんでしょう?」
赤いぷちぷちを指して問うと、王子は、自分の皿のそれをフォークで掬った。
「水ベリーだな。水中になるベリーの一種だ」
そう言って王子が見せてくれた水ベリーは、赤いぷちぷちが木苺ほどの大きさの塊を形成しているものだった。魚卵のようにも、果物のようにも見える。
「ではこれは、果物なのですね」
「そうだな、しかし味は魚に近い。食べてみるといい」
フォークを差し出されて、カトリーヌは思わず口を開ける。
口に含む瞬間に抜けた香りは、ベリーの甘酸っぱいものだ。しかし、ぷちぷちと潰れる実を噛み締めていくと、魚の脂の部分のような旨味がある。舌にもったりと絡みつく旨味だ。
「なんですかこれ! 美味しい! 魚の旨味がありながらも、臭みはまったくなくて、香りと後味はベリーのように爽やか!」
カトリーヌは緊張もマナーも忘れて、夢中で感想を伝える。美味しい食事も、幸せな食事の席も、遠ざけられて久しかった。美味しい、という気持ちを目の前の相手に、伝えたくて仕方がなかった。
「それは良かった。ではこちらも」
フェリクスが続けて差し出してきたフォークには、茸が乗せられている。口を開けようとしたカトリーヌだが、フォークの上の茸を間近に見て、あわてて口を閉じた。
「どうした?」
「こ、これ、足が生えております……なんですか……?」
「ああ。歩き茸の幼生だ。見たことは無いか?」
「歩き茸ですか!? それって、モンスターなんじゃ……」
「幼生だからまだ毒もないし、柔らかい。……人間には食べられぬものだったか……? すまない、質問状に載せ忘れていたか」
フォークを下げ、フェリクス王子が僅かにうつむく。傍から見ても気付かないほど僅かに。しかし、耳と尻尾を下げた叱られた犬のように、カトリーヌには見えた。
(質問状って、あれ、王子が書いたの? まさか王子自らしないわよね! それにしても、こんな風に落ち込むなんて。なんだか悪いことをしているわ……)
「食べられます。……食べます!」
宣言したカトリーヌは、フェリクス王子の手を掴んでフォークを口に運んだ。
(これは普通の茸、普通の茸、普通の茸……)
心のなかでそう唱えていたカトリーヌだが、歩き茸を何度か咀嚼したあと、カッと目を見開いた。
「普通の茸なんかじゃない!」
「!?」
声を上げたカトリーヌに、フェリクス王子が驚いた顔を見せた。ぶわっと毛が逆立って、まるで猫のようだ。
「あ、ごめんなさい。違うんです、すごい、今まで食べたどの茸よりも香り高くて、美味しくて、つい」
「そうか、それならば、良かった……」
そう言ってカトリーヌの目を見る王子と、自然、見つめ合う形になる。
相変わらず無表情だが、紫色の瞳の奥に、嬉しそうな光が踊っていた。
沈黙を破ったのは、周囲から一斉に起こった拍手の音と歓声だ。
わっ、と上がった声に、カトリーヌは王子の手を離すのも忘れて、周囲を見渡した。
「いやはやめでたい。王子の皿からカトリーヌ嬢が食べてくれたぞ!」
「これで本格的に夫婦になりましたことね!」
四本の腕のうち二本で拍手をしている魔王の胸に、王妃が飛び込んでいく。それを魔王の太い腕がしっかと抱きかかえる。
「苦労した甲斐がありまさあ。フェリクス坊っちゃんが、俺の料理で婚姻の儀をしてくだすった」
涙声でそう言いながら手を叩くのは、いつの間にか晩餐の間に入ってきていた料理長のゴーシュだ。
「なんとまあ、美しいご夫婦じゃあないかぁ!」
「あててて、肩を掴まないでくださいよ将軍!」
黒衣の騎士・アマデウス将軍と、灰色の首なし騎士も来ていた。
「おめでとー」
「おめでとー」
「美味しかったー?」
「前菜ってなんだったのー」
「それはしらなーい」
チェリー達がやってきて、カトリーヌのドレスの裾にしがみつく。そして、あるチェリーはピンク色の花輪をカトリーヌの頭に乗せ、あるチェリーは頬に祝福のキスを送る。
ワゴンは嬉しそうにぐるぐると走り、いつの間にか飛んできていた羽根ペンは、カトリーヌの手の甲をさっと撫でる。そのひと撫でで手の甲に書かれた『ザコ』『弱虫』が消えた。
心のなかに、ぽわんと、また暖かな風が吹いた。
不安だらけ、一人きりでの輿入れだったけれど、魔王城のみんなが心から受け入れてくれていることが分かる。
ぽわん、ぽわん。
体の内側がはずんで、カトリーヌの心は柔らかなものに包まれる。痛くない場所、寒くない場所。ずっと求めていた場所が、まさか魔王城にあるなんて考えていなかった。けれど、婚姻の晩餐に集まってくれた城のみんな、魔王に王妃、そしてなによりフェリクス王子が、教えてくれた。
ここが居場所だと。
「いまの、食べ物を頂くのが婚礼の儀だったのですか?」
「そうだが、もしかして人間のやり方と違ったか? 君を騙すような真似だったか?」
「いえいえいえ! 人間同士でも、その、夫婦ほど親しくなければ、相手のお皿の食べ物を頂いたりなどしません。私も、嬉しかったんです」
多分、マナー的には許されないけれど。と心の中で付け加えながらも、カトリーヌは本心からそう答えた。
すぐさまフォローをしないと、フェリクス王子という人はすぐに凹んでしまうらしい、ということをこの短いやりとりの中でも学んだから。そして、王子との婚姻がもはやカトリーヌにとって、政治的に受け入れるしかないなんていう憂鬱な婚姻では無くなりそうだったから。
「それならば良かった」
そう言ってフェリクス王子は、カトリーヌただ一人に向けて、たしかに微笑んだ。
万雷の拍手と歓声に包まれながらも、ただカトリーヌだけを見て。カトリーヌも、その瞬間、ただフェリクス王子の声だけを聞いて、フェリクス王子だけに微笑みを返した。
ぽわん、ぽわん、ぽわん。
体の内側から芽生える不思議な感覚は止まない。枝に次々と新芽をつける夏の木々のように、カトリーヌの内には今にも開こうとするなにかが次々と生まれていた。それは決して悪くない感覚だった。
夢のような晩餐会の空気に酔った心地のまま、カトリーヌは一つ気になっていたことをフェリクス王子に訊ねたくなった。
あの謎の質問状のことだ。
几帳面な文字で何十項目にも渡って、食材についての質問が書き連ねられていた質問状。
あの気のいいゴブリンの料理長に、王子が特別に細かい注文をつけて困らせたようなことを、魔王も王妃も言っていた。
王子自身も、質問状のことを口にした。
導き出されるのは、質問状の作成者がフェリクス王子であるという予想だけれど、実際はどうなのか。
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