第5話 ご飯を囲んで家族になる
「カトリーヌ王女、ひとりでよくぞ、敵方の城に来てくださいました。その勇気に敬意を評します」
フェリクス王子が言った。
重ねられた手に力が込められる。淡々とした声ではあるが、心からの労りが伝わってくる。
(フェリクス様だって、突然押し付けられた話に困惑しているはずなのに、こうまで言ってくださっている。見つめるべきだわ、正面から)
手の甲に書かれた『ザコ』『弱虫』の文字を思い出す。自分はザコでも弱虫でもないと、羽根ペンに啖呵を切ったではないか。
決意したカトリーヌは王子の手をとって、握り返す。
顔を上げ、正面のミノス王とカーラ王妃を見つめ、それからゆっくりと首を巡らせる。王子の座る方へと。
「フェリクス王子、御心遣い感謝いたし……ま……」
瞼を持ち上げて、視線でフェリクス王子の顔を下から辿って行ったカトリーヌは、彼とすっかり目を合わせた瞬間に言葉を失った。
彼女の目の前には、母親譲りの漆黒の髪に父王譲りの深い紫色の瞳をした、美しい青年が居た。硬い表情もあいまって、まるで人形のように見えた。
「フェ、フェ、フェリクス、王子、ですか?」
「いかにも」
表情を変えないまま、王子は答える。
そしてカトリーヌの手を取り上げて、自分の頬に添える。
「そうだ、父王。先ほど聞きかけたことなのですが」
「なんだ?」
ミノス王とカトリーヌを交互に見ながら、彼は表情を変えずにこう言った。
「人族の娘というのは、皆このように美しく、優しく、清らかなものなのですか?」
と。
相変わらず表情を変えないまま、カトリーヌの目を見つめて王子が言うものなので、カトリーヌはどうして良いのか分からない。
「ひ、はひ、ふぇりくすおうじ……?」
頬が赤くなるのを感じる。
同時に、胸の奥のところで何かが音を立てて開いた。開いた隙間から、ぽわん、と暖かい風がかすかに流れてくる。
(何だったのかしら、今の感覚……?)
一瞬よぎったのは、何か内なるものが殻を破ろうとするような感覚だ。破れた殻の隙間から、暖かい空気が漏れてきたような、そんな感覚。
「ハハハハ! 種族が同じでも皆が同じ顔と性質というわけではないのは、魔族も人族も変わらぬよ!」
カトリーヌの思索は、ミノス王の豪快な笑い声で吹き飛ばされた。
「あらあ、フェリクスったら、やるわねえ」
カーラ王妃が一緒にはしゃいだところで、やっと、晩餐の間に料理を乗せたワゴンが運ばれてきた。
「おまたせしましたー」
「前菜だよー」
「あと飲み物だよー」
「ちょっとーだれかアタシの髪の毛引っ張ってるー」
「掴まってるだけだよー」
「ワゴンが早すぎるんだよー」
チェリーたちが、給仕のワゴンと共にわらわらとやってきた。背の低いチェリーたちは、ワゴンを押すというよりも、動くワゴンに引きずられているかのようだ。
王子の言葉に動悸が収まらないカトリーヌには、チェリーたちの賑やかさがありがたい。あのままの空気でいたら絶対に、なにか恥ずかしいことを口走ってしまいそうだ。魔王と王妃に囃されるのもいたたまれないし、隣でスンと澄ました顔をしている王子が、次に何を言い出すのかも怖い。
(初対面の私に「美しく、優しく、清らか」だなんて、う、うつくしく……? そんな歯が浮くようなこと、言わない! 普通は言わない!)
手のひらにじっとりと汗をかいていることに気が付いて、カトリーヌはこっそりとナプキンでそれを拭う。ただ恐ろしいだけなら耐えられたけれど、こんな甘くてむず痒いのは予想していなかったし、慣れない。
そんなカトリーヌの横に、華麗なターンをきめて給仕ワゴンが停車した。
「すごいですね、ワゴンがまるで自分で走ってきたみたい」
カトリーヌはこれ幸いと、自分の意識と周囲の話題を、ワゴンへとそらした。
「ほほ、自走術式ワゴンなの。トロールたちが婚姻の祝いにとくれたのよ」
「そうなんですね、初めて見ました。私の知っている自走術式のものって……あ」
言いかけて、しまった、と口をつぐむ。
カトリーヌの見知った自走術式のものといえば、戦場を偵察する魔導具であったり、自爆の術式を同時にかけられた突撃兵だった。もちろんそれは魔族との戦争で使われたものであり、婚姻の食事の席にはふさわしくない。
気まずくなって黙り込むカトリーヌの、ナプキンを握りしめたままの手にフェリクス王子が触れた。
「……!」
「君が気にすることはない。僕たちも、自走術式の技術は戦場で使っていた。トロールに作らせて。……でも同じ技術でも、戦争が終われば、こんな風に使うことが出来る」
心を読むような言葉に、カトリーヌの心臓がギクリと跳ねる。
フェリクス王子は、触れた相手の心を読めるのかもしれない。呪文の詠唱もなにも無かったけれど、強大な力をもつ魔族の王子なら、無詠唱で読心の術を使うことが出来ても不思議ではない。
もしかしたら、先程からの胸の高鳴りも、
そう考えたカトリーヌは、そのことを考えた端からまた王子に読まれる、と気づいた。そして、焦って手を振り払ってしまった。
瞬間、王子がほんの僅かに眉根を寄せる。
カトリーヌにはそれが、怒っている、というよりは、悲しんでいるように見えた。見逃してしまいそうな小さな表情の変化だけれど、自分がひどく冷たいことをした気がする。
「はいはい、仲良しなのはいいけど前菜だよー」
「なんだっけーこれ」
「前菜でしょー」
「その前菜ってやつの名前だよー」
「知らなーい」
「ていうか前菜ってなにー」
かしましいチェリーたちが、魔王、王妃、王子、カトリーヌ、四人の目の前に皿をドンドンと音をたてて置いていく。
「フルコース、というものを用意させてみた。いやはや、我らとは随分と食事の作法が違うようで、口に合うか分からぬのだが」
「ゴーシュが随分と頭を悩ませていたわ。ああ、ゴーシュにはお会いになって? 料理長なのよ」
魔王と王妃に続けて話しかけられ、カトリーヌは縮こまっていた背筋を急いで伸ばす。
「は、はい! すごく優しい方で、お料理がとても好きなんだろうなって」
部屋を訊ねてきたゴブリンの、朴訥とした雰囲気を思い出しながら答える。魔王と王妃は嬉しそうに頷いた。
しかし、王妃はすぐに渋い顔になって、ため息をついてみせる。
「そうなの。でも私達の注文に、さらにフェリクスの難癖もあってねえ」
「いやはや、ゴーシュは素晴らしいシェフだ。それをフェリクスが困らせてのう」
「ホント、いつからこんな細かい男になったのかしら」
「カーラ、婚姻の食事の場だ。このくらいにしておかぬと。いやはや恥ずかしい」
なにやら言われ放題のフェリクスの方をうかがうと、素知らぬ顔で前菜に手をつけようとしている。
「なにか料理長を困らせたのですか?」
好奇心から小声で訊ねてみても、無表情でいるばかりだ。並べられたナイフとフォークの上を、王子の手が行ったり来たりしている。
「あっ。それ、外側からです」
思わずそう耳打ちすると、王子はギュンッと首を向けてカトリーヌを見た。
「何がだ?」
「いや、ナイフとフォーク……迷われているようだったので……」
自分から耳打ちしにいったのだから自業自得だけれど、至近距離で王子の顔を見てカトリーヌは固まった。メデューサを見た者は恐怖で石になるというが、王子の美しさも、この世ならざる美の迫力で、見た者を石にしてしまいそうだ。
そんなカトリーヌの様子に何も思わないのか、王子は無表情のまま納得したように頷いた。
「ふむ。事前に調べはしたが、やはり人間式の食事は慣れるまでに時間がかかりそうだな」
「そんな、私に合わせていただかなくても良いんですよ」
「そうはいかない。食事は、夫婦にとって一番大事な時間だからな」
「ふぐ、ふ、夫婦!」
「おかしいことを言ったか? 僕と君は夫婦だ。こうして婚姻のための晩餐を囲んでいるのだから」
また王子の眉根が僅かに寄せられた気がした。
すぐに、元の人形のような顔に戻ってしまったけれど、カトリーヌはたしかにその表情の小さな変化を見た。元々は表情豊かだったのかもしれない。何かきっかけがあって無表情になってしまったのかもしれない。ふと、そんな思いがよぎる。
ナイフとフォークを手に取った王子の横顔を見つめ、それからカトリーヌは自分の目の前の皿に向き合った。
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