第4話 顔合わせでも驚き通し
「遠い所をよくぞ来てくれた。
「嫌ですわミノスったら、こんな若いお嬢さんにそんな話してもつまらないでしょう」
「おおカーラ、それもそうだ。全く野暮でいかんな。いやはやミノタウロス族はどうもデリカシーの面でモテなくてな」
「あら、吸血種のなかでも最も美しい蔓薔薇族の、さらに一番美しい私を娶ったあなたがモテないなんて御冗談を」
「カーラ、いやはや、そなたが
「あなたが素敵だったからよ、ミノス」
「カーラ」
「ミノス」
魔王城の二階広間にて、睦まじい夫婦のいささか目に余るイチャつきが繰り広げられている。
カトリーヌは、その夫婦の姿にまたしても失神しないようにするので精一杯だ。
なにしろミノス王は、牛頭で腕が四本生えている。目は一つで、深い紫色の瞳は見つめるだけで魂を吸い取られそうだ。その大きな体は鋼のような筋肉で覆われており、手足の爪は一本一本がナイフのように鋭い。
地の底から響くような声は、本能的な恐怖を呼び覚ますものだし、言葉に交じる鼻息は生臭い風となってカトリーヌの顔に吹き付ける。
魔王城の広間はそう広くなく、カトリーヌの居た王宮の応接間ほどの広さしかない。
カトリーヌは、魔王と王妃とともに丸いテーブルについていた。テーブルは小さく、巨躯のミノス王が腕を伸ばせばカトリーヌに届きそうである。
「え、あ、と。家族と認めていただけるように頑張ります。よろしくお願いしま……」
魔王の迫力に押されながら、しどろもどろになんとか言葉を紡ごうとする。
「遠慮なしよ〜。本当にありがとう。交戦していた相手に嫁ぐなんて、本当に恐ろしかったでしょう」
カトリーヌの言葉を遮ったのは、カーラ王妃だ。彼女は漆黒の髪に真っ赤な瞳を持つ美女で、カトリーヌより少しだけ年上のようにも、数百年生き続けているようにも見える。
絵画のなかの歳をとらぬ美女のような雰囲気だ。ミノス王のように恐ろしい見た目はしていない、……少なくとも上半身は。
(蔓薔薇族って、さっき言ってたっけ)
カトリーヌがテーブルの下にさりげなく視線を落とすと、そこにはカーラの瞳と同じ緋色のドレスが見える。
その裾からは、無数の太い蔓が蛸の脚のように広がって、広間の半分を覆っている。蔓のところどころには可憐な赤い花が咲いている。カーラの周りは濃厚な緑の香りにあふれていた。
「ありがとうございます。あの、お部屋も用意していただいて」
「気に入ってくれたら嬉しいわ! 可愛いベッドというものを作らせてみたの。人族の絵画を参考にしてね。人族ってベッドの上に寝転んで絵を描いてもらうのが好きなようね! 寝るときは裸なのね!」
「あーと、それはまあ、皆が裸で寝ているわけではないというか、絵のモデルとして裸婦が好まれるというか……なんなんでしょうね?」
説明しながら、カトリーヌは自分でも何を弁明しているのか分からなくなってきた。裸婦画の方が男性に売れるらしいですよ、なんて言えないではないか。
カーラはそんなカトリーヌの焦りには気付かない様子で、話を続ける。
「ふうん、そうなのね。まあ、部屋に何か足りないものがあったら、チェリーっていう使用人に言ってくれたらいいからね。ピンク色の髪の三つ編みの子たちがチェリーよ! ちょっと抜けてるところもあるけど、私の花の分身みたいなものだから、そこは許してあげてね!」
「あ、はい。どうりで」
「何かあったかしら?」
「いえ、こちらのことです! 色々ありがとうございます」
天蓋が逆さまに付けられていたり、枕が足元にもあったり、水差しに不思議な魚が泳いでいた理由が分かった気がした。絵を見て真似したところ、真似しきれなかったということらしい。
しかし好意から、人間風の部屋を作ってくれたのだから細かいことを言うのは我儘というもの。
それに、魔族の王と王妃が、心を尽くして準備してくれていたことが、意外だった。思っても居ない歓待だったけれど、嬉しいのは確かだ。
しかしカトリーヌは、自分の隣の空席が気になって、喜びきれずにいた。
(王子は、隣に座るのかしら。それにしても遅いわ……)
向こうも突然決められた婚姻に困っているのかもしれない、とカトリーヌには思えた。
「フェリクスが顔を見せず申し訳ない。あいつは何やら料理のことに口出ししておってな」
カトリーヌの心を読んだかのようにミノス王がそう言ったので、彼女は思わず笑顔のまま固まってしまった。
とんでもございません。という言葉も忘れて、ただ曖昧な笑顔のままでいるカトリーヌに、今度はカーラ王妃が声をかける。
「もうすぐやって来るわ。チェリーに呼びに行かせているから」
「親の欲目で恥ずかしいが、優しく美しい王子だ。カーラにそっくりでな。会えたらぜひ仲良くしてやって欲しい」
「あら、ミノスに似ていてよ。強くて賢いところが」
「カーラ」
「ミノス」
またも目の前で二人の世界に入ろうとする夫婦を置いて、カトリーヌはフェリクス王子の容姿を想像する。
カーラ王妃にそっくりということは、下半身が蔦植物なのだろうか。頭はミノス王のように牛なのだろうか。 目が一つどころか、体全体が目のような、ブルーベリみたいな化け物かもしれない。
その無数の目の一つ一つがカトリーヌを睨み、傷口のように避けた真っ赤な口が名前を呼ぶのだ。
「カトリーヌ・ド・マルセス王女。遅くなりまして申し訳ありません」
(そう、こんな風にきっと声だけは涼やかなの。それがまた恐ろしいのだわ。)
「フェリクス、支度にどれだけかかっているの」
カーラ王妃が横目でカトリーヌの背後を睨みながら、可愛らしく膨れてみせる。
「すみません、少し確認事項がありまして」
声が背後から近づいてくる。
その時点で、やっとカトリーヌは気づいた。この声は自分の想像などではなくて、本物のフェリクス王子のものだ。王子は今、靴の音を鳴らしてカトリーヌの背後から近寄ってきている。
(少なくとも、足は二本で靴を履いているようだわ)
いきなり振り向くのも淑女らしくないだろう、とカトリーヌは背筋を今一度しゃんと伸ばして王子を待った。
ピンク色の髪をお下げにしたメイドが二人、カトリーヌの隣の椅子を引く。
彼女たちは小さくて、子どものようだ。そして全く見分けのつかない顔をしている。人間の子どもと違うところは、メイド服のスカートから伸びるのが、かわいらしい膝小僧の脚ではなくて蔓だというところだろうか。
カーラ王妃のものよりは短くて細いが、無数の蔓をうねらせながら彼女たちはちょこまかと動き回る。
「んしょ。フェリクス様こちらへどうぞっ!」
「カトリーヌ様、すっごくおきれい〜!」
「ね、ね、お部屋どうでしたっ!? あの四角いフカフカは沢山有ったほうが良いと思っていっぱい置いたよ!」
「寝る所の近くに水を置くのは、魔力を集めるためでしょ? だから魔力を吸着しやすいドー・フィッシュを入れたの!」
「それってアタシのアイデアじゃない!」
「あなたのアイデアはアタシのアイデアでもあるでしょ!」
二人のチェリーに左右から迫られて困惑していると、大きな、しかし優美な手が彼女らを制した。
「下がっていなさい。困っているだろう」
そう言ってフェリクス王子は、斜めに引かれた椅子を真っ直ぐに引き直すと、「失礼」と呟いて着席した。
きっと恐ろしい姿に決まっている、と思いこんでいるカトリーヌは、隣に目を向けることが出来ない。
間近に見て失礼な反応でもしたら、申し訳が無い。それに、王子の機嫌を損ねては、婚姻の解消もあり得る。
(そんなことは絶対にだめ! そうなったら、また、平和が遠くなるわ)
緊張して固まったままのカトリーヌは、頬に痛いほどの視線を感じた。
「これこれ、フェリクス。淑女の顔をそうまじまじと見つめるものではないよ。いやはや、無作法な息子で申し訳ない」
「父王、人族の娘というものは……」
そう言いかけて言葉を切った王子の手が、カトリーヌの顎に伸びる。
びくり、と震えるカトリーヌに、王子はすぐさま手を引っ込めた。
「すまない。顔を見せてくれないだろうか?」
「わ、私……私……、こんな近くでフェリクス様を見つめるなど、心の準備が……」
視線を下に落としたカトリーヌは、スカートの上で指を組んでは外し、落ち着かない様子を見せる。
あかぎれだらけの指、山歩きですりきれたドレス。淑女教育も受けてきておらず、自信などかけらもない。
王子はどんな恐ろしい姿かと、想像するだけで泣きそうだ。
置かれた状況に身を震わせるが、それでもカトリーヌは、逃げないということだけは心に決めている。
カトリーヌの震える指に、王子の手が重ねられる。温かな手のひらに包まれて、少しずつ、緊張がほどけていく。
どれだけ恐ろしい姿でも、この優しい手の持ち主には変わらないのだ。とカトリーヌは感じ、顔を上げる決意を固めた。
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