第11話

 自分がうまくいかない理由をちかちゃんのせいにしようとしていることに、オレは苛立ちを覚えた。


「ていうかそもそもそのギクシャクにちかちゃん関係なくない?」


「そうかな。でもほら、千花ちゃんてわたしの彼氏のことが好きだから。わたしたちの関係が悪くなって喜ぶのは千花ちゃんなんじゃないかって」


「ちかちゃんがそんなこと喜ぶわけないだろ。友達なのにそんなことも分からないのかよ」


 生い茂る木々からパラパラと雨粒が落ちる。


 互いに言葉を発さない静かな時間が流れた。


 その静寂を破ったのは彼女だった。


「千花ちゃんのこと信じてるんだね。そんなに一途に。うらやましいなあ。私も佐藤くんみたいなひとを好きになればよかったのかな」


 口先だけ甘いことを言っているが目が笑っていない。


 彼女はこりずにオレに近づこうとし、オレは再び距離をとった。


「ねえ、千花ちゃんはまだ先輩のことが好きだと思わない? こうなったらもうわたしと先輩が別れて、千花ちゃんと先輩がつき合えばいいと思うの。だから佐藤くん、千花ちゃんのことは諦めて? よかったらわたしと――」


「オレ、あんた全然タイプじゃないから」


 おかしな提案をされる前に断りを入れると、相手の顔がぴくりと歪む。


 その顔は一瞬で切なそうな表情に切り替わり、彼女は言いづらそうに口を開いた。


「実はいままで黙ってたけど……忠告しておくね。千花ちゃんはやめたほうがいいよ。わたし昔から千花ちゃんに――いじめられてるの」


 彼女はそう言って自身の制服を指さす。


「見て。制服びしょ濡れでしょ? 傘盗まれたの。千花ちゃんはいつもわたしの傘を盗るの。千花ちゃんは人気者だから誰にも言えなかった。信じてもらえないと思って。でも佐藤くんみたいないい人が騙されてるの見てもう黙っていられない。お願い佐藤くん……」


 弱々しく語られる言葉にオレの思考は止まる。そして次の瞬間、腹の底から怒りが込み上げた。


「お前――どっち?」


「え?」


「オレを潰そうとしてんの? ちかちゃんを潰そうとしてんの?」


 オレは理解した。目の前の女は嘘いつわりでちかちゃんを悪者にし、オレをちかちゃんから遠ざけようとしていると。


 感情を抑えつけようとすると声も抑揚がなくなる。


 彼女はそんなオレに目を瞬かせた。そして予定外のことが起きているかのように顔をしかめる。


「そーか。ちかちゃんだな? ならお前、オレの敵だ。前から思ってたよ。ちかちゃんにわざわざのろけにきたり、ちかちゃんがジョギングしてるの知ってて公園に見せびらかしにきたり。性格悪いなってずーーーーーっと思ってた」


「な、なに急に」


「悪いけどちかちゃんの前から消えてくれない?」


 目の前にいるのはちかちゃんの友達ではない。ちかちゃんを陥れようとしている敵だ。つまりそれはオレの敵でもある。


「ああ、まさかとは思うけど……ちかちゃんの好きな相手とつき合ったのって、ちかちゃんへの嫌がらせが目的でほんとうは好きでもなんでもなかったりするの?」


「やめて、佐藤くんはあの子に騙されてるんだよっ」


「もうやめればその演技。なに言ったってオレは自分の目で見たものしか信じない。そしてオレが見たのはちかちゃんに対して意地汚いことをするあんただ」


 敵を見る目で彼女を見る。


 ちかちゃんの友達を語りながらちかちゃんを傷つける行動をする。


 それが許せなかった。


 彼女はとりつく島もないことを悟ったのか、歯を食いしばって斜め下の地面を睨みつけている。


「どうして、」


 ギリギリと拳を震わせながら、彼女は絞りだすようにしゃべる。その肩はブルブルと震えていた。


「なんで千花ちゃんばっかり……!!」


 雨がいっそうひどくなる。オレは腕を伸ばし、自分の傘を彼女の体が入るようにさした。


 途端に頭からびしょ濡れになる。彼女は信じられないものを見る目をこちらに向けた。


「なに……?」


「ちかちゃんだったらこうする」


 その瞬間、彼女の目の色が変わった。乾いた笑い声が雨の音に混ざる。


「あは、ははは。よく知ってるね。そう。千花ちゃんはね、わたしが濡れていたら傘をさしてくれるし、わたしがいじめられてたら庇ってくれるし、わたしが辛かったらそばにいてくれるの。千花ちゃんってずっとそう。いい子で周りに好かれていつも堂々としてて運動もできてモテて、モテて、モテて……わたしはいつも脇役だった」


 さし出した傘は彼女の手によってバシンッと音を立てて弾かれた。


 オレは宙ぶらりんになった手と、うつむいたままの彼女を交互に見つめる。


「なんでちかちゃんを傷つけるようなことをするんだよ」


 ちかちゃんは彼女のことを友達だと思っている。


 きっと、いろいろ思うところはあるはずなのに、友達を続けようとしている。


 なのに彼女はその気持ちを全て無下にしているのだ。


 彼女は暗い目をしてオレの問いかけに答えた。


「ずっとずっと、千花ちゃんに勝ちたかった。なんでもいいから千花ちゃんより勝るなにかがほしかった。唯一、千花ちゃんがうまくいっていないことが恋愛だった。だから、だから! ……わたしがんばったんだよ。これは証明なの。わたしの生きてる意味なの! 千花ちゃんよりも恋愛でうまくいくことがわたしの全てなの! 邪魔しないで。急に出てきてわたしの邪魔しないで。千花ちゃんを幸せにしないで! わたしが千花ちゃんと友達でいるにはわたしと同じくらい千花ちゃんも不幸でいなくちゃいけないの。千花ちゃんは恵まれてる。だから、恋愛で失敗することでやっとわたしと同じ目線に立てるの!」


「ああ、そう。ふざけてるよお前」


 ガツッと彼女がオレのふところに潜り込み、胸ぐらを掴み上げる。その形相は手負いの獣のようだった。


「消えるのはあんたの方。千花ちゃんはあんたなんか選ばない! 目ざわりなの!」


 オレは彼女の肘を掴んで抵抗する。


「それで? まさかほんとうにちかちゃんに勝った気でいるのか? ちかちゃんは上とか下とか考えてない。ましてや恋愛の勝ち負けなんて、バカバカしい! 友達として最低だ。ちかちゃんに勝ちたい? あいにく人間として全部負けてるよ!」


「うるさい……うるさい!!」


「お前なんかが二度とちかちゃんの友達を語るな!!」


「あんたにわたしたちのなにが分かるっていうの!?」

 

 そんな終わりのない言い争いを止めたのは、いま一番この場にふさわしくない声だった。


「二人とも! 待ってってば!!」



♢♦︎♢



 オレが説明を終えると、ちかちゃんは目を伏せていた。


 長いまつ毛が影をつくる。


 ちかちゃんが真実を知ったら泣いてしまうかもしれないと思っていたけれど、ちかちゃんの目に涙はなかった。


 ちかちゃんは、オレの大好きなその凛とした目を、膝を抱えてうずくまる友人に向ける。


「ひなた、次はひなたの番だよ」


 ちかちゃんに促されても彼女は黙ったまま顔を上げない。


「いいのか。黙ってるってことは、オレの説明が全部正しいって言ってるのと同じだからな」


「佐藤くん、待って」


「ちかちゃんになにか、弁明したいことはないのかよ」


 オレはなにも悪くないはずだ。なのに黙られるとこっちが責めているように思えてしまう。


 ちかちゃんはそんなオレの心情を分かっているとでも言うようにオレの肩に手をやった。


「佐藤くん、大丈夫。少しひなたと話をさせて」


 ちかちゃんはそう言って、黙り込む彼女に合わせてしゃがんだ。


「ひなた」


 囁くような声でちかちゃんは呼びかける。


「ひなた、わたしのこと嫌いだったの」


 ぴくりと彼女の肩が跳ねる。ちかちゃんはその反応を確かめてからゆっくりと話し続けた。


「ごめんね気がつかなくて」


(ちかちゃんが謝ることなんてなにもないだろ)


 オレは口を挟みたい気持ちをグッと抑える。ちかちゃんはそのまま、顔を上げない相手に対してこんこんと語りかけた。


「わたしに勝ちたくてこんなことするなら、もう全部、わたしの負けでいいから。――でもこれだけは聞かせて。ひなたは先輩のこと、ほんとうはどう思ってる? 佐藤くんが言ったようにわたしの好きな人って理由だけで選んだの?」


 その質問に返事はない。


 ちかちゃんは深く息を吸い込んで、また口を開いた。


「わたしはね、先輩がひなたを選んだのは、ひなたの努力が報われたからだと思ってる。ひなたは変わった。わたしにくっついてた頃のひなたよりもいまのひなたの方が断然いい。それはひなたががんばったからだよね。努力したからだよね。先輩もそんなひなたを好きになったんじゃないかな。だからたとえひなたが本心では先輩のこと好きじゃないんだとしても……先輩を裏切るようなことはしないでほしい」


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