四、土砂降りのち真実
第10話
♢♦︎♢
『千花に近づくな』
朝、げた箱を覗くとそんな文字が印刷されたコピー用紙が入っていた。
オレは上履きに伸ばした手を一瞬止めて、げた箱の名前を確認する。
佐藤謙信。確かにオレのげた箱だ。この手紙は間違いなくオレ宛てのものだった。
(なんだこれ。
バカバカしい。オレの想い人には隠れファンが多いが、こうやって分かりやすく牽制されるのは初めてだった。
いずれにせよこんな行動をするヤツにちかちゃんは渡せない。オレはコピー用紙を手にどう対処すべきか考える。
恋のライバルというだけならまだいい。
相手は最近ちかちゃんに猛アピールしているオレが気に食わないのだろう。
正直、なりふり構わずなのは自覚している。
オレのふるまいが原因で、ちかちゃんにまで害が及ばないようにしなければ。
そんなことを考えている間にも生徒たちが登校してくる。朝から続く重たい雨のせいで周囲がいつもよりうるさい。
その喧騒に混ざった背後の気配に気づくのが遅れた。
「佐藤く、」
「わあっ!」
突然かけられた声にオレは驚いて飛び上がり、手元のコピー用紙をぐしゃっと握りつぶしてしまった。
振り向くとそこには困った顔をしたちかちゃんがいた。雨に濡れてしまったのか全体的にしっとりとしている。
オレは飛び出そうになった心臓をなんとか飲み込んでちかちゃんに答えた。
「ちかちゃん! びっくりしたあ」
「うん、おはよう……? それ大丈夫?」
ちかちゃんが指さす先には例のコピー用紙。オレは内容が見えないように手のひらの中に丸めて、さりげなく背後に隠した。
それを見たちかちゃんの眉毛がハの字になる。なにかを思案しているときの表情だ。
(どうにか……うまいこと勘違いしてくれないかな)
内容が内容だけに、いくらちかちゃんでも追及されたくない。そんな思いが届いたのかちかちゃんはピンとひらめいたように言う。
「もしかして、ラブレター?」
そのあまりにも的はずれな指摘に、オレはこころの中でのたうち回った。
(あー! 無理無理! 天然かわいすぎるってぇ!)
と叫び出したくなるのをグッとこらえ、表面上はなんでもないように話を続ける。
「あ、これ? ううん。朝来たらげた箱に入ってたんだけど、なんかダジャレが書いてあった。ただの悪ふざけだよ」
「ダジャレ?」
コピー用紙をぐしゃっとさらに握りつぶすと、ちかちゃんは一瞬目を丸くしたがすぐになにかを納得した表情を浮かべた。
「気になった?」
「え?」
ちかちゃんがあまりにもかわいいから、オレだけ乱されるのが癪でついイジワルしたくなってしまう。
「もしオレがラブレターもらってたらって。気になった?」
「な、べ、別に……そんなこと」
ない。
と言い切らないのが優しい。
(だからオレみたいなのにつけ込まれるのに)
むむっと唇を引き結んでしまうちかちゃんに、オレはたまらず笑みを浮かべる。
(ああ、ほんとうに)
(好きなんだよなあ)
そして、ちかちゃんの耳元に口を寄せて囁いた。
「言い忘れてた。おはよう」
「〜〜〜ッ!! おはよっ!!」
ちかちゃんは持ち前の運動神経を見せつけるかのように一瞬でその場からいなくなってしまった。
少しイジワルしすぎたかと反省しながら、オレは手の中の紙クズを握りしめる。
さあ、どうしようか。
近づくなと言われて素直に従うつもりは最初からないのだ。
雨はどんどんひどくなる。体育館で全校集会が行われた後、オレは廊下でおしゃべりするちかちゃんの姿を見つけた。
ちかちゃんの目の前には、ちかちゃんの好きな先輩がいた。
相手のことを直接ちかちゃんに聞いたわけではない。
けれどずっとちかちゃんを見ていたオレにはすぐに分かった。
ちかちゃんは恋をするとこんな顔をするのだと。
そして、失恋するとあんな顔をするのだと。
ちかちゃんは柔らかい表情でその先輩と話している。
(先輩のことまだ好きなのかな……そりゃあそうか)
オレが何度好きだと言っても、ちかちゃんのこころが納得しないと意味がない。そしてそうなるにはきっとまだまだ時間が足りない。
ゆっくりでいい。オレのことを知ってもらいたい。そしていつか奇跡的に気持ちに応えてもらえたら。
(そんなことは夢のまた夢だけど)
オレはちかちゃんから目をそらした。オレ以外の男と楽しそうに話す姿を見たくない。
どうしたらもっとちかちゃんに近づけるかばかり考えて、授業の時間が過ぎていった。
(ちかちゃん今日日直か)
帰り路を急ぐ生徒の中にちかちゃんの姿がないと思ったら、こんな天気の日でも真面目に日直の仕事をしている。
どうやら後は日誌を書くだけらしく、手伝えることも残っていないようだ。
空は分厚い雲に覆われていて、まだ夕方なのに薄暗い。
オレは昇降口でちかちゃんの帰りを待つことにした。
たまたま出会った風を装って一緒に帰ってしまおうという魂胆だ。待ちぶせしていることがバレバレでもそれはそれで構わない。
傘を取り靴を履き替えようとしたそのときだった。再びげた箱に紙が入っていることに気づいたのは。
(またかよ! もー勘弁してくれ)
今度は丁寧に飾り折りされた手紙が靴の上に乗っている。オレは悪い意味で人気者の気分を味わっていた。
捨ててしまおうとも思ったが、ちかちゃんに関係するものならば放ってはおけない。なにが入っているかもしれないそれを注意深く開封する。
するとその紙に書いてあったのは予想外の内容だった。
『相談したいことがあります』
てっきり罵詈雑言が書かれていると思っていたオレは虚をつかれる。
手書きの丸文字で書かれたその一文の後には、『体育館裏で待っています』と追記されていた。
(これは、今朝のダジャレとは別人なのか? 待ってますっていったって外はいま……)
ザアザアとガラスを叩く音が一層ひどくなり、オレは昇降口の外を見た。
相手が誰であろうとこの雨の中呼び出すのは相当なことだ。
オレは傘を手に体育館裏へと向かった。
ぬかるんだ地面を速足で進む。
もし嫌がらせの犯人が待ち構えていたのなら、こちらも言いたいことがある。
しかし指定された場所に辿りついたオレを待っていたのは異様な様子の相手だった。
「な、」
そこにはこの土砂降りの中傘をささず、全身がぐっしょり濡れた女子生徒がいた。
彼女はオレの存在に気づくと青ざめた顔に笑顔を浮かべる。
「来てくれたんだ」
彼女は隣のクラスの、ちかちゃんにひなたと呼ばれていた子だった。
「なに、やってんの……? 傘は?」
「うん。わたし栗本ひなた。ちゃんと話すの初めてだね」
会話になっていない。
彼女は答えにならない返事をしてオレに一歩近づく。
それを見てオレはジリッと一歩後ろに退いた。
「相談したいことって?」
嫌な予感がする。相手の雰囲気にのまれないようにオレは話を切り出した。
彼女は距離を保つオレになんの感情もない目線を送りながら答える。
「佐藤くん、最近千花ちゃんと仲良いよね」
(ホラきた。オレの悪い予感は当たるんだ)
いつもなら適当にあしらって終わる。けれど彼女はそうさせないオーラを放っていた。
その無邪気な笑顔には隠しきれない裏を感じる。
次に、彼女は雨に打たれながら悲しげな表情を浮かべた。
「実はわたし、最近彼氏とうまくいってないんだ。一度公園で会ったよね? バレー部の先輩なんだけど。話してても話題が千花ちゃんのことになっちゃう。それが嫌だって言ったらギクシャクして。もしかしたら彼と千花ちゃん、陰で繋がっててわたしのこと悪く言ってるのかも……。千花ちゃんからなにか聞いてない?」
「ちかちゃんは陰口なんて叩かない」
突然始まった恋愛相談をピシャリと一刀両断する。
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