第9話
「佐藤
「そんなこと……佐藤くんはしない! わたしは佐藤くんの努力を知ってる。周りが勝手に壁をつくってたんでしょ!」
「千花、騙されないで。オレが一番千花のことを好きだ。なんでもするから。オレとつき合って?」
藤井くんはすがるような目でわたしを見る。
そのときわたしは気づいた。
佐藤くんに言われた『好き』とのちがいを。
あの日、あのとき。
こころに深手を負ったわたしに気づいて声をかけてくれた。
そして突然告白することで、わたしの意識を無理矢理失恋から背けて、壊れそうになっていたわたしのこころを守ってくれた。
あの瞬間からもう佐藤くんはわたしの特別だったんだ。
私はぎゅっと胸を押さえる。
佐藤くんのことだから、きっと温室の時のようにロマンチックな告白だってできたはずだ。
下手したら失恋の弱みにつけこんでいるとも捉えられかねない告白は、本人もしたくなかったはず。
それでもあのとき、わたしのために勇気を出して告白してくれた。
わたしのためだけにわたしのことが好きだと言ってくれた。
自分勝手な『好き』じゃない。ほんとうの『好き』。
「わたしは、佐藤くんのことが『好き』だから――ごめんなさい」
言葉にするとすとんと胸に落ちる。あんなに意地をはって、認めたくなかったのに。
でも伝える相手がちがう。わたしが伝えるべき相手は目の前の人ではない。
藤井くんは愕然とした表情でわたしに震える手を伸ばす。
その手をすり抜けて、わたしはかばんを持って身を翻した。
「ごめん。あと、悪いんだけど呼び捨てしないでほしい。……部活、頑張って」
なんの慰めにもならないひと言を付け足してから後悔する。
(これは、過去のわたしの言葉が生んだことだ。人のこころはこんなにも難しい)
振り返らずに教室を後にする。「千花」と聞こえる声にわたしは耳を塞いだ。
(言わなきゃ、佐藤くんに。わたしは佐藤くんのことが好きなんだって)
日直日誌を提出することも忘れて、わたしは早足で校舎を歩く。
佐藤くんの声が聞きたい。早く帰って電話をしたい。確信した気持ちが溢れかえりそうになる。
ピカッとまた稲光が空に走り、わたしは窓の外を見た。雨はやや落ち着いてはきているが、まだ止む気配はない。
すると、視界の端にこの雨の中傘を持たずに外を歩く生徒の姿が映った。
(えっ……うそ、あれってひなた!?)
その後ろ姿を間違えるはずがなかった。
今朝持っていたはずの傘をささずに、ひなたは制服姿のままふらふらと歩いていく。
(どうしてあんなにびしょ濡れになって……!)
わたしは慌てて階段をかけ降りる。
途中で運良く担任の先生に会えたので日誌を手渡すことに成功した。
「おお北田、気をつけて帰るんだぞ。ああそうだ、バレー部は次の試合……」
「先生っ雨ひどいからもう帰ります!! さようなら!」
「あ、ああ」
長話が始まりそうになるのをぶったぎってとにかく昇降口へと急ぐ。
わたしは傘立てに置きっぱなしになっていたひなたの青い傘と自分の傘を持って、ひなたの後を追いかけた。
(どこ行ったんだろう……!)
水たまりを踏んだ感覚の後に、つま先からじわりと冷たさが伝わる。
確か体育館の方角に向かっていたはずだが、辺りを見回しても激しい雨が視界を遮るだけだ。
方角だけを頼りに渡り廊下をこえて体育館裏に辿りついた。
ここは木々が生い茂っているおかげで雨の影響が他のところよりいくらかマシに見える。
(いた……!?)
水濡れの木立のそばにひなたの姿を確認した。もはやひなたの制服は全体的に色が変わるほど濡れてしまっていて、ふわふわの髪は乱れて顔にはり付いてしまっている。
そして同時に、もうひとりの人物がそこにいることに気がつく。
それは、自らの傘をひなたに差し出す佐藤くんの後ろ姿だった。
ひなたに声をかけようとしていたわたしは、その光景が目に入った瞬間雷に打たれたように動けなくなってしまう。
(なんで……佐藤くんとひなたがここに?)
たまたま? 偶然なのだろうか?
いや、偶然会うような場所ではない。
なら二人で会っていた?
びしょ濡れのひなたに佐藤くんは傘を握らせようとするが、ひなたはなぜかその傘を手で弾く。
――そして次の瞬間、ひなたが佐藤くんの胸に飛び込んだ。
(え――)
佐藤くんの後ろ姿に重なるように、ひなたの姿が見えなくなる。
傘をささない二人はそのまま、雨の中でじっと動かない。
(どうして、)
わたしの心臓はいま止まってしまったかもしれない。
なにも考えられない。考えたくない。
佐藤くんはわたしのことが好きだと言ってくれた。
わたしも遅くなったけれど佐藤くんのことが好きだと気づいて、そのことを伝えようとしていた。
なのにいま、佐藤くんはひなたと抱き合っている。
かくんと膝が抜けた。
パシャリと水たまりに膝をついて二人の姿を見つめる。
傘をさす手が震え、立ち上がる気力もなく、この場から逃げ出すことすらできない。
キーンという耳鳴りが思考力を奪っていく。ジワジワと涙が視界を狭めるのが嫌で、ぎゅっと目をつぶるとポロポロと涙がこぼれた。
(嫌だ……)
やっとひなたと先輩を祝福できると思ったのに。
やっと佐藤くんのことが好きだと言えるのに。
ひなたのことを嫌いになりたくないのに。
黒い気持ちが胸の奥からわき上がる。喉が勝手にひどいことを叫び出しそうになる。
わたしを蝕む毒だと分かっているのに、二人が重なる様子から目が離せない。
そのとき、雲の切れ目から晴れ間が覗き、雨が一瞬だけ止む。
邪魔くさかった雨粒のノイズがなくなったことで、わたしはあることに気がついた。
佐藤くんの肩が
そして、少しだけ見えるひなたの手が、ギリギリと佐藤くんの胸ぐらを掴んでいた。
(――まさか)
目を凝らして見ると、やはり二人は抱き合っているにしては不自然だった。
(ちがう、あれは抱き合っているんじゃなくて)
角度を変えて見てわたしは仰天する。
二人は互いの腕やらえりやらを強く掴みながら、至近距離で睨み合いをしていたのだ。
(と、と、取っ組み合ってる――ッ!?)
「お前なんかが二度とちかちゃんの友達を語るな!!」
「あんたにわたしたちのなにが分かるっていうの!?」
二人ともびしょ濡れになりながら、普段からは考えられないような形相で言い合いをしている。
わたしは萎えた膝を奮い立たせて、必死の思いで声を上げた。
「ち、ちょっと……!? 待ってー!!」
バシャバシャとぬかるむ地面を蹴って二人の間に割って入る。
二人はわたしの声には気づいていなかったようで、わたしの顔を見たとたん驚きの表情を浮かべた。
「二人とも! 待ってってば!!」
「ち、」
「ちかちゃん……!」
佐藤くんが慌ててひなたの腕を離すと、ひなたはそのまま力を失ったかのようにふらついてしまう。
「わわっ」
わたしは思わずひなたを支えようと手を伸ばす。ひなたの冷たい小さな手を引いて、その体を支えた。
そして肘にかけていた青い傘をワンタッチで開いて、無理矢理ひなたに握らせる。傘の柄ごと力ないひなたの手を包み込むように。
ただでさえ冷え切った体がこれ以上雨に濡れるのはよくないと思ったのだ。
「千花ちゃん」
わたしのその行動にひなたの目が丸く見開かれた。佐藤くんはなにも言わずにわたしたちを見ている。
ひなたは唇を震わせながらなにかを言いかけ、そしてふと諦めたような笑みを浮かべた。
ポタポタとひなたの髪の先から水滴が落ちて、わたしたちの手を濡らす。
黙って見ている佐藤くんにはわたしの傘を差し出した。
佐藤くんは少しためらってから傘を受け取って、わたしと半分ずつ入るように傘をさした。
「なにがあったか教えて」
二人は地面を見つめて黙り込んでしまう。
「ちょっとだけ聞こえたけど、わたしのことで揉めてたんでしょ。ちゃんと二人の口から聞かせて」
「――うん。じゃあ、オレが話すよ」
佐藤くんが重たい口を開こうとすると、うつむいたままのひなたの肩がピクリと小さく跳ねた。
「片方じゃダメ。両方の話を聞きたい」
「分かったよ。……とりあえず、屋根のあるところへ行こう」
佐藤くんはそう言って体育館に目線をやる。鍵は開いていないが軒下で雨はしのげるだろう。
佐藤くんがわたしの手を、わたしがひなたの手を引いてノロノロ移動する。
その道中、ひなたはずっと喉の奥で笑うようなうめくような、とにかく聞いたことのない声を出していた。
「もういい。わたしの負け」
ポツリと落とされたひなたの言葉に、佐藤くんが苦い表情をする。
「それを決めるのはちかちゃんだ」
佐藤くんの手に力が入る。二度目に繋いだ手は少し震えていた。
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