第6話

 佐藤くんに導かれて入った小径こみちの先には、大きなガラス張りの建物があった。そのなじみのない外観にわたしは思わず足を止めてしまう。


(なんだろう。見たことのない木や植物がある。もしかして)


「ここって……温室?」


「そう。うちが管理してる」


 佐藤くんはあたりまえのように鍵を取り出して中に入った。そして室温やらなにやらを確認してからわたしを手まねく。


「えっ。入ってもいいの?」


「あたりまえだよ。そのために連れてきたんだから」


 幻想的な花々をバックに佐藤くんが笑う。


 その画がなんだかきれいすぎて、非日常を感じさせる。


 なかなか入り口をくぐることができないわたしのそでを佐藤くんが優しく掴んで引く。


 この世から切り取られたような異世界に一歩踏み出すと、ふわりと暖かい空気がわたしを包み込んだ。


「わあ……!」


 太陽のひかりがさんさんと降りそそぎ、色とりどりの花々がすくすくと育っている。


 わたしは大きく深呼吸をしてから、美しい周りを見渡した。


(すごい。楽園……ってこういうところのことを言うのかな)


 一定のリズムで室内を潤すミストシャワーと、甘くフレッシュな香りがつかれた体をじわじわと癒してくれる。


 見たことのない世界にわたしの頭はビリビリと刺激を受け、胸は不思議なときめきで満たされた。


 落ち着きなくキョロキョロとしながら、自然と口角が上がってしまう。


「すごいよ佐藤くん……わたしこんなにきれいな場所初めて! 連れてきてくれてありがとう」


 興奮を隠せないまま佐藤くんにお礼を言うと、佐藤くんは温室のガラスにもたれかかりながら私を見ていた。


 ガラスで屈折した陽のひかりがわたしと佐藤くんを照らす。


 佐藤くんは蕩けるような顔をしているのに、苦しそうに眉間にしわを寄せていた。なにかをこらえるようなその表情にわたしは首を傾げる。


「佐藤くん?」


「ちかちゃんのことが好きすぎておかしくなりそう」


「え」


「オレはね。この場所も好きじゃなかった。オレを縛りつけるものの一部だから。いい思い出もない。でもちかちゃんはそんな場所を一瞬で特別なものに変えてしまう。この場所がオレにとって幸せな思い出の一部になる。ありがとうちかちゃん。ちかちゃんのことを好きになってほんとうによかった」


 そう言う佐藤くんの声は少しかすれて、どこまでも甘い。わたしは佐藤くんの言葉の意味をゆっくりと理解して、あまりの恥ずかしさに近くの木の後ろに身を隠した。


(どうしよう。心臓の音)


「ちかちゃん、」


(聞こえちゃう……!)


 木の幹の向こう側で、佐藤くんがコツンと額を木の肌に当てる音がした。


「手繋ぎたい……です」


 それはもはや懇願だった。


 わたしはゴツゴツした幹に手を沿わせながら、ゆっくりゆっくり、腕を伸ばす。


 指先がちょんと佐藤くんの手か腕かに届くと、すぐに手全体が温かい体温に包まれる。


 すりすりと手の甲を撫でられ、爪の形をなぞられる。そして、わたしの指と指の間にそっと佐藤くんの指が絡んだ。


(こ、恋人繋ぎまで、していいなんて言ってない……!!)


「しあわせすぎて死にそう」


 ポツリとこぼされた言葉は、ほとんど吐息に混ざって消えた。


 顔なんて当然見られない。わたしは木に顔を埋めたまま、ただひたすらその柔らかな温度に翻弄されていた。


 しばらくすると、佐藤くんが手を引いて木にへばりついたままのわたしを引っぱり出した。


「ちかちゃんと手、繋いじゃった。うれしい。ありがとう」


 ふわりと笑う佐藤くんの頬はピンク色をしていて、きっとわたしも負けないくらい顔が赤くなっているんだろうと思う。


 大きく鳴り続ける心臓の音をごまかしたくて、わたしは適当に話題をふった。


「ね、ねえ。どうしてわたしにこの温室を見せてくれたの?」


「んー……? そうだなあ。ここはオレを構成するものの一部だから、かな」


 佐藤くんはしゃがんで足元の花壇に咲く花を見つめる。わたしもつられて同じようにしゃがみ込んで、佐藤くんの横顔を見た。


(うう、この横顔美人め……)


 伏せた目が長いまつ毛で影がかかるのがあまりにもきれいで、わたしはこころの中で悶え苦しむ。


「ここはオレの小さいころからの逃げ場所だったんだ。家から少し離れてて、大人の目を避けるのにちょうどよかった」


「そう、だったんだね」


「はは、カッコ悪いよね。でも、前も言ったけど、オレはちかちゃんのこともっと知りたいし、オレのことも知ってもらいたい。いいところも悪いところも全部」


 繋がれたままの手にぎゅっと力が込められる。少し差のあった体温は、時間をかけて分かち合って同じくらいになっていた。


 わたしは佐藤くんの横顔を眺めながら小さい声で問いかけた。


「なにが知りたい?」


「え?」


「わたしのこと。他になにが知りたい?」


「し、質問タイム!? いいの!? 待て待てえっと、ええっと……」


 佐藤くんはぱっと目を輝かせてから、あたふたしながら質問してくる。


「じゃあさ、進路とかもう考えてる……?」


「進路かあ。具体的にはまだ決めてないや。でも将来の夢はバレーボール選手! それでいつか教える側にもなりたいと思ってる」


 佐藤くんは「そっか……」と呟いて、ふと上を見上げて自傷的な笑みを浮かべた。


「ちかちゃんはすごい。オレはなーんにもない。からっぽ。絶対に家継げとか言われるし将来のことなんて考えたくないや」


「わたしも不安だらけだよ。うち片親だから、将来はバレー辞めて働いた方がいいかもしれないし。そうなったら趣味で続けようかなって」


「ちかちゃんは責任もってオレがプロバレーボール選手に育てます」


「なんで保護者ヅラ?」


 佐藤くんはえへへと笑った後、膝に顔を埋めてしまう。


「……うちさ、言ったけど親がチョーきびしいの。多分結婚相手とかも口出してくるだろうけど、ちかちゃんと結婚できないなら誰とも結婚しないって言っておくから安心してね」


「どこまですっとんだ未来の話してるの!?」


(ていうか自分の将来のことは考えたくないのに結婚のことは考えてるワケ!?)


 思わずツッコミたい気持ちをグッと抑える。


 佐藤くんは伏せていた顔を少しだけ上げて、ちらりとわたしを覗き見て言った。


「ちかちゃんとつき合えたら本当に言うよ。家族親戚みんなに。将来ちかちゃんと結婚するって」


 そんな冗談をあまりに溶けそうな顔で言うものだから、わたしは一瞬反応が遅れてしまった。


「ま、たそんなことを」


「ちなみにちかちゃんとつき合えなくても言うよ」


「それはやめて」


(こんなに冗談ぽく言ってるのに。もう、いよいよ逃げられなくなってる。でも……わたしは)


 言葉の端々から真剣さが伝わってくるのだ。冗談めかしているのはわたしに与えられた優しさかもしれなかった。


「ちかちゃんのことだから気がわりが早いとか軽い女とか思われるのが嫌なんでしょ」


「うっ」


 いつかと同じようにこころの中を読まれてわたしは思わず変な声を出す。佐藤くんはもう笑っていなかった。ひどく真剣な目でこちらを見ている。


「でもそれはお互いさま。オレだってちかちゃんの傷心につけこんでる嫌なやつだし」


「そんな……つけこんでなんて、ないじゃない」


 そう、佐藤くんはわたしの失恋に触れずにいる。痛くて苦いその部分から一定の距離をあけて、まあるくまあるく外側だけを包み込もうとしてくる。


 それはほんとうに弱みにつけこむというのだろうか? わたしにはあまりピンとこない。


「ズルい」


 つけこむならもっとちゃんとつけこめばいいのに。なんて言えないけれど。


「うん。ごめんね」


 そういうところがほんとうにズルいと思う。なのに、そのズルさに救われているわたしもいた。


「ちかちゃん」


「ん」


「けんけんって呼んで♡」


「……ヤダ」


 佐藤くんの指がわたしの前髪をさらう。赤い顔はきっと、もうとっくにバレている。



♢♦︎♢



 最近、千花の表情が変わった気がする。


 自主トレ中の真剣で凛々しいまなざしに、どこか柔らかいものが宿るような。


 千花の強くて美しい表情が優しくなった。いい変化だと思う。


 それでいて思い出したように顔を赤くしたり、困ったように眉を下げたり。


 あの日教室でひとり泣いていたのが嘘のようだ。


 千花と初めて会った日から千花だけを見ている。だからオレは、千花の変化にはすぐに気づく。


 なにか心境の変化でもあったのだろうか。


 オレは千花がどんなふうに変わっても好きな自信がある。


 でもひとつだけ許せない。


 千花。


 千花?





 

 なんで休みの日に佐藤と一緒にいるの?













 




 

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