第5話
♢♦︎♢
そもそも玉之江先輩のことを好きになったのは、運命みたいな出会い方をしてしまったからだと思う。
それはわたしがまだ中学一年生の頃。練習や雑用に忙殺されていたわたしの目に鮮やかに映ったのが、コート内で楽しそうにプレイする先輩の姿だった。
そしてその純粋なバレーボールのうまさに、いつからか自然と目で追っていた。技術を学びたいという気持ちと、少しでも先輩を見ていたいという思いが、あの頃のつらく厳しい部活動に色を与えていた。
「北田」
初めて話しかけられたとき、わたしはネットやらビブスやらを抱えたままぼんやりと先輩のプレイを見ていた。
驚いて「はい!」と返事をすると、先輩はにこっと笑ってわたしに近づいてきた。
「ヒモほどけてる」
そして、両手が塞がっているわたしのかわりに、先輩はわたしの足元に屈んで靴ヒモを結び直してくれたのだ。
「す、すみません。あ、ありがとう、ございます」
「いつもお疲れさん」
先輩のことが好きだと自覚したのはそのときだった。
先輩に恋をした気持ちは嘘じゃなかった。ズドンと穴に落ちるような勢いで好きになった。
でもいまは、ゆらゆらと佐藤くんがわたしのこころを揺らしてくる。はやく穴に落ちろとせっついてくる。
いままでのわたしは自然に恋に落ちることしか知らなかった。こんなふうに恋を強いられるのが初めてで、踏み出せない。怖い。
(わたしはわたしの気持ちがわからない。こんな状態じゃあ仮につき合ったとしても、きっと佐藤くんの気持ちに応えられずに、あっさりと終わってしまう)
失恋は人を臆病にさせると知ったから、佐藤くんの押しの強さがうらやましい。
(もしもわたしが佐藤くんくらい先輩に思いを伝えていたらなにか変わっていたのかな)
そんなありもしないもしもを考えて夜がふけていった。
――次の日曜日。
あたりまえのようにまた公園に現れた佐藤くんをつかまえて、ススーッとベンチに座らせた。
頭の上にはてなを浮かべた佐藤くんに向けてわたしは口を開く。
「佐藤くん。同じクラスの双葉と小学校一緒だったんでしょ?」
「双葉って
「い、いやそうじゃなくてね。うまく言えないんだけど」
わたしは言いたいことを改めて脳内でかみ砕きながら説明する。
「話の流れで双葉から佐藤くんの家のこと聞いちゃって、大きくて有名な華道のお家だって」
そこまで言うと、佐藤くんの表情がピリッとしたものに変わる。柔らかい笑顔が固まり、いつも細められている目がまん丸になった。
「うん、それで?」
「なんか、そういうの勝手に知っちゃって悪いな〜と思ったから、わたしの家のことも話しておこうかなと思って」
てん……てん……てん……。
三秒くらい変な間があく。その後、佐藤くんは愕然とした顔をしてわたしの両肩を掴んで言った。
「ちかちゃん……そんな真面目でつかれない!? ダメだよいちいちそんなこと気にしてたら! ちかちゃんがすり減ってすり減っていつか手のりサイズになっちゃうよ! それでもいいけど! いやダメだけどっ。オレの家のことなんてどーでもいいし、ちかちゃんにならなんでも知ってほしいんだから!」
「えっちょ、うるさっ」
「でもちかちゃん
「あー、もうわかったから!」
ベリッと佐藤くんの手を肩からはがして、わたしはポツリポツリと家族について話し始める。
「うちはお母さんと二人暮らしなんだ。
両親は離婚してて、お父さんとはたまに会ってご飯連れてってもらったりしてるけど、向こうからはあんまり干渉してこない。
お母さんは遅くまで働いてるから簡単な家事は基本わたしがやってる。
そうじ、洗濯……あ、料理はあんまり得意じゃないから、部活終わって帰ったらすぐごはん炊いておみそ汁つくるだけなんだけどね。
親子仲はいい方だと思ってる。基本お互い自由にやってるし。
それになによりバレーボールもお金かかるのに続けさせてもらってるから……」
視線を感じたわたしはふと口をつぐむ。わたしのすぐ横にいる佐藤くんは真剣な表情をしていた。
「あ、ごめん。一気に語りすぎた」
「ううん。そんなことないよ」
「だからまあ、片親でも楽しくやってるよって言いたかったんだ! 佐藤くんがもし人づてにわたしのこと聞く前に、自分で言っとこうと思って」
「そっか……。ありがとう、ちかちゃん」
佐藤くんは柔らかく微笑んでから、よく晴れた空を見上げた。そしてしばらくそうしてから、なにかを決心したように立ち上がる。
「ちかちゃん、いまから少し時間いい?」
「え? うん。構わないけど……?」
「ちかちゃんに見せたいものがあるんだ。ついてきて」
佐藤くんは数歩先に進んでわたしを振り返る。なんだかその表情が固い気がして、わたしは心配になる。
(自分語りしすぎちゃったかな……それか、家のことがあんまりいい印象じゃなかった?)
(もしもそれで距離を置かれるならそれまでだったってことだよね)
だったらもう仕方がないことだ。わたしはうそ偽りなく自分のことを知ってもらおうとしただけ。
「オレ、あんまりうちのこと好きじゃなくてさ」
わたしは頷く。佐藤くんの反応からなんとなくそうではないかと思っていた。
「考え方が古いというか、優秀で当然、家を継いで当然みたいなプレッシャーがもうすごくて。歳の離れた姉ちゃんがいるんだけど、さっさと自立して出ていった。だから両親はオレに絶対家を継がせるつもりなんだ」
「佐藤くんも華道やってるの?」
「やってるけど、正直やらせられてるだけだなあ」
わたしの問いかけに佐藤くんは苦笑した。
「華道が嫌なんじゃない。オレの自由を制限されるのがたまらなく嫌なんだ。交友関係にさえ口出しされる……小学生の頃なんて、友達と遊んだことすらなかった。毎日毎日稽古稽古――。そりゃあ自然と周りから浮いた子どもになるよな」
「……でもいまはちがうよね」
いまの佐藤くんはクラスでも一目置かれている人気ものだ。誰も佐藤くんを浮いているとは思わないだろう。
「それはね、わかったからだよ」
「わかった?」
「オレは家の目の届かないところで人間関係を築かないといけないんだって。そうしないと一生あの家に縛られたまま、誰とも仲よくなんかなれない。だから中学に入ってかなりがんばったんだ。こっちから話しかけたり、ひとに共感されやすい話題をふったり、話しやすい雰囲気を心がけたり、
(ま、真面目……。それほど本気だったんだ)
佐藤くんのコミュ力や押しの強さはそうやって身につけた努力のたまものだったのだ。
「自分の世界を変えたくて、らしくないことした。ほんとうのオレはただの根暗の引きこもりだよ」
「だったら大成功だね」
「え?」
下を向いていた佐藤くんがぱっと顔を上げる。
「変わりたいと思っていっぱいがんばった結果、いまはたくさん友達がいるんだから大成功だよ。わたし信じてるんだ。努力は絶対に絶対に裏切らないって」
「ちかちゃん……」
そう、いつだって地道な努力が自分の自信になる。わたしは佐藤くんの話を聞いて、初めて部活のレギュラーに入れたときのことを思い出していた。
ボールの感触が手によみがえり、わたしは左のてのひらを見つめる。
「努力は実る。そして花が咲く。わたしはその日を信じてがんばれるひとが、」
(――好きだな)
はっとくちびるを閉じた。滑りそうになった言葉を慌てて飲みこむ。
「がんばれるひとが?」
「ええっと、がんばれるひとが、つまり、そういうひとを尊敬する!」
(あ、あ、危なかった! いや別にそういう意図はなくて、でも危なかった! 急に恥ずかしいっ)
赤くなっているだろう顔を見られないように背けていると、ふと佐藤くんが笑う。
「大成功ではないかな」
「あ、そ、そうなの?」
「ちかちゃんがオレのこと好きになってくれたら、大成功なんだけど」
「うぐっ!!」
ドカンッとこころの深いところにクイックスパイクが打ち込まれる。油断していた矢先に大ダメージを受けてしまった。
ふわっと顔を覗きこまれ、わたしは思わず息を詰める。車道側に佐藤くんがいる形で二人並んで歩いているから、逃げ場がない。
「ちかちゃん、手繋ぎたいなあ♡」
「ダダダダメッ!」
「ちぇー」
目的地はもうすぐらしい。わたしはバクバク鳴る心臓を押さえて、早く着いてと必死に願った。
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