第2話
♢♦︎♢
――翌日。わたしは閉じそうになる目を擦りながらぼんやりと黒板を眺めていた。
(眠れなかった……)
昨日、わたしは失恋した。そして同じクラスの佐藤くんに告白された。結局あのあと逃げるように帰ってしまったけれど。
授業の内容なんてまったく頭に入らない。脳みその容量がパンクしそうだ。
「はああ、どうしよ」
「北田さん教科書逆さですよ」
「げっ」
先生の冷静なツッコミに、クラス中で爆笑が起こる。
(こんなことで先生に注意されるのもみんなに笑われるのも、全部全部あの告白のせいだ――!)
私は恥ずかしさをこらえて逆さの教科書をクルンと直した。
「千花おもろ」
「さすが女バレの点取り屋。笑いも取れるってか」
「もう忘れて……」
――昼休み。同じ女子バレー部のメンバーの
「玉セン彼女できたってね。どんまい千花」
「てか千花と仲いい隣のクラスの子だよね? 千花知ってたの?」
「いや私も全然知らなくて……」
わたしの返事に二人は顔を見合わせる。
「それってさあ、」
亜矢がなにかを言いかけたとき、教室の入り口から「千花ちゃん」と呼ぶ声がした。
「あれ、ひなた。どうしたの?」
「お昼中にごめんね。次体育なんだけど髪ゴム忘れちゃって……貸してくれないかな?」
「いいよ、はいどうぞ」
「ありがとう! ……あのね、玉之江先輩とのことなんだけど、もしかして部活で噂になっちゃってたりする?」
ひなたは手をもじもじさせながら、上目遣いで聞いてくる。わたしは思わずぐっと言葉を詰まらせた。
「先輩にね、周りにあんまり言わないでって言ったんだけど。なんだかはしゃいじゃってるみたいで……」
ズキンと胸が痛む。わたしはなるべく平静を装って、最低限の返事をする。
「あ、うん。結構バレバレかも」
「そうなの? 恥ずかしい……ごめんね千花ちゃん。真面目に部活してるのに迷惑だよね」
「べ、別に大丈夫だよ。ええと、それじゃあね」
顔を赤くして小さくなるひなたに、わたしはなにも言えなかった。
(部活のことは別にいいんだけど、わざわざわたしに聞かなくても……いや、ひなたは女バレの知り合いいないから仕方がないか)
グサグサと失恋の傷がえぐられる。なにもなかったかのようにスーッと元の席に戻ると、亜矢と双葉が待ち構えていたように口を開いた。
「千花ってさ、なんであの子と仲よくしてるの?」
「え?」
「髪ゴムなんてわざわざ隣のクラスまで借りにくる? のろけたいだけなんじゃない? 千花が玉センのこと好きなの知ってて。ちょっと性格悪いよ」
「正直ウチあの子のこと――」
「やめよ、ひなたはそんなんじゃないから」
小学生の頃から一緒だった。小さくて気の弱いひなた。いつもわたしの後ろに隠れて、どこにでもついてきた。男の子と話すだけでビクビクしていたような子が、そんな考えで行動するはずない。
「ひなたがどういう子かよく知ってるから。でも……」
そんなひなたが好きな人と結ばれたのだから、喜ばないといけないのに。
「二人のしあわせを素直に喜べない」
「いやそりゃそうだよ」
「千花ぁ、あんたはもっともっと素直になりな」
性格が悪いのはきっとわたしの方だ。
――放課後。
わたしは嫌なことを忘れたくて、無心で部活動に打ち込んでいた。
「ブロック! せーの!」
バチンッと相手ボールをたたき落とす。
「千花! 決めろー!」
双葉の声にこくりとひとつ頷く。わたしは深呼吸をしてボールを二、三回ついてから、サーブの動作に入った。
(大丈夫。わたしには、これがある。どんなにうまくいかないことがあったって、努力だけは裏切らない)
何度も何度も練習したサーブが、相手コートに決まる。ピッとホイッスルが鳴り、次の大会に出るメンバーを決める試合が終わった。
「千花ナイスサーブ! メンバー入り確定だね」
「イェーイ」
寝不足だしメンタルボロボロだけど、体は動く。嫌なことを部活に響かせないのはわたしのなけなしのプライドのようなものだった。
「北田、調子いいみたいだな!」
突然背後からかけられた声にギクリとする。いままでずっと聞きたかった声。いまは一番聞きたくない声。
「玉之江先輩……おつかさま、です」
少し茶色ががったサラサラの髪。クール系の顔立ち。男子バレー部イチの高身長。――わたしの片思いの相手、玉之江先輩がそこにいた。
「おー、おつかれ。次このコート男子が使うから」
「あ、はい!」
いそいそとコートから出ようとするわたしに、玉之江先輩が思い出したように声をかける。
「そうだ。北田、ありがとうな。ひなたちゃんを紹介してくれて」
ズキン! と今日一番の衝撃がわたしを襲った。玉之江先輩が体育館の入り口を指さす。そこには笑顔のひなたが立っていた。
「部活見に来たいって言うからさー」
「あ……あはは、先輩ってば部活に集中してくださーい!」
そう言ってわたしはひなたから見えない位置にかけ出した。
普通に喋れていただろうか。わたしは壁に手をついて胸を押さえる。
(紹介って……そんなつもりじゃなかった。ただわたしの友達だって、言いたかっただけで)
集合がかかり、部員が一ヶ所に集められる。わたしは先生の話を聞きながら、もう一度おそるおそるひなたの方を見た。
ひなたは玉之江先輩ではなくわたしを見ていた。いつもの笑顔はなく、ただじっと、真顔でわたしを見つめていた。
(ひなた……? ん!?)
すると突然わたしの目にありえないものが映る。
ひなたの数歩となりで、とびきりの笑顔を浮かべた佐藤くんがこちらに手を振っていたのだ。
(えっ!? 佐藤くんがなんでここに!?)
部活が終わるとわたしはすぐに猛ダッシュで佐藤くんの元へと向かった。
「あ、千花ちゃ……」
「ちかちゃあーーーん♡ めっちゃかっこよかったよ!!」
「え?」
ひなたの声を遮って佐藤くんが黄色い悲鳴を上げる。わたしは慌ててガシリと佐藤くんの両肩を掴んで問いつめた。
「なんでいるの!?」
「ちかちゃんの勇姿を見に。あと一緒に帰ろ♡」
「はい!?」
仰天するわたしの横でひなたも戸惑っていたらしい。オドオドとわたしに声をかけてくる。
「千花ちゃん、えっと……お友達?」
「あー、ひなた。ええとこの人は」
「はじめまして。ちかちゃんの彼氏の佐藤です!」
「こらこらこらー!!」
(まだ返事してないのに! 勝手に彼氏だなんて!)
佐藤くんの両頬をむぎゅっと挟んで黙らせる。ひなたは一瞬目を見開いてから、小さな声で続けた。
「え、でも千花ちゃんは先輩が……」
「ちかちゃんの本命はずっとオレですが!?」
「あー!! うそうそうそひなた信じないで! 先輩のこと待ってるんだよね? もうすぐ来ると思うから、それじゃあね!」
「う、うん。バイバイ」
言いたい放題の佐藤くんをズルズル引っぱりながらわたしはその場を後にした。
チッ…………
(え?)
背後から舌打ちのような音が聞こえた、ような気がした。しかし振り返ってもそこにはこちらに笑顔で手を振るひなたしかいない。
(気のせいだよね)
首を傾げるわたしを佐藤くんがじっと見ていたことには気がつかなかった。
♢♦︎♢
千花がバレーボールをしている姿が好きだ。鳥のように一瞬で空中に舞い、猫のようにボールを追いかける。
今日は眠そうな顔をしていたのに、コートに入ると途端にスイッチが切り替わるみたいに凛々しくなる。
素敵だよ、千花。他の誰よりも輝いてる。
オレはこころの中で千花を応援する。声に出したら他の音に紛れてしまうから、いつか千花に届くように。
千花が大会メンバーに選ばれたら見に行こうか。もしも客席にいるオレを千花が見つけてくれたなら、きっとそれだけで幸せだ。
「千花、がんばれ。千花」
オレは華麗なサーブを決めた千花の笑顔を目に焼きつけた。
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