第149話 竜と副流煙
要するに、であるが。妙な話ではあったが、あの竜の足元、あそこに行けば煙草が吸える、そんな気がすると、目の前の障害が障害とは思えなくなった。
白く、そして虹色の光を返す美しい竜。それすら、彼にとっては、ただの、憎き敵と成り下がった。
障害は、場合によっては遠回りだって許される。共存だってできるかもしれない。だが、憎き敵、これは駄目だ。
目の前の巨塔が如し竜は、もはや目が合っているのかさえ分からない。ただ、確かにこちらに向けて攻撃を行っている。地面が弾け死んだ土くれがめくれ上がるたび、明確に『邪魔される』のが大変イラつく。
あの竜がいるおかげで煙草が吸えない。どうにもならない。歯がゆい。
ともあれ、ラーピース・メビウスタにできることはなかった。竜が口を開き、息を吸う。そして閃光を放つたび、無様に走って逃げるしかない。避けたところで、後方の土砂が吹き飛ぶ勢いに押され、彼方に吹き飛ばされてしまう。口の中に死んだ土の味を感じ、泥だらけの不快感が頭皮を伝う。土を吐き出し、鼻からもそれを吹き出す。最悪だった。
『おい、聞こえているか?』
よっこらせ、と身を起こしたラーピースの耳元で声がする。
『ラナドだ。聞こえているな?』
「なんだこれ」
頭をぶんぶん振ると、一瞬だけ指先ほどの大きさの虫のような何かが視界に入った。
『聞こえている前提で行くぞ。これは小型の音声送信専用の人形だ』
なるほど、とラーピースは理解した。そういえば、この島に乗り込む寸前も誰かの声がした気がしたが、このせいだろう。
『今から、お前に協力する。お前を上空まで持ち上げるわたしの最高傑作の人形を送る。そいつで奴の頭上に行き、そのわけのわからん煙で押し潰せ。その性能上、上から下の動きが一番効くはずだ』
「偉そうに」
おそらく聞こえていない悪態をつく。すると、ラーピースの耳でもわかる轟音が、遠く海の向こうから聞こえてきた。鳥か、凧か。なんとなく、久しく聞いていない航空機のエンジン音、のようなものを引っ提げて、風を切る四枚の翼が目に入る。大きさはミニバンほどと直感する。それが、ぐんぐん目の前に迫っている。
『乗れ!』
ラナドの声がする。と、同時に、もう一度前を確認すると、竜がその大口を開けている。また、撃つ気だ。
ラーピースはそこで漸く、背に下げた剣に手をかけ、引き抜いた。そういえば、ずっと大した手入れをしていない。今度、気が向いたらどこぞの鍛冶屋に持ち込んでやろうと思った。
『乗れ!』
もう、その大きな鳥のような人形が目の前に迫っている。
「お前に貸しを作るのは嫌だ」
聞こえていないのが残念だ、とラーピースは内心思う。その時、ついに竜の口腔内が光る。ラーピースは目の前に迫る人形の翼を手に取り、そして力のままに投擲した。
『おい、何をやって……』
「どうこうしたって撃ち落されるだけだ、バーカ」
竜の閃光とラナドの最高傑作が宙空でぶつかり、大いに弾ける。ただ、今までと違うのは、弾ける場所。遠く離れた大地ではない。竜の丁度眼前で弾けた最高傑作は、その内臓に含まれる種々の曰く付きの一品一つ一つに黒炎を宿し、盛大に散った。竜は無意識に足を後ろに進め、後退する。
『馬鹿! あれにどれだけ素材を費やしたと思ってる! それに、それじゃあ勝ち目が……』
耳元で必死で叫ぶ絶望の声に、ラーピースは首を振った。
「うるせえっていってんのに」
そういって、素早く耳の傍にいるそれをがっしと掴み、握り潰した。
「今からぶち殺しに行ってやるからな」
ラーピースはどっか、と剣を肩に担ぎ、竜に向かって歩き出す。一方の竜も、人形の爆発にやや驚いたようであったが、それ以降反応はなく、平気で再び息を吸う。また撃つ気であろう。
「ちょっと待ってろよ。お前のせいで大分距離が開いた」
しかし、ラーピース自身に急ぐ気はない。竜は後退し、竜巻があった場所に戻った。この死んだ土地では風もなく、そんなところでもう一度大きく息吸ってみろ。竜の口腔内に、周辺をいまだ漂う、〈ヘビィ・スモーカー〉が殺到した。
「そんなすぐに散ってくれるなら、誰も喫煙者のこと悪く言わねえって」
竜の体が大きく震える。しかも、この煙はただ咽たり、副流煙がどうの、となるわけではない。彼以外にとって、それは重く感じるようであるし、魔術や矢も刃も通さない、壁である。そんなものを吸って、あの閃光を放とうものなら、どうなるのか。ラーピース自身にも予想はつかないし、竜も知らないだろう。
答えは、ただ竜が身を折り、悶えるのみ。と、突然その首元が裂け、あの美しい閃光が噴出した。遅れて、その傷口から真っ黒な炎が噴出する。開いた口からも黒炎が漏れ出す。思ったよりもうまくいった。怪物は、まるで咽こむように炎を吐いて悶えている。少しだけ、煙をうっかり吸って咽こむ部下や友人のことを思い出し申し訳ない気持ちになる。とはいえ、しばらくそうしていてくれれば、ラーピース・メビウスタが彼の足元に至るまでの、時間稼ぎぐらいにはなるだろう。
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