第148話 奮闘

 本来であれば、如何なる怪物さえ押し潰し、剣も魔術もはねのけてきたその煙も、竜に対してはなんら意味をなさなかった。久しぶりに彼は、大慌てで対手に背を向け、どたばたと走って逃げ、その爪を躱した。間一髪、直撃は防げたが、その瞬間大地が大いに揺れ動き、彼の体はぽんと上空に打ち上げられ、煙を突き抜けごろごろと地面を転がった。


 嫌な地面だった。植物一つ生えておらず、しかして誰かに均されたわけでもない気がする。


 ここは、土地が死んでいるのだ。


「ヨギボーの中身見てえだな」


 しかして語彙が大して豊富でないラーピース・メビウスタは、その死んだ土地をそう判じた。


 抜け殻になった〈ヘビィ・スモーカー〉の竜巻を、客観的に見れるほどラーピース・メビウスタは吹き飛ばされていた。あたりを見回すと、どうやらいつの間にか歩いて海を越え、例の島にいたらしい。海岸線が見える。遠く、大陸に犇めく建物の群れもわかる。そんなことを考えていると、〈ヘビィ・スモーカー〉が揺れた。そして、


 ――真っ白な閃光! 


 それが急に竜巻を突き抜け、滅茶苦茶に地面を薙いだ。すると、大地は大いに弾け飛び、地割れのような深い跡を残した。さらにそこから噴き出すように現れた真っ黒な爆炎があたりを食い始める。恐ろしいことに、黒い炎は、死んだ土地にわずかに芽生えた微生物にすら燃え付き、悉く死をまき散らそうというのだ。


 なるほど、とラーピース・メビウスタは思った。この大地は何度もこの炎に焼かれているのだ。


 さらに二度、三度と真っ白な閃光が弾け、大地を真っ黒な炎が走る。ラーピース・メビウスタの体はその衝撃で大きく吹き飛ばされ、吹き飛ばされた先に落ちてきた光から逃げるために、大いに走り回った。思わず、その発射元を睨みつける。


『滅ぼす力』を持った竜。


 ついに、竜巻を押しのけて、竜がその姿をあらわにした。その体色は、黒でも白でも銀でもない。白、という表現が近いのだろうが、動くと全身がCDの裏面のようにギラギラと虹色に光を反射する。つい、ラーピース・メビウスタはそれを、童心に帰り、美しいとすら思った。それが、両足をしっかり地面につき、映画の怪獣よろしく立っている。翼を威嚇するように広げると、キラキラと眩い光を零す。


「あれ殺すのかよ」


 しかして、そもそも、相手は見上げるには、こんなに距離を持っていても首がつらい。竜は不思議そうにラーピース・メビウスタを見つめているが、大きく威嚇するようにその頭を捩った。すると、その上空がかき乱された。


 もともと、良い天気ではない。不気味な曇天であった。その天井が、竜の頭の一振りでかき乱される。


「六百メートルは下らねえってことか」


 ラーピース・メビウスタは、全てを諦めがっくりと膝をつきたかった。スカイツリーに登るのですら、エレベーターでそこそこ待つ。そも、対手の全景が見れるこの位置、つまり、今、あの怪物とどれだけ離れているのか想像もつかない。歩くのもだるい。


「最悪だ。最悪の化け物だ」


 ラーピース・メビウスタには、もう毒づくしかなかった。


 竜は大口を開け、大きく息を吸う。そして、その中をきら、きら、と輝かせた。すると、瞬時に、ラーピース・メビウスタのすぐ脇の地面が抉れ、黒煙が噴出し、炎が瞬く間に燃え広がる。右、左、前、と次々に白い光が黒を生み、ラーピース・メビウスタを襲う。


「くそ、ふざけんな!」


 近づいてくれたら、なんてことは幻想。相手は、一方的に彼を嬲り殺しにできるのだ。


 だが、ふと、あることに気づく。


 怪物のはるか後方、そこに、うっすらと煙が上っている。


 そうだ、自分が何をしに来たのか、思い出さなくてはならない。そう思うと、胸の奥が熱くなった。


「喫煙所探して町の中、二十分彷徨ったことだってある。これくらい、どうってことねえだろ」


 ラーピース・メビウスタは、自分を奮い立たせるために、ぼそりと呟いた。

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