第144話 カリッ! 神にココアシガレット、ついてたぜ?

「そんな駄菓子じゃねえ。おれが欲しいのたは煙草だ。スナートが言うには……」


「左様。わしは、他人の欲しいものを持つことができる。だが、それは本質ではない」


 老人、ココア・シガレットはじっとラーピース・メビウスタを見る。


「はあ?」


「煙の向こう、神様に、全てが欲しい、そう伝えたんじゃが。そうしたら、こんな力を得てしまった」


 どこか悔しそうに老人は言った。


「わしが本当に欲しかったのは、他者からの羨望の眼差しじゃった。しかし、それを理解していなかったわしは、こうして煙の外に追放され、他者だらけの世界で、こんな力を貰ってしまった。羨ましがられはする。そして、すべてを手にすることができる。願いは果たされた。しかし、羨望は時に逆上をも買う。竜を一太刀で斬り殺せば厄災扱い、山ほどの金貨を持てば命を狙われ、剣聖に匹敵する技量を持てば弟子に首を狙われたり、な。これは罰じゃ。きっと、あのとき、恥ずかしげもなく、正直に望みを伝えていれば、こうはならなかっただろうに」


 老人はふと、周囲を見渡す。何もない土地、誰もいない場所で一人。彼がこの土地に行きついた経緯なんて、想像もつかない。老人の語る言葉は所詮断片だ。


「お主は何が欲しい。本当にそれは、これか?」


 老人は棒切れを振って見せる。ラーピースが目を伏せた。その様子に、ココア老人は満足そうに頷いた。


「煙草、最後に吸った時の感想はどうじゃ。そんなに良かったかのう」


「当たり前……」


 そういいかけて、ふと思った。最後に吸ったのはいつだったか。死ぬ前、もう全部どうでもよくなって、反射的にビルの屋上に上った時だったか。あの時の煙草の味は覚えていない。否――しなかった。


「これ、そんなにいいもんかのう。臭いもすごいし、癌にもなる。金もかかる。今じゃこの一本の値段の内、どれくらいが税金かわかったものではない。吸える場所も減っているが、その理由、言わなくてもわかるであろ」


「この、言わせておけば! いいじゃねえか。だってこれで……」


「ストレスが消える? 消えてどうなる。現実はなんも変わらん。働くのは結局お主自身であろ」


「そうはいうがな、どうにも煙草吸わねえとやってられねえこともある。あああ! 吸ったこともないやつに煙草のこと説教されるのが一番むかつくんだよ、どいつもこいつも」


 ラーピースはココア老人を突き飛ばし、地団太を踏んだ。


「煙草の害悪を知ってて吸うとは、本当に義務教育を受けたかも怪しい」


「受けてるに決まってるだろ! 好き勝手言いやがって。いいじゃねえか、なんか周りも吸ってたし、なんかかっこよかったんだよ! それでいいじゃねえか!」


「おや」


 老人の表情がぴたりと止まり、ラーピース自身も、自分の思わぬ言葉に目を丸くした。止めようと思っても止まらない――振り返れば、大学生になった後、適当に入った資格取得を目指した勉強サークル、とは名ばかりの、部屋でだらだら漫画やマージャンに明け暮れるだけの一団に入ったのが始まりだった。喫煙所に行くのを面倒くさがったメンバーたちは、何も躊躇うことなく、だらだらと回る換気扇をつけっぱなしにして、煙草を吸っていた。


 到底、あこがれたくなる姿でないのは確かだが、なぜか、あれに混ざりたいと思ったのだ。アウトロー、なんて言葉より低俗な、しかし、社会から外れた格好良さ。何より、あの煙の味を、皆で共有している空間が、楽しそうだったのかもしれない。


「体に悪いなんて、吸ってるやつが一番わかってるに決まってるじゃねえか」


 吸わねえ奴に何がわかる。口の中が乾いたり、逆になんか粘ついていることもある。吸い始めた時は、露骨に体力が落ちた実感もあった。だが。


 かっこつけて喫煙所ですぱーっとやっているのが楽しいし、実は、煙草臭いといわれるのが名誉に思えた気がしていたこともある。先輩がブラックデビルなんて吸って、女の子からチョコみたい、とかいわれてるのを見て真似したこともある。

 体を壊すのも楽しかった。喫煙所で進む仕事もあった。わざと灰皿の中身を捨てずに、積もっていく吸い殻で仕事の経過を語るのが好きだった。どれもこれも褒められたことではないが、それでも、それが好き、否、おれなのだ。誰かの迷惑なんて、知ったことか。


 おれは、今、煙草が猛烈に吸いたい。つい、爪をがり、と噛んでみる。


「周りの言葉に、雑念が入ったな。確かに、あんたは周りの言うようにお節介で、いらない心労を背負う癖がある。だが、それは些事じゃろう。お前という人間の、外側に過ぎない。欲望とは、違うものだ」


 老人はすく、っと立ち上がり、掌中の棒をラーピースに突き出した。


「いるかい」


「要らん。本物は、今、ここで吸うもんじゃない」


 ラーピースは断った。


「正解じゃ」


 老人は棒を口に当て、かりっ、と噛み折った。本物のココアシガレットだったらしい。


「人間の心は、その内にあるというのは間違いじゃ。人の心はあるだけでは動かぬ。動かすには、『場所』が必要じゃ。すなわち、心とは……」


「外にある。場所だ、状況によっちゃ、当然、煙草もうまくはない」


 ラーピースはじっと、老人から騙されて渡された、色合いだけは完璧な木の棒を見つめた。


『詩編の解釈にはいろいろあります。聖者コロンドによれば、そもそも聖詩編の内容は最初の人、ヤータの心の中、という考えがあります。場所ではなく、神を信じる己の内に、わたし達は生きているのです』


 いつの日か、あの姉妹、イアコ・ハイビットがそんなことを言っていた。


「神の前……」


「ただ、行けばよいというわけでもない。このままおぬしが周りに諭されるまま、神の御前、島の果てに行っても意味はなかったであろう。難しいのう。じゃが、もうお主には関係のないことじゃ」


「そうだな。もう、大丈夫だ」


 ふと、偽物の煙草をポケットに入れ、老人を見る。しかし、そこにすでに、彼の姿はなかった。

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