第14話 ヤニカス、リターンズ

 バイパの村の人々が、松明を片手に山を登る。そうして漸く、口の端から血の川を垂れ流す、大蛇の死骸を見つけた。


 村人の一人が火矢を構え、撃つ。ひょう、と空を切って、矢は蛇に当たり、刺さらない。だが、衝撃はあったはずで、それでも蛇は目覚めなかった。さらにそれを三回行い、蛇が動かないことを確認すると、今度は槍と盾を装備した村人が近づき、胴や頭をつつく。勿論突き刺す勢いのつもりだったが、さすがに強力な魔物なだけだって、ただの村人である彼らの攻撃は通さなかった。


「ほんとに、死んでるな」


 やがて、蛇に散々槍を立てた村人がそう判断した。すると、次々木々の間から村人が現れ、蛇の様子を伺い始めた。


「すげえ。ハマー傭兵団にいたってやつも返り討ちになったのに」


 大蛇は大口を開けて倒れていた。その牙の内片方が確かにない。本当にあの姉妹がもぎ取っていったのだ。口の中はすっかり炭化しており、まるで殻のようだった。目や鼻先を中心に、特に頭部は念入りに焼かれており、あの魔術師が周到に処理した後だと知れた。


「確かに死んでいるなら、兎にも角にも街の連絡所から国に報告しよう。そしたら調査団が来るから、それで正式に賞金が下りる」


 村長の息子、ギョジーはそういいながら蛇に近づいた。


「おれの売った剣だ」


 その脇から、村の武器屋を商うブットが、蛇の頭傍にある剣に寄った。


「まさか、あいつが最後の犠牲者になるとはなあ。ラーピースって言ったっけ」


 酒場の店主、ターラーがぼんやりと言った。


「結局、なんだったんだ、あいつは」


「さあ。旅人にしては軽装だったが……おれ達で〈パッチャ〉を捌ければ死体だけでも弔ってやりたいが」


 ターラーとて、良心は多少ある。せめて、他の村人から伝え聞いた、あの二人の魔術師が言う願い、すなわち男の弔いぐらいはしてやりたいと思っていた。


「しかし、火の魔術が得意だったんですかね。口の中からいまだに煙が出てやがる」


 村人の誰かがそう言いながら蛇の口の中を覗き込んだ。確かに、喉の奥からうっすらと煙が漂っていた。


「国に認定された魔術師は、得意な術に関しては発表されないからな。でも、これはきっとそうだろう」


 辺りを見回し、ターラーは言った。蛇だけではない。周囲の木々も地面も焼かれた跡がある。むしろ、よく山火事にならなかったと感心する。


「なあ、もう、死んでるよな」


 急に、蛇を遠巻きに見ていた一人が大声で言った。


「そりゃそうだろ。動いてない」


「そうか? さっきから妙なんだ」


「なんだ? どうしてそんなことを」


「それ、膨らんでる気がする」


 そう、彼が言った瞬間であった。蛇の咽喉の奥から煙が勢いよく上がり、蛇の体が大きく跳ねたのだ。皆があっと悲鳴を上げるより先に、蛇の咽喉が大きく膨らみ、そして、裂けた。残った蛇の溶解液と煙が辺りに容赦なく降り注ぐ。人々は声を上げながら森の中に避難し、身を震わせた。


「くそ、あの魔術師どもめ!」


 蛇が生きていたことに村人たちは怒声を上げた。しかし、一度大きく跳ねたのち、蛇に動きはなかった。


 恐る恐る彼らが顔を出すと、げっほげっほ、という咳が聞こえてきた。煙に紛れ、真っ黒な人影が現れる。その姿に見覚えがあった。


「あ、あんた、まさか、生きてんのか」


 驚嘆がそのまま咽喉から出る。ターラーは大声上げた。


「くせえ、臭すぎる。ってのにメントールもニコチンもねえ。最悪の煙だ。換気扇もないし喫煙所以下だ。おっえええ」


 村人たちには理解不能の苛立ちを吐きながら、ラーピース・メビウスタが蛇の腹の内から現れた。


「なあ、あんたら、見てねえで教えてくれ。マジで煙草はねえのか。イライラしてもう、口の中がこう、もやっとする、物足りねえ。煙草だ、煙草があればなんとかなるんだ」


「だから、なんだ、たばこって」


 ターラーは目を丸くしたまま答えた。


「くそ、やっぱねえのか。隠し持ってたりしたらマジで殺すからな」


 そう言ってため息一つ。ラーピースは露骨に落胆した。荒く呼吸を繰り返し、なんとか気を落ち着けている。


「じゃあ、あの灰皿の魔術師ってやつはどうした。出会わなかったぞ。腹の中にもいなかった」


「知らん。そんなやつ」


「はあ?」


 男は大声を上げてターラーに詰め寄った。


「おめえがいったんじゃねか!」


「知らない! 王宮の魔術師なら知ってるが……」


「なんだと? どういうことだ!」


「だから、なんといったっけ……ハイビッ」


「やっぱ知ってるじゃねえか。そいつらが灰皿の魔術師なんだろ?」


「よ、よくわかりませんが、魔術師はもう出ていきました」


 ターラーは男の剣幕に押され、畏まってしまった。


「まじかよ。ふざけんな、灰皿ってんなら間違いなく煙草知ってんのに。なんで逃がした」


「すごい、お怒りだったそうで、止めるなんて出来なかったと聞いています。それに、〈パッチャ〉に立ち向かったネチルもこうして無事に帰してくれたので、止める理由が……」


 ターラーは武装した村人に守られた子供を指さした。彼だけが〈パッチャ〉の死骸の位置を知っていたため、道案内を頼んでいたのである。だが、ラーピースはさらに声を荒げた。


「おれが助けた子供とちげええじゃねえか。誰だそいつ! 偽物だ! 本物は女だった!」


「これがネチルですよ。女って誰だ。言っちゃ悪いがあんた、ただ単に〈パッチャ〉に食われただけじゃねえのか」


「そんなわけがあるか、おれが! 子供を助けたし、こいつを! 殺したんだ!」


 ラーピースは叫びをあげて蛇の死体を指した。


「いいや、違うね」


 ターラーはやれやれと首を振った。


「〈パッチャ〉を倒して、村を、否、きっと、この国を救ったのは間違いなく、あの魔術師姉妹に決まっている」


「ふざけるな……煙草もねえ、灰皿もねえ、ああああ、イライラする……」


 男はターラーを突き放すと、左手の爪を噛み噛み、そして、蛇の傍の剣をおもむろに引き抜くと、八つ当たり的に振り回し、やがて唸りながら地面を転がり始めた。到底大人のやることではなく、村人たちは男の奇行に恐怖した。


「あああああ、煙草、煙草が吸いてえええ、吸いたいよう」


 彼の悲痛な叫びがバイパの山々に木霊した。

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