第11話 丸々と太った蛇が頭からじっくり焼かれる様は葉巻のよう
「あなたは、酒場の?」
昼頃立ち寄った酒場、その隅で爆睡していた男が傍に立っていた。臭いからも、服装からも間違いない。イアコは目の前に立つ男をそう断定した。
「お前がいなくなったとかいうネチルって子供だな。そうだろ?」
だが、男は甚だ失礼な勘違いを口にした。
「いえ、違います! 子供じゃないです!」
「いいんだ。子供はみんなそういう」
男は全く話を聞かない。イアコの理解を超えていた。あっちが本物だ、と教えようとしたが、ネチルはリルの手によって安全な場所に運んでいる最中らしく、見当たらなかった。タイミングが最悪だった。
「だから、わたしは……」
「いいから静かにしてな」
男はイアコの言葉を遮ると、〈パッチャ〉の舌の傍に刺さった剣をどっか、と抜き取ると、肩に担いだ。真っ黒な蛇の血が辺りに飛び散り、垂れて男の外套を汚した。かなり大振りで肉厚、幅広の剣だった。
「あなたが、これを?」
目の前の千切れた〈パッチャ〉の舌を見、イアコは訊ねた。あの酒場で寝こけていた男が、剣を振るう様さえ想像つかなかったからだ。
「頭ごと行こうかと思ってぶん投げたが、ダメだった」
そう返事すると、男はぐるんぐるん、と剣を回す。そして地面を疾駆する。フェイントもタイミングもない。ただ愚直にまっすぐ走る。悲鳴を上げていた蛇だったが、その眼でしかと新たな敵を認めると、その尾で横に払った。男は避けることなく、素直にそれを受け止め、遠くに吹き飛んだ。地面に落下した時の、その威力たるや、地面を抉り、木々を薙いでクレーターが生まれるほど。だが、その中央で、男はよっこらせ、と身を起こしたのである。本来ならば体が横から上下に分断されていてもおかしくないのに。
「くそ、イライラする。灰皿の魔術師はもう食われたのか? 最悪だ。骨折り損だ。イライラする。ヤニが足んねえ。くーっ」
男は独り言つ。そういいながら、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。そんな彼へ、再び蛇は尾を振り上げる。潰すつもりだ。クレーターの中央へ正確に降り下ろされたそれを、今度は紙一重で避ける。まるで、頭がふらついたから身をよじった程度の動きだったが、それすらもまるで意図した神業のようであった。
だが、その大きな揺れに態勢を崩した瞬間、蛇の尾がぐるりぐるりと男に巻き付いた。そして、あっという間に男を拘束すると、蛇はそのまま、彼をぱくんと飲み込んだ。一瞬の出来事だった。
「あ」
遅れてイアコは茫然とした声を上げたが、同時に強烈な頭痛と動悸がめぐるのを感じた。また、人が死んだ。それも目の前で。己の無力、そう、全部、自分が遅いのが悪い。そう思うと、悔しさで涙が頬を切った。意識を集中させずとも、魔術がすべてを先行し、蛇の口内に走った。
――焼く。焼き尽くす。
悶えろ、口の中の血肉を焼いて、骨を焦がし、脳を燃やして消し炭にする。イアコは努めて冷静に、しかして震えそうになる手を押さえひたすら集中した。
ごう、とより強く火の手が上がり、蛇が大口を開け、炎と大量の煙を吐いた。
大蛇はもちろん、こうなった原因を知っている。
あの小さな生き物が、確かに自分の口内を焼いている。ただし、ほとんどの感覚器官が機能していない。蛇は舌でも物を見ていたから、それがちぎれた今、それができないのはわかる。だが、鼻先の器官も、眼も、相手を捉えることがない。さらに、不思議なことに全身がそもそも動かなかった。まるで、中にもう一本新しい骨でも生えたかのよう。融通の利かないそれが、蛇の体を固定していた。そうして蛇は、自身の体の自由も効かず、敵の姿を認められぬまま、ただ静かに己の脳が焼かれるのを待った。
――まさか、この口から吹き出続ける煙が、融通の利かぬ骨そのものだとは露程にも思わなかったし、それが、腹に収めた、たった一人の人間のせいであるとも、当然気づくことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます