第9話 一方その頃大蛇と少女は
辺りの木々は全て薙ぎ払われ、まるで平野のようだった。そのへし折られた丸太の上にイアコは腰かけ、漸く、ふう、と息を吐いた。
彼女の視線の先には赤々と燃える巨大な魔物がいた。それは、体の太さだけでも少女たちに匹敵し、口を開ければ大人三人を一辺に丸のみにできそうなほど大きい、大蛇だった。城を一巻きはやはり嘘だったが、それでも家十数件ほどの長さはあった。だが、それももう、動かない。焼けて縮んだせいなのか、どんどん小さくとぐろを巻いて、今、三階建て程度の大きさになってしまった。そしてなお燃えている。
「姉上、見事! 御見事!」
丸太を乗り越えながら、リルが声を上げた。彼女はそっと燃え盛る大蛇に近づき、その傍から小さな蛇をつまみ上げた。それを振ると、一本の髪の毛に戻る。お役目ご苦労、と彼女は髪の毛を炎に放った。
「大したことありませんよ。焼くだけなら十八番ですからね」イアコは言った。
「日が落ちる前に終わってよかったです」と、さらに続ける。
まだ、夕方にもなっていない。ただ、最も日の照る時間は過ぎていた。だんだん寒くなるだろう。
「あとはこれ、火事になると困りますなあ」
「延焼する前に、ここで焼き切ります。もうひと踏ん張りするので、火の粉が飛ばぬ様風向きをお願いできますか」
「いいでしょう。姉上ほどではありませんが……ん、姉上、もう一つ。これ、まだ心音が聞こえます」
「え?」
その時だった。火をつけられ燃え盛る大蛇、〈パッチャ〉が躍るようにその首を擡げたのだ。そして、全身から火のついた鱗を周囲に撒き散らした。剥がれた鱗の下から、真っ白な新しい鱗が輝く。そして、天高く上った〈パッチャ〉の瞳が確かに、己の仇敵を見下ろした。
「そんな、燃えていたのは鱗だけ?」
イアコは悲鳴に似た声を上げた。
「姉上、まやかしを使います。伏せて!」
リルが風を読んで杖を振る。杖の不気味な装飾とその向きが、周囲の煙を特殊な形状に切り取った。人型だった。それが、ひょこひょこと駆けながら膨らみ、増え、周囲に散っていく。だが、首を高く持ち上げた〈パッチャ〉はそれらに目もくれない。頭の下の部分、喉元を大きく震わせ、広げた。まるで羽のようだった。そこに描かれた紋様は、まさしく風を呼ぶ天然の魔術紋。そして凧のように風を受け、あっという間に〈パッチャ〉は空へ舞い上がった。
「嘘だろ。飛ぶんかい」
リルはつぶやいた。
「リル、わたしの術じゃ届かない!」
「そうではありません、姉上! 奴は本気です! とにかく遠くへ!」
この状態でも術を使おうとしている姉にリルは焦った。それもそう、自分の目には別のものが見えている。
「われら、煙に問うて生まれし創世主の子。煙の子は煙に等しく、神の目の下にこれらの区別なく。高き瞳は空にあり、煙とわれらと見分けはつかず」
地上を走る煙の人型が次々に破裂し、その体を拡散してく。周辺は一瞬にして霧に包まれたようだった。だが、〈パッチャ〉は少しも驚かなかった。今、彼には全て塗りつぶすことができるからだ。
空中で、その全身が大きく膨らむ。そして、その膨らみが喉に集中し、そして口で弾ける。〈パッチャ〉の口から猛烈な量の黄色い液体が煙に、木々に降り注いだ。
木も大地も等しく崩す溶解液。それが〈パッチャ〉の武器だった。しかし、溶解液が地面に到達する前に、それに向かう甲高い笛の音が、否、風の音がした。その音は周囲の荒れた風の流れを巻き込んで一つにし、大量の煙を巻き込んで渦となる。
「姉上!」
煙が渦に巻かれ、隠れていたイアコの姿が露わになる。折れた丸太の上、逃げも隠れもせずイアコは杖を横に握り、持ち手付近にある吹き口に口を当て風音とも地鳴りとも異なる音色を奏でていた。一級魔術師の誇りにかけて、イアコ・ハイビットは今、風読み、風呼びの技術の粋を集めて魔術を放つ!
杖から鳴る笛の音はどんどん低く唸るよう。大雨を孕んだ嵐を思わせる轟音が山に響き、風の大渦は溶解液を含んだまま空を舞う。浮かんだそれが〈パッチャ〉の頭上で大いに弾けた。
「姉上!」
だが、リルは悲痛に叫んだ。
「意味がありません!」
全身に溶解液を浴びた〈パッチャ〉だったが、鱗が溶けても次から次、新しい鱗を生やして対抗した。それどころか、逃げも隠れもせず、堂々と立つ仇敵をしかと見、今度こそ大口を開けて真っすぐに落ちていく。
「姉上!」
リルは杖の突起を引き、中で火を起こして煙を上げる。しかし、まやかしに使うにはあまりにも量が少ない。別の突起を掴み、一ひねりし、燃やす対象を変えた。杖の先から特殊に調合された香油を炙り、煙を立てる。だが、そうしているうちに、大蛇の大口がイアコへ向けて広げられた。イアコはすでに吹き口から口を離していた。そして、たった一言、
「燃えろ」
とつぶやく。途端、〈パッチャ〉の口内が燃え盛り、大蛇は空中で大きく跳ねて地に落ちた。跳ねて、偶発的に生まれた地を薙ぐ尾の一撃を、危なくイアコはしゃがんで躱した。
「賭けが過ぎます! 死んだらどうするんですか!」
「もう一度! 今度はまやかしを張って、せめて目と鼻先を焼きつぶします」
イアコも叫んだ。
「頭を固定するのは至難の業です。場所を変えましょう」
だが、口内を焼かれ大暴れする〈パッチャ〉起こす振動が、二人をまともに歩かせない。
「口内の火はすぐ消えます。やるならここです」
そういってリルに走り寄る、そんな彼女とすれ違う影があった。
「羊を返せ!」
イアコはおろか、リルさえ目を丸くした。村で遭遇した少年、ネチルだった。リルはイアコより先に、
「あのクソガキ!」と絶叫する。
そして素早く杖を振りかぶり、ぶん投げた。それがネチルの背に当たり、転ばせた。
「動くなクソガキ!」
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