第6話 長くお世話になる村にはきちんと挨拶をしましょう
晴れ渡った空の下、うねった石畳を歩き、イアコとリルは真白な建物を見つけた。煙突から白い煙が昇っている。
「聖堂を立てる場所は悪くありませんね」
「最近立て直したのでは? 年数はそれほど立っていないと見えますが」リルは額に手で笠を作って聖堂を望む。
「聖堂を綺麗にしているあたり、ここはきっと良い村ですよ」
「どうだか」
リルはそういって菓子の包み紙をはがし、ばりばりと嚙み砕いた。
「行儀悪いですよ」
「失礼、姉上もどうぞ」
リルがもう一つお菓子を差し出す。
「そういう意味ではないです」
イアコはそれを断ると、さっさと聖堂に向かって歩き出し、その戸を押し開けた。途端、聖堂の中から煙の臭いがあふれ出た。うっすらではあるが煙が聖堂の中に充満している。
聖堂の奥、祭壇に薪が詰まれ、赤々と燃えているからだ。
「香木の割合がケチ臭くないですか」
リルがイアコに耳打ちした。
「静かに」
イアコは入り口傍の荷物置きに外套を含め杖以外、すべての荷物を下ろす。そして、すたすたとイアコは祭壇まで歩き、その脇の箱に銀貨を一枚入れる。そして代わりに匂い付けされた細い薪をくべた。リルもその行動に倣う。やがて、煙に交じって雪山をなでる冷たい風のようなすっとする香りが鼻を抜けた。イアコもリルも、薪をくべた後は右拳を左肩に当て、しばし黙祷を捧げた。
「司祭様はお出かけでしょうか」
「いいえ、多分こちらかと」
リルが杖を一振り、そして示す先にドアがあった。その上に格子があり、うっすらと煙が流れて行く。
「ご挨拶をしましょう」
イアコがそのドアを開けると、つい、しばし硬直してしまった。後ろからひょっこりと覗き見たリルは小さく、おっと、と声を漏らした。
「おや、旅の方……否、魔術師さんですね」
部屋の中、白い服を着た清潔感溢れる男がそう言った。そんなに広い部屋ではなかった。だが、その用途はすぐに分かる。病床だった。頭まで包帯を巻いた人が三人。そうではないが、ベッドから動けそうにないのは見てわかる人が二人。皆、歳をとっているわけではないのも明白だった。
「この村の司祭様でしょうか。事情があってしばらくこの村に滞在します。宮廷魔術師にして叙勲騎士、イアコ・ハイビットです」
そういってイアコは背筋を伸ばし、右拳で自身の左頬を拭って挨拶した。
「同じく、リル・ハイビットです」
リルも同じ動作で挨拶する。
「わたしはこの村の司祭、ドニー・ジェノーバナ・アルカロです。宮廷と言うことは、ついに国が……」
そういいながら、ふとドニー司祭は病床の患者を気にしたらしい。興奮をすぐに抑えた。
「いえ、わたし達はあくまで人探しでここを立ち寄ったので。申し訳ありません」
すぐにイアコは首を振った。露骨に司祭は肩を落とした。
「そうですか。失礼しました。〈パッチャ〉のことをご存知ならよいです。この村には巨大な蛇の魔物が居座っていまして、時折こうして村を襲うのです」
伏し目がちに司祭は言った。浅い呼吸を続け、それ以外に患者たちはほとんど動かない。イアコの杖を持つ手に力が入った。
「凶暴な魔物で、国からは大雨と区分されていますが、きっとあれは災禍等級の魔物だと思います。お二人もお気をつけて」
「ええ。そうします。では、これで」
静かにイアコは言った。
「よければ燻水があります。持っていかれませんか」
「この村ではどんな効能が?」
リルはそういって司祭に向けてぴっと指を向けてそう言った。イアコはその態度を怪訝そうに見つめた。
「えっと、疲労回復に効果があると」
指を差され、動揺しながら司祭は言った。
「いいえ。不要ですね。わたし達は旅慣れしていますので。行きましょう姉上」
「そうですね。もしもこの村に西から来たという旅人や賞金稼ぎが来たら教えてください」
「わかりました」
司祭の言葉を聞くと、イアコはさっと背を向けたが、ふと思い出したことがあった。
「ネチル、という子供を知っていますか」
「はい。この村の子です」
「彼の両親はどうしていますか」
「姉上、その質問は、よした方がよいかと」
「ネチルの両親は二か月前、〈パッチャ〉に殺されました」
司祭は静かに答えた。
「……そうですか。ありがとうございます」
俯いてイアコは礼を言う。そして、今度こそ聖堂を後にする。
「姉上」
聖堂から少し歩いたところでリルはイアコに声を掛けた。
「えーっと、あ、噴水がある広場がありますよ! 誰もいませんが素敵な広場ですね。観光名所かもしれません、寄っていきませんか? あとあと、宿ってどこなんですかね。あっちにも煙が見えます。きっとあれが宿に違いありません。大きいですなあ。わたし、実はもうへとへとで……早く休みましょう! そうしましょう!」
リルは大声でわいのわいのと言いながら姉を引っ張ったが、動かなかった。リルの顔が引きつった。姉の心情を察したからだ。
「怪我人が出ていましたね」
案の定だった。リルは姉の肩を掴む手を離した。
「そうですね。というか、そもそも、今までにもそこそこの数の死人が出ています。それに、魔物の被害者だって世界中を見ても、珍しくもないので、そう取り立てることも……」
「ですが、さすがに状況がよくありません。この村の状況は健全とは言い難いです」
そういう彼女の手が小さく震えている。その様子をリルは見逃さなかった。
「そうでしょうなあ。ほっとけばきっと被害者は出ますよ。村の内外問わず」
ぼんやりと空を眺めながらリルは言った。こうなると、イアコは何を言っても聞かないのだ。本人は自分のことを平等で分け隔てなく、かつどちらの立場にも与せず、公明正大な判断を下していると思っているらしいが、そんなことはない。いつもこうなのだ。
「探せますか、リル」
「はい、姉上。不本意ではありますが……この村の人々はあの大蛇に縁が深いようです」
そういってリルは手の中の一本の髪の毛を見せた。ベッドからこっそりくすねてきたものだ。
「お願いします。ここに一級魔術師が二人いるのです。できないことはないでしょう。あの子供、ネチルのような子を増やしてはなりません」
「魔物退治は一級も二級も関係なく、魔術師だけでやるのがそもそも間違いかとは思いますが、それはともかく、姉上とわたしなら何とかなるでしょうな」
リルは自身の杖の装飾の内、大きく飛び出た一つの突起を引いた。すると、中の仕掛けが火打石を叩き、杖にできた窓から小さく煙を上げた。その煙に髪の毛を翳す。
「大蛇と同じ土に住む者ありて、人と同じ水に大蛇も生きる。ここに今、縁深き者共のその身の一部を形代に」
煙の上でリルは髪の毛を離す。そして、その上から自身の手を重ね、見えないようにした。
「われの手の影、同じ風を浴びたものがある。同じ土と水に住まう者たち。同じ時を浴び同じ時を泳ぐ者共は、果たしてただの形代なりや。われは旅人違いを知らぬ。答えはいずこ、煙にあり」
リルが手をどけると、杖の上を髪の毛ではなく、小さな蛇が走った。煙を引き摺り、するすると山の奥に走っていく。
「少々強引でしたがいけました。ささ、姉上、どうぞどうぞ」
リルは煙を指して促した。
「ええ。二人で〈パッチャ〉を討ち果たします」
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