英雄、目覚める-16-

 この女……年の割に……いやその性格の割には随分とナイーブだな。


 麻耶の振る舞いは俺にとっては予想外ではあったが、それはそれで面白いというものだ。


「ふ、二見……あなたは……女に対してなんという下劣な——」


 怒りなのか恥じらいなのか麻耶は、傍目から見てもわかるほどに顔を紅潮させて俺の方を見上げている。

 

 ふむ……これくらい抵抗している方が効果も確かめられるというものか。


「契約は成立したと言っただろ。お前はもう俺の下僕なのだぞ。まずはその言葉づかいから治したらどうだ?」


「ふ、ふざけたことを……ふ、二見……え……な!?」

 

 麻耶の顔色が変わり、同時に奴隷紋がうっすらと輝く。


「ああ……なんなの……これ……どうして!?」


「どうした? 顔色が悪いぞ。もう一度俺の名前を言ってみろ」


「ふ、二見……いえ……だ、旦那様……ああ……違う!」


「よくわかっているじゃないか。そう今日から俺はお前の旦那様だ」


「あなたはわたしの旦那様……ああ違う! わたしにとっての旦那様はただ一人……あの人なのに! なんで……こんなことを……」

 

 先ほどまで強気に睨んでいた麻耶の目には驚いたことに涙が浮かんでいた。


 どうやら相当動揺しているようだ。


 『旦那様』という言葉はどうやら麻耶にとっては特別な感情を含んだ言葉なのかもしれない。


 麻耶は、その潤んだ目で俺のことを必死に睨んでいる。


「くっ……こんなの、そ、そうだわ。わたしはあなたの……旦那様の精神操作魔法にかかって……ああ……違う」

 

 麻耶は自身を納得させようとうわ言のようにそんなことを言っている。

 

 愚かな女だ。

 

 精神操作魔法などで人の意思をねじ曲げられるものか。


 まあ……そう思い込んでいる方がいいか。

 

 あえて無知な輩に情報を開示する必要もないだろう。


 相手が持つ情報がこちらと非対称の方がなにかと有利に運ぶしな。


 それよりも最低限の確認はすんだが……後はそうだな。


 身体の動きを伴う命令にも従うか確認するか。


「お前のこれまでの俺への数々の非礼。そうだな……麻耶、下僕としてまずはそれを謝罪してもらおうか」


「な、なにを——」


「ああ……大したことはしなくていい、そうだな。ここで手をついて謝ればそれで許してやる」


「ふ、ふざける——ああ……また……なに……なんでこんな——」

 

 言葉での抵抗とは裏腹に麻耶のその動きは限りなくスムーズであった。


 まるで心からそう望んでいるように……。


 まあ実際これはこの女の意思なのだから当然か。


「くっ……ああ……だ、旦那様……どうかこれまでのわたしの無礼の数々をお許しくださいませ——」


 麻耶は、俺の足元で地面に這いつくばって、その両の手を地面につけて深々と頭を下げる。


 まあありていに言ってしまえば、麻耶は素っ裸で土下座をしている。


 俺はそれを見て、従属魔法が成功したことを確信した。


「ふむ……まあこんなところか」


「あ、あなたは——く……だ、旦那様は花蓮も……鈴羽も……こうやって精神操作魔法で——」

 

 麻耶は心底悔しそうな表情を浮かべて、目に涙を溜めながら、俺を睨む。


 麻耶は相変わらず俺が精神操作魔法を使っていると誤解しているようだ。

 

 何をどう吹き込まれたのか知らないが、この女は根本的に誤解をしている。

 

 人の精神を同意なく操作する魔法など原理的には存在しない。


 おそらくこの世界では魔法の存在自体が発見されて間もないから、その知識も未熟なのだろう。

 

 それに他人を思うがままに操る、操られるということは人間の欲望……あるいは恐怖を強く刺激する。

 

 そうした願望の強さが、あらぬ妄想を生み出しているのだろう。

 

 この世界のかつての錬金術のように。

 

 文明が生まれたと同時に魔法も存在していた異世界ですら、未だに『魅了』や『洗脳』魔法の流言は大人気であったから、ある意味でやむを得ないといえるが。

 

 実際、俺も行く街々の酒場で、『魅了魔法』がついに成功したという与太話を聞かされたものだ。

 

 そう……新種の『魅了魔法』や『洗脳魔法』が発見されない王国はないほどだ。

 

 そして、その度に、王宮では、どこぞの姫や王が側近に『魅了魔法』にかけられたという口実で、粛清の嵐が吹き荒れていた。

 

 まあ……結局のところ、同意なく長期的に人の精神を操る魔法は異世界においても未だに実現できていない。

 

 せいぜい俺が美月に使ったように一時的に眠りにつかせるものがせいぜいだ。

 

 それであっても、俺とあの未熟な女くらいの実力差があってようやく成功率が8割程度といったくらいだ。

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