英雄、目覚める-17-

 精神高揚のために、味方兵士の士気を高めたり、敵兵への怒りを煽ったり、はたまた新兵の恐怖を和らげたり……といった程度のものはある。

 

 異世界での『精神操作魔法』はこうした類をさす。


 確かに、『精神を操作している』のだが、いずれも短期的な作用しかなく、その効果も限定的である。


 ある程度の効果を及ぼすものとなると、専ら同意を得た味方へ使うことを前提としている。


 とはいえ、相手と場面次第では、同意がなくとも精神操作魔法を使える場合も一応はある。


 大抵それらは、魔法の素養がない商人との交渉事などだ。

 

 交渉や話し合いといった場面で、元々あった感情——恐怖や怒りなど——を増幅したり、されることにより、状況が一変することはありうる。


 だから、そうした「精神操作魔法」を防ぐマジックアイテムも一応は存在する。


 だがそうしたものは魔法の素養が全くない商人のお守り代わりくらいの価値しかなく、需要はあまりなかった。


 相当の実力差がない限り、『精神操作魔法』は発動しないし、条件をクリアしてもせいぜい相手の恐怖や怒りを増幅させる程度のものなのだから当然である。


 それに、『精神操作魔法』それ自体は、意識を奪うことならまだしも、相手の感情を操作する場合には多大な時間がかかる。


 いくら魔法の素養がない相手とはいえ、魔法の発動それ自体を長期にわたって隠蔽するのは困難だ。


 まあ……そういう訳で、異世界では『精神操作魔法』はあまり需要がなかった。


 当然、そうした魔法をわざわざ習得するものも少なかった。


 それでも、異世界においても、相手の意思を操作したいという欲望はいつまでも消えることはなかった。


 だから、別の手段が常に異世界では模索されていた。


 そのひとつが、奴隷紋を使用した従属魔法である。


 魔力を込めた紋章を体に施して、相手に絶対服従を誓わせる。


 これ自体の術式は非常に簡単で魔法の素養があるものであれば、初級者でも使うことができる。


 だが、従属魔法は、ほとんど使われていない。


 当然、倫理的な側面から使用されない訳ではない。


 異世界には基本的に俺が知る限りどの王国においても奴隷は多く存在していた。


 借金のカタに売られた者や戦乱の敗者となった者……。


 街を歩けばそうした奴隷たちがそこかしこにいた。


 だが、これらの奴隷に従属魔法は施されてはいなかった。


 というのも、従属魔法は、あまりにも、発動時の条件が厳しく、マトモに機能しなかったからだ。


 相手の真の同意がなければ奴隷紋は発動しない。


 単に奴隷にすることはできても、結局のところ人の意思を縛るというのは、魔法を用いても極めて困難という訳だ。


 それに、内心では反抗していても、暴力で強制すれば、人はたいがいのことを行う。


 そういう訳で、従属魔法は、異世界ではその研究も廃れて久しかった。


 だが……俺はある時期から従属魔法には使い道があると考えるように至った。


 忠誠心のかけらもなく、力で従う奴隷たち。


 口では忠誠を誓っていたり、あるいは今現在では俺に心の底から忠誠を誓っている配下たち。


 そんな奴らが何人いようとも、真に自身が窮地に陥ったときには役に立たない。


 たいていの人間は勝ち馬に乗る。


 そして、窮地のときというのは誰の目にも自分の敗北が明らかな時なのだから……。


 そういう場合においては、真に忠誠を誓っていたはずの奴らも驚くほどあっけなく離反する。


 現に異世界において敗北した王国の王や指導者の最後の大半は身内や配下に寝首をかかれていた。


 そして、この俺も……。


 まったく……俺はもう少し歴史を学んでおくべきであったな。


 ともあれ、俺は愚者らしく自身の手痛い経験からようやくその真理を学んだ。


 つまるところ、自身の感情から永遠の忠誠を誓った人間よりも、奴隷紋に縛られた人間の方がはるかに信頼できるということだ。


 前者は感情が変わればいつでも俺を裏切れる。


 だが、後者は感情が変わっても決して俺を裏切ることはできない。


 奴隷紋という制約で、絶対に俺に歯向かうことができない奴隷が数人いた方がはるかにましだ。


 奴隷紋は『自身が術者に従属するという』意思がなければ発動しない。


 そして、その自らの一時の意思を感情を……永続的に担保し、拘束してくれる。

 

 風見鶏のように変わる人の一時の感情を保証してくれる魔法など他には存在しない。


 麻耶は、自らの意思で、俺の奴隷になることを一時誓った。

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