第4話「地獄のヴィーナス」
あの女だ、あの女が俺の映画をメチャメチャにしてしまったんだ!
う、うう……わかった、落ち着いて話そう。えーと君は、そう瀬戸君だったね。どこの雑誌だって、『ケイオスシネマ』、聞いたことないな。ああ新しい雑誌なの。煙草吸いたかったらご自由に。もっともここは可燃物があるんで、火の扱いには気をつけてくれ。え、吸わない、火が苦手だから、ふうん、変わってるね。まあいいや。
で、そう事故についてね。全くひどい事故だったよ。もともと古い屋敷でね、いつ崩れるかわからないとは言われていたんだ。でもまさか本当にね、あんなことになるとは……。ありゃあ絶対ただの事故じゃないね。何というか、そう、ポルターガイストとか、そんな現象じゃないかってね。
何か噂になってるって、どんな? え、俺があの女に言い寄ってふられたって、その腹いせに事故を起こしたっての。そんなバカな話があるか。誰があんな女なんかに。まったく疫病神だよあれは。
たしかに俺はこの映画に入る直前に離婚しましたよ。千鶴とはね。今じゃ若い舞台演出家と暮らしてますよ。彼女も今回の映画にキャスティングしてたんだけどね、出番の少ない脇役でね。どうもそれが気に入らなかったらしい。やっぱりスター扱いされたいんだな。といって今さら主演というわけにはねえ……
え、彼女の主演作を見た。『サウンド・アウト・オブ・スペース』と『夢魔の戦略』、じゃあ全部見たな。どっちも俺の監督作だ。しかしよく見られたなDVDもないし、再上映の機会もなかったのに。なにユーチューブにある。そりゃ違法アップだぞ。あとで通報しておこう。
それで今回の映画ね。タイトルは『地獄のヴィーナス』というんだ。タイトルに意味なんかない。ただの保険金殺人を描いた映画に『郵便配達は二度ベルを鳴らす』というタイトルをつける、これが映画をヒットさせるコツだよ。まあ俺の映画は、言うほどヒットしちゃいないがね。ストーリーは私立探偵が失踪した女優を探すんだ。で、その女優は悪魔にとり憑かれていて、さらなる大悪霊を呼び出す儀式を行おうとしていたという、そんな話。アラン・パーカーの『エンゼル・ハート』みたいな雰囲気かな。
ただ、これがねえ呪われた企画だっていうんだよ。海老原克己っていうプロデューサーから渡されたんだけど。この人はレコード会社の重役でね、過去にもこの映画をやろうとしたけど失敗してて、それでも、定年間近になってもう一度ってことでわがままを通した。
この企画はもともとそのレコード会社がスポンサーだったテレビの特撮番組があってね、円谷とかそんなんじゃなくてもっとマイナーなやつだけど、そこで変わった作風の監督と脚本家のコンビがいて、この二人に映画をやらせようってことで立ち上げた企画らしい。監督は山崎史彦、脚本家は宗彰一って名前。それで呪いっていうのがだね、脚本家の宗が『地獄のヴィーナス』の脚本を書き上げた直後に何故か自殺しちゃって、その上、監督とプロデューサーともに重病で入院、医者からは過労と言われたそうだがね。二人とも数日後には退院して、プロデューサーは快復したけど、山崎監督のほうは、その後も入退院を繰り返して一年後には帰らぬ人に……まあこの人も若くはなかったし、日ごろの不摂生が祟ったんだろうとも言われてるけど、ともかく企画はおじゃんというわけ。それがもう二十年ぐらい前の話。
俺は呪いなんて信じちゃいなかった。その時はね。仕事があるならやりましょうってなもんよ。脚本も悪くなかったし。ただプロデューサーは今風に書き直したほうがいいっつって脚本家を連れてきた。それが霧村哲史。こいつがまた理屈っぽい男でね、すぐ蓮實重彦とか小中理論とか言い出すの。
彼が直してきた脚本では、主人公は映画監督で失踪した女優を自分で探すんだけど、その過程で自分が撮るべき映画について語り出して、虚構と現実がごっちゃになる。プロデューサーが気に入ってね、これで行こうとなった。じつは俺は前のバージョンの方が気に入ってたんだが。
それで何となく不安もあったんだけど、ロケで使う屋敷を見に行ったらね、俄然やる気が出たんだよね。神奈川県の箱倉ってとこにある古い洋館でね。倒壊の危険があるってんで立入禁止だったんだけど、まあしばらくは大丈夫だろうってことで。これがゴシックな雰囲気のある館で、ほんとアッシャー家みたいなんだ。普通なら映画のロケなんかには貸さないそうだけど、そこはそれ海老原プロデューサーの人脈でね。
その頃にはキャストもひと通り揃ってたんだけど、いよいよ本読みって時に主演女優が入院しちゃった。マネージャーが言うには熱心に脚本読んでたらバッタリだって。え、やっぱり呪いだって、それはどうかな。その女優っていうのが初川美沙なの。そう彼女その直後に昼ドラの主演でブレイクしたでしょう。はじめから乗り換えるハラだったんじゃないかって。俺が言ってるんじゃないよ、そんなことを言う人もいるんです。
あ、最近じゃあ女の役者を女優って呼ぶのも問題なのかな? まあいいか、雑誌に載せるとき適当に直しといてよ。で結局、初川は降板するっていうんで代役をどうするかってなったの。急にスケジュール押さえられる女優もそうそういないって困ってた。そこで名前が挙がったのが藍沢葉流花。何しろ例のスキャンダルで干されてたでしょ。どっかの大学教授と不倫して、自分の夫は麻薬密売で逮捕されたっていう。彼女なら体も空いてるはずだし、インパクトもあるってんでプロデューサーもオーケーしたの。
俺も気に入ってたよ。彼女が主演した『キャッシュバック』でさ、あの強盗が隠した金を横取りしようとする銀行員役、すごくよかったじゃない。
それで藍沢で行くことに決まったんだけど、なんか彼女の方からもいろいろ条件を出して来たんだよね。そんなこと言える立場かって思ったけどさ。まあこっちも他に代役のあてはないし、そんな無茶な条件でもなかったんで飲むことにしたんだ。条件ていうのが音楽担当を自分が連れてきた男に代えろとかね。ま、もともと音楽をやる予定だったのはプロデューサーの会社に所属してた売れないロックミュージシャンだったんでね、かえって良かったのかもしれんね。新しく連れてこられたのは式守悠司っていう、芸大作曲科卒でボカロ曲とかいうのを書いてるってんだから。
だけどね、困ったのはその頃からやたらと脅迫状が届くようになったんだよね。藍沢葉流花を主演にするってニュースが流れてからかな。不倫をするような女を使うとろくなことにならないぞ、とかね他愛のないものだけど、数が異常に多くてね。関係する各社ばかりか俺の自宅にまで来た。ま、気にしなけりゃどうということもないけど。
それでも何とか制作は再開して本読みまで漕ぎつけたわけだ。で、その本読みでね彼女、自分の台詞を勝手に変えちゃうんだよね。この方が演技がしやすいからとか言って。まあそれでストーリーがおかしくなるような変更でもないんで良しとしてたんだけど。今思えば、その時に気づくべきだった。あの女、藍沢葉流花が何か企んでるってことをね。
ま、そんなこんなでいろいろあったけど、とにかく撮影はスタートした。なかなか好調な滑り出しだったよ。天気も良くて、いや怪奇映画をやるには良すぎるぐらいだったけど。スタッフも皆キビキビ動いていて、呪われた企画だなんて話を笑い飛ばすような勢いがあった。
しかし、おかしなことが起こり始めたのは……やはりあの館でのロケからだな。館に着いた初日からひどいことになってた。最初それを見た時は、枯れ葉が大量に吹き込んだのかなと思ったんだ。茶色い葉っぱみたいなものがそこらじゅうに積み重なってたんでね。でもちがったの。近づくとそれが全部ブワァーッって舞い上がっってね。蛾だったんだよ。チョウチョじゃなくて蛾、蛾の大群。スタッフ総出で追い出そうとしたんだけどなかなか出てってくれない。そのうち助監督がバルサン持ってきてね。あの煙の出る殺虫剤。それを焚いたら、さすがに出てったけどね。ゴキブリ用だから効かなかったのか、死んだ奴はほとんどいなくて、みんな飛んでった。ホウキで叩き落したのが何羽か死んでたぐらいで。スタッフの中からは「このネタでホラー映画が一本撮れる」とか言い出すやつもいた。
蛾の件はそれで収まったんだが、いよいよ洒落にならない状況になったと思ったのは、プロデューサーの海老原がね、倒れちゃったんだ。で、即入院。過労だっていうんだけどね。じつはその時、判明したんだけど、スポンサーが降りると言い出してた。日常出版っていう四コママンガとビジネス本しか出してないような出版社でね、それでもけっこう金回りはいいらしくて、メインスポンサーだったんだけど、これが資金回収の見込みがどうとか言って、とにかく降りるの一点張りなんだって。それで海老原Pは何とか引き止めようとしつつ、他のスポンサー探しで奔走しててね。心労もかなりのものだったんでしょうよ。ここで降りられちゃあ映画は頓挫しちゃうんだからね。
それで困ってたら、捨てる神あれば拾う神ありでね。別の出資者が名乗り出てくれた。星道開発っていう不動産屋かなんからしい。こっちとしちゃ渡りに船ですよ。監督と会いたいっていうから神田にある本社ビルに出向いたら、怖い顔したオジサン三人に睨まれて「何があっても完成させろ」なんて言うんで「ハイ、わかりました」て言ってら撮影はつづけられることになった。
そしたら今度はね、脚本の霧村から電話がかかってきて「やっぱりこの映画やめたほうがいい」とか言い出した。何でだって聞いたら怖い夢を見たとか言ってるの。「は?」って聞き返したら、もとの脚本を書いた宗彰一から電話がかかってきたんだって。そう、自殺した、死者からの電話ですよ、そういう夢だって。で相手は何かブツブツ言ってるだけでよく聞き取れない。だけどそれがなぜかとても恐ろしかったんだって。それでゾーッとして目覚めたら、タイミングよく無言電話までかかってきたって。そんなこと言われたってねえ。「お前の夢なんか知るか」つって切りましたけどね。
その翌日、霧村が何か言ったのか知らんけど、現場に霊能者だっていうすごい恰好したオバサンが来てね、迫力があるんで誰も止められないの。だけど館に一歩入ったとたんに「ギャーッ」て叫んで気絶しちゃった。仕方がないんで救急車呼んで運んでもらった。何だったんだろうね、あれは。
その間にも撮影は順調に進んでいて、いよいよクライマックス、儀式のシーンね。藍沢葉流花もノリ気でわけのわからない小道具なんかを勝手に持ち込んできた。その辺は自由にやらせるって約束なんでほっといたけど。
で、本番直前に事故が起きたんだ。いきなり照明が倒れてね、割れたガラスで藍沢が腕を切っちゃった。けっこうな傷でね、こりゃ縫わないとダメかもってことで、医者に診せようってなったんだけど、藍沢はこのまま撮影をつづけるって言いだした。
いくらなんでもって皆止めたんだけど、どうしてもやると言って聞かない。じゃあってんで消毒だけして続行ってことになった。どのみちシーンのつながりがあるので絆創膏なんか貼るわけにもいかず、それよりはいつの間にか血が流れだしてる方がまだしもだってことになった。
あの時の現場は異様な雰囲気だったね。朝は快晴だったけど、突然、雲が出て来てね、外は暗くなった。強風で窓がガタガタ鳴り出した。それでも女優は腕から血をダラダラ流しながら、自分で用意した呪文を叫んでる。窓だけじゃなく屋敷全体が揺れてるような気がした。何かが倒れてガラスの割れる音がした。俺はカットをかけなきゃならないと思っていたが、なぜか声が出なかった。夢の中にいるような感じというか。変に頭がぼーっとして……
俺は本当に夢を見ていた。おかしな話だけど、いつの間にかね。頭でも打ったのかもしれんが。その時、俺は廃墟みたいなところに一人で立ってた。空は穏やかに晴れて、とても静かだった。あたりには瓦礫が散らばっていて、照明機材なんかも転がってた。子供の頃にこんな風景を見た気がして、懐かしいような気分になってた。そこへ茶色い蛾が一匹ふらふらと飛んできた。ぼんやり眺めていると、急に何かに吸い上げられたかのように舞い上がっていった。その動きにつられて俺は上空へ視線を向けた。そして見たんだ。アレを……。何というか言いようがないんだが、いやそもそもよく憶えていないというか、ともかく、とても恐ろしい何かなんだ……とても恐ろしい……
「崩れるぞ!」と誰かが叫ぶのを聞いて俺は我に返った。見ると天井が落ちかかってホコリが降り注いだ。バリバリとすごい音も響いていた。館が崩壊しはじめたんだ。皆逃げ出したよ。
死者はいなかった。重傷者が一名、他の者も皆どこかしら怪我してた。俺もいつの間にか右の太腿が打ち身で、左足首を捻挫してた。両足やられちゃって歩くのも一苦労だよ。結局、あの館は全面的に崩壊したわけではなく、天井の一部が落下しただけだった。そう、それと失踪者が一名、藍沢葉流花がね、その事故以来ふっつりと姿を消してしまったんだ。え、本当は死んだのを隠してるんじゃないかって、そんなのはデマですよ。現場に死体がないことは確認したんだ。スタッフのなかでは異次元に飛ばされたんでは、なんて説もあったがね。
現場で死者は出なかったけどね、別のところで……、うん、海老沢克己プロデューサーがね……、皆、外に避難して、やっと騒ぎが治まったところへ病院から連絡が来てね。原因はよくわからないんだが、心不全だとか何とか。それがちょうど館が崩れたのとほとんど同時刻だったらしい。シンクロニシティーってやつですよ。まあ、ただの偶然かもしれんけど。
それで製作中止ってことになっちゃった。プロデューサーは死ぬわ女優は消えるわじゃ、もうどうしようもないってね。そしたら例の新スポンサー星道開発からまた呼び出されたの。何かと思ったら、これまでの分のギャラは払うからよけいなデマを広めないようにだって。なんか口止め料もらったみたいな変な感じだった。ん、このインタビューはいいんじゃないの、デマじゃないんだから、真実を語っているんです。
その後、スタッフが聞きこんできた噂なんだけど、この星道開発って会社、なんかバックに宗教団体がついてるらしい。《ユゴスのまなざし》とかいうの。なんかカルトっぽくてヤバいとか……。結局、中止になってよかったのかもしれんよ。
で、そうそう重傷者が一人いるって言ったでしょう。それがセカンドの助監督なんだけど。彼には問題の儀式のシーンで16ミリを回してもらってた。デジタルとは違う質感の画も欲しくてね。その彼、重傷といっても、しばらくすれば退院できそうなんだけど、ちょっと精神の方もおかしくなってるのか、そのフィルムのことばかり言ってるんだよね。譫言みたいに。それもはじめは「あのフィルムを見てくれ」って言ったと思ったら、つぎには「フィルムを焼き捨てなければ」とか言い出すの。あのシーン、デジタルカメラのメモリはみんなノイズだらけでまともに撮れてなかったんだよね。だから彼の16ミリだけが唯一の記録なの。まだ現像してないんだけど。
ん、君、フィルムの話をしたら何か目の色が変わったぞ。え、ここにあるけど。えーと、そうだ、机の下に……、うわっ、アチッ、何だ、熱くなってるぞ、アッ煙が! まずい、セルロイドは燃えやすいんだ。ああっ火事だ! おい君、火が苦手だからって一人で逃げんでくれ……俺は足が……、わあっ、あっ、火が! 火が!
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