被害者の回想2
「お疲れさまでした。お先に失礼します」
広々としたとした店舗の規模に似合わない事務室に私の声が空しく響く。
事務室に掛かっている時計を見ると23時半。約30分ほどの残業を終えて店長に挨拶に来たが返事はない。特別店長が無愛想なわけでも私のことを嫌っている(少なくとも私はそう思っている)わけでもない。
今年の4月からここに移動してきた店長はひたすらに気分屋なのだ。
機嫌がいい時にはちょうど赴任時に発生した殺人事件のことを憂いてシフト作成をしたり遅番のスタッフを送ったりと思いやりに満ちた行動をとる。
一転機嫌が悪い時は朝令暮改を地でいくようなことをする。基本的には機嫌がいい日のほうが多いのだが家庭内の出来事なのか、本部とのやりとりなのかわからないが外れの日が存在する。
どうやら今日はその外れの日だった。
「今日の残業必要だった?」
事務所のドアに背を向けようとした時、店長が顔を上げずにそうつぶやいた。
「時間内に終わらせる努力したか?」
「すいません。ラストに結構残ってたもんで清掃が間に合いませんでした」
「でも他の子はもう帰ってるよね? もういいやお疲れ」
私はこの職場が長く、前の店長の時に少しではあるが時給を上げてもらっている。それに深夜時間帯は時給が上がる。
店長は暗に「お前が残ると人件費がかさむんだよ」と言いたいのだろう。
ここで下手に議論するのは下策だ。どうせ翌日になればなかったことになっているに違いない。「お疲れさまでした」と挨拶を返し事務所を去る。
先にも述べたが私はこの仕事が長い。高校を出てすぐにここで働いたのでもう10年になってしまう。しっかり就職しようと何度も何度も考えたがつい先延ばしにしてしまってきた。しかしもう30歳が見えかかっている。もう少し焦るべきなんだろう。
幸いなことに実家から通っているため経済的には困らないし両親も下手に就職して実家を出るくらいならアルバイトでいいからここにいて欲しいと考えている。
友人も恋人もいない自分には家族しかいない。かなり過保護で幼い頃にはうっとうしくも思えたが今のこの状況に何も言わない両親には感謝している。
10月に入って昼間はまだ残暑を感じさせるがこの時間ともなると肌寒い。信号を待っている間に念のために持ってきたいたパーカーを羽織る。隣町で殺人事件が起きてからしばらくは両親が来るまで迎えに来てくれていたが遅い時間ということもあるし、徒歩10分程度の距離なので今では遠慮して歩いて帰っている。
幾ら近いとはいえネットニュースで見る限り怨恨による事件らしいので今では大して恐怖は感じない。
帰路は日中は車の往来も激しくこの時間は閑散としている。それに一本の道路だがゆったりとしたカーブを描いており街灯の感覚も広くとても暗い。
家までの最後の信号を待っていると後ろから足音が聞こえてくる。遅い時間とはいえ別に全く人が通らないわけでは無い。コツコツっという硬質な靴底がアスファルトを叩く音が執拗に主張している。
何となく足音から男性だと思い、少し警戒した。通り魔でなくとも痴漢の可能性だってありうる。
意識を後方に集中していたせいで信号が青に変わったことに気が付かなかった。
後ろから来た人物は私を追い抜き信号を渡っていった。
「何だ杞憂だったか」
安堵し後を追うように私も信号を渡った。
しかし信号を渡ってしまうとここが帰路で最も暗い道となる。黒い服を着た先ほどの人物は闇に溶けてしまいすぐに視認するのは難儀なほどだ。
一瞬何が起こったかわからなかった。口の中が苦い。ひどい二日酔いのように頭が痛い。
ようやく事態を認識したときは大声を上げていた。
「助けて!」
見栄も外聞もなくただただ大声で助けを呼んでいた。ここは住宅街、遅い時間とはいえまだ起きている人がいくらでもいる時間。
もぅ一度助けを呼ぼうとした時小さな手が私の顔を覆った。
その後数回胸を殴られたような感触がした。苦しい。痛い。だがだれかすぐ来てくれるはず。
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