貴女に伝えたい事

@georgesakurai

彼女に伝えたい事


これから話すことは、僕と1人の女性との、悲しくてやりきれなくて、諦めや葛藤を当時の気持ちとともに綴った物語である。


1980年8月17日


目を覚ますと泣いていた。

僕は小学校の校門に薄っすらと見えた彼女に手を振っていた。

夏休みの課題で学校に来ていた僕は、隣りにいない彼女を思い出していた…


1980年1月15日15時36分

星野瑞希(ほしのみずき)

骨髄性白血病のため長い夢の中の住人となる



彼女が11歳の誕生日を迎える2日前、仙台市内の大きな病院の3階、よく晴れた青空が映る窓ガラス、その病室の窓を外から眺めていた僕は1人で立ちすくみただただ泣いていた。


ここから物語が始まる。

1978年、3学期の始業式が終わり、教室で1人ストーブの前、暖を取っている見知らぬ女の子がいた。

当時誰も着ていないPコートをフードごと被ったまま両手を擦り合わせながら立っていた。

ぼんやりと虚ろに眺めていた僕は、すごく良い香りが漂う中、彼女になにやら話しかけていた。

すると背後に誰かを感じる。

担任の先生だった。

僕の頭をくしゃくしゃっと掻きながら……

「 こら、何見てんの?早く席に着きなさい」


一番に教室に着いていた僕は彼女を横目に、そのまま不貞腐れた顔で席につく。

全員が揃うまで俯いたまま彼女は何も言葉を発することなく、先生の横でそわそわしている。


彼女の見た目はこうだ。

色白で華奢な女の子、更にはお洒落で髪もストレートのロング。

眉間にシワを寄せ、上目づかいの表情だったが、品のある顔立ちで田舎者には近寄り難い存在という印象。



「 え?そんな印象?やだ、やめてよちょっとぉ」

…彼女と仲良くなってから初めて第一印象を伝えた時の彼女の反応。


あの頃は、そんな日常が当たり前だったわけだが。


話を戻そう…

下校時間の前に先生に呼び出され、母親からの伝言を伝えられた。

「 転校生の星野瑞希ちゃんね、お父さんとあんたのお母さん同級生で、仲良くしてやれって、今さっき電話きてたのよ、だから帰りは一緒に帰ってやりなさいね」と………


正直僕は焦っていた、本当に焦っていたのだ。

えっ?俺なの?なんで?ちょ!えぇぇっ?


軽くパニックになっていた時だ。

何やらまた誰かが後ろにいる感じ…

本日2回目の背後からのコンタクト。


「 パパから聞いてた、だから一緒に帰って。」


えっ?!

はぁ?帰って?何コイツ!帰ってとか先輩かよ!などと慌ただしい頭で瞬時に返した言葉が

「 へっ?あ、あぁ、うん」である。

仕方ない、田舎のクソガキはヘタレだし、女子には逆らえない性格なのだ。


彼女はこうも言った

「 ひとには優しくしないと駄目、駄目なんだよ?わかってる?」と控えめな声だが、ハッキリと聞こえた。

都会の女はこえーなー、などと頭の中は愚痴しか出てこないまま、付かず離れずのスタンスで校舎から出るまでの時間が苦痛でならない。


先輩や同級生からは冷やかしのオンパレードで、顔から火が出るという経験をしたのも初めてだし、いよいよ嫌になった僕は、彼女を置いて先に校門へ走り出した。


すると、突然黄色い声が雪深い学校に響き渡る。


「 優しくしてって言ったでしょー!!」


叫んだと思うと糸が切れた人形のように

そのまま倒れ込んだ。


またもやパニックだ


え?自分のせい?何で?何で?

…と考えつつも彼女の元に走っていた僕は、罪悪感なのか恐怖心なのか訳が分からなくなっていた。


その後僕達は、掛け時計の歯車と秒針が進む音しか響いていない保健室で放置されていた。

と言うより放置されたと感じていたのだった。


しかし、だ。


改めてちゃんと見ると、やはり可愛いのだ。

…唾を飲み込む音が…


そう、好奇心しかない年齢である、しかも女の子が寝ているわけだ。

ついに来た、漫画のような一大イベントの発

動なのである。


…先ずは髪の匂い服の匂い……


この花なのか果物かわからないが、なんとも甘く柔らかい香りに罪悪感は掻き消され、僕のすんすん大作戦はいよいよ本命…が近づく……


緊張の一瞬がやってきた。

ベッドに心臓の鼓動が伝わるんじゃないか?という不安でいっぱいのまま、布団をめくり上げようとした瞬間…


「 楽しいの?それ、変な匂いしないと思うけど」


はい、イベント終了。


ふっと思い出す

「 瑞希ねー、ここに初めて来る時、香水つけ始めて、ずーっと同じもの使ってるの、何故だかわかる?」


この年の夏休み、満面の笑顔で笑う彼女の表情は忘れたことのない。

が、この時の彼女とはまるで別人のような怖い顔をしてる彼女も忘れがたいものだった。


下手な言い訳は出来てなかったけど、匂いと、可愛いと、変な気持ちを、あたふたしながら訴えかけた。


ほどなくして、担任と教頭先生が現れた


既に辺りは薄暗くなり、教頭先生の車で僕の家に向かった車中、僕の母親と彼女の父親のエピソードを話してくれた。


「 お前のかーちゃんな、星野さんのとーちゃんが転校する日に、大泣きして大変だったんだぞ」


おっ?なんだなんだ、その話は!

ナイス教頭先生!母親の弱みを握った!

敵わない相手に対しての切り札を見つけたように浮かれていた。


が、一方彼女は俯いたまま何も喋らず、リアクションすらしていない。

父親と連絡がつかず迎えに来てくれなかったからだ。


ここでまたやらかすわけだが…

デリカシーという概念の欠片もないガキは、彼女を見てこう言い放ったのだ。

「 あれ、お前の父ちゃん迎えにこないの?」と。


ガチ目にやらかしたのである。


彼女は僕の家に着いてもずっと泣き止まなかったのだ。


教頭先生にはこんこんと説教をされ、ゲンコツまで喰らったが、ノンデリなガキは何が悪かったのか全く理解していなかった。


驚きと不明な思考と入交ったまま、更なる衝撃が僕を襲う。

お互いの親が同級生だからといって、彼女が泊まることになるのが理解できない。


もっと言うと、何をどう解釈したのか同じ部屋で寝ろ!との圧力にも似た司令を母から言い渡されてしまったのである。


隣は兄貴の部屋で小さい弟は母親と寝ている。

寝ながら、むしり取るかのように、頭を抱える僕に、何故か彼女から話をしてきた。


内容は、父親の自慢と自分の暮らしが豊かである、というスーパーマウント少女の自分語りで、聞いてる僕には苦痛でしかなかった。


「へー、ほー、はー、うん」しか言ってないし、でも彼女は永遠と話し続ける。


どれくらい話しただろうか、彼女は楽しくなってきたのか、父親が来ないショックで頭がイカれたのか、少しだけ怖くなりかけていたその時……


突然だった。


どうしようもなかった。

防ぎようがなかった。

ただ固まったまま動けなくなっていた。


すると、落ち着いた声で話し始める。


「 ここまでね、瑞希の話、ちゃんと聞いてくれたの初めてで、でね、ホントはね、いつもこの話すると、皆から嫌われるから、話してたくなかったの、だからお礼。色んな、お礼」


頬に、柔らかくて少し冷たいものがくっついた。

というレベルではない。いわゆる「 キス」なのだ。

残念ながら自分の唇ではなかったが……


同い年の女の子から、しかもいい匂いがする可愛い転校生の女の子から。


しかしながら、だ、「皆から嫌われる」…この言葉に押し潰されていた僕は、妙に冷静で感動も興奮もしたが、覚めるのが異様に早かった。


冷静な今ならちゃんと話せる!

どうせ眠れないのなら僕からも話そう!

と言う、何故か賢い選択をしたのだった。

明日は日曜日、朝まで話し尽くそう…


気持ちが緩んできた頃、また唐突に彼女の中の「何か」発動する。


……あのー瑞希さん?何故僕の布団に潜り込むんでしょう?

今度は腕まで組んでくる始末……。

いかがなものか…。


この夜、明るくなるまで、彼女の寝息と温もりに支配されていた。


「ぴかっ!」何かいけない事をひらめく。


そうだ!このままイベントを完結させるんだ!今度は間違いなく成功させる!


保健室のリベンジに走るクソガキ9歳小学4年生である。


彼女から「おはよ…瑞希途中で寝てた?」

と質問されたが、細かく頷く僕をみて、微笑み返してくれた。

興奮冷めやらぬ朝を迎えた僕は、まさに賢者にでもなった気分。

ニヤニヤがずっと止まらない…


朝食を済ませ、そこから僕は彼女のお尻の柔らかさや、色々な感触を思い出し、それを噛み締めながら、迎えにくる父親を待っていた。


もう、朝からやたらとウキウキな彼女が可愛らしくもみえた。

僕の頭の中は「 この可愛らしい女の子の身体に触れた!」これしかなかった。


それから数時間、彼女と沢山話をする。


彼女にしてみれば待望の瞬間。

父親が迎えに来た途端、彼女は駆け出し、すがりつき、とことん甘えていたのが微笑ましく、逆に羨ましくもあった。


翌日、学校では不穏な空気を漂わせ、みんなの視線が代わる代わる彼女に向いていた。


その後、1週間も経たない間に、クラスの皆から弾き出されていた。


僕が常に彼女の側に居たのが気に入らないのか、同じように仲間の輪から除外されたのである。


仕方のないことだと言い聞かせたが、嫌がらせが酷くなる一方で、苛立っていた僕は、

彼女に対しての感情と、仲間だったヤツとの思い出を秤にかけて、それを比べながら悩んでいた。

正直、自己嫌悪というやつだ。


そんな最中、3月の中頃に、彼女が一旦仙台に戻る話が浮上してきたのである。


毎日が不安で不安で仕方なくて、孤独の闇が迫ってきそうな感覚。

相変わらず嫌がらせは続く。


2月は彼女が何度か休んだり、連絡が取れない日もあって、落ち着ける日がなかった。


会える時は、彼女を質問責めにしたり、それでもいつも通り明るくて、答えを知りたい僕はいつもより接近しようとしていた。


……初めて拒絶された……


「ごめん……やだ。……ご、めんね。」


彼女は「母親の仕事の都合だ」と言って、僕の誕生日には手紙を書くと言い残し、その場から去っていった。


結局、彼女に謝れもせず、当日の朝を迎えた。


車に乗り込む前にプレゼントらしき物を手に持って歩いてきた。

何も言わず黙ったまま、可愛らしい包装と青いリボンの付いたポーチ型の袋を渡してきた。


「 はい、これ、じゃぁ……またねっ」と少し歪な笑顔で手を振って車に乗り込んだ。

見送るにしても、後部座席に乗っている彼女は、下を向いて僕をみることはなかった。


何かが引っかかる感じはした、が、こんなもんかぁ、とあっさり割り切れてしまった。


明日から俺1人が嫌がらせに遭うんだな、と。どこか見捨てられた感じがしてならなかったからだ。


翌日、不思議と僕に対する嫌がらせが、かなり大人しいものになっていた。

おかしい!どうしてだ?

疑問だらけで担任の先生に打ち明けた。

すると何やら理由( わけ)の分からない事をいい始めた。


「 クラスの子から聞いたけど、あんた星野さんにそそのかされてたって?彼女、クラスの皆に、アキちゃんは私のものなんだから、アキちゃんは私にだけ優しいんだから!って言ってたみたいなんだけどさぁ?あんた達ただの仲良しだと思ってたけど、付き合ってたの?変なことしてないよね?あの子都会っ子だから…」

怒りがこみ上げる…


全く理解してないコイツら、先生も頭おかしいんじゃないのか?と。

イジメや嫌がらせが全て彼女のせいだと?

僕が彼女に言いくるめられてる?

意味が分からない。


途端に走りだしクラスに戻った僕は、全員に向かって何かを叫んだ。


無我夢中で何を叫んだのか覚えていないが、後に意外な人からその答えを知ることになる。


3学期初頭、とにかく彼女と沢山話した。

「 あの日」以来、自分語りや自慢話をすることはなく、先の話、いわゆる未来の自分たちの話が殆どで、夢や希望に満ち溢れている彼女がいた。


習い事や学習塾、旅行先の話も周りからすれば妬みや嫉みの対象になるが、僕と話してる彼女からは嫌味な部分はなく、ちゃんと記憶に残ってるし、輝いてさえみえた。


よく話す女の子だけど、話し方が上手いのだ。

「 あ、これ知ってる?地理の勉強にもなるから、知ってた方がアキちゃんの為になると思うの、少し聞いてみる?興味なかったら違う話しようよ、ね!」

田舎の小学4年生には、都会っ子は頭いいし話し方が大人だ!くらいにしか映ってないが、実際考え方が数倍大人だったと今は思う。


彼女のいない日々、誕生日に貰った中味を離れ離れになったり、クラスでの話だったりで開封していないままにしていた。


クラス全員に大声で叫んだ勢いで、そのまま勝手に帰宅した僕は、直ぐ様プレゼントを開封し、中味に同封されていた手紙を最初に取り出し読んでみた。


「アキちゃんに、2つのごめんなさいがあります。今、私の分も嫌な事とかされてないかな、心配です。でもね、皆に言ってたのは、私の未来にアキちゃんがいるのかなー、って考えると、誰にも渡したくないって気持ちになっちゃうの。

でもね、それがただの私の夢で終わるのかな。とか。なんか、もう分かんないや。


2つ目のごめんなさい、は夢の話ね。それとね、アキちゃんが教室で、瑞希の悪口言ったら俺が許さない!とか言ってくれてると嬉しいな。それはないか、アハハハハ。あのね、私ママのお仕事が終わったら、1度アキちゃんのとこに行くね、だから待っててね。言いたいことがあるけど、今は言わない。じゃあ、またね!手紙待ってるね、バイバイ」


理解できる所と解読不能な意味深の内容、僕の当時の処理能力はゴミくず同然だったのだ。


残りのプレゼントは香水だった。

しかも男性用の大人向け。

彼女の父親が使っている物と同じだそうだ。


ファザコンという言葉を知らない少年には「 ?」でしかないのでる。


それはいい。


午後になり、同級生が心配になり家に来た。

「なぁアッキ、瑞希ちゃんの事、本気ですきなの?」と。

ん?なんだなんだ?コイツも同じくたぶらかされてるって思ってんのか?

なんてイラついてきたんたが、あっさり覆された。


「アッキおめー、アイツの事悪く言ったら、全員ぶっ殺すぞ!って、言ったんだろ?」

あー、やらかした…って、え?ちょっと待て!


似たような台詞…が…

彼女の手紙に書いていた台詞にあったのを思い出す。

僕が彼女と色々話してた中でも、そんなやりとりをしていたのだった。


彼女と僕とで嫌がらせの話が出るたびに、僕はみずきち( 瑞吉とあだ名をつけていた)の事を悪く言うヤツは許さない!と日頃から言っていたわけだが、頭に血が上ったとは言え、それを皆に、ねぇ。


まあまあ恥ずかしいが、少し誇らしげに思えて、ニヤリと同級生を見返した。


僕は頭に血がのぼり、発言した言葉は無意識だったが、言われてみれば合点がいくものだった。


それもそうだが、また部屋に戻り手紙を読み返す。

しっかり考えて読み返す読み返す読み返す


「私の夢?」って僕との未来?未来にごめんなさい?夢が叶わない?まだ言えない?

海外にでも行くのかな。

彼女の本心には到底辿り着かない、幼いからこその思考なのだ。


母親の仕事にケリがついたら、サヨナラを言いにくい来るのかな。

嫌だな、嫌だ、駄目だ駄目だ、そんなの嫌だ。


僕はどうしても仙台に行きたくなり、親に直談判を試みたが彼女の父親に、こっちに来ても会えないよ、と、言われてるらしく、もやもやしながら、彼女の手紙が来る前に、必死に文章を考え投函した。


そこから3ヶ月間、彼女から手紙が来ることはなかった。


既に季節は初夏を迎え、周りのクラスメイトは何もなかったかのように日々を過ごしている。

5年生になりクラスの面子も変わった為だった。


僕はずっと「彼女に会う、会いたいから貯金を下ろしてくれ」といつもいつも両親や祖父母に訴えかけ続けた。

そんな中、彼女から待望の手紙が届く。


「ごめんね、なんか私、謝ってばかりだな、アキちゃんに会いたくて仕方なかったの、本当だよ。もう嫌いになったかな、毎日泣いてばかりだったから、気持ちが変になりそう。でもね、今までの手紙も届くから、絶対に全部よんでね、お願い、絶対だよ。じゃぁ私寝るからお休みね。」


なんだ?今までの手紙って、なんだよそれ、誰かが預かっててポストに入れてなかった?

父親か?母親か?誰だ?


何通来るかわからない手紙の数より、それを投函しなかった人が誰なのか、ソレしか頭になかった。


その後、5通ずつ手紙が届いた。

14日間毎日。

最後に届いたのは6通で、その中に、父親からの手紙が入っていた。


とても丁寧で、如何にも大人が書いた物だとわかる。

「アキトくん、いつも瑞希の支えになってくれてありがとう。君のお母さんから話は聞いてる。本当に申し訳ないと思ってる。でもねアキトくん、手紙が出せなかったのには理由が……」

と、父親からの手紙には、本当の事なのか言い訳なのか嘘なのか判別不可能なくらい面倒な話が綴られていて、頭が破裂しそうになった。


でも、僕が母親に手紙を見せると、ニヤリと微笑み「相変わらず回りくどいわね、あの人」と。

その手紙を丁寧に仕舞い僕に渡すとこう言った。

「アキトの情熱って言うのかな、熱意って言うのかな、それにヤキモチ妬いてて、感謝と憎たらしさを無理やり文章にしたから、面倒な内容になったのよ、まー、まだ分かんないよねアンタには。」と笑いながら肩を叩かれた。


え?ヤキモチと感謝と憎たらしさ?どういう事なんだ?

謎でしか無いその文面は後回しにして、彼女からの手紙で心を落ち着かせよう。


それが良くなかったのである。


後で聞いた話だが、父親が書いた手紙をこっそり見たのだと言う。


「パパの手紙読んじゃったかな、それだと私がこれから嘘つくみたいになっちゃうけど、私の言ってることが本当だから信じてね。」

全て読み終わり父親が大うそつきだと確信し疑わなかった。


最後の1通に、7月の終わりごろにアキちゃんに会いに行くと書かれていて、完全に浮かれていた僕は、お手伝いという名のアルバイトをし、彼女が来たらデートに行こうと張り切っていた。


1979年7月25日一学期の終業式、明日から待望の夏休みだ。


彼女が来るのが29日、アルバイトももう少し頑張る!と鼻穴を膨らまし意気揚々と家路を急ぐ。


家に着くやいなや彼女の父親が居た、更にはお茶まですすってやがる。

母親とワイワイ話してやがる。


僕としては敵認定していた人物、ろくに挨拶もせずその場を通り過ぎていた。

「アキトくん、ちょっと待ってよ、ちゃんと話を聞いてくれ。」


急に真面目な顔になった大人は怖い。

名前を呼ばれた瞬間振り返ると、本物の怖い人かと思うほどだった。


僕は正座をし真面目な顔をした。


ごめん、本当にごめん!

大人に謝られたのは初めてで、以前の手紙よりインパクトがあった。

僕がこれから質問する事に、絶対に嘘をつかず、ちゃんと答えて欲しいです!

と伝え、それを見た母はその場から一旦姿を消した。


質問内容はこうだ

①僕が憎いか

②僕が邪魔な存在か

③僕に対しての感謝とは

④嘘をついているか

⑤瑞希ちゃんの言ってることが正しいのか


この5つである。


少し時間をくれと言われて、腕を組ながら目をつむる父親。

すると…こう切り出してきた。

「あ、その前に確認したいことがあるけど、それを答えてからでもいいかな?」

と、いきなり半笑いになったのだ。


その後に続けて話してきた内容を聞き、僕は猛烈にドギマギしていた。


お父様!本当に申し訳ございませんでした。全部、僕が悪いので、煮るなり焼くなり好きにしてください!

とまでは言ってないが、平謝りであった。


「ところでさ、アキトくん、瑞希のお尻触ったらしいね?」


何も言えなくなった。

卑怯すぎる!大人ってずるい、ずるいよ。


切り札ってこんな使い方なんだな、と、少し感動もしたが、やはり気まずい感じだ。


ん?…まてよ?…なんで知ってる?

彼女が言った?え?…ま、まさかでしょ!


そうなのだ、彼女は僕の話を母親にしていたのだった。

消えたはずの母親が隠れて大笑いしながら、バッドタイミングで話しに入って来た事で発覚したわけだ。


でも彼女、お尻触るのってパパもするから大丈夫なんでしょ?って言っていた事までカミングアウトしてきた。


流石に2人共気まずくなってしまう。

この空気、なんとかしろよかぁちゃん!


「でもさ、アキト、女って言うか女の子はね、大事な事は最後まで隠す生き物だから、違う何かをまだ言ってないかも知れないよ、後は本人に直接聞いてみな。」


流石は百戦錬磨の母だな、きれいにお互いの言いたかったことと「今は言えない」事の対処法まで伝授するわけだから。


ただ、彼女の父親は何故か複雑そうな顔をしている。

そんな顔をみてトドメの一撃。

更に衝撃の事実…


「だから奥さんが離れてくんでしょ?しっかりしなさいよ!瑞希ちゃんだけが貴方の子供じゃないでしょうに!

まだアキトの方が瑞希ちゃんの救いになってない?

ねぇ、アキトに嫉妬してる場合じゃないのよ、病気……あ、違う、あれ、貴方の、あれよ、あれ…」

口を滑らせたのは僕の母親だった。


額に手を当てがい項垂れる父親。

僕はただ「誰が?」と「病気って?何?」しか考える事が出来ず、何も察することができていない。


父親が話し始めようとすると、後ろで険しい顔の母が、口の前でばってんをして、首を横に振っている。


ようやく飲み込めた。

彼女は何かの病気なんだ、と。


しかし、さっきまでは和やかだったし、問題はないだろうと高を括るその時の僕。


彼女の父親が帰りしなに

「今年の夏は暑いし瑞希をあまり外に誘わないで欲しい、約束してくれるかな」と。

何故か寂しそうな笑顔だった。


こくりと頷いてから握手をして帰っていった。


その後、母に仕返しがしたくなったんだろう、彼女の父親が小学生の時、転校するのが悲しくて大泣きした事を話すと、これでもかという勢いでゲンコツを喰らったのはいうまでもない。


その日の夜に彼女から家に電話がきた。

1分も掛からないから僕を電話口に出して欲しいと。

「ねぇ、アキちゃん、夏休み出掛けようね、内緒の約束だからね」と、それだけ言い残し電話は切れた。


これがバレたら流石に駄目だろ…


翌日、彼女は予定より早く帰ってきた。

ほぼ毎日、父親の送迎で家に来てくれた。

毎日、毎日、彼女は明るく元気で、益々僕の気持ちは惹き付けられていた。


8月に入り、夕涼みには最適な河川敷で、兄貴と弟、父と従兄弟で花火をするから誘ってみたが、生憎返事はダメと言う事で僕のやる気が一気に下がっていった。


お盆前に課題を終わらせるため、学校にいく僕ら、図工教室から外を眺めたり、2人で絵を描いたり工作したり、今で言えばリア充満喫夏休み。


大きなツバの麦わら帽子に青いリボン、僕は小さめの麦わら帽子にプレゼントに付いていた青いリボンを巻いて出掛けていた。


学校は近いし遠くに出掛けるわけじゃないから叱られないだろうと、彼女を毎日連れ出した。


そろそろお盆の花火大会が近づく。

花火の設営に大忙しの運営陣、お茶やおむすびを運ぶ婦人会の人たち。

だが、彼女は2日ほど連絡が取れなくなっていた。


やはり父親に叱られたのかな、と、心配する僕は気づくと1時間おきに、彼女の家に電話していた。


お昼すぎにようやく繋がったと思ったら、掠れた小さな声で「はい、星野です、」と。

おばぁちゃん?そんなはずはない。


僕から

「えっと、みず…」

ガチャン!…ツーッツーッツーッ…


なんだろ、誰だったんだあの声。

とりあえず、僕がジタバタしても仕方ない!

待とう!と、桃を咥えながら腕を組み、1人で勝手に納得していた。


彼女は花火大会にも姿を見せなかった。

もう夏休みも終わると言うのに。


明日で終る夏休みの朝、彼女は早朝にやってきた。

父親ではない女性が運転する外車に乗せられて、その女性と一緒に近付いてきた。


「君がアキトくん?瑞希の母で早川千里( はやかわせんり)といいます、いつもありがとう、瑞希から話は聞いてるの、本当にありがとう、仲良くしてくれて。」

ん?早川?星野ではないのか?と首をかしげると、察した母親はザックリではあるが経緯と理由を話してくれた。


やはり血は繋がってると思えるほどザックリ感のない、すごく分かりやすい話し方で直ぐに納得できた。


母親が彼女に問いかける

「それでさ、みずきち、どうする?大丈夫なの?ママは明日までいるから、このままアキトくんと出掛ける?」

彼女が軽く頷く


母親は小さな小袋を手渡しして、背中をポンっと押した。


僕の手前30cmくらいまで近づいてきて、小さな掠れた声で「行こっ」とつぶやき、手を引かれた。


まてまてまてまて、この間の電話の声じゃないか、なんだ、このザワついた感じを更に増していく嫌な感覚。


彼女は小袋から錠剤を取り出し、透明な液体、おそらくは水なんだろう。

何やら見たことのない綺麗な模様のビンを口に当て、少しずつ飲み始めた。


少し大き目のポーチにさっきと同じビン2本、小さな缶ケースが1つ、籐(とう)で作ったランチボックス?のようなバッグ。


ふらつく彼女の肩を支え、すかさず手を出して僕が全部荷物を引き受けた。

「アキトくん、あなた将来モテるわよ!」と微笑みながら頭を撫でてきた。


大人の女性どころか、女の子の優しい立ち振舞いに1ミリも耐性がない僕は、顔が赤くなっているのが判るくらい熱かった。


彼女を見た母親は

「あら、お姫様はご立腹みたいね、早く行ってあげて」とまた微笑みながら僕の背中を押してくる。


彼女は両手を握りしめて仁王立ちの背中を見せつけてくる。

僕は何もしてないよって顔で彼女の顔を覗き込むと、プイッとそっぽを向き、母親に向かって何やら怒りのゼスチャーをしていた。


なーんだ、元気なんだな、と、その時は安易に受け止めた。


少しして、学校の裏山を登り、見晴台まで到達した僕たちは、屋根付きのベンチに腰掛けた。


薬のお陰なのか、何時もの声が聞けた。


「ねぇ、アキちゃん、みずきちはこのまま何処にいくんだろう。ねぇねぇ、今から瑞希の夢の話しよっか、ねっ!」と、カバンからノートを取り出して読み上げる。


5年1組 星野瑞希、あ、みずきち


私が伝えたい事を話すね。

空ってさ、遠いのかな近いのかな

正義の味方って、遠い空とか星からやってきて、悪いことする怪獣とかやっつけるよね。


だから、アキちゃんが本当は空から来て

私を助けてくれるって信じてるの。

いつもいつも。


みずきちってあだ名は、パパは嫌な顔するけど、ママは気に入ってるんだ。


でも、ここで話してるのは、私なの。

わかるかな?

私が瑞希とみずきちを見てるの。

…少し間が空いた後に、鼻を一回すすってまた話し始める。


えと、どこまで読んだっけ……

あ、そうそう


でね、私が居るからアキちゃんは寂しくならないの。

わかる?


瑞希とみずきちは……えと…えっ……とね


いたたまれないなこの子

僕は何も知らされてないけど、何となく理解できてきた。


だけど、かける言葉すら見つからない

夢の話が入ってこない、いつもの分かり易い話をしてよ、ねぇ、みずきち。


声には出せなかった。


彼女は続ける


でね、私が泣いてる時は頭を撫でてくれるの、何度も何度も。

それでね、私は眠るんだ。

明日もアキちゃんが居てくれるからって。


だけどさ、私、まだ、愛とか恋とかわからないの。

好き、は知ってる。

私が今そうだから。


隣にいる人の事、そう思ってるから

私が今伝えたから、私にも伝えて、ね?


そして沈黙が続いた。



風が通る場所、秋の虫が少しだけ鳴いてた。

僕は確かに彼女が好きだ。

これは自己防衛本能なのかわからないけど

怖くて切り出せない



ねぇ、アキちゃん、これならどうかな

私と瑞希とみずきちの誰が好き?

この3人から1人決めて?

ね?

お願い。


彼女がノートを閉じて、真っ赤な眼をしてこちらを見つめる。


あぁ、目が回りそうだ、でも、今、自分の事を私って言ってるから、私にしよう、うん、それだ。


あー、んと、ね、私…かな。


彼女はクスクス笑い始めた。と、同時に声を出して泣き始めた。


あのね、私、自分のこと名前で呼ぶでしょ?

周りから、サッちゃんって呼ばれるの。

だから、私はみずきだもん!って怒るの。


私って言えるじゃん、何がみずきはねー、だよ、とか、凄い言われるの。

それが嫌で、自分の名前も嫌いになりそうだったの。

でもね、アキちゃんはね

私の名前が珍しいし、花の名前にありそうだって、でね、少し変えると男の子になるって、そう言ってくれたの。


アキちゃん、保健室で迎えが来るまでさ、照れながら話してたよね。

私、その時に思ったんだ。

仲良くなれそう、好きになれそう、アキちゃんの事、って。


アキちゃん家に泊まった時ね、わざと自分の話とか自慢するように話したでしょ?


でもねー、寝ながら話してるとね、仲良しだったパパとママと一緒だなって、そんな気がしたの。


ねー、聞いてる?

どうしたの?


……あの時はイベントが失敗して、誤魔化して話していただけ、なんて言えるわけもなく……


でも、彼女は真剣に話してる。

直ぐに気持ちを切り替えて返事をした。


あー、うん、聞いてた。


でさ、夫婦って事は結婚しなきゃいけないの、ね、ね?

だから、約束して、くれ、る?


切り替えがおかしな事になってきた。


……えっ?……なっ、はぁ?

なん、だろ、その、まだ早いってば……。


ノリとか勢いとかイチャイチャとか、微塵も知らないクソガキに、一体何を求めるんだよ…。


すると彼女は…


ひっどーい、私振られたー、やだー、

やだ……嫌だよ……駄目だよ……

寂しいよ…

好きなんだもん


好きなんだよ?ねぇ…

わかる?


胸が張り裂けそうになる。

座っていられなくなった僕は

もう限界だった。



……もうっ!

好きだって!決まってんだろ!

瑞希もみずきちも、お前も!

ここには1人しかいねーだろ!


なんだよ、空に行くとか、瑞希がどっか行くのかよ。

知らないよそんなこと。

だから、だからさぁ

ね、行くなって、

どこにも行かないでよ……

なぁ、頼むよ…

お前と離れたくないよ…


あ…れ?

どうした?何故泣いてる?

涙とまらないし、どうしたんだ僕は?


膝に手を揃えて何回も頷いた彼女

勢いで立ち上がってた僕の手を軽く引き寄せて、お腹に顔を埋める。


ねぇ、私ぃ、言いたいことあるっていったよね、これからはそんなに言ってあげられないから、今言うね。


……お、おぅ。聞いてれば良いんだろ?

早く言いなよ。


すると彼女は


ん?ダメ、さっきみたいに、私の事さ

お前って言ってみて?


お前?それだけで良いの?


じ、じゃぁ、言うぞ。


お前……


なぁに、あなたっ……


それを言うための「お前」かよ…


この瞬間、2人はぶっ飛んだ。


僕の顔は熱いままだけど、僕のお腹の彼女の顔も、相当なものだった。


僕のシャツを両手で引っ張る彼女

僕は頭から湯気が出っ放し


すると、絶妙なタイミングでお腹が鳴る


とたんに2人は笑い転げた。


お腹空いたね、お弁当たべよっか

ね、食べよ食べよっ


こんなニコニコの彼女は久しく見ていない。

そんなに嬉しかったのか、と、さっきまでの事を、なんとなく振り返っていた。


今度は僕が1人でぶっ飛んだ……。


ちょっとまて、告白ぅ、婚約ぅ、夫婦ぅ

これは、夢の話はこれか?

結婚って何歳から出来るんだっけ?

家とか建てなきゃ、んと、その後色々あるし、えと、えと、あ、子供作るのか!

あ、作り方わからない…どうしよ…うーん…


……ぇ、ねえ、もうっ!ねえってば!


肩を思い切り引っ叩かれる僕

なに、まだ赤くなってるの?

私はもう大丈夫なんだよ?

思い出してたの?

あ、な、たっ


再度点火する小学生女子


あー、でもね、私……あ、やっぱりやめた。

食べよ、早く。

いっぱい作ってきたんだー

ねー、美味しい?

美味しいでしょ!

ママと作ったの

毎日忙しいけど、ちゃんとご飯作るの

尊敬しちゃうよね


この空間だけでいいから、永遠に続かないかなぁ、と漠然と思っていた。


ようやく落ち着いてきたところで、長居させたら父親に恨まれちゃう。

などと考えながら、日陰のベンチから出る。


すでに昼が過ぎていて、陽射しがチリチリと肌を刺してきた。

じゃぁ帰ろう!

帰りは下りだから楽だよ

ほら、行こうか。


彼女の手を引き裏山を下る

校舎から誰の声も聞こえない

風も気持ちよくていい感じだ


校門に差し掛かった辺りで、彼女から提案があった。


ね、アイス食べたくなっちゃった

先の駄菓子屋さんに買いに行ってくる

アキちゃん待ってて!


と、歩いて行ってしまった。

少しふらついてみえたけど、陽炎のせいなのか、まだ僕か落ち着いてないからなのか…


何分経っただろう、彼女が帰ってこない

直ぐ目の前の曲がり角を曲がった先にあるはずだけど。

様子を見に行く途中、何やらザワついた大人の声が聞こえてきた。


咄嗟に走り出した僕の視界に入ってきた光景

電撃が走った。


駄菓子屋の外にある公衆電話にもたれ掛かるように倒れている彼女が目に入った。


おい!おいおいおい!ちょ、おいっ!


全力で駆け出したが、彼女は動かなくなっていて、救急車を呼んだ店主と、おばちゃん達、既に5〜6人は集まっていた。

直ぐ様彼女を抱えて、座らせようとしたがぐったりしたままだ。


息はしているが真っ白になり、指先も冷たくなってきた。

ダメだよダメだって、ねぇ、ダメなんだって


何をしていいかわからず、耳元で呟く


ね、ほら、空から正義の味方が来たよって、ねぇ、俺が来たから大丈夫だからぁ!

ねぇ、ちょっとー!ねぇってば!


僕は大人たちに取り押さえられ、口も塞がれたままだ。

おばちゃんが、手をさすったり腕や脚も摩すっている。


程なくしてサイレンが聞こえてきた、少しだけ安堵したのか身体の力がぬけてきた。


隊員から付き添いの申し出を募る声が聞こえ、僕は一番に手を上げた。

彼女の母親に連絡できるからと言う理由で、二つ返事で救急車に乗り込んだ。


ずっと彼女の手を握り、何かに願っていた。

隊員が肩を叩いていることも気付かずに。


えー、この子、何か薬飲んでなかった?と聞かれバッグの中を見せた。


隊員が、これ、この子が飲んでるんだよね、病院から貰ったのか知ってる?


僕は、あー、コイツ……この女の子のお母さんから手渡しで……


お母さんってお医者さんなの?


あ、いえ、外車には乗ってました、名前はぁ……えっと、早川ぁ…せん…り、さんだったかな?


無線機で交信しているが何を言ってるのかわからない。

田舎の病院だからなのか、薬が無い!薬が無いんだよ!と、半ば喧嘩腰な感じで、彼女の病状が特殊なのが何となくわかった。


病院に着いた時には既に彼女の母親が到着していて、そのまま病院内に搬送されていった。

入口にさしかかる頃、彼女の母から質問があった。


瑞希は笑ってた?泣いてた?どっち?…と。


僕は正直に、泣いたり笑ったりでした。と回答する。


険しい顔だったが、また頭を撫でられ2回頷きながら「あとは大丈夫、あなたは帰りなさい」と。

僕は歩みをゆっくりと止め、立ち止まった。


「あぁ、あの人に任せておけば安心なんだろうな」そんな客観的であり第三者的な思考だったのだろう、心のざわつきが解けていった。


ただ一点を見つめてる抜け殻が、取り憑かれたように歩いているようだ。

トボトボとかかとを擦りながら宛のない道をただなんとなく歩く。


何の情報もないまま、時間だけが過ぎていった。


それから2ヶ月。


季節は肌寒い10月末で、毎日何かを忘れようとしている自分が許せなかったり、仕方ないと嘆いてみたりの繰り返し。


貴女に伝えたい事02


1979年11月10日

1通の手紙が届く。


宛名、住所、裏面の名前……

彼女の字だ!!

瑞希、みずき、みずきち、お前、あなた、

好き、正義の味方、見晴らし台、風の音、

瑞希の香り、温もり、腕とか、ほっぺとか

えーと、えーと…


一気に押し寄せてきたあの日の映像

あれ?真っ暗…ん?ダルい、重い、なんだこれ?


僕はフラッシュバックに絶えられず

手紙を受け取って数秒後に倒れたようだ。

訪問医が、脈を測っていたようだ。


彼女が手を握ろうとしてきた感覚を、急に思い出し、その手を探りあて、強く握った…つもりでいた。


僕は訪問医の手を強く握ってきたと後から聞いた。

2日ほど学校を休み、家で手紙を読み返す。


「ねぇ、まだ起きてるのかな?私毎日眠いんだぁ。これじゃ眠り姫だよね。あ、自分で姫だってさ、おかしいね。指に力が入らないの、汚い字でごめん。アキちゃんがさ、救急車の中で、この子との関係は?って聞かれた時、奥さんです!って、笑いそうになったよ。なんかね、遠くで正義の味方が来たから大丈夫だって。夢なのかな。私はいつも夢の中…」

その後の文字は残念ながら文字になっていなかった。


彼女は、何通もの空の便箋に宛名と住所と裏面に名前を書いていたという。

本文と違いすぎて、誰かが代筆をしてるのかとも思った。


数日経ったある日、彼女の父親が家に来ていたが、罪悪感に押し潰されそうになり、会わずに外で時間をただ消費していた。


大きなため息をついた瞬間、肩をたたかれたが反応が鈍く見えたみたいで、心配そうな声で問いかけられた。


「娘はまだまだ頑張ってるのに、アキトくんはしょぼくれてるんだな、がっかりしたよ」


そう、彼女の父親である。


川沿いで、1時間くらい話しただろうか、

目一杯気力を振り絞って、僕は元気な振りをした。でも、相手は大人、バレバレだったんだろう。


そのまま、彼に肩を押され喫茶店に入った。

メニューにサンドウィッチがあった。

突然涙が溢れて眼の前がぐちゃぐちゃになる。


精神が持たない、考えられない、前を向いていられない。


涙がとまらなくなった。


喫茶店の駐車場に出て、彼に抱きしめられた。初めて大人の男の人に抱きしめられ、大声で泣き喚いた。


彼女がくれた香水と同じ匂い。

余計に泣けてきて、我慢しろ!泣いてる場合じゃない!男だろ!と、何度も言い聞かせるが、余計に悲しみや苦しさがそれを余裕で超えてくる。


落ち着くまでどれくらい泣いただろうか、彼の1言で何故か我に返ったのだ。

「もう、ハハっ、背広さ、これ高いんだぞ?台無しじゃないか、ハハっ」


「あ、グスン…すいません、なんか、ズズッ…凄く恥ずかしいです、本当にすいません!」


彼はずっと優しかった。

何かの線が切れたかのように今までの物語を喋り始めた。


それでも彼はニコニコしながら、そしてときどき頭を撫でながら、ずっと、ずっと話を聞いてくれた。


「ねぇ、アキトくん、君が僕の息子だったらって話をしてもいいかい?

実は、僕にはもう一人子供が居たんだ。男の子なんだけどね、その子は産まれて間もなく亡くなったんだよ。

その病名は骨髄性白血病って言ってね、現代医学でも治療が難しい血液の癌って言われてる。

要するに、発病したら助かる可能性が低いんだ。それで、次に産まれた瑞希も同じ病気でね、なんかね、何で僕の家族ばかりこんな目に遭わなきゃいけないのかって。

当然だけど産んだのはお母さんでしょ?君も知ってる早川…あぁ、当時は星野千里。僕の妻だった人。」


それから、馴れ初めや娘の話をたくさんしてくれた。

僕は当事者じゃないし、感情移入すら出来ないけど、悲しい話なのは少し理解できた。


「……だからさ、娘を最後まで好きで居て欲しい、宜しくね、未来の旦那さん!めそめそしてる男には娘をやらんからなっ」と、また微笑んでくれた。


何でだろ、帰り道、また涙が出てきたけど、何が違う気がする。


あれ?僕がこれだけ泣くって事は、彼女はもっと悲しいんじゃないか?


僕と会う前だって自分の病気の事は知ってたはず。

まさか、いままでは自分から嫌われに行ってたとか?


待て待て、じゃぁ、何で僕なんだ?

あれ?何か忘れてる、あの日先生が後から来て、その前だ、一言二言話してる!

見惚れてただけじゃない、なんだっけ?


急いで今までの手紙…を…読まな…きゃ


「ねぇ、この匂いってお前なの?なんか凄くいい匂いするー」


そうだ!僕から話しかけたんだ。

彼女が少しこっちを見た、そうだ!

それで、少し頷いたよ!そうそう!

自己紹介の時も、何度も目が合ったんだ。


僕はあの匂いをもう一度確かめて、何を使ってるか聞いてみたかった、うん。


でも、保健室でいやらしいこと考えてたから、あー、もう、いいや!

手紙を書いて送ろう、何通でも何十通でもおくるんだ。


それから時は流れ12月末、大晦日。

容体が安定してきていると連絡がきた。

1月14日から15日に掛けて、仙台に単身で行けることになった。


よし、彼女に何かプレゼントを用意しよう。

誕生日も近いし!

あ、夜店に売ってた指輪があるし、夏に渡せなかったから、それにしよう。


病院だから騒いじゃ駄目だし……


何故か僕はこころが弾んていた。

不安を吹き飛ばすように。

悲しみに押し返されないように。


1980年1月13日

彼女の容態が急変する。


僕はその事を知らずに支度を済ませ眠りに就く。


翌日は13日の大雪から嘘のように晴れ渡っていた。準備よーし。忘れ物なーし。

財布よーし。

ではでは、しゅっぱーつ!


鈍行から急行に乗り換え、仙台に到着した。

病院までの地図はよく分からなかったから

タクシーを使う。


外の景色が、気持ちを高揚させる。

やはり晴れはいい。


病院に着くと、硝子に映った青空が綺麗だった。3階の病室をくまなく探す。

ふっと、何気なく見た1部屋にHappy Birthdayと内側から書かれた部屋があった。


直ぐに彼女の部屋だと分かった。

すると、カーテンが急に閉まった。

何か変な感じがして、急いで病院に入る。


総合受付で彼女の名前を告げた時、声をかけられた。


「アキトくん、よく来たねー、みずきちは今眠いから、とりあえずホテルまで送るよ、ありがとう来てくれてー」


何かがおかしい。

最近、他人の行動や発言をよく観察するようになったせいか、ひっかかる喋り方や怪しい感じが何となく分かるようになっていた。


全て、彼女の教育のお陰なのだ!

なんて、のんびり構えてる訳にはいかない感じだ。


さて、先ずは病室が3階なのはわかる。

そこから当たるか。


僕はトイレに行きたいと嘘を付き、3階に向かった。


何度もうろうろしたせいか、年配のナースから声を掛けられること5回。


怪しまれるのかな、ガキが病棟歩き回るの。

どうやら、包囲網を確立させてる感じがした。


僕の情報が出回ってるとか。


そうこうしていると、今度は若いナースに声を掛けられた。

「ひょっとして、君、アキトくん?」


「へ?え?違います、アキヒトって言います、ごめんなさい。」


もう、バレバレな感じだったから、腹をくくった。


「あのー、嘘つきましたごめんなさい、実は星野瑞希ちゃんの病室が知りたかったんです。」


すると、直ぐ横の名札が空白の病室から、男性の声がした。

アキトくん?って言ってるような気がした。


暫くそこに居たのだが、その後の動きは無く、気の所為だと部屋の前から去ろうとしたその時。

「おぃ、瑞希ー、おぃ、ちょ、ブザーブザー」ナースコールをする彼の声だ。


僕は意外にも冷静で、なんとか部屋に入ろうと画策するのだった。


担当医と思われる白衣の男性と……って、あれ?彼女の…お母さん?


こっちを見て一言

「入っちゃ駄目、そこに居て、お願い」


…険しい表情だった。


さっ、と入り直ぐに扉は閉められた。


これっ、て。



1月14日 16:40 3階305号室


防護服なのだろうか、全身が覆われた白衣なのかカッパなのか、入れ替わりで機材が運ばれる。


当時の医学や治療法では難病中の難病。

現代医学でも、未だに難病である。


当時、僕が調べた図書館の本にも、同じ漢字の病名が書いてある本はあった。

だが、難しすぎて読めない漢字ばかり、それは理解出来ない筈だ。


少しして、病室から話をしながら出てきたのは、担当医と彼女の両親。


父親は、担当医にすがりつき、そのまま白衣を掴む力もなく座り込んだ。

母親は彼の肩を優しくさすり、なだめながらも担当医と真剣に話す。


扉が開いた瞬間、沢山の管が1ヶ所に集中しているのが見えた。


え?ま、まさか、そんな…


薄い透けたシートの奥でよく見えないが、おそらくそこに居るのは彼女だと、周囲の状況が教えてくれた。


息が苦しい、心臓が全身を弾ませているかのよう。また目の前が暗く……


「おんまっ、えがぁ!!だからあれだけ言っただろうがぁ!!」

僕は宙に浮いていた。


周りの景色とさっきまでいた白衣の皆が揺れて見えてきた。


「殺す気なの?しっかりしなさいよ!!」

バチーんという音は聞こえた。


だが、何がどうなってるのかわからない。

呼吸は楽になるが目が回るし咳が止まらない。


急に短距離を走らされた感覚から、徐々に周りの音も景色もハッキリしていく。


どうやら、彼女の父親が僕に近付いていき、なにやらブツブツと呟いたと思ったら、胸ぐらを両手で絞り上げ、その状態で僕を持ち上げ、怒鳴り付けたのだと言う。


苦しかったが恐怖は感じなかった。


父親は男性職員に抱えられ、どこかに連れていかれた。


「アキトくん、大丈夫?

ごめんなさい、彼も限界だったみたいね、本当にごめんなさい。

私は覚悟を決めてたけど、治療に関しては全力で向き合ってたの。

でもね、私の……あ、違うわね、彼との子供を丈夫な子として、産んであげられなくてね。」


多分だが、辛い思いは僕よりも遥かに強くて、泣きたいのだろう。

僕のてを握りしめる力、温かいが震えたまま離そうとしない、こんな悲しい人の体温を感じたことがなかった。


僕はこう伝えた。

「あ、あの、お母さん、えと、みずきち…ゃんの顔を見に行っても、いい、ですか?」


答えは、揺れた髪の毛が横に流れ、掴んだ手に更に力が加わった事で理解した。


「少し待ってて、後で迎えに来るから、ね、ここに居てくれる?約束だから、ね」


何故かはわからないが、大人になったら彼女もこんな声になるのかな、と、全く関係ない事を考えていた。



19時30分 病室の前の椅子に座り、外来が終わって面会人なのか、患者なのかはわからないが、何人も話しかけてくれた。


すると、小さな女の子が近付いてくる。


「みつちちゃんのおともらちでえすか?あたちは、さかあき、みつち…です。」


なんか微笑ましいけど、ちゃんと喋れないのかなぁ、さかあき、みつち?自分事を言いたいのか?


「こんにちは、僕はアキトっていいます、よろしくね」


女の子の目が、ひときわ大きく開いた。


「みつちちゃんの、ぱぱー、みつちちゃんのー!」と、跳び跳ねて手を叩いて喜んでいた。


ん?この子のお父さんと同じ名前なのか?


そこに、「研修生」と書いてあっただろうバッジを付けた、若いナース服の女性が現れた。


「あらー、みずきちゃん、お部屋は?ママはどこに行ったのー?」と。


ん?この子もみずきちゃん?


すると、僕をみてこう言った。

「さっき聞こえたんだけど、君、アキトくん?早川先生の娘さんのお友達…じゃなくて、彼氏さん?だっけ」


彼氏?かれしって何?かれしさん?

初めて聞く言葉だった。


「す、すいません、かれしさん?て友達の違う言い方なんですか?」

何故かクスクスと笑い始めた。


「えっとね、かれしって言うのは、恋人同士の男性をそう呼ぶの、女性の方は、かのじょ、って言うのよ、わかったかな?」


女性を彼女って言い方をするのは、違う意味じゃないのか?

などと首を捻っていると…


「あー、アキトくんごめんね、さ、行こうか。あ、環(たまき)ちゃん、おちびのみずきち、早く部屋に連れてって!」


……おちびのみずきち?

更に首を捻る。


「あー、えっと、うちのみずきと仲良しだったから、同じ名前だし、おちびのみずきちゃんって呼んでたのよ」


あー、そう言うことか。

だけど、みずきちゃんのパパの件が気になるわけで。って、そもそも僕はここから動きたくないんです、早川先生!


心で叫んでも届くわけがない。


時間稼ぎで質問責めをしようと、無い頭で考えたそこにどり着く。


「えと、みずきちのお父さんの名前は、僕と一緒なんですか?さっきの子が、僕にパパーって…」


少し複雑そうな顔をしながら

「…ぁあ、ああ、そうね、パパの話かぁ、えー、と、それは、ねぇ」

何故か歯切れが悪いかんじだ。


「そう!アキトくんがパパで、みずきちがママ!……と言っても解らないか…」


余計に解りません早川先生。


そしてしばし考えたようで、続けて話し始めた。

「あのね、アキトくん、男性と女性が愛し合って、子供が産まれるの。

でね、アキトくんをパパって呼んだのは、うちの瑞希がママで、

結婚して産まれた子供が、さっきのおちびちゃん、って、話というか物語というか、瑞希の願望というか、」


つまりは僕と彼女が結婚して産まれたのが、ちびみずきちゃん?

夢の話?また違うストーリーなのか?


理解など出きる筈もない。


そこで、少し話をした。

先程のおちびちゃんは、どうやら脳の病で入院しているらしく、言葉が少し不自由な感じを受けたのは、そのせいだと話してくれた。


「瑞希ね、病室では、手紙を書くか、泣いてるか、おちびちゃんと話すか、それの繰り返しだったの。

出来るだけ無菌…あぁ、外のバイ菌とかを入れない状況をそう呼ぶの。

それで、おちびちゃんは、いつもこっそりやってきては、瑞希と話をするものだから、昉菌服を着せて、入室を許可してたわけ。


すっかり仲良くなっちゃって、手紙の時間が終わると、瑞希から迎え入れるようになったのよ。

そこで、瑞希の夢の物語を毎日話してたみたい。

彼はあまりいい顔をしてなかったけどね。」


んー、具体性はないが、嘘ではなさそうだ。

何故なら、僕がパパになる話がまるで見えてこないからだった。


すると、1通の手紙を渡された。

かなり膨らんでいたから、何かとは思ったが取り敢えず受けとる。



貴女に伝えたい事03


1980年 1月14日 20:50

早川千里宅


半ば無理矢理な感じで、僕は早川先生の家に招かれていた。

沢山の学術書や医学書、白血病についての関係書類、英字の分厚い本……。


「…はぁ、仕方ないわよね、こんな景色、男の子には興味ないか……。」


興味を持ったとしても、意味が判らなすぎて困るだけですから。


…と言うか、流石にお父さんは一緒じゃないんだな…当たり前か。


「あのー、手紙を読んでも…」


早川先生は右手でOKサインを出した。


開封すると、大人が書いた文字。


「あなた、…なんか照れ臭いな…

私、瑞希です。

おはよう?こんにちは、かな?こんばんは?

えっとね、この手紙はママに書いてもらったの。

でもね、私が言った通りを、そのまま書いてあります。

最後まで読んでくれると、嬉しいな。


私、何度か仙台に来てたの知ってるとおもうけど、実はさ、かなり重い病気になってて、検査とかあるから、アキ……じゃなくて、あなたの所と、行ったり来たりしてたよね。


それで、夏になる前に、あとどれくらい生きていられるか、って話をきいちゃったんだ。

ママ、今にも泣きそうな顔してる。

まだ私生きてるのにね。


それでね、5年生になれるかどうかは、安静にして検査をしなきゃ駄目だって言われたの。

でも私、あなたに会いたくて、凄く会いたくて、病院の皆さんや、パパとママにお願いしたの。


だから送り迎えだったし、学校くらいなら大丈夫って。


パパは最後まで反対してたけど、ママが強いから仕方なく、って顔して許してくれたんだ。


秋人お兄ちゃんのお墓参り、って知らないか。

私ね、お兄ちゃんがいて、私と同じ病気で天国にいっちゃったの。


漢字で書くとさ、アキトって読めない?

凄い偶然!


パパは秋常(あきつね)って言うんだけど、お兄ちゃんが産まれたのが秋だから、秋の人って意味なんだって。


それで……」


彼女の名前は「花水木」のみずきから取って、瑞希に変えて命名したようだ。


秋常…さん、か。

僕の名前は漢字で「晶人」

確かに、病院で、高橋あきひとさーん、って呼ばれてたな。


これも何かの縁なのだろうか…


以前に話した思出話なので中略する。


「春から夏前に、病院で知り合ったみずきちゃんって女の子がいて、なんか可愛いの。


おねえちゃんって、毎日遊びに来てくれたから、内緒の話をしたのね。


私には、とても好きな人がいます。

その人はアキトさん。


初めて会ったのに、花の匂いがするって言ってくれた人。


私を変な目で見なかった初めての人

だからお礼に、私の命をあげる。

私はあなたに、全部をあげる。


だから、私と、えと、私、と…

じゃない、私を好きでいてください。


あれ?

ママが泣いちゃった、どうしよう…

ごめん、続けるね。


今私が闘ってるのは、病気じゃないの。

時間なの。

時間が欲しくて、欲しくて仕方がないの。


少しでも、あなたと居られる時間。

それが、一番大切。


もちろん、パパもママも、一緒に居たいけど、ごめんね。


私、アキトさんと、一緒に居たい。


ねぇ、ママ、パパと結婚するとき、こんな感じだった?


ママが泣きながら笑ってる。

首を振ったの、パパ可哀想ね。


少し笑っちゃった。

でね、ママに質問したの。

時間がなくて仕方ない時、ママならどうする?って。


命かけるわ、私なら。って答えてくれたの。

だから、私はあなたに命をかけます。


ママには確認しただけ。

私は、あの時に決めてたの。


裏山で聞いたのも、直接聞きたかったから。

あなたは、返事をくれました。


だから、あなたは私の未来の旦那様。

そんなに遠い未来じゃない、けど。


高橋晶人さん、私と結婚してもらえますか?


これはママが証人になります。

パパは大反対するから、ねっ。


次に会えるのは、私がベッドの上で

起きてる時かも。


寝てたら優しく起こしてね


それと、私たちの子供は、小さいみずきちゃんにします。

優しくしてあげてね。


ママは私、パパはあなた。

アキトって呼び捨てにしたくなった。


うん、今決めた。


これからアキトって言うね。

次に会ったら、瑞希って、呼んでね。


約束したから守ってね。


最後に……。」


彼女は、ここで意識が途切れたそうだ。


その日からずっと眠りつづけている。


早川先生が言った。

「これから病院に行くつもりでしょ、行くなら送っていきましょうか?

旦那様」


僕は彼女の残り少ない時間を、回復に使って欲しいと願っていた。


「あ、大丈夫、です。少しでも眠って、身体を休めてもらいたいです。」


明日の希望なんか、どうなるかわからないけど、自信を持ってハッキリそう伝えた。


「ん、わかった。アキトくん、あなたやっぱりいい子ね。あとで不貞腐れてる秋常くんに電話しとく。明日は結納式だから、って。」


ゆいのう?結婚式じゃないのかぁ

…よくわからない残念な感じの言葉に聞こえた。


その夜、日付を跨いだ頃に僕は深い眠りに就いた。


「アキト、ねぇ、起きて!」


…アキトくん、ねぇ、もう出掛ける時間よ、ほら、起きて!」


「…ん?…瑞希…?」


「瑞希に起こされた夢でもみてたのかしら?」



あぁ、最初の声は瑞希だと思ったのに…


1980年1月15日 10:15


今日は特別な病室用の服を着せられた。

入室の許可が下りたのだ。


だが少し様子がおかしい。


「どうかしたんですか?」


誰も話そうとしないなか、早川先生が口を開く。


「あのね、アキトくんも昨日あった子いるでしょ?」

そう、おちびのみずきちゃん。


どうやら、早朝に亡くなったという話だった。


瑞希の、願いが1つ、急に叶えられなくなってしまった。

少し病室の外が慌ただしいし、誰かの泣く声まで聞こえてくる。


一旦、昉菌服を脱ぐことになり、瑞希の面会が先延ばしになった。


13時40分


早川先生が、待合室の僕の腕を引き寄せ、こう言った。

「アキトくん、早く着替えて。瑞希の意識が戻ったの。さ、早く。」


意識が戻った? よしっ!

だが、振り返ると

早川先生の顔は少しも笑っていない。

むしろ険しい表情だった。


担当医は病室の前で早川先生を待っていた。


「どう?」と問う。


担当医は、2回首を横に振った。


僕と早川先生はそのまま病室に入った。


髪の毛が無く、少し痩せたであろう顔、無言で点滴を外す母。


白く薄い昉菌カバーも徐々に外される。


本来なら退院の時にやることなんだろう。

誰も口を開こうとしない。


「みず……ね?瑞希?空から来たよ。

寒かった、でも…時間無いって言うから、来た。聞こえてる?…瑞希ぃ」


……反応がない。


僕が声を掛けたら起きるって、何か自惚れた考えはあった。

でも、漫画じゃあるまいし、そんなことは起きないよな…と、途端に悲壮感に包まれた。


父親が何か言った。

ベッドの彼女な背中を向けて、しっかりと直視できない自分が情けない。


「…ん?瑞希?どうした?何か話したいのか?」


……意識が少しずつ戻ったのか、彼女は薄目を開けて周囲を見渡していた。


2回ほど僕の方を見たが、また違う所を見ていた。


「ぼ…帽……子、とっ、て…」


病室のテーブルに、僕が持ってきたニットの帽子が置いてあった。


今朝方、早川先生がテーブルに置く前に、彼女に僕からのプレゼントだと話したらしい。


朝も少しだけ目を覚ましていたようだ。


放射線治療の影響を全く知らない僕は、髪の毛が抜けるなんて知らなかった。

単に冬だから帽子をプレゼントしたかった。


「もう、1度……喋って…ねぇ」

父親が話し出すと、ゆっくりと首を振る。


「ご、めん。パパ。時…間…無いの」


早川先生にその場から手を引かれ、2人は病室を出た。


「しっかりね」

早川先生は僕にそう言って、また頭を撫でてくれた。


「瑞希ぃ、これから僕が勝手に話すから、ちゃんと聞いて。声も出しちゃ駄目、疲れちゃうし、ね?

約束して。」


彼女は目を閉じ、また開いた。


僕は咳払いを1回、深呼吸を1回。

大事な話をする時に、彼女がしていたから、真似して大袈裟に見せた。


「瑞希ぃ、会えて嬉しい。

頭のなかでは、毎日近くにいるような気持ちだった。

近くに来てただろ?

だから疲れちゃったんだな、色々と。


昨日の夜、手紙読んだんだ。

前の夢とは違う感じしたけどな。


でもね、夏休みに聞いた話と、繋がってるような気もしたよ。」


彼女が手を横にずらしてきたのが見えて、僕の膝にそっと引き寄せ、手を握った。


「僕の手暖かいでしょ?

ずっと握ってるからね。大丈夫だからね。


左の薬指には、ゆるゆるになってしまった、夜店の指輪が嵌められていた。


「指輪つけてたんだ、僕も、ほらっ。

これから、瑞希が僕に1番聞きたかったこと話すね。


最初に会った時から、可愛い子だなって。

いい匂いのする女の子だなって。


その時から、気になって気になって、ずっとドキドキしてた。


だから、好きになったのは僕が最初。

瑞希がその後に好きになった。


それでいいよね?」


彼女は少し話したがっていた様子。

話し始めの約束はどうでもよくなっていた。


「私…ね、始業式の…時、職員室の…前で、おはよう……て言われ…たの。

あまり…言われたこと…なくて。」


あぁ、思い出した。

転校生?かなって思ったから、挨拶したんだ僕。すれ違った時に花の匂いがしたから、先生かと思ってたんだ。


たどたどしい会話だが、いつも話しているように勝手に話が流れていく。


「私、あの時から、好きになったから、私が最初に好きになった。

私の勝ち。」


「ずるい!僕の方が先だから!

瑞希はそういうとこある。

ちゃんと直そうよ。」


「ちゃんと直す、ごめん。

なんか、もう、夫婦だね。私達

こうして、ずっと話してたいな。」


彼女の瞳から涙がこぼれ落ちる


「瑞希と一緒に、また裏山に行きたい。

そして、お弁当食べたい。

また、手を繋いで歩きたい。

抱っこしたい…一緒に…お風呂…入り…たい。

一緒……寝ながら…話を。」


彼女が元気になるであろう言葉を、必死になって伝えた。


「ちょっと顔を近付けて…」


僕は彼女に近付いた。


「よしよし、泣かないでね…あなたは、私のために笑ってて、ね?」


……なんかはち切れそうで辛い

頭を撫でる力だって、ものすごく大変なのに。


「これから、私の言うこと聞いてくれる?

今日、私は高橋瑞希になります。


たから、あなたは旦那様。

前よりもっと大切な人なの。


でも瑞希、今日であなたとお別れしなきゃいけなくて、だから、最後に言って欲しいの。

愛してる、って。

そしたら、先に天国に行っちゃった、もう一人のみずきちゃんと、晶人を見守るの。


だから、瑞希が瑞希でなくなっちゃう前に、ね、お願い。


優しく…してね…」


彼女の唇から僕の唇に、何かが伝わってくる。

唇が離れた時にそっと囁いた。


「愛してる、ずっと、ね。」


小刻みに震えた声

「うん、瑞希も晶人を愛してます。」


「じゃ、ね、バイバイ。晶…人」



1980年1月15日 15時36分


彼女は僕と結婚し、子供までいる。

僕はここに居て、彼女達はもう天国に。


最後の手紙が、彼女の枕のしたからみつかった。


「私、星野瑞希は、高橋晶人と結婚します。パパ、ママ、今までありがとう。


秋人お兄ちゃんと仲良く暮らします。


晶人くんの事、残念だけど、短い夫婦生活だけど、私に会いに来てくれるって聞いたから、もう少し頑張るね。


晶人くんが来たら、ここまで連れてきてね。

ちゃんと、起きてるからね。


最後の時間は一緒に居たいから。

我が儘言ってごめんなさい。


なんか、悲しいなぁ。」



これが、彼女の最後のメッセージ。



時を経て、貴女に伝えたい。


貴女は僕に優しさを教えてくれた人


人を好きになる気持ちを教えてくれた人


相手を思いやる事を教えてくれた人


沢山の感情を教えてくれた人


キスを教えてくれた人


体の温もりを教えてくれた人

命を教えてくれた人


本当の僕を教えてくれた人


瑞希を僕に託してくれた人


2人でいてくれた事


1人にした事


傷を残した事


「人には優しくしないと駄目なんだからね」



僕は優しかったかい?



2023年8月30日


ジョージ桜井

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貴女に伝えたい事 @georgesakurai

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