どうしようもないこと。

空君のことをなにも知らない、私が話す断片的な話だけを聞いて、とある男に言われた『彼は一途なんだよ。』

そのいい加減な言葉に私は日々苦しんだ。実際に空君が一途だったかどうかは今となっては分からない。

ただきっと今頃、誰かを夢中に愛し、憧れの結婚生活に向けてひた走っているのだろうということは想像に容易い。空君は見かけも悪くないし、声も柔らかいし、背もそこそこあるし、正社員だし、若いし、清潔感があるからあっさりと結婚に辿り着くだろう。

元レディースの総長且つ息子にベッタリなヤンママと、世間を恐怖に陥れたコロナ渦に友達とカラオケ三昧。タコパや鍋パしまくり。危機感皆無。ある日、濁ったような咳を頻繁にするから、心配して大丈夫なのかと尋ねると、『コロナに感染した友達と長時間密室で一緒に過ごした。そのあとしんどいなと思って、友達が持っていた抗体検査キットで調べたら陽性だった。でもしかたないよね。そういう時期だもん。』と他人事のような口ぶりで言ってのけ、その場に居合わせた家族を震え上がらせたという兄に依存気味な妹がオプションでついてくるけれど、そんなの気にしないでしょ。愛があれば。私はどうしてもLINEのアイコンが自画像のそのヤンママと、結局のところコロナ感染はジョークでした。チャンチャン。な妹が引っかかって仕方がなかったけれど。

悲しいし苦しいけれど、現実を受け止める他ない。若い女なんて、ましてや結婚適齢期をやや過ぎようとして、婚期を急ぐ女性なんてそのへんにごろごろいるわけで、

わざわざ夫にほったらかしにされ、離婚したくともろくに話し合いにならず、夫に萎縮してばかりで前に進めないままでいる実質既婚者を選ぶ必要などないことに彼もようやく気づいたのだろう。彼がいい夫になる素質のある人だったかは分からない。

ただ、SNSで知りあったこの男よりは幾分もましだったなと感じる。

空くんとさよならしたタイミングでこの男は近寄ってきた。私がSNSで小説の即売会に参加するという旨を呟くと、『売り子が必要なんじゃない?俺に決めてよ!』とぐいっと来た。

サークル入場の際、同行人の住所と名前といった個人情報を記載しなくてはならず、本名教えてもらえます?それとも自分で書きます?とペンと用紙を渡そうとすると、男は財布から免許証を取り出すと、それを私に渡した。時間もあまりなかったから、私は急いでそれを見ながらその男の情報を記入した。

あとから、世間話をしているときに、そういえば何歳でしたっけ?と尋ねると、

『なんで覚えてないの?前に免許証貸したじゃん。そこに書いてあったじゃん!』

そう言われた。どうして男の人って自分が相手に興味持たれて当然という体で生きているのだろう。私は本当にトイレに行きたいときに、スペースに人がいなかったら困ることもあるかもしれないなと思ったから来てもらうことにしただけなのに。

そんな、人の個人情報をここぞとばかりにめざとくチェックしようなんて思わない。

それに人の脳みそは記憶できる情報量に限度があるんだから、どうでもいい人の情報なんて残しておくわけないじゃないか。と思った。

相手の気持ちにろくに寄り添おうともせず、一方的に『かわいいね。好きだ。付き合ってよ。』とぐいぐい距離感も弁えず、交際を迫り、付き合ってもいないのに急に肩を抱き寄せてきてツーショット写真を強引に撮ろうとしたり、ねぇ、と言われ、声のする方に反射的に向くと、唇を尖らせた男の顔が至近距離にあり、驚いて体をのけぞると、さらに顔を近づけてきて、「んー。」と公衆の面前で接吻を迫る。

カフェに誘われ、自分が頼んだケーキを食べていると、毎度のごとく顔を近づけてきて、「あーん。」と言い、いい年したおっさんが赤ん坊のように人のケーキをねだり、食べさせてもらおうとする。空君のことを思い出して思わず涙をこぼすと、強引に人の体を引き寄せ、俺がそばにいるから、とドヤ顔で言う。その他諸々、とにかく距離感がおかしいその男よりかは空君のほうが断然ましであることだけは確かだろう。私が空君に振られたあと、うじうじとひきずっている姿を見て、

『彼の中ではもうとっくに終わってるんだよ!嫌いなんだよ!いや、嫌いですらないかもね。嫌いということはまだ何かしらの感情があるってことだからね。好きの反対は無関心なんだよ。いい加減気づきなよ。もう若くもないのに。彼にとってわかなちゃんは、もうどうでもいいんだよ!』といい、私を号泣させたあの男。

私のことなど好きでもなんでもなかったのだろう。言い寄ってくる段階ですでに女を手に入れるための短期的な努力すら放棄している。とりあえず今だけでも、手に入れたい女に寄り添おうとしたり、理解しようとしたり、共感しようとしたりするその場限りの演技すらしようとしない。忖度なく思ったことを言えちゃう俺、現実を突きつけてあげちゃう俺、かっこいい。THE・俺!ありのままのとんでもない自分のまま、面倒なことは手に取った瞬間即座に捨て、常にフッ軽の状態で、時々さりげなくこちらの存在を下げるようなジャブを打ちながら、お前は俺と付き合わないともうあとがないよ?とアピールしながら距離を詰めてくる。弱りきった、精神が不安定な女を見て、簡単に手に入ると高を括っていたのだろう。欲求不満になって、ちょっと久しぶりに女を抱きたくなって、もう男に振られて自暴自棄なら一回抱かせてよ、と言ってしまうのも直球すぎるから、付き合ってよ、と言い、付き合ったんだからもちろん抱かれるよね?だって俺らは恋人なんだから。という大義名分欲しさに付き合ってくれと言っただけだろう。そこに責任感も愛情も存在しない。やったあと、飽きたら、ポイ。なんで私が好きでもなんでもないお前に偉そうに使い捨てされないといかんのか。そう思い、正直に『私はあなたの前で服を脱ぐことはできません。付き合うとはつまりはそういうことをするということだと思うので。私はあなたとできません。それに、空君とも一度もそういったことはしていません。そこは大事なことなので。』

そう告げたあとも、昼夜深夜問わず鬼着信。LINEで『私、明日も仕事で朝早いので。』そう告げて、電話を断ると、『わかった。』のメッセージのあと、再度着信。渋々電話に出ると、『俺、明日テレワークなんだよね。』からの一方的な長電話。

朝になったとたん、『俺、そろそろ仕事あるんだよね。』と言って終話。

将来に対する不安と寂しさに心が押しつぶされそうになって、思わず『私はこれからどう生きたらいいんだろう。』と呟くと、『え?もう若くないから男は寄ってこないだろうから実家で生きたら?まぁ、まだ両親生きてるわけだし、両親がバス旅行にでも行ってその道すがらバスが事故で横転でもして両親二人共死ぬということは稀にあるとしても、それでも基本的には両方いっぺんに死ぬってことはそうそうないだろうから、生き残った方と生きたら?』

いくらあとがなくて、孤独や喪失感に打ちひしがれていようとも、そんなことを無遠慮にズケズケと言えてしまうような何の思いやりもなければ、配慮もない、理性も知性もない、感情に任せて無責任に生きているような頭の悪い男を誰が選ぶと言うのだろう。

よく『結婚、選ばなかったらできますよ。』っていう人いるけど、なにあの無意味な声がけ。ただただ失礼。そう思う。

そりゃ、多少は選ぶでしょうよ。選ぶイコール高望みでもないでしょうよ。

今まで生きてきてわかったことがある。人に相談したって何一つ解決しない。むしろ傷つくことのほうが遥かに多い。人なんて言葉に対してどこまでも無責任なものだから。

人にやたらむやみに相談するべきではない。本当に心から心配ならとうの昔に手をさしのべてくれているはずだ。話を聞いてもらえば一瞬はすっきりするのかもしれないけれど、その場限りだ。実際に助けてもらえないなら根本的解決には繋がらないからほぼ無意味だ。

むしろ言いふらされて、不快な思いが増したり、好き勝手言われて傷口を抉られて傷が化膿するだけだ。

私を好きだと言ってきたその男のことは、すべてをブロックして終えた。

関わってしまったことを深く後悔した。


そういえばいつのまにかすっかり論点をすり替えられてしまっているけれど、私は年齢を言い訳に、自分だけ正社員にしてもらえなかったことが原因で会社を辞めようと思ったわけでもなんでもなく、日頃から直属の上司であるおっさんやその他数名の正社員によって、常に精神的苦痛を与えられてきたこと。納得のいかない理不尽な扱いを受けてきたことが原因だ。私がこの会社を辞めると伝えてから、もう辞めていく人間をわざわざ攻撃する必要もなくなったと思ったのか、私のことを嫌っていたらしい数名の社員たちは徐々に攻撃的な態度を弱めていった。なんだ、この人たちは。やろうと思えば棘のない普通の話し方や穏やかな態度を取れるひとたちだったんじゃないか。やっぱり今まで人を選んでわざときつくあたっていたのだな、と思うと自分が辞めるという選択肢を取ったことはやはり間違いではなかったのだなと思えた。随分と長い苦しみだった。ごくごく普通に接してくれてさえいれば、自分だけ正社員にしてもらえず、自分のあとから入ってきた派遣社員だけ正社員登用し、そのひとにだけ手厚い扱いをし、ミスを繰り返しても、さらっと許され、これからもよろしくね、と盛大に歓迎会を開いてもらっていたことを知ったとしても、ああ、そりゃ彼女は若いもんね。と納得もしたし、会社を辞めるという選択肢には至らなかったかもしれない。できるだけ若い人を会社が欲しがるのは一般的なことだから。

おっさんは電気のついていない暗い倉庫で『威厳あります、オレ。』とでも言いたげな口調でつらつらと言い訳と、保身と、既に新たに採用が決まっている新人が仕事に慣れるまでのつなぎ要因として私をもう少しだけ雇ってから捨てたいという希望を語りだした。

『あなたはもう若くないから、今後どれだけこの会社で働き続けたとしても、一生正社員にはしない。それがうちの会社のやり方みたいだから。俺は言ったよ?上に。仕事ちゃんとできるよ、って。だけど上は桜田さんだけ採用したから。

上はなんもみてない。俺は上のやり方には頭にきたし、あのやり方は好かん。でも俺がどれだけ彼女は休まずしっかり会社に来てくれるし、仕事だって出来てるよって言っても、やっぱり会社としては若い人を育成したいという方針みたいなんだよ。まぁ、どこの会社に行ってもそうだと思うわ。あなたの派遣元から話聞いたよ。自分が果たしてちゃんとこの会社の役に立てているのか不安だと思いながら働いてきたって。俺はあなたが仕事できていないなんて思ったこと一度もないよ。ちゃんとしっかりやってくれてる。ただ、仕事は体に叩き込まんと。仕事のやり方が不安になった時、自分のメモとかノートをわざわざ見返しているようでは・・・。仕事が遅くなってしまう。進まんわ。桜田さんみたいに見ないでもできるようにならんと。あなたにとっての今後の目標が正社員になることなのだとしたら、うちの会社では叶えてやることはできない。だからここで俺が引き止めたとして、それがあなたにとって幸せかと考えたら決してそうは思えないから無理強いはしない。今が一番若いし、今なら他の会社に行けば正社員登用してくれる会社だってあるかもしれない。俺はさ、あなたは他に行ってもちゃんとしっかり働ける人だって思ってるから。他の会社でも十分活躍できるって思ってるから。あなたが正社員になることが幸せの形だと感じているなら、この会社にいても幸せにはなれない。俺はさ、日頃事務所にいて、みんなと直接絡む機会が少なかったからあえてもう言わなかったけど、あんな酷い扱い受け続けたらそりゃ辞めたくもなるのわかるわ。ほんとみんな揃いも揃ってあの扱いはないわ。だから、今後忙しくなるのが目に見えてるからもう少し会社に残ってくれないかと頼まれたとしても、都合が良すぎて俺だったら絶対に助けない。なんで今まで散々な扱いしておきながら、自分たちが困ったときだけ、って思うわ。あんな態度取ってきて、いざ自分たちが困った時、神楽さんに見放されたとしても当然だわ。今までが酷すぎたんだから。』

いや、お前だよ。私はすぐさま心のなかで突っ込んだ。そして、やっぱり私が周りからあからさまに雑な対応をされていることをこのおっさんは知っていた。禿げとるね。昨日にも増して。

私は憐れむように目を細めておっさんの頭を見た。私は身長が150センチもない。けれど背伸びをしたらおっさんの頭上を見れる。和紙のように地肌が透けた上司の毛髪。頭の上と、部下に対する態度をひどく散らかしていらっしゃるあなたに教えて差し上げます。見て見ぬふりをするという行為は、容認しているのと同じです。いじめに加担しているのと同じです。私が言ってる意味、分かりますか?あとそんなにあの女の人がこわいですか?怖いかもしれませんね。あの人、役職ついてないけど強いから。

揉めたら翌日からしばらく会社に来なくなりそうですもんね。けど、安心してください。あの人は来ますよ。辞められないと思います。お金がいるみたいですから。

あと、うちのフロアにいる天然ちゃんが聴かせてくれたんですよ。おそらく録音データを持って労基に行けば、何かしらの動きはあるかもしれません。けれど、何か実際に起こってからじゃないとなかなか動いては貰えない警察同様、注意で終わる可能性のほうが高いし、いいです。わざとそうしてきたことが分かっただけでも大きな収穫です。それに、その場に私はいなかったので、録音データを提出となると、録音したのが誰なのかが明確になってしまって、録音した本人が今後職場に居づらくなる可能性があるのでそっと胸にしまっておきます。

私は心の中で目の前のハゲにそう言った。

「この間、神楽さんがコロナで休んでるときに、桜田さんと郷田さんと私の三人で飲みに行ったんですよ。そのときに郷田さんがおかしなこと言い出したから、途中からスマホいじるふりして撮ってみたんですけど聴きます?」

何を?私がそう聞き返すタイミングと被らせるように天然ちゃんは再生ボタンを押した。

『いやぁ。桜田ちゃんをね、正社員にしたいねって工場長と話してたのよ、これからもっと頑張ってもらいたいからね。神楽さんはねぇ、あの人なんかおもろいやん。だからいてもらいたいとはおもとんのやけどね。きつく当たらしてもらってるわ。あえてみんなの前で怒ることによって、なんか引き締まるやん。あんなふうに怒られとる人間見たら、私はあんなふうに怒られたくない。あんなふうには絶対になりたくない。だから頑張ろう、ってみんな思ってくれるやん。だからあの人にはたいしたことじゃなくてもあえてきつく言ったり、冷たく接したりさせてもらってるわ。』

『べつにわざわざそんなことしなくたって、私たち、普通に働きますけど。もうわざとそんなことしなくていいですよ。』

『いやぁ。でもなんかしちゃうんよねー。ちゃんと働かないとああなるっていうことは常に見せていかなあかんからね。別に神楽さんのこと嫌いとかではないんやけどね。職場の引き締めに一役買ってもらっとるわ。』

音声の再生が終わると、停止ボタンを押し、「やばくないですかー?」と天然ちゃんは言った。

「あと、桜田さんは郷田さんに正社員にしようと思ってるって言われて、まんざらでもないっていうか、そりゃそうでしょうね。だって私だもん、っていう顔してました。あんなふうに自信たっぷりに生きたいですねー。」と言った。

お前が私を見せしめに利用したから、お前が私のことを理不尽な内容で怒鳴りつけたり、追い詰めてきたりし続けたから、周りも私のことを、こいつは雑に扱ってもいいんだ、こいつって使えないやつなんだ、って認識して徐々に染まっていったんだよ。お前だよ、お前。

なんでそんな『俺じゃない。俺はおまえのことを分かってるよ。』みたいな顔できるんだ。お前だよ、おーまーえ。前にお前に「できることをどんどん増やしていかんと、誰も口聞いてくれんなるよ。そのうち挨拶すらしてもらえんなって、仕事も回してもらえんなって、倉庫の床でも掃いとけ、倉庫の棚でも整理させとけ、ってなってまともな仕事させてもらえんなって、みんながいる場所にいられんなるよ。」

と、言われたことがあったけど、そういう雰囲気、流れにならないようにするのが上司であるお前の役割じゃないのか?何のための上司だ?権力を誇示することばっかりに気を取られて、表面上の威厳を保つことばかり優先して、お前は何をやってきたんだ?私だけ新システムにログインするためのIDとパスワードを教えてもらってないんで教えてもらっていいですか?もう辞めるんでほとんど使いませんけどね。私だけ、この会社の不具合で客先から戻ってきた製品の確認をさせてもらってないんですけど、見せてもらってもいいですか?もう辞めますから学ぶ必要もないんでしょうけど。しかももうその製品、客先に返すために梱包しちゃったみたいですし、またダンボールから出して、せっかく包んだエアーとかを剥がすのも面倒でしょうからもういいですけど。少し前にあったテストの模範解答の紙、私だけもらってなかったんですけど気のせいですかね?あの紙に、テストに出る問題と回答のすべてが書いてあったそうですね。私はもらってないので、出そうな箇所すべてあたりをつけて家で休みの日に暗記してなんとか合格しましたけど。たまたま渡し忘れただけですかね?

そもそもお前が一番に率先して私を攻撃していたから元も子もないけど、なぜ攻撃されているのを分かっていたのに今の今まで放置した?はたから見てわかるってよっぽどだぞ。というかやたら耳馴染みのいいことをさっきから言ってるけどお前が悪の根源だよ。見て見ぬふりしてきたってことがどれだけ罪なことか。もういまさらだけど。

こちらとしては派遣社員という形でならここにずっといてもらえるならいてもらいたいし、しばらくしてから気が変わってやっぱり辞めずに続けたいと思ったのなら、辞めるって言ったことなんて私知りません。って何もなかったような顔でいつも通り会社に来てくれて構わない。そのようなことを言われたすぐあと、正社員枠がどうも余っていたらしく、すぐに若いシンママを正社員に雇い、さらに若い女子を派遣社員として採用した。あぁ、正社員新たに取るんだ。そちらの勝手ですけど。枠、あったんですね。若いのしかいりませんもんね。シンママが働きやすい社会、というのに貢献している会社だから素敵だと思いますよ。女性が子育てしやすい社会、子育てをするシングルマザーが経済的困窮に陥らないための社会。あ、たぶんお子さんいるからどんなに忙しかろうが定時で上がるんでしょうし、お子さんになにかあったら長期に渡って休むこともあるでしょうし、勤務中、途中で帰ったりもしますよ。でも、そんなこと私が言うことじゃないですよね。知ってますよ。だからもちろん思っても言いません。

会社が決めたことだし、それでもいいって判断したんですもんね。

とりあえずなにがなんでも私のことはいらないということだけはよくわかりました。

いらないんだけど、新しい人が仕事に慣れるまでは仕事が回らないからとりあえずもう少し残ってくれ、というのもわかりました。若いって、いいなぁ。いろんなことが優遇されるし、いろんなことを見ないふりしてもらえるし、どうってことないで済ませてもらえる。『それは仕方ないですね、大変でしたね、私達と頑張りましょう。』って言ってもらえる。若くないと、置いてやってる、ちゃんとしてくれよ。もう二度とそのミスせんのやろね?大丈夫なんやろうね?と精神的に追い詰められる。

そしてすぐに仕事を覚えないと、早々に見切りをつけられ、もういいです、と言われ、それ以上教えてもらえなくなり、放置され、周りは失敗しながらも成長し、私だけできることが少ないままで、このままではこの会社で居場所なくなるよ、この会社での自分の価値を上げていかんと必要とされんなるよ、と言われてしまう。見切りつけるの、あまりに早すぎませんか。周りは失敗を何度も繰り返しながらも教わって成長しているのに。私だけ教えてもらえなかったことだらけだった。

暇で時間が有り余っていたときさえ、私だけシュレッダーにかけた紙を透明な袋にひたすら入れて、セロテープでとめて、緩衝材を作るばかりだった。

時間に余裕があったなら、一つこれ、やってみます?って他の人がそうしてもらっていたように私にも仕事をトライさせてもらいたかった。仕事のやり方がしっかりと把握できておらず、うろたえているときにきつく当たられ、派遣の営業さん経由で「もう少し仕事のやり方をしっかりと教えて欲しい。」と訴えた時、本当はもっと仕事を教えたいけど、あまりにも覚えが悪かったので先に進めませんでした、と入社して2ヶ月ほど経ったころに言われたことがあった。そのままほとんど教わること無くここまで来た。

年齢を言い訳にしているけれど、私の仕事ぶりがとてもじゃないけど正社員にするには様々な要素が足りなさすぎたから、私に正社員としての素質がなかったから、人としての魅力がなかったから、結果こうなった可能性だって大きい。双方言い分はあるだろう。ただ、とにかく酷。とりあえず酷。とんでもなく、酷。これは傷ついていいだろう。理由はどうあれ、同じ状況に立たされて気分いいひとはいないだろう。あの上司は、仕事を体に叩き込まんとあかん、仕事のやり方が分からなくなったときにノートを見るようではあかん、と呆れたように私に向かってそう言ったけれど、体に叩き込ませるには最低3回から5回以上。圧のない環境で、最初から最後まで、一連の流れを落ち着いて練習する必要があると思うし、教わったあとにしばらく実践しない期間が長く発生すると、どこかしら不安が生じる箇所がどうしても出てくる。そのとき、再確認できる職場環境が必要だと思う。

そいつのことがあまり好きではないから、ウマが合わないから、できるだけ聞かれたくないです。だからさっさと覚えてもらいたいです。関わりたくないんで基本放置で。このスタンスでいられてしまうとこちらは辛い。

『さっさと覚えないあっちが悪いと思いますけど。』スタンスの人を仕事ができる先輩と位置づけることに関して、私は甚だ疑問だ。人には合う、合わないがあるのは仕方がないことだと思うけれど、できるだけ普通に接してもらいたかった。

私の心がどれだけ痛もうが、自分たちの行いが引き金となって仮に私が命を落とそうがどうだっていい。そんなものだ。

私はこれから一体なにを拠り所にして生きていけばいいのだろう。

親以外のすべての人間に興味を持たれず、どうでもいいというあからさまに雑な扱いを受け続け、なにをこじつけて前向きに生きていけばよいのだろう。

私が、別のフロアのヘルプを終え、戻ってきた時、

「工場長にさぁ、あの人にも仕事教えてやって、ってまた言われたんだけどさぁ、あのひとさぁ、ミスした時すぐに人のせいにするから教えたくないんよね。あとさぁ、あの人、仕事で分からないことがあった時、すぐに『ど忘れしてしまったんで教えてください。』とか言うやん。あの、ど忘れしてしまって、っていう一言余計やねん。私は悪くありません。悪気なく忘れちゃっただけなんで怒らないでくださいね、って予防線張ってるみたいでなんか嫌やねん。仕事なぁ。やっぱ教えたくないわ。」

井上さんがそう話しているのを耳にしてしまった。もちろん井上さんは、私がヘルプを終え、別フロアから戻ってきて、真後ろにいるなんてことには気づいてはいなかった。あ、やっぱりわざと仕事を教えてこなかったのだな、と確信した。

天然ちゃんは言う。『でも、ほら、神楽さんは自分から辞めるって決めたわけだから。決して切られたわけでもなんでもないから。何も気にしなくていいんですよー。』と。

派遣元のパリピな営業は言う。『たぶんねぇ、なんかあると思うんですよ。この年齢以上は正社員にはしないとか。だから気にしなくていいと思いますよー。』と。

私は心身ともに疲れ果てていた。

『せっかく別れるって決めたのに、だらだらと連絡を取り合うのやめよう。』

言ってることは正しいよ。だけど、どうしてこんな辛い言葉、今になって思い出してしまったんだろう。若くないってことにどうしてこうも世間は無慈悲なんだろう。

もう私にはどうすることもできなかった。

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