分裂時計

ラム

Limited teromeres

 19:00、広大な研究所。

 多くの優秀な科学者が各々の研究をしている。

 仕事を終えた男が背伸びをする。

 

「お疲れ、コーヒー飲むか?」

「ああ、お疲れ、頂くよ」

「あなたたち、お疲れ様」

「あぁ、君もお疲れ」

「ここでは私が上司よ、暦君」

「あ、すみません、琥珀さん」

「なんてね。 帰りましょうか、あなた」

 

 暦と琥珀は夫婦だった。

 7年前、琥珀は暦を突如呼び出した。

 リストラではないかと怯える暦に琥珀は想いを告げた。

 脳科学に関する分野で天才と言われ、美人であるばかりでなく部下への気配りも忘れない理想の上司。

 暦に断る理由はなかった。

 そして半年後には結婚し、その翌年には娘が産まれた。


〇マンションの一室


「お父さん、お母さんお帰りなさい!」

「良い子にしてたわね、緋翠」

「うん!」

「日曜日は遊園地行こうか!」

「やった! お父さん大好き!」

「えぇ! 全アトラクション制覇目指しましょう!」


 暦は平日は遅くまで働く一方、休日は極力3人での時間を優先した。

 優秀な科学者である一方で立派な父親でもあると言えよう。

 その時、ふと暦がふらつく。

 

「あなた? 大丈夫?」

「ああ、なんてことない。それより遊園地のプランを練ろうか」

「お父さん、具合悪いの? やっぱり家にいようよ」

 

 そんな顔をしないでくれ。

 そんな声を出さないでくれ。

 暦は慌てて明るく振る舞う。

 

「緋翠……お前は本当に優しいな。 でも遊びたいのは緋翠だけじゃない、お父さんもだ!」

 

 妻の、娘の笑顔が見たい、明るい声が聞きたいんだ。

 そして3人は遊園地のプランを練る。


〇ジェットコースター

 

「きゃああああああ!!」

「うわああああああ!!」

 

 楽しげに悲鳴をあげるのは緋翠、苦しげに悲鳴をあげるのは暦であった。

 

「ジェットコースター楽しかったね! もう一度乗ろうよ!」

「え、えぇ!?」

「あなたが昨日3回乗るってプラン立てたんじゃない」

「あ、あぁ……」


〇遊園地、夜

「楽しかったね!」

「あぁ、緋翠が満足してくれて何よりだ」

「あなたったらお化け屋敷でも緋翠より怖がっちゃって」

「あ、あれはだな! 突然顔に冷たいのがぶつかったから驚いただけで、それに気付くと暗いのに隣に緋翠もいなくて……」

「お父さんは私が守るから大丈夫だよ!」

「……はは、ありが──」

 

 その時、暦はまたしてもめまいがした。

 

「お父さん、大丈夫? ごめんなさい、ジェットコースター3回も乗ったから……」

「いや、お父さん緋翠よりはしゃいじゃったからなー。 それで疲れちゃったみたいだ!」

 

 そして3人は帰路につく。


〇研究機関

 

「……」

 

 暦は黙々とタイピングしている。

 

「順調かね」

「はい、あなたは恩人なのにこのくらいでしか恩を返せませんが」

「結構だ。君には助けられている」

「それならよかったです。それに娘は……」

「あなたが作ったクローンは紛れもなく正常です」

「そうかね」

 

 緋翠の正体はクローン人間だという。

 暦は娘を事故で亡くした。

 そこで悲しみに暮れる暦に石井という科学者がクローンを作ったのだと。

 石井はクローンを数年で成長させられるほどに研究を進めていた。


 

「君も家族がいる、今日のところはこの辺にしておきたまえ」

「はい、すみません。 最近疲労が溜まっているみたいで……」

「君という頭脳はかけがえのない資本だ。 ゆっくり休んでくれ」


 石井は穏やかな笑みを浮かべて暦をねぎらう。

 

「……ありがとうございます」


〇マンションの一室

 

「ただいま」

 

 22:30、琥珀よりだいぶ遅れて帰宅する。

 

「お帰りなさいあなた、緋翠が熱を出しちゃったの」

「緋翠が? 遊園地ではしゃぎすぎたのかな……」

「お父さん、おかえりなさい」

「緋翠!? 寝てなきゃ駄目じゃないか!」

「ううん、大丈夫! お母さん、お腹空いたなあ」

「待っててね、今おかゆ作るから」

「……」

 

 しかし緋翠は倒れてしまった。

 

「あぁ、俺を心配させないよう明るく振る舞って……」

 

 それから緋翠は謎の高熱に魘されることになる。


〇研究機関

 

「そうかね……娘が……考えられるのはテロメアの異常だな」

「テロメア?」

「簡単に言うと染色体の末端にある構造で寿命を決めるものだが、クローンはこれが短い傾向にある」

「そのテロメアが生まれつき短い事で異常が生じているのかもしれん」

「そんな……なんとかならないのですか?」

「テロメアの短さはどうにも出来ん。だが異常は抑えられる。この薬を飲ませるのだ」


 そう言い石井は赤と白のカプセルを手渡す。

  

「ありがとうございます」


〇翌朝、マンションの一室

 

「お父さん、おはよう! 熱も36.9度だし早く学校行きたい!」

「緋翠、もうよくなったのか。でもまだほんの少し熱が高いから今日は休むんだ。日曜日はまたみんなで映画館行こう」

「はーい」

(あの薬が効いたか。この子はクローンだが紛れもなく俺の娘だ。 娘は絶対に無事に成長させてみせる)


〇研究機関

「薬がよく効きました。感謝してもしきれません」

「まあ君には私も助けられているからな」

「はい。では失礼します」

 

「……出てきたまえ」


 石井の声に呼応して姿を現す人物。


「……気付いてましたか」


 そう言うのは……琥珀。

 

「君たちの娘は私が作ったクローン……」

「彼はそう思い込んでいるようだな」

「はい、夫は娘がクローンだと信じています」

「娘の熱はただの風邪だった。薬と偽ってビタミン剤を与えたが」

「夫は気付いていません」


「自分こそがクローンだと言うことに」

「あの様子だとそうだろうな。それに彼は最近頻繁にめまいを起こすと言う。テロメアの異常かもわからん」

「やはり夫はテロメアが短いのですね」

 

 琥珀が夫を亡くした時、石井は琥珀の記憶を操作する技術で娘がクローンだと思い込ませるという条件で暦のクローンを作った。

 曰くちょっとした思考実験らしい。


(それに娘がクローンだと信じれば私に頼る。私の意のままに操ることが出来る)

(彼には期待しているよ)

 

 石井は醜悪な笑みを浮かべる。


〇マンションの一室

「ただいま」

「お父さん、お母さん、おかえりなさい!」

「お土産もあるんだ、欲しがってたチョコ」

「やった!」

「日曜日はショッピング行こうか」

「うん!」

(この子は俺の娘だ。 たとえクローンだろうが無事に育ててみせる)

 

 その時、暦はまたしてもふらつく。

 

「……あなた?」

「あぁ、なんてことない。そんな悲しそうな顔しないでくれ」

「……わかったわ」


(あなたのテロメアは残り短いのかもしれない……それでも私は──)

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分裂時計 ラム @ram_25

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