魔王城―第4話―

 食堂でいっぱい泣いてしまったからか、食後すぐに勇者は寝てしまった。朝までぐっすりと眠り、小鳥の囀りで自然と目を覚ます。

 起き上がった勇者は慣れた調子で掛け布団を畳み、ベッドから下りようとして、不意にピタリと動きを止めた。

「……そっか。今日で最後なんだ」

 勇者は脳内に浮かんだ言葉をそのまま口走り、改めてそのことを実感したようにじっとベッドを見つめた。ふかふかで清潔な真っ白いシーツとふわふわの掛け布団。それはそこら辺の旅館の寝具より数倍も高価なもので。

「本当にもてなしてくれていたんだなあ。……あ、そういえば本棚」

 勇者は昨日の魔王の言葉を思い出し、ベッド横の本棚に手を伸ばして冊子を手に取った。それは旅行雑誌の定番とも呼べる有名なシリーズのもので、表紙には『今一番行きたい定番観光地特集!』なんて書かれている。

 ベッドの端に腰かけた勇者が適当にページを捲ると、一度は聞いたことあるような有名な観光地が次から次へと出てきた。有名なスキーリゾート、白い砂浜の常夏ビーチ、湯けむりに包まれた温泉街、カジノが併設されたビーチリゾート。

 派手な写真を眺めながらそれなりのスピードでページを眺めていくと、不意に勇者の手が止まった。そのページには、温暖な気候と透明度の高い海が自慢の楽園、という文字とともに、まるで映画の世界のようなリゾートアイランドの写真が掲載されている。

「島かあ……。いいなあ、俺山間部の田舎出身だし、こういう海に囲まれた場所憧れなんだよなあ……」

 勇者は、海かあ、と呟いてから、おもむろに窓の外に視線を向けた。そこに広がるのは、しとしと降り注ぐ小雨に濡れた木々と、低い雲が立ち込める山々、そしてその隙間を駆け回る小鳥の囀りで。

「ううん……。やっぱり山のほうが落ち着くかなあ。でも虫一杯出るもんなー。どうしよう、迷うなー」

 そう独り言を呟きながら彼はパラパラと雑誌をめくっていたが、やがてぱたんと雑誌を閉じると、そのままベッドに上半身を倒した。白いシーツの海に、ぼふっと勇者の身体が浮かぶ。

「なんだろうなあ、この感じ。最初ここに足を踏み入れたときは、絶対に魔王を倒してやる、なんて思ってたのに」

 彼はその言葉とともに軽く目を伏せた。静まり返った室内に、チチチという鳥の鳴き声だけが微かに響き、勇者はその静寂に身を委ねて寝っ転がったままゆっくり目を閉じていく。と、不意にノックの音が静寂を打ち破り、勇者は慌てて上半身を起こして返事をした。

「はーい?」

「あ、ルガー?起きてますー?開けていいっすかー?」

「マグラ?うん、起きてる。大丈夫」

 勇者が答えると、マグラがドアを開けて入ってきた。いつも通りの黒いジャンパーに山羊角という格好の彼は、ベッドに座っている勇者の前で立ち止まる。

「いや、昨日あんな泣いてたんで、今日も泣いてたら嫌だなーって思って見に来たんですけど……。大丈夫そうっすね」

「あ、うん。……ごめんね昨日、見苦しいところ見せちゃって」

「いいっすよ、全然。主人も泣いてましたし。あの人、ルガの6倍とか7倍とか生きているのにあれなんすから」

「あはは、魔王が泣くシーンなんてなかなか見られないから、貴重だったね」

 勇者が笑うと、マグラも明るく笑ってから、不意に勇者の隣に落ちている旅行雑誌に目を向けた。彼は雑誌を拾い上げると、勇者の隣に腰掛けつつパラパラとめくる。

「旅行っすか?これ終わったら行こうとか?」

「あ、いや、リーグからさ、これ終わったらどこに住むか考えといてって言われて」

「あー、なるほど。確かに国内はちょっと住みにくいっすもんねー。行くなら外国かあ。あ、心配しなくていいっすよ。主人はめちゃくちゃいい家建ててくれると思うんで。まあ生活の面倒までは見きれないので、ちゃんと働くこと前提ではいてほしいですけど」

「うーん、いや、働くことは働くけど……」

 勇者はそう答えてから、ポリポリと頭をかいた。

「実感わかないんだよね。今日から違う土地で生活してください、支援するので!って言われても。俺ら冒険者とはいえ、国内しか回ってこなかったわけだしさ。働いたことないから、どんな仕事があるのかも分からないし……」

「うーん。確かにそれはそうっすね。そこは主人の説明確認不足です。すみません」

「いやまあ、魔王に説明責任やら損害賠償やらを求める気はないけどさ……」

 勇者は複雑そうな顔で言ってから、少しだけ笑った。

「もういっそ、こうなったらリーグに決めてもらおうかな。リーグが言い出した計画なら、最後まで責任取ってほしい」

「あー、いいっすね。主人、案外地理は詳しいので色々知ってますよ。引きこもりのくせして」

「ほんと?じゃあ決まりだね。どこに飛ばしてくれるかな」

 勇者が笑うと、マグラもつられて笑ってから立ち上がった。

「じゃあ朝飯作るんで、食べましょうか。さすがに主人もそろそろ起きてくるはずですし。何か食べたいのありますか?」

「うん。そうだなあ……。せっかくだし、マグラの得意料理がいいな」

「おっ、了解っす。期待しといてください」


 2人で食堂に行くと、タリートがコーヒーを淹れていたところだった。マグラは待っててくださいね、と言い残し、エプロンを着けながらキッチンの中へと入っていく。

 勇者が席に着くと、タリートはカップをもう一つ取り出しつつ穏やかに話しかけた。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「うん。ごめんね昨日、泣いちゃって」

「いえ。私達の考えを理解していただけて良かったです」

 タリートが微笑を浮かべたまま言い放ち、勇者が複雑そうな顔で頷いた。だが、タリートはその表情には触れず、カップにコーヒーを注いで勇者の前に置いた。その後、すぐに自らの分も淹れて勇者の正面に座る。

「ルガさん、この4日間、ありがとうございました。久々に楽しそうなご主人様を見れましたし、計画もかなりスムーズに進んだと思います」

「うん、俺も楽しかった。ご飯も美味しかったし」

「なら良かったです。一応今日の中継の構想はもうすでに出来上がっていて、文章にはまだ起こしてないんですけど、ご主人様が起きてきたらお話しますね」

「早いね。……もしかして今日は、俺も大変だったりする?」

 勇者が問いかけると、タリートは一口コーヒーをすすってから頷いた。

「まあ一応、ちょっとは抵抗して頂こうかなと。もちろん、ルガさんがどこまで出来るかによりますので、遠慮せず何でも言ってくださいね」

「……分かった、頑張るよ。ご飯と宿のお礼として」

「ありがとうございます」

 タリートがニコリと微笑を浮かべ、勇者は気まずそうに視線を逸してコーヒーを一口含む。

 と、食堂のドアが開き、眠たそうな魔王が顔を出した。タリートが椅子から素早く立ち上がって出迎える。

「おはようございます。眠そうですね」

「いやー、寝付けなくてアニメ見てたら……」

「早く寝てくださいって言ったじゃないですか」

「だって寝れないもんは仕方ないだろ。早起き苦手なんだし」

 魔王は眠そうにあくびをしながら、タリートが座っていた勇者の正面に座った。すかさずタリートは紅茶の用意を始める。

 あくびを連発する無防備な魔王に向かって、勇者は笑いながら口を開いた。

「リーグ、おはよう。本当に眠そう」

「あー、おはよ。ルガは元気そうだな、眠くねえの?」

「うん、ぐっすりだった」

「んだよそれ、羨まし。あー、俺も仕事辞めて好きな時間に寝て好きな時間に起きる生活してえなー。世界征服しちゃえば叶うかなー」

 魔王があくびをしながら言い放つと、すかさずタリートが口を挟んだ。

「そんな怠惰な理由で世界征服しようとしないでください。あとそっちの方が大変ですよ。仕事増えますから」

「えー?部下いっぱい雇ってさあ、仕事丸投げじゃだめ?」

「だめです。命もガンガン狙われますし、最終決定は魔王様がすることになるんですよ」

「えー……。まじでやだ。んだよ、逃げ場ねえのかよー」

 魔王は気だるそうに頬杖をつくと、コーヒーをすする勇者の顔を見つめた。

「ねー、上に行けば行くほど自由なくなるのって、まじでバグってると思わね?世界征服して税金取ってニート生活、とか全員が夢見るだろ?」

「うーん……。まあ全員かどうかはともかく、確かに似たような夢は持ってたなあ。魔王を倒したら莫大な報奨金もらって、映画化してもらって、本も出して、印税で一生暮らしたいなって」

「あー、印税か……。それもいいな。何か書こうかな。現役魔王が暴露!魔王城での生活!とか」

 魔王が言うと、タリートが呆れた顔で突っ込んだ。

「何で暴露本なんですか」

「いや絶対面白いぜ。実録!魔王城に来たありえない珍客!とか」

「警察の密着物でも見ました?魔王なんですから、もうちょっと威厳を持ってやってくださいよ」

「えー、威厳とか面倒くせえ。なあルガ、寝てゲームして暮らしたいよなー」

 魔王はさらに姿勢を崩し、机に突っ伏しながら勇者の顔を見上げる。と、勇者はコーヒーをすすりながら何回も頷いた。

「分かる。俺も勇者にならなかったら絶対引きこもり続けてた」

「だよなー。俺も魔王の元に生まれなかったら同じ道辿ってたと思うわ。あーあ、俺もルガも、特殊な能力を持ってしまったばかりに……」

 何故か己の運命の不運を嘆く魔王の元へ、タリートがミルクティーの入ったカップを置いた。そして呆れた表情で2人の顔を見る。

「運命とは残酷なものですね。それはそうとして、今日だけはちゃんと頑張ってもらいますよ。特に魔王様」

「あー、はいはいはい。まあ仕上げだもんな。分かってる、それはちゃんとやる」

 魔王はようやく上体を起こし、ミルクティーをゆっくり飲み始めた。

 ようやく落ち着いた2人に向け、タリートは立ったまま、では、と口を開く。

「本日の構想についてお伝えしますね。ご主人様もルガさんも、その演出はしたくないとか技量的に難しい、とかあれば遠慮なくおっしゃってください」

 タリートはそう前置きしてから、ゆっくりと話し出した。

「まずスタートは大広間前の廊下ですね。初日と同じようなカットからスタートしたいと思います。ルガさん覚えてます?」

「うーん……。まあ一応。強制的に眠らされていたから、意識ぼんやりとしてたけど」

 勇者が首を傾げながらも頷くと、タリートは手荒な真似してすみません、と謝ってから話を続けた。

「で、大広間には処刑で使う磔を用意します。まあ簡単に言うと十字架ですね」

「えっ、そんなのあるの?」

「一応。人間用と魔物用とあって。ええと……。未使用のはずです。器具は先代で全買い替えしてますから」

「……魔王城って怖いなあ」

 勇者が顔をしかめながらコーヒーをすすり、魔王は怖いよなー、なんて相槌を打つ。

 それにタリートは突っ込まず、それで、と話を戻した。

「そこに魔王様の姿勢制御の魔法を使って、ルガさんを固定します。ルガさん、ここで……」

「ちょっと待って、俺の姿勢制御の魔法?そんなんあったっけ?」

 魔王が話を遮ると、タリートは怪訝そうな視線を魔王に向けた。

「ありますよ。昔よく使ってたじゃないですか」

「え?嘘、全然思い出せねえ」

「まだ魔王様がアニメとかにハマる前、暇を極めすぎて旗上げゲームとかをやっていたときに、決着がつかないとそれで無理やり終わらせてましたよ」

「えー……。まじ?うわ、ちょっと思い出すわ」

 魔王はミルクティーを飲み干すと、腕を組んで考える姿勢に入った。そんな魔王を放置し、タリートはルガに向き合う。

「それで、廊下から移動するときはルガさんに鎖をつけているんですけど、磔台に移すときに外しますよね。その時に抵抗していただきたいんです。それを魔王様が無理やり魔法で抑えるような形で」

「抵抗……?」

 勇者が不安そうに顔をしかめる。と、腕を組んでいた魔王がパッとタリートを見つめた。

「そのために魔法使うの?なら別にフリでもよくね?なあルガ」

「え、え?フリ?」

「うん。いや魔法思い出せなくてさあ……」

 魔王が小声で言うと、タリートは少し呆れたようにため息をついた。

「魔王様?今私が抵抗してくれって言ったときですら不安そうにしたのに、さらにパントマイムまで強行させる気ですか?」

「ダメ?」

「ダメに決まってるでしょう。見てくださいよ、ルガさんの不安そうな顔」

 タリートの言葉で魔王は正面を向き、不安で泣きそうな勇者の顔を見て少し笑った。

「何その顔。そんなに不安?」

「不安だよ!やったことないもん。抵抗して、の具合すらよく分からないのに、その上それをパントマイムで、なんて出来るわけないじゃん」

「えー。いやだってほら、魔法だと怪我させるかもしれないし……」

 ごちゃごちゃ言い訳する魔王に向け、勇者はしかめ面で言う。

「そんな怪我するほど抵抗しないよ。タリートの言う通り、パントマイムのほうが難易度高いって」

「うー……。分かった、思い出しとく、どうにかする。とりあえず続きよろしく」

 魔王に振られ、タリートは再び淡々とした声で説明へ戻る。

「で、その後は初日に話した通りですね。あの見掛け倒しの魔法を出してもらって、ルガさんは死んだふり。そのルガさんの姿を背景に、魔王様に一言で〆てもらって中継終了。こんな感じで考えています」

「んー、なるほどね。ルガ、どう?」

 魔王が聞くと、勇者は表情を曇らせた。

「自信ないなあ……。抵抗してくれって言われても……。タリートはともかく、リーグとか本気で殴ったら骨折れそうだし」

 それを聞いた魔王はムッとした様子で口を尖らせた。

「俺がいくら魔法遠距離系とは言え、そこまでやわじゃねえよ。人間の素手ならそんな大怪我はしないって。だって俺魔王だぞ?」

 魔王が決め顔で言うと、勇者は一瞬ポカンとした顔になり、直後勢いよく吹き出してはずみでむせ返りながら笑い声を上げた。

「その決め台詞、ジャージに寝癖姿で言わないでよ。魔王の要素が全然ないんだけど」

「うるせえよ!どこに笑う部分があったんだよ!魔王なのは本当だし、いいだろ」

「いやちょっと、今のは面白すぎる。うわー、いいな。真似しよ。俺勇者だぞ、って」

「あ!ちょ、取るなよ!ひでえ、勇者にパクられた。著作権侵害だわ」

「こんな決め台詞に著作権とかないでしょ」

「ありますー。著作財産権もあるし著作人格権もあるし肖像権もありますー。はい逮捕、勇者逮捕。著作権侵害」

「ないよ!知ってる単語並べただけじゃん」

 じゃれ合う魔王と勇者に、タリートは少し呆れた表情を浮かべる。

「何か大丈夫そうですね。じゃあこの案で書き進めますので、またリハーサルで確認しましょうか」

「うん。よろしくー」

 魔王が言った瞬間、マグラがキッチンから出てきた。手に持ったお盆には、カラフルな料理が載せられている。

「ルガさんすみませんお待たせして。得意料理と言われたので、本気出してみました」

「うえ、えっ……。コ、コース料理……?」

 出てきたのは、ポタージュ、サラダ、トマトと生ハムの冷製パスタ、サーモンのテリーヌ。カラフルで豪華な料理が並んでいく様を、勇者はただただフリーズしながら見つめている。

 マグラは勇者の前にご飯を並べたあと、いつも通りのワンプレートに収めた魔王のご飯を置いた。

「魔王様にもルガの余り入れときました。テリーヌと生ハムと」

「お、サンキューって、ミニトマト2つ入ってんじゃん。うわ。……ルガ、サラダにどう?」

「どう?じゃないっす!食べてください!それ全部魔王様の分なんで!」

 マグラが怒ると、魔王は渋々ミニトマトを口に入れ、まるで砂を噛んだときのように顔をしかめた。

 一方の勇者はようやく再起動し、スプーンを手に取りつつ戸惑いの目をマグラに向ける。

「ほ、ほんとに食べていいの?こんな豪華なご飯を?俺に?」

「散々食べてきて何言ってんすか。どうぞどうぞ」

「いや、あー、こんな豪華なもの出てくるとは思ってなかったから……」

「あはは、得意料理が良いって言ったのルガじゃないっすか。遠慮せず食べてくださいよ」

「う、うん。いただきます」

 勇者は挨拶をしてから、ポタージュ、サラダ、パスタ、テリーヌと順番に口に入れ、パッと顔を輝かせた。

「これすっごい美味しい!ポタージュは癖がなくてなめらかだし、パスタはバジルの爽やかさがトマトと生ハムにぴったりで、さらにグリーンリーフの食感がアクセントになってて飽きが来ないし、サラダのこのシーザードレッシング?風味豊かなチーズ使って、わざと癖を立たせた感じがパスタやポタージュを引き立たせているね!このテリーヌも、サーモンの塩気と野菜のシャキシャキ食感がパスタに合う!美味しい!」

 感想をまくし立ててまた食事に戻る勇者に、マグラが苦笑いを浮かべる。

「食レポありがとうございます。喜んで頂けたようで」

「すげえな。何か急にルガの語彙力上がったな。変な薬でも混ぜた?」

「混ぜてないっす。何すか語彙力が上がる薬って」

「じゃあ飯が美味すぎたのか」

「そうみたいっすね。……主人?ミニトマトも食べてくださいよ?」

「……はいはい」

 魔王は嫌そうな顔のまま2つ目のミニトマトも口に放り込む。その一方で、勇者は食事をあっという間に平らげ、タリートにおかわりのコーヒーも淹れてもらい、満足気な表情でお腹をさすった。

「美味しかったー……。ごちそうさまでした。マグラもタリートもありがとう。今俺、人生で1番満たされてる気がする。もういつ死んでもいいや」

「そりゃ良かった。じゃあこの後安心して死ねるな」

 魔王がホットサンドをかじりながら軽口を叩き、勇者は一瞬ポカンとしたあと急に慌てだした。

「そういう意味じゃなくて!ほ、ほんとに殺さないでよ?」

「殺さねえって。何で今更慌ててんだよ」

「いや、今本当に魔王城ってこと忘れてたから……」

 勇者が言うと、魔王は一拍置いてからプッと吹き出した。

「何だよその理由。もう二度と忘れるなよ」

「あ、うん、忘れない、多分」

 神妙な面持ちで頷いた勇者に、魔王はまた笑いをこぼしてからタリートの方を向いた。

「そういやタリート、そろそろ雨上がったっぽいけど、誰も山に来てない?」

 その言葉で魔王以外の3人が窓を見ると、空の隙間から青空が覗いていた。タリートはほんとですね、と呟いてから首を横に振る。

「曲が流れなければ来てませんよ」

「そうか。いや、来るならそろそろ山に入らねえと、俺が言った時間に間に合わないんじゃねえかなあって。予定時刻が13時で、今9時半だろ?しかも雨で道ぬかるんでるし」

「んー、それでもまだ少し早いかもしれませんね。一応時間的には10時から11時がピークで、お昼過ぎても反応なければ、来ないと思っていいかと」

「なるほど」

 魔王はそう言ってホットサンドの最後の欠片を口に放り込んでから、不安そうな面持ちでコーヒーを飲むルガの顔を見つめた。

「とりあえず食い終わったし、練習する?」

「あ、うん、そうだね、練習したい。じゃあ先着替えてくるよ」

「分かった。俺もすぐ着替えて行くわ」


 しばらく後。勇者たちの姿は暗い廊下にあった。先頭を魔王が歩き、その後ろをタリート、そして最後尾に勇者と続く。

 魔王は普段通りの黒いマントとローブ、タリートもいつもの黒いベスト姿だが、勇者は防具をつけておらず、ボロボロの手袋とブーツ、そして魔法を防ぐ衣だけを身にまとい、両手首には手錠、腰元には鎖が巻きつけられている。その腰元の鎖には短い鎖と長い鎖が取り付けられ、短い鎖の先端は手錠に、そして長い鎖の先端はタリートの手の中にあった。

 暗い廊下を魔王とタリートは粛々と進み、勇者は靴底を擦るような頼りない足取りで最後尾を歩いている。彼は時々顔を上げてタリートと魔王の背中を睨みつけるが、すぐに諦めの表情とともに視線を地面に下ろす。

 3人は廊下の端の巨大なドアについたところで足を止め、魔王が軽く笑いながら勇者の方へ振り向いた。

「さあ着いたぞ。ここがお前の処刑場だ」

 その言葉とともに扉が開き、照明が暗い廊下を真昼のように照らし出す。その眩しさに、勇者は思わず顔をしかめた。

 扉が完全に開き、明るさに慣れた勇者が室内に目をやると、そこには巨大な十字架が設置されていた。横に渡された棒の両端には手枷が取り付けられていて、それを見た勇者が怯んで後ずさる。

「何だよ、これ……」

「決まっているだろう、お前をあの世へ送る最高のインテリアだ。早く勇者をあそこに連れて行け」

 魔王がタリートに指示を出すと、タリートはかしこまりました、とだけ返事をして、鎖を強く引っ張った。引っ張られた勇者は抵抗する素振りを見せながらも少しずつ磔台の元へ歩みを進めていく。

 台の真下にたどり着き、タリートが鎖と手錠を外した。その一瞬の隙をついて勇者はタリートの元を抜け出し、遠くから眺めていた魔王の元へ殴りかかる。

「ふざけんなよ魔王!俺はまだ死なねえ!」

「おっと、あんだけ痛めつけられたのに元気そうで何より。回復魔法を撃ったかいがあったな」

 魔王が笑いながら手をかざした瞬間、魔王に向けて拳を振り上げていた勇者の動きが止まった。勇者の顔に、焦りと苦痛の色が浮かぶ。

「何だよこれ、身体が……」

「ああ、今お前の身体は俺の制御下にある。魔法によってな。さ、早く向こうまで歩け」

 魔王が磔台を指差して言うと、勇者は少しぎこちない動きで台に向かって歩き始めた。勇者の顔がますます苦痛で歪む。

「くそ、何だよこれ!やめろよ、殺すなら一思いに殺してくれよ!」

 勇者が泣きそうな顔で叫ぶと同時に、台の下にたどり着いた。待ち構えていたタリートがすかさず勇者の身体を受け止めて磔台に押し付け、手首に手枷をはめていく。

 その光景を眺めながら、魔王は愉悦の笑みを漏らした。

「簡単に殺したらもったいない。俺に歯向かったからには、苦しんで苦しんで死んでもらうぞ」

「くそ、魔王め……」

 タリートが作業を終えた。同時に魔王の放っていた魔法が解け、勇者は苦しそうに身体を揺らした。だが頑丈な手枷と台はピクリとも動かない。

 魔王は、最後の抵抗を見せる勇者の前までゆっくりと歩いていくと、そんな彼の顔を楽しそうな表情で見つめた。

「まあ、恨むならこんな場所に送り込んだやつを恨むが良いさ。自分は前線に出ることなく、こんな危険地帯に何人もの人を送り込むやつのことをね」

 魔王はそう言うと、手の中に赤黒い槍を生み出した。勇者はもう何も言わず、口から荒い息を吐き出しながら、ただただその槍を睨みつけている。

「さて、じゃあそろそろ終わりにしようか。……今これを見ている全員に告げる。わざわざ魔王城まで、私の根城まで攻め込んできたやつがたどり着くのは地獄だ。こうして徹底的に苦しめられる、この世の生地獄だ!こうなりたくなければ、二度と俺の前に姿を現すな、いいな!」

 魔王はそう言うと、勇者の心臓に向けて槍を構えた。一瞬の静寂とともに、勇者と魔王の視線が交差し。

 次の瞬間、魔王の持っていた槍は勇者の胸を貫いていた。勇者はガッ、という小さい悲鳴とともに身体を反らし、目を見開きながら魔王の顔を睨みつける。だが次の瞬間、彼の頭は重力に引かれてがくんと垂れ下がり、一気に全身から力が抜けた。胸から生えた槍が、勇者の動きに合わせてゆっくりと揺れている。

 魔王はそんな勇者に背を向けると、ニヤリと笑った。

「見たか?最期の哀れな姿を。勇者とはこんなにも哀れな生き物よ。所詮魔王の前では一介の人間に過ぎない。これでもまだ魔王討伐を掲げるやつらは、すぐにこいつの後を追いかけることになるだろう。それがどんなに愚かなことか、このテレビを見ている賢い人間諸君なら分かっているはずだ。もう二度とこんな映像が全国に流れないことを祈っているよ」

 魔王が言い終えるとすぐに、カメラを構えていたマグラが声を発した。

「オッケーっす。リハもなかなかいい感じっすね。ルガ、最後の部分は手痛くないですか?」

 すると勇者は身体を起こし、少しだけ首を傾げた。

「手よりも肩が痛いかな。まあでも大丈夫、結構腕で支えられるから」

「ならいいっすけど……。最悪、タリートにこっそり支えてもらってもいいかもしれないっすね」

「そうだね、見えない位置でこっそりやってもらえたら楽かも」

 タリートに手枷を外してもらった勇者は、軽く肩を回しながら頷いた。刺さっていた槍はいつの間にか消えている。

 と、呼吸を整えていた魔王が勇者の方へ振り返った。

「毎日思っているけど、本当に演技上手だよなあ。ちょっとやったらもう完璧じゃん。やっぱ基礎能力が高いから、吸収も早いんだろうな」

「ありがとう。まさかこんなことで褒められる日が来るとはね」

「いやー、もう才能なんだろうなあ、うん。もったいない、勇者じゃなくて俳優の養成所行けばよかっ……」

 魔王はそこで不意に言葉を止め、タリートの方へ顔を向けた。

「タリート、今何時?」

「12時50分です。そろそろ本番の準備しようかと」

「入山を知らせるやつ反応してないよな?」

「そうですね。だから誰も来な――」

 言いかけたタリートの言葉を手で遮り、魔王は耳を澄ませながら周囲をゆっくりと見渡していく。そして部屋の奥、ちょうど10時の方角で回転を止め、壁の向こうを鋭く見つめた。

「その割には、この方角に人間3人の反応があるな」

「えっ?距離は?」

「近く。城のすぐ裏手くらいだな。中には入ってない」

「近く!?本当ですか?センサーは反応してないのに、どうしてこんな山の頂上に……」

 驚くタリートの横で、勇者は目を見開いた。

「3人組って?もしかして」

「直接見なきゃ分かんねえけど、可能性はあるな。センサーに感知されずに山を登ってくるやつらだ」

「……来ちゃったんだ」

 勇者が複雑そうな顔で唇をぐっと噛みしめる。

 と、1人配信の準備をしていたマグラが、魔王に向かって尋ねた。

「どうしますー?先処理してから乗っ取ります?それとも時間優先?」

 魔王は少しだけ悩んだようだったが、55分を指す時計を見て首を振った。

「ここで処理優先したらやつらに舐められる。乗っ取りは予定通り、全部リハーサルと同じようにやる。途中でやつらが乗り込んできたら、さくっと無力化するまでよ」

「そうっすか。じゃあ準備しときます」

 マグラはそう言って準備に戻った。そして魔王は不安そうにする勇者の肩をポンポンと叩く。

「心配するなって。誰も怪我しねえし、この乗っ取りでちゃんと全部終わらせるから。安心しろよ、俺魔王だぞ?」

 魔王がおどけたように言うと、勇者はフフッと笑みを漏らした。

「……そうだね。史上最強で、そして最高の魔王様だ」

「だろ?じゃ、俺らも本番の準備するか」

 魔王はそう言うと出入り口に向かって歩き出し、勇者とタリートも慌ててその後に続いた。

 3人は薄暗い石造りの廊下を足早に抜け、窓が並ぶ明るい廊下へとたどり着く。と、魔王が窓の外を睨み、静かに口を開いた。

「ああ、城内に入ってきたな。そろそろタリートも察知できるだろ?」

「ええ、分かります。今1階で……。座りましたね」

「ほんとに?ここまで来るかな……」

 勇者が不安そうな顔になる。と、タリートはそんな勇者の腰元に鎖を巻き付けながら、にっこりと笑いかけた。

「まだ来る気配はないですね。大丈夫ですよ、魔王様に任せてください」

「うん……」

 勇者は少しだけ不安そうにしながら頷いた。そんな3人に向け、マグラは少しだけドアを開けて話しかける。

「あと40秒で乗っ取り開始です。魔王様、俺ここで合図出すんでドア支えといてください」

「ああ、カウントダウンよろしく」

「はーい、あと30秒っす」

 カウントダウンで現実を思い出し、勇者はそわそわし始めた。その気配を察した魔王が、マグラを見つめたまま声をかける。

「俺は絶対に誰も殺さない。タリートたちも、勇者も、そして俺自身も」

「……うん」

「これで100年ちょい生きてきたんだ、任せとけって」

「年季あるなあ。さすが魔王」

 勇者が苦笑いを浮かべたとき、マグラの声が10秒前を告げた。タリートは勇者の手に手錠をかけ、鎖の端を握って前を向く。

 マグラの手が0を示した瞬間、魔王は深く息を吸ってからドアを大きく開け、石造りの薄暗い廊下へと足を踏み出した。タリート、そして勇者が後に続く。

 カメラを構えたマグラが追いかける中、魔王は廊下の端までたどり着くと、笑みを浮かべて勇者の方へ振り返った。

「さあ着いたぞ、ここがお前の処刑場だ」

 その言葉とともにドアが開いていき、強い照明の光が勇者の顔を照らし出す。

 やがてドアが完全に開き、室内を見た勇者が少し後ずさった。

「何だよ、これ……」

「決まっているだろう、お前をあの世へ送る最高のインテリアだ。早く勇者をあそこに連れて行け」

 リハーサルと同じ言葉を、全く同じ調子で言い放つ魔王。勇者は抵抗する素振りを見せながらも、タリートに引っ張られて磔台の方へ歩いていき、2人の背後でドアがゆっくりと閉まっていく。

 2人は台の下で立ち止まり、タリートが勇者の鎖を外す。その一瞬の隙を逃さず、勇者は魔王へと飛びかかった。

「ふざけんなよ魔王!俺はまだ死なねえ!お前を倒しに来たんだ!」

「おっと、あんだけ痛めつけられたのに元気そうで何より。回復魔法を撃ったかいがあったな」

 魔王はすかさず魔法で勇者の動きを制し、勇者が苦しそうに表情を歪めた。

「な、何だよこれ、身体が……」

「ああ、今お前の身体は俺の制御下にある。魔法によってな。さ、早く向こうまで歩け」

 勇者はぎこちない動きで歩き出し、彼は表情を歪めたまま叫ぶ。

「くそ、何だよこれ!やめろよ、殺すなら一思いに殺してくれよ!」

 抵抗虚しくタリートの元に戻された勇者は、苦しそうな表情のまま磔台に手首を固定されていく。

 と、その作業を眺めていた魔王が、不意に出入り口の方に目をやった。ドアの向こうからは、硬い靴音がわずかに聞こえてきて。

「……来たか」

 彼はそう小声で呟くと急にカメラの方に振り返り、大声を張り上げた。

「諸君、勇者の処刑にふさわしいゲストの登場だ!わざわざ絶望を直視しに来た、救いようのない奴らのな!」

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